大丈夫だよチヨコちゃん
止まない雨なんて無いんだから……!
止まない雨なんて無いんだから、もっと土砂降りにしても大丈夫だよね!
チヨコは、必死に走った。
高熱モードと嘔吐のダメージの残る身体で、懸命に足を回した。
(お父さん……私、どうしたら良いの?)
今は亡き絆田ウシオなら、どうしただろうか?
石動レモンが妖精族と裏でつながっていた件をウシオが知ったなら?
……なんだか、ウシオが何と言うのか想像できなかった。
絆田ウシオだって、石動レモンが妖精族とグルだなんて想定できなかっただろうからだ。
それでも、何も思いつかなくても、チヨコはとにかく生家へと走った。
レモン叔母さんの客人がギャングルメの一族なら、そこへ単騎で突入したセイラが命を落とすという最悪のケースも有り得る。
友達の命がかかっているという状況が、チヨコを焦らせた。
「おっ、チヨコちゃん? 自力で帰ってきたんだ? とりあえず入りなよ~?」
「チヨコさん……! 身体は、大丈夫なんですか?」
そして……チヨコが絆田家に辿り着いたとき、ちょうどセイラとレモン叔母さんが連れ立って玄関から出てきたところだった。
おそらく、チヨコを公園のベンチに寝かせたという経緯をレモン叔母さんへと話した後なのだろう。
肩で息をしながら、チヨコは状況を分析した。
セイラの様子に剣呑な雰囲気が全くないことを鑑みれば……おそらく、ニビルと呼ばれた妖精族とセイラは鉢合わせていない可能性が高い。
「あちゃー、また高熱の力を使ったの? その力は使ったらダメだよ?」
いつも通りに軽々しい言葉をかけて歩み寄ってきたレモン叔母さんを前に。
チヨコは……無意識に、後ずさってしまっていた。
そして、そんなチヨコの仕草を受けてレモン叔母さんは一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、すぐに納得した様子だった。
「アタシの客人なら、もう帰ったから心配しなくて大丈夫だよ」
飄々と、なんでもない世間話みたいに話すレモン叔母さん。
妖精族がすでに帰っているのならば、チヨコも警戒する必要はなくなる。
……本当に?
「……そっかそっか、アタシの客人が誰だったのか知ってるって顔に書いてあるよ」
チヨコの重苦しい胸の内を見透かして、なお。
レモン叔母さんの態度は、軽々しいままだった。
段々と、チヨコはこの叔母のことが怖くなり始めた。
「……レモン叔母さん、妖精族とグルだったの?」
「そうだよ。ニビルくんには、妖精界のサンプルを回してもらっててね。良い関係を築いてるよ」
チヨコが腹の底から絞り出した言葉は……否定してほしかった。
何かの間違いだと、チヨコの勘違いだと言ってほしかった。
返ってきたのはチヨコが一番聞きたくない言葉だった。
「だったらどうすんのさ~? セイラちゃんと手を切ったみたいに、アタシとも決別する?
それで一人で戦っていけないのは、チヨコちゃん自身が一番よく分かってるっしょ~?」
レモン叔母さんの正論に、チヨコは反論できなかった。
高熱モードの負荷は決して軽くない。
かといってレモン叔母さんにすら頼れずに戦っていくのは……無謀だ。
だが……そんなチヨコを守るように、レモン叔母さんの前に立ちふさがる者がいた。
井上セイラだ。
「事情は呑み込めません。けれども……チヨコさんが苦しんでいるのは分かります」
「まぁチヨコちゃんの味方でいたいっていうセイラちゃんの気持ちは立派だと思うけどさぁ。
それで守られるポジションに収まるのは、あまりにも都合が良すぎないかな~、チヨコちゃん?」
瓶底眼鏡の底の目は、笑っていないように見えた。
チヨコは、何も言えなかった。
セイラを拒絶した身として、セイラに守ってもらうのはあまりにも虫が良すぎる。
「あともう一つ言っとくけどね、伝説の戦士への変身はチヨコちゃんだけが特別な訳じゃないんだよ。
別にチヨコちゃんが頑張らなきゃいけない理由は無いのさ」
レモン叔母さんが、何でもないことだと言わんばかりの態度で聞き逃せない言葉を口にした。
チヨコは、耳を疑った。
セイラが伝説の戦士と呼んでいた力は、二人だけの特別なものだという認識がどこかにあったのだ。
そんなチヨコの縋るような希望を知ってか知らずか。
レモン叔母さんは、瓶底眼鏡の端を指ではじくような仕草をみせた。
そんな何でもないような仕草をトリガーに、レモン叔母さんは……その姿を変えていった。
黒を基調としたドレスはクロニャンに近いシルエットだった。
だが所々に黄色が混ざり込み、髪もブロンドへと染まっていった。
瓶底眼鏡が片側だけのモノクルへと変わったその姿は……チヨコにとって初見でありながらも、伝説の戦士であると思わせた。
……レモン叔母さんが、伝説の戦士へと変身した。
「う、うそ……! そんな……!?」
「チヨコちゃんが飲んだ薬だってアタシが開発したんだから、別に不思議じゃないっしょ?
これでアタシも……え~と、何だっけ、アレだよアレ……そうだ、プリキュアだよね。チヨコちゃんが言ってた伝説の戦士の俗称」
チヨコは、驚愕と混乱で頭が一杯だった。
レモン叔母さんの指摘が図星だったというのも大きかった。
頭のどこかで、妖精族に対抗できるのはガヴルとクロニャンだけという認識があったのだ。
それを目の前で否定されたことに、チヨコは拒否感を隠し切れなかった。
「あ、もしかして
そう言いながら……石動レモンは、何でもない日常仕草のような雰囲気でセイラへと拳を振るった。
セイラはギリギリのところで反応して伝説の戦士ガヴルへと変身し、後ろ飛びに回避した。
ガヴルの顔には困惑が透けて見えた。
戦いは、一方的だった。
拳を打ち合えば石動レモンの方が腕力が優れているのが見て取れた。
そのうえで……ガヴルの動きが消極的に見えた。
そしてそう看破したのはチヨコだけではなかった。
「……セイラちゃん、アタシが人間族だから全力で戦えない感じ?」
「私は……相手がニンゲンでも妖精でも、理由がなければ戦いたいとは思いません」
セイラの苦しそうな回答は、偽らざる本心なのだとチヨコは思った。
妖精族を殺すのにも躊躇していたセイラの姿を、チヨコは誰よりも近くで見ているのだ。
しかも、チヨコは当時知らなかったがセイラは妖精族の子でもあり、おそらく妖精と人間の両方に同族意識がある。
それなのに、人間たちの命を救うために心を鬼にして妖精族を殺してきたのだ。
……それをセイラに強いてきたのは、誰だったか。
「まぁデモンストレーションには物足りないけど、虚仮威しじゃないのは分かったよね?
チヨコちゃんは確かに成功例第一号ではあるけどオンリーワンではないし、それを拡張するのがアタシたち科学者の仕事なのさ」
だが……なんだろうか。
チヨコは、違和感を胸の中に抱いていた。
何故なのかは、チヨコ自身でも分からなかった。
探偵をやっていた父親譲りの勘なのか、はたまた一緒に暮らしていた姪としての経験則なのか。
なんだか、レモン叔母さんは嘘は言っていないだろうが、何か大切なことを隠しているように思えてしまったのだ。
チヨコは、必死で頭を回した。
睨み合うガヴルと石動レモンの沈黙が、重く思えた。
「……プリキュアの量産って、本当に可能なの?」
チヨコが思い至った一手が……それだった。
確かに沢山の人間が変身できた方が妖精族への対抗手段になるし、レモン叔母さんがそれを目指すのも分かる。
しかしチヨコの初変身が5月で、今は10月だ。
チヨコに例のココアのような黒い薬を投与したときに、ほぼ完成していたと考えると……そこからの進展が遅めに感じられたのだ。
既にレモン叔母さん自身の身体で試しているところから見て、安全性の問題はおそらく殆どクリアしているようだが……。
その割に、まだプリキュアは量産されていない。
……何か、プリキュアを量産できない理由があるのでは?
「まったく、良い勘してるね。……きっと、ウシオさんも草葉の陰で喜んでるよ」
大きく息を吐いて遠い目をしつつ、石動レモンは口元だけで笑った。
可愛い姪の成長が嬉しい、という気持ちに嘘は無さそうだとチヨコからは思えた。
まだ説得の目があるのかもしれない。
チヨコの胸に、かすかな希望が灯り始めた。
「現時点の技術力じゃぁ、量産性に難があるのはその通りだよ。
なんせ……伝説の戦士に変身する薬の材料は、ソウルフルーツだからね」
その材料問題を解決するのは今後の課題さ、なんて軽々しく言い放っている伝説の戦士こと石動レモン。
だが……チヨコにとって、それはあまりに受け入れがたい事実であった。
驚愕に目を見開いたままで、脳が理解を拒否している情報を必死で噛み砕こうとした。
ソウルフルーツは……人間を犠牲にして実らせる、忌まわしき呪物だ。
それが、プリキュアを生み出す薬品の原料?
なら、あの日チヨコが飲んだココアのような黒い液体の正体も……?
チヨコは、気分が悪くなった。
これ以上考えちゃいけない、と頭の中の冷静な部分が叫んでいた。
「ソウルフルーツを食べた時、肥料になった人間の幸せな記憶が見えるってセイラちゃんたちから聞いたよ。
チヨコちゃんも、見たっしょ?」
腕が、身体が、震えた。
石動レモンの言葉に、心当たりがあった。
あの黒い薬品を飲んだ日のことだ。
夢心地の最中に……チヨコは、確かに
――まだ1歳か2歳の頃のチヨコが、初めてウシオのことを「パパ」と呼んで
そうだ。
あの時に見た朧げな映像は……チヨコの視点からのものではなかった。
「パパ」と呼んで
チヨコの頭の中に「正解」が見えてしまっていた。
石動レモンが研究のためのサンプルをニビルから貰っているという話とも合致する。
あの日の直前に、ソウルフルーツの犠牲になったのは
「う゛っ、う、あっ……」
チヨコは膝をついて、嘔吐した。
空っぽの胃袋からは苦い液体しか出てこなかった。
絶望と苦しみの味だ。
涙が零れた。
立ち上がれなかった。
絆田チヨコの慟哭が、閑静な住宅街に響き渡った。
や、止まない雨なんて無いんだから……!(震え声)