自分で書いてみると、元ネタのガヴでラキアを多少強引にでも何でも屋の社員にしたのが本当に英断だったと思い知らされた当作者です。
ゲストとの交流でニンゲンさんたちとの縁を少しずつ広げていったガヴの手腕があまりに上手すぎる……。
ニガリは、ニビル対策会議を終えて一人で町をぶらついていた。
特に目的があったわけでは無かった。
ただ、なんとなくの物見遊山とでも言うべきか。
中折れ帽子をかぶった長身の女の姿で、ニガリは町中をぶらついた。
妖精界へ通じるゲートを管理するギャングルメに喧嘩を売ってしまった身であるからして、帰還は不可能な訳で。
実は、レモン叔母さんのニビル説得大作戦で地味に今後の影響が大きいのがニガリだったりするのだ。
ニビルを寝返らせれば、ニガリも妖精界に帰れる可能性が出てくるからである。
……とはいえ、ニガリはそこまで妖精界に帰ることに重点を置いている訳でもなかった。
帰っても親族がいる訳でも無いし、人間界で気ままに暮らすのも悪くないと思うようになっていた。
そして一生人間界で過ごすかもしれないという認識を持つようになったニガリは、不定期に町中を徘徊……もとい散策しているのであった。
町中に、ニンゲン達の操縦する脆そうな鉄の箱が走っている。
人間界に来た当初は物珍しいと思えたが、今は見慣れてしまった。
どうもあの脆そうな鉄の箱は、正面から衝突してしまった場合でも、先端部分が先に潰れることで中のニンゲンのダメージを少なくする機能もある様子だ。
交通事故とかいう現場を先日目撃したニガリは、少しばかり感心してしまったものだった。
つらつらとそんなことを考えながら街を歩いたニガリであったが、やがていつもの公園へと戻ってきた。
ちょうどそこにセイラも戻ってきたので、二人で公園へと入ろうとした……矢先のことだった。
……なにやら、ニンゲンの諍いの声が聞こえた。
甲高い怒鳴り声を出している女が、男を糾弾しているようだった。
「そうやって昔の女のこと、一生引きずってれば良いわよ!!」
怒り心頭という様子の女は、男をぶん殴って足早に公園を出ていった。
ニガリは……立ち尽くして公園に取り残されたニンゲンの男性を観察してみた。
中年の優男といった風貌の男で、どことなく影がある印象だ。
殴られたことにショックを受けている訳では無さそうだが、その目は酷く濁っていた。
……なんだか不快だ、と直感的にニガリは思った。
理由は分からない。
「お困りでしょうか? よろしければ、お話だけでも聞きます!」
「……キミは、素敵な女の子だね」
ニガリは、面倒ごとの匂いを嗅ぎ取っていた。
しかし、こういう時に面倒がらずに相手を思いやれるセイラの心根を、美徳であるとも思っていた。
あまり妙なことに巻き込まれるようなら自分が止めればいい、なんて思いながらニガリはセイラたちを見守った。
とりあえず、公園のベンチに腰掛けて。
森田ジョージと名乗った憂鬱そうな男は、ぽつぽつと語り始めた。
「2年前に、妻に先立たれてしまってね。どうにも心に穴が開いたみたいになってしまって、何をしても満たされないんだ」
……それで新しい女に手を出してみたが破局したのが先ほどの光景という訳か?
ニガリは、率直な感想としてこのジョージというニンゲンに良い印象を持てずにいた。
まぁ、妻と死に別れた後ならば、後妻となる相手を見つける活動をするのは分からないではない。
だが……先ほどの女の言い捨てた言葉によると、ジョージは亡き妻のことを引きずりすぎているらしい。
亡き妻の面影を勝手に別の女に重ねて、それを愛と呼ぶ気なのだ。このニンゲンは。
ニガリは嫌悪感を胸に抱きつつも、その心境が少しだけ分かる気もした。
――私が勝手に、お前に妹を重ねているだけだ。所詮は、自分の喪失感と無力感を慰めるための代償行為だ。
――新しく出会った相手に、元々好きだった相手を重ねて好きになるのって、悪いことじゃないと思います。
セイラが気にしていないと言ってくれたから良いようなものの。
根本的にはニガリのセイラに対するスタンスは、亡き妻の面影を追うジョージと一緒なのではないだろうか?
そこまで考えて、ニガリはジョージに対する漠然とした不快感の正体が分かった気がした。
この不快感の正体は……同族嫌悪だ。
「その妻の死因は? 復讐する相手はいないのか?」
「リスのような怪物に連れ去られた妻は、翌朝に干からびた変死体として発見された。その怪物を捜索しようとしたこともあった」
リス……という単語を聞いて、ニガリは奥歯を鳴らしてしまった。
人間界で、そう呼ばれる動物をニガリは見たことがある。
ニガリの妹だった妖精族のカルメラに、よく似た小さな生物だった。
確実にという訳ではないが、ジョージの妻の仇は……おそらく、カルメラだ。
「でも、結局やめたよ。そんなことをしても妻は帰ってこない」
「復讐は何も生まない、か? だが復讐をしなければ恨みは残るだろう」
ニガリは、今までとは別種の不快感が胸の内に湧いていた。
加えて……妹の仇を討とうとしている自らの生き方を否定された気がしてしまったのが、もう一つだ。
「……そうだね。恨みは残ったよ。でも妻は、僕が復讐鬼になったら絶対に悲しむ」
そういう人だった、とジョージは続けた。
憂鬱そうな態度のままで、しかし確かに妻だった人間を愛していたのだろうと思わせる何かがあった。
そして、その言葉はまたしてもニガリの心を揺さぶった。
カルメラは……優しい子だった。
傷ついている相手を放っておかなかったし、相手のことを思いやれる子で……だからこそ、ソウルフルーツを食べるうちに、途中で過ちに気付いたのだろう。
だから、引き返そうとして……レンジオ・ギャングルメに始末された。
そんなカルメラが、復讐鬼として生きるニガリの姿を是とするとは到底思えなかった。
「言うべきか言うまいか、迷うところですけれど……あくまで一例として、私の家庭の話をします」
……と、ここでセイラが沈黙を破った。
セイラの父は妻を亡くし、後妻としてニンゲンを勝手に見初めたのだ。
後妻の子がハーフとして生まれたセイラという訳だ。
そんな物騒な家庭環境を、一応父親が妖精族だという情報を伏せながらセイラは説明した。
「ですが……母さんを見初めた後も、なんだか父さんは幸せには見えなかったんです。
父さんが笑っているところを、ついぞ私は一度も見たことがない気がします」
「僕が別の女性を見初めても、幸せにはなれない……ということかな」
ジョージは相も変わらず陰のある口ぶりのまま、セイラへと確認した。
とはいえセイラも自信がある訳でも無く、その可能性はあると思います、としか言えない様子だ。
セイラが事前に断りを入れた通り、あくまでギャングルメ家の一例に過ぎないので、どれだけの確度があるかは不明としか言えない。
怒るでもなく憂鬱を深めたように見えるジョージは、セイラに指摘される前から薄々自覚があったのかもしれない。
そして……ニガリを迷わせる概念もチラついた。
幸せ、という言葉を聞いたときにニガリは、ふと思ったのだ。
自分にとっての幸せとは何だろう、と。
かつての自分自身であったなら、それは
だが、今のニガリは?
復讐をしても妹が帰ってくるわけでは無いし、復讐が終わったらどうする?
ぽつり、ぽつり、と。
少しだけ、雨が降り始めた。
ニンゲンという奴らには、雨が降るときには傘というものを頭上にかざす謎の習慣があるのをニガリは知っていた。
だが、公園のベンチに腰掛けたままジョージは雨に動じなかった。
雨が好きなのか、もしくは傘が嫌いなのか。
ニンゲンにも色々いるものだな、なんてニガリは思った。
「……セイラ。お前は母親を殺された後、どうやって立ち直った?」
「ええっと……?」
ニガリからのこの質問は、セイラにとって予想外であったらしい。
首を捻って考え込んでいる。
そんなセイラから視線を外したニガリは、ジョージと目が合った。
ジョージは、おそらくニガリの質問意図を理解していると思われた。
セイラが立ち直った方法を聞けば、ニガリやジョージ自身が楽になるかもしれないという希望があるのだ。
「母さんの言葉が心の支えになってくれたんだと思います。人間達の中で幸せを見つけてほしい、といつも言ってくれていましたから」
セイラは、特に気負わない口ぶりで心の内を言葉にしてくれた。
だがニガリからすると……故人が遺族の幸せを望んでいるのは分かっているのだ。
そのうえで、やりきれない悲しみや憎悪に対してニガリがどうやって向き合っていくのかという話なのだが……。
……と、そこまで考えてからニガリは気付いた。
きっとセイラにとっては、前を向いて生きていく理由はそれで十分なのだ。
ジョージもまた、ニガリと同じ推論に行きついたと見えた。
不思議と、雨に濡れ続けているこの陰気な男の考えが分かる気がした。
「幸せというのは、例えば……美味しいものを食べることです! ジョージさんも、どうぞ!」
さっきレモン叔母さんから貰ったんです、なんて言いながら。
セイラは、バリっとした質感の包装袋を開けて中から水色の丸い食べ物(?)を取り出した。
ニンゲンの指ぐらいの大きさの、不思議な食べ物だった。
ニガリにも、一つ手渡してくれた。
この丸い食べ物を指で揉んでみると、妙に弾力がある不思議な感覚だった。
ジョージの反応を見ても、少なくともコレが食べ物であることは疑っていない様子だ。
口に含んでみると……なんというか、無暗に甘ったるい。
何かの果物の風味と思しき酸味も紛れているが、それにしてもコレは甘すぎる。
不味い訳ではないが、ニガリとしてはあまり好き好んで口にしたい食べ物ではないと思った。
「グミか……。僕は久しく食べていなかったけれど、偶にはこういうものも良いかもしれないね。ありがとう」
ジョージも、そこまでグミは好きではなさそうだ。
ニガリはジョージの真意を不思議と読み取れてしまった。
おそらくセイラからの好意が嬉しかったのは本当だろうが……。
セイラ本人が食べて嬉しそうにしているのと比べると、心から楽しんでいる者とそうでない者の違いが際立つところはあった。
「私、思うんです。食べ物が美味しいっていうのは、思い出を食べている時があるかもしれない……って」
……なに?
ニガリは、セイラの言葉の意味を理解しかねた。
妖精族がニンゲンたちの魂から育てたソウルフルーツを味わうのとは、違う話なのだろうか?
おそらくジョージも理解できていない様子で、興味深そうにセイラへと続きを促した。
セイラが言うには、実家から脱走した時に偶然チヨコに助けられて。
このニンゲンたちの世界で初めて食べたのが、そのグミというお菓子だったそうだ。
「きっと、単純な味だけの問題じゃなくて、チヨコさんとの大切な思い出があるから私の食べるグミは美味しいんです」
ニガリとしては、あのチヨコというニンゲンには良い印象は全く無かった。
弱くてセイラに守られている分際という認識が強かったし、今は復調済みとはいえセイラの不調の原因はチヨコだ。
苦しそうに1か月ほど過ごしていたセイラを見ている身としては、チヨコに好印象など抱くはずもなかった。
それでも、チヨコのことを大切に想っているのは本当だろうとセイラの口ぶりからは伝わってきた。
「ジョージさんにも、ありませんか? その妻だった人との、大切な思い出がある食べ物が」
「そう……かもしれないね。妻が好きだったものは、色々あるけれど……オムレツかな」
細かい雨に濡れ続けながら、ジョージが口元だけで、ほんの少し笑った。
ニガリは、そんな気がした。
「今日は、ありがとう。……君は、本当に素敵な女の子だね」
それだけ言い残して。
相変わらず陰気な様子の男は、ゆっくりとした足取りで公園を去っていった。
弱い雨は、まだ当分止みそうになかった。
そんなジョージの濡れた背中が見えなくなるまで黙って見送ったセイラは、なんだか悲しそうに思えた。
もっと他に言ってやれることがあったかもしれない、という歯痒さが透けて見えた。
「お前は、出来る限りのことをやった。……私が思っていたよりも、ずっと
ジョージが悲しみから立ち直る日が、いつになるのかはニガリにも分からなかった。
妻だった女が好んでいた料理を食べて、気持ちが上向く保証もない。
でもニガリが思っていた以上に、セイラは相手を励ますことが出来ていたように思った。
「ニガリさんにも、ありますか? 大切な思い出の食べ物が」
「……愚問だな」
いつか、一緒に妖精界を歩く機会があれば、セイラにも食べてほしいと思った。
カルメラが好きだった、妖精界の何の変哲もないお菓子を。
情報を食っている、なんて言われる昨今ですが……。
味覚に限らず、特定の記号が良くも悪くも思い出に紐づいているパターンって、実際多いと思います。
それって、そんなに悪いものでもないのでは?
……というオハナシ。