◇この妙に人格者な老婆は……?
根城にしている公園にて。
清々しい朝日を浴びて目を覚まして。
野良猫にちょっかいを出して、やはり逃げられてしまって。(5敗)
そんなホームレス生活を満喫している井上セイラの元へと、またまた絆田チヨコが訪れた。
「セイラちゃん、また家出したの? 今度はどんな『幸せ』が見つかりそう?」
相変わらず、チヨコはセイラのことを家出の常習犯だと思っているらしい。
たぶん、短期間の家出を何回もしていると勘違いしているのだろう。
まぁわざわざ訂正するような誤解でもないので、セイラは本題に入るつもりだ。
母親が言い残した、ニンゲンさんたちの世界の楽しかった思い出の中には、まだまだ沢山の「幸せ」があるのだから。
「ズバリ、試してみたいのは『肝試し』です!」
「えっ、肝試し……?」
チヨコは、あまり感心しないという様子だ。
怪談や妖怪の類が苦手なのかもしれない。
「街はずれの丘の上に古びた洋館がありまして。そこにお婆さんの幽霊が住んでいると噂に聞いたんです」
「そ、その、オバケは、ちょっと……」
チヨコは、かなり及び腰だ。
これはムリヤリ連れまわすのは良くないかもしれない。
肝試しは怖がっている奴が一人は居ないと面白くない、という母親の言葉も脳裏に蘇ったが、それはそれである。
「苦手なら無理強いはしません。でも、もし一緒に来ていただけるなら、何があっても私がチヨコさんを守り抜いてみせます!」
「ええっと、どうしよう……。セイラちゃんがそう言ってくれるなら、よ、よろしくお願いします?」
繋いだチヨコの手から緊張感のようなものが伝わってくるが……まぁ、何とかなるだろう。
なんだかチヨコが目を合わせてくれないのも、緊張の現れだろうか?
そんなこんなで、セイラはチヨコの手を引いて、街はずれの洋館を目指して歩き始めたのであった。
丘の上にある洋館は、実際に見てみるとセイラの想像より二回りぐらい大きかった。
チヨコ曰く、小さめの小学校だと言われたら信じてしまいそうなぐらいの大きさだ、とのことである。
やたらと大きい割に管理が行き届いており、窓が割れている様子もないし、案外小綺麗だ。
日が高いせいもあって、あまり不気味な印象は受けないが……果たして、老婆の幽霊は居るのか?
\ピンポーン/
「ごめんくださーい! 噂の幽霊さんは御在宅ですかー!?」
「ええっと?? セイラちゃんの肝試し観、どうなってるの???」
肝試しか? これが……??
そんなツッコミの視線を隣から感じたセイラなのであった。
ちょっと首をかしげてしまった井上セイラであったが、特におかしいことは無いように思えた。
幽霊や妖怪の居そうな場所を探索するのが肝試しのはずだ。
自身の行動を振り返ってみても全く不審な点は無い、とセイラは思った。
「あら、いらっしゃい。可愛らしいお客さんね」
そして、洋館の扉を軋ませながら姿を現したのは……人の良さそうな老婆であった。
頭は白髪で染まっていてかなりの高齢のようだが、背筋はピンとしている。
眼鏡を通して優しそうな目でセイラたちを見下ろしており、足があるので幽霊ではなさそうだった。
チヨコの安堵の息が聞こえた。
「私は幽霊さんではないけれど、これも何かの縁。お茶はいかがかしら?」
「ぜひいただきます!」
「おじゃまします……?」
人の良さそうな老婆は、ヨヨと名乗った。
どうやら普段は孫娘と一緒に暮らしているんだとか。
その孫娘が親友らと一緒に旅行に行ったので、ヨヨは一人で洋館で過ごしているんだそうだ。
リビングへと通された二人は、大きめのソファに一緒に座った。
「紅茶とコーヒー、どちらがお好み?」
「どちらもわかりません! チヨコさんと同じのが良いです!」
「うーん、紅茶の気分かな。紅茶お願いします」
しばらく待つと、重そうなポットを持ったヨヨさんがリビングへと戻ってきた。
皿付きのカップの中に注がれた液体は、透明感のある赤黒い色をしていた。
……と、そこで井上セイラは母の言葉を思い出した。
うろ覚えだが、なんだかコップを回した方が良いみたいなことを聞いた気がする!
セイラは受け皿の端をつまんで、皿ごとティーカップを半回転させてみた。
「セイラちゃん、何やってるの……?」
「母さんが言っていました。
うろ覚えですけれど、お茶を御馳走になるときはコップを回した方が良いと言っていた気がします」
「それ、抹茶の茶器の話だと思うよ?」
「そ、そうなんですか……?」
不審気なチヨコの視線に、セイラは少しだけ冷や汗をかいた。
ニンゲンさんの文化にあまり詳しくないので、不信感を持たれるのが怖いのだ。
もしも妖精族の子孫であることがチヨコにバレたらと思うと、セイラは気が気でなかった。
これはニンゲンさんにとっては強烈な違和感なのか?
もしくは「些細な勘違い」で済むのか?
チヨコの心境が読めず、セイラは焦ってしまった。
そんなセイラの焦りを察してか……ヨヨさんがゆっくりと口を開いた。
「ふふ。実は紅茶にも、ティーカップを回す文化はあるのよ?」
老婆ヨヨの解説によると。
ティーカップは、原則的には右手側(利き手側)に取っ手がくるようにテーブルに置くそうだ。
しかし、カフェによっては取っ手が左手側になるように客の前に出すことがある。
そういう店は、客が右手でスプーンを使って砂糖などのトッピングを入れることを想定しているのだとか。
その場合、トッピング類を入れ終わった時点で客側がティーカップを回して、右手側に取っ手が向くようにするとのこと。
「そうだったんだ……? 勉強になりました」
「長々と話してしまったけれどね。一番大切なのは、一服のひと時をリラックスした気分で楽しむことだわ。細かい作法はそれほど重要ではないの」
老婆ヨヨは、こっそりとセイラへと目くばせをしてみせた。
感心しながらヨヨの話を聞いていたチヨコは、その仕草に気付かなかったようだ。
おそらく、セイラがミスをして焦っているのを察したうえで、老婆ヨヨはフォローをしてくれたのだろう。
セイラが焦った理由までは把握されていないだろうが、有難い気遣いであった。
チヨコに気付かれないように、セイラもこっそりと頭を少しだけ下げた。
なんだか、カッコイイ大人ってこういう人のことを言うんだろう、なんて思ったセイラなのであった。
それはさておき、セイラは赤黒い液体へと目を落とした。
紅茶という名前の飲み物は、いったいどんな味なのだろうか?
湯気が立っているカップの取っ手に指をかけ、少しだけ口に含んでみた。
植物の葉っぱに由来すると思しき渋みと苦みを舌先に感じた。
なのだが……普段セイラが食べている公園の草とは何かが違うように思えた。
雑味が無いというか、洗練されているというか……優しい味、というのが一番しっくりくる気がした。
「上手く言えませんけれど……優しい味、という感じです」
きっと、老婆ヨヨの人柄が現れた味なんだろう。
そう、井上セイラは思った。
「あつっ!? あつしゅぎ!!?」
「チヨコさん!? 大丈夫ですか!?」
なお、セイラのコメントを聞いた直後に紅茶を口に含んだチヨコは、口の中を火傷した模様。
ニンゲンさんってこんな温度でも火傷しちゃうんですね、なんてセイラは密かに心に留めたのであった……。
「ふぅ、ふぅ……。セイラちゃん、あんなに熱いのよく飲めたね……」
「そ、そうなんです! 私は昔から熱いのは平気なんです!」
「ふふ。チヨコさんは猫舌なのね」
「ねこじた?」
「ネコは熱いものが苦手だって言い伝えがあるの。そこから転じて、熱いものが苦手な人のことをそう言い表すのよ」
セイラは、近所の黒猫が熱湯にビックリしている光景を想像してみた。
なんだか先ほどのチヨコの姿に重なって見えた気がした。
それが可愛く思えて、少しだけ微笑ましい気分になってしまったセイラなのであった。
「……セイラちゃん、今私のこと笑わなかった? ねぇ?」
「そんなことナイデスヨー?」
少しだけスネて不信感の籠った目で見てくるチヨコを、なんとか宥めて。
楽しいお茶会の時は、暖かくて心地よいものに思えた。
だが……セイラにとって胃の痛くなる話題が、待ち構えていた。
「あの、ヨヨさんは妖精族って知ってます?」
チヨコの質問を耳にして、セイラは嫌な予感がした。
なんというか、老婆ヨヨは博識そうな雰囲気のニンゲンさんだ。
それをチヨコも察しているからこそ、妖精族についての情報を期待しているのだろう。
井上セイラの正体を秘匿する意味でも、絆田チヨコを危険から遠ざける意味でも、チヨコには余計な情報を得てほしくない。
だが、一方で妖精族に関する知識が欲しいのはセイラも一緒だった。
セイラは妖精族の世界で13年を過ごしたとはいえ、ギャングルメ一族の屋敷から外に出たことは無かった。
そのため、セイラ自身も妖精族については殆ど知らないのだ。
「どこまで信じたら良いかは私も分からないけれど……妖精族の旅行者が書いたと思われる手記を1冊持っているわ」
席を立った老婆ヨヨは、1冊のクリアファイルを持ってきてくれた。
プラスチック製のカバーの中には透明なビニールで出来たページがびっしり並んでいる。
そして、透明なビニールの中には古ぼけた紙が保管されているのが分かった。
おそらく元は紐で閉じられた本だったのだろうが、老婆ヨヨがクリアファイルに入れなおして本として読めるように仕立て直したのだろう。
「でも、内容はほとんど人間の食べ物に対する感想ね。今風に言うと、食レポのブログみたいなものかしら」
だがチヨコの期待に反して、内容は有用とは言えなかった。
少しだけ肩を落としているチヨコの様子を横目に、セイラは安堵の息をこっそり吐いた。
「妖精界の文化に関しての情報は……そういえば、ソウルフルーツに関する記述があったわね」
「ソウルフルーツ……?」
「……!」
老婆ヨヨは、クリアファイルのページをめくりながら該当部分を読んでくれた。
妖精界のとある一族に伝わる黒い種は普通に土に植えても栽培可能だが、ニンゲンに植え付けると非常に美味しいソウルフルーツの実をつけるのだ、と本には書いてあるそうだ。
そして、実がついた時点で肥料となったニンゲンは干からびて死んでしまう、とも。
「私のお母さん、7年前にオオカミの妖精族に連れ去られたんです……! でも、肥料にされちゃったんだとしたら……!!」
セイラにとっては目新しい情報は無かったが、チヨコは青い顔をしている。
やはり、チヨコの母親は既に死んでいる可能性が非常に高い。
チヨコが泣きそうな顔をしているだけで、セイラは胸の奥が苦しくなった。
嫌な気分だった。
そんな絆田チヨコを、井上セイラはそっと抱きしめてやった。
チヨコは、少しだけ驚いた様子だった。
セイラの頭に思い浮かんだのは、泣いていた頃のセイラ自身の記憶だ。
戦闘訓練と称して兄姉たちから暴行を受けて泣いていたセイラを、母親が抱きしめてくれたことがあった。
大切な記憶を思い出しながら、セイラは言葉を紡いだ。
「昔、私が泣いていた時に、母さんがこうしてくれたんです。
チヨコさんの母親については私も確かなことは言えません。でもチヨコさんが辛いときは、私が傍で必ず支えてみせます」
抱き寄せたチヨコの背中は、少し力加減を間違えたら壊れてしまいそうなほど弱弱しかった。
この愛しいニンゲンさんの笑顔を絶対に守り抜きたい。
そう、セイラは改めて思ったのだった……。
チヨコさんの笑顔を守り抜いてみせます!(できるといいね!)