マッドサイエンティストって本当に良いものですね
「おじゃましまーす?」
「ただいまー!」
洋館での肝試し(?)の翌週に。
井上セイラは、絆田家にお呼ばれしていた。
いつもの公園から連れ出されたセイラは、浮かれ気分である。
ニンゲンさんのお家に遊びにいくのは、なんだかワクワクした。
「そこの段差の前で靴は脱いでね」
「わかりました!」
……快く頷いて靴を脱いでみたものの、どうしてそんな文化があるのだろうか?
セイラは密かに首を傾げた。
ニンゲンさんたちは、素足を見られるのが恥ずかしいみたいな感覚を持っているのか?
それを親しい人になら見られてもいい、みたいな信頼の現れとして、屋内では靴を脱ぐ……ということなのかも?
「なるほど。コレも信頼の証ですね」
「ええっと……? まぁ良いや。とりあえずレモン叔母さんのラボに案内するね」
レモン叔母さん、という名前はセイラも先ほど初めて聞いたのだが。
なんでも、絆田チヨコは母方の先祖のものだった家で暮らしているらしく、今は父と叔母と3人暮らしなのだとか。
つまり、そのレモン叔母さんというのは絆田チヨコの母親の姉か妹だ。
そして本日セイラが絆田家にお呼ばれした理由が、そのレモン叔母さんだった。
どうも叔母さんが井上セイラに興味を示したらしく、それで絆田チヨコを経由して声がかかったという訳だ。
狭い階段を降りて、二人は地下室へと向かった。
そして分厚い鉄の扉を開けてみると……中は雑然としていた。
何に使うんだか分からないような計器類があったり、分厚いブラウン管仕様のモニターがあったり。
あちこちにケーブルが走っていて、時々ビープ音のようなものも聞こえてくる。
「いらっしゃい! キミが噂の家出ガールだね、井上セイラちゃん? ようこそ、レモンお姉さんのラボへ!」
そして、部屋の主は……陽気そうな声で歓迎してくれた。
セイラは、ラボの持ち主を観察してみた。
髪の毛はボサボサで、瓶底のような眼鏡をかけており、背丈は中学生の絆田チヨコよりも一回り小さい。
丈の合っていない白衣を着ていて、たぶん年上なのに何だか可愛い感じのする……そんなニンゲンさんだった。
「チヨコちゃんから聞いてるかもだけど、アタシは石動レモン! 平和を愛する科学者さ! ヨロシクね~?」
「はい! よろしくお願いします! 平和を愛する科学者……なんだかカッコイイ響きです!」
「セイラちゃん、しっかりして? それ当たり前だからね? 平和を愛してない科学者は怖すぎるよ??」
冗談めかして笑っている石動レモンに対して、絆田チヨコは呆れたように笑い返した。
この二人のニンゲンさんは本当に仲が良いんだろう、とセイラは感じた。
なんというか、セイラと母親の間にあった距離感とは少し違う類の気安さがあるというか。
「さーて、大人のお医者さんごっこの時間だぞ☆ お子様は出てった出てった!」
「7割方大丈夫だと思うけど……セイラちゃん、危険を感じたらすぐに大声を出すんだよ? 私、1階からすぐ駆けつけるから!」
それだけ言い残した絆田チヨコは、分厚い鉄の扉を軋ませて地下ラボを後にしたのだった。
そんなチヨコの背中を、セイラとレモンは笑顔で見送った。
そして、改めて井上セイラは石動レモンと向かい合ったのだが……冷静に考えたら、何故呼び出されたのだろう?
平和を愛する科学者に興味を持たれる理由に心当たりが全く無かった。
どちらかというと、科学者としてというよりも、チヨコの叔母としての興味なのだろうか?
「ちょっと失礼」
セイラが疑問に思っていると、レモンは……セイラの水色のパーカーの裾に指をかけ、10センチほど裾を上に持ち上げていた。
このニンゲンさんは、いったい何をしているのだろうか……?
セイラの腹を観察している様子だが、別に強敵と戦った証の古傷がある訳でもないし、腹なんて見て何が面白いのだろう?
「うううーん……単刀直入に言うけどさ。セイラちゃん、妖精族だよね?」
瓶底眼鏡の奥の瞳は、笑っていなかった。
セイラは、背筋が凍り付いた。
否認の返事を何とか吐き出そうとしたが、うまく言葉にならなかった。
「実は先週チヨコちゃんが、妖精族の書いた本を読んだって言っててさ。その中に気になる一節があったって教えてくれたんだよ」
街はずれの洋館で老婆に見せてもらった例の手記のことだ。
その一節で、妖精族の旅行者はニンゲンさんたちの腹部にある丸い傷跡について考察していたそうだ。
おそらく胎盤と胎児をつなぐ管を切断するときに、ニンゲンたちの自己治癒能力が低すぎるせいで傷跡が残ってしまうのだろう、と妖精族の旅行者は推測を書き記していたという。
逆説的に考えれば、妖精族の腹部にはニンゲンたちのような丸い傷は存在しない可能性が高い。
セイラは、無意識のうちに水色のパーカーで覆われた腹部に手を当ててしまっていた。
ニンゲンさんたちの腹部に丸い傷跡があるだなんて、今までセイラは思いもしなかったのだ。
母親の腹に傷跡があったかどうか思い起こしてみたが、そんなところに注意して見ていたわけでもないので、心当たりは無かった。
石動レモンは、訝しんでいるとか疑っているとかではなく、セイラのことを妖精族だと確信している。
セイラはパニックに陥った。
せっかく妖精界から逃げ出して、ニンゲンさんたちの中に紛れて楽しく暮らしていたのに。
まさか、こんなに早く破綻するなんて思っていなかったのだ。
――これで私とセイラちゃんも友達だね!
「チヨコさんには……! チヨコさんにだけは、絶対に知られたくないんです。どうか、お願いします……!」
セイラは、ただただ頭を下げた。
チヨコは妖精族によって母親を奪われた子だ。
そんなチヨコに出生の秘密を知られたら……そう思ったらセイラは怖くてたまらなかった。
「……理性的に考えたらさ。こんな怪しすぎる人外娘なんて、大切な姪っ子からは引き離すのが『正解』に決まってるっしょ」
ぐうの音も出ない、正論だった。
頭を下げたままでセイラは拳を握りしめてしまった。
チヨコとの縁が切れてしまうと思ったら、胸の奥が傷んだ。
「でも……アタシは、今だけはセイラちゃんを信じてみたいって思った」
思いがけない言葉を受けて、セイラは顔を上げてしまった。
石動レモンは……絆田チヨコを大切に思っている叔母は、迷っている様子だ。
それでも、レモンの言葉は救いとなった。
チヨコとこれからも一緒に笑いあえる、というだけでセイラにとっては希望だ。
「……良いんですか?」
「自分でも不合理な判断だって思うさ。でも、覚えときな。
人間は時に、理屈や正しさよりも勘や印象を優先したくなるモノなんだよ」
だが同時に、セイラはレモンの心境を理解していた。
もしチヨコの身に危険が降りかかるようなら、その時は話が別になってくるのだろう。
だからこそセイラも、心してレモンの期待に応えるべきだ。
「私を信じていただいたこと、絶対に後悔はさせません」
「きっと、いつかあの子は無茶をする。その時に隣であの子を守ってやれるのは……悔しいけど、アタシじゃない。だから、頼んだよ」
石動レモンは、右手を差し出してきた。
井上セイラはその意図をすぐさま察した。
これはニンゲンたちの文化で、握手という信頼の儀式だ。
怪我をさせないように気を付けながら、セイラはニンゲンさんの小さな手をとった。
弱くて可愛らしいけれど……どこか暖かい手だと思えた。
「ま、さっきは頼むって言ったけどさ。ウシオさんの目が黒いうちはチヨコちゃんもそこまで無茶はしないと思うから、そんなに気負わなくて大丈夫だぞー?」
採血のための注射針を腕に刺されながら、セイラは聞きなれない名前に首を捻った。
ハーフとはいえ妖精族が頑丈すぎてなかなか針が刺さる場所が見つからずに四苦八苦したのは御愛嬌である。
それはともかく、ウシオさんって何方でしたっけ?
「ああ、ウシオさん……絆田ウシオは、チヨコちゃんの父親だよ」
石動レモンの説明によると、絆田ウシオは探偵業を営んでいるらしく、妻の失踪に関しても情報を集めているのだとか。
そんなウシオさんへの信頼もあり、チヨコは母親の捜索を一応父親に任せるという建前でいるそうだ。
こっそりチヨコ本人も妖精に関する情報を集めているようだが……父親は感心しないと思いつつも黙認しているらしい。
「まぁウシオさんがそうそう下手を打つとは思わないけどね。それでも妖精族の手にかかったら万が一って事はある。
セイラちゃんを信じるって言ったのは、そういう時のための保険でもあるんだよ。一応ね」
「あの、ウシオさんには、私のことは……?」
「今のところ、言うつもりはないよ。というか、聞いた感じだとあんまり有用そうな情報は無かったしね」
「お役に立てず、面目ないです……」
一応レモンに対しては知っている情報は洗いざらい吐いたのだが……。
そもそもセイラは妖精界への戻り方も分からないし、家族であるギャングルメ一族以外の妖精族を見た経験も少ない。
なので、ギャングルメ一族の身体的特徴ぐらいしかレモンにとって目新しい情報は無かった様子だ。
「ま、良いさ。セイラちゃんの今後に期待ってことで。貴重なサンプルも手に入ったし、こりゃ研究が捗るぞ~!!」
セイラの血液を入れた試験管を嬉しそうに眺めながら、石動レモンはニヤリと笑ったのであった。
なんだか少しだけ嫌な予感がしたセイラであったが、弱みを握られている立場なので不用意なことは言えない。
結局、なんやかんやで石動レモンとも打ち解けることが出来て。
録画済みのドラマを1階で見ていたチヨコのもとへと二人で戻ってきて。
レモン叔母さんの好物だというスイーツたこ焼きを皆で焼いたりなんてしながら。
3人は笑って過ごすことが出来たのだった。
その翌朝、とある路地裏で干からびた絆田ウシオの変死体が発見された。
悲劇の歯車が回り始めた