チヨコちゃんが自分の意思で選んだ道なら、仕方ないよね……。
ミイラのように干からびた父親の変死体を、目の当たりにして。
絆田チヨコの目からは、不思議と涙は流れなかった。
現実感が無くて、ただ茫然と警察署から帰宅した。
隣を歩く叔母は、チヨコへとどう言葉をかけたら良いのか分からない様子だった。
帰宅したチヨコは何も言わずに父の遺した書斎へと足を踏み入れ、父の仕事用パソコンを立ち上げた。
父の昨晩の最後の仕事に関するデータはすぐに見つかった。
とある小学生用の学習塾の生徒が2人も行方不明になっており、その塾長からの依頼だ。
そしてウシオは、学習塾の近辺で頻繁に目撃されていた犯人らしき男の存在へと行き当たった。
そして昨晩はその素性を調査しに行って……干からびた変死体になって発見された。
状況証拠だけだが、妖精族に遭遇して肥料にされたに違いない。
自分が幼き日にオオカミ妖精のことを教えなければ、父親は死なずに済んだかもしれない。
……そんな「もしも」が絆田チヨコの脳裏から離れなかった。
胸の奥が苦しくて堪らなかった。
パソコン内の写真データを室内のプリンターから出力したチヨコは、書斎を後にした。
「チヨコちゃん……。少し、落ち着いた方が良い」
リビングでは、レモン叔母さんがテーブルについていた。
テーブルの上には、二つのマグカップが湯気を立てている。
父親が好きだったココアだ、とすぐに分かった。
「ごめん、レモン叔母さん」
チヨコは、リビングを通過しようとした。
自身が冷静さを欠いていることも、心配されていることも理解していた。
でも……じっとしてなんて、いられなかった。
「このまま行っても犬死だ、って言っても聞かないのは分かるよ。
けどね……妖精族に一矢報いられる可能性がある、って言ったら、立ち止まってくれるかい?」
玄関へ向かっていたチヨコは、足を止めた。
少しだけ迷いながら、チヨコはリビングへと戻ってきた。
テーブルについているレモン叔母さんに目を落として……向かい合うように、チヨコ自身もテーブルについた。
レモン叔母さんが、ココアへと口をつけた。
瓶底眼鏡が曇っていて、表情は読めない。
チヨコは早く話を聞きたいと思ったが、とりあえず自分もマグカップを手に取った。
マグカップの中のココアは、猫舌のチヨコでも飲めるぐらいの温度だった。
父親が好きだったココアを小さい頃は舌を火傷しながら一緒に飲んだ覚えがある。
少しだけ、チヨコは冷静になったような気がした。
確かにあのまま推定妖精族の犯人を捜しても、父親の二の舞になるだけだ。
街はずれの洋館で得た本の内容を振り返ってみても、妖精族と正面から戦って勝てる道理はない。
だが……チヨコの母親が行方不明になって以来、この叔母は科学者として妖精族の研究もしているはずだ。
妖精族は滅多に歴史の表舞台に姿を見せないため、研究はあまり捗っていないと聞いた覚えがあったが……進展があったのだろうか?
「実は、最近とある伝手から妖精界の生物の体細胞のサンプルを入手してね。
その体細胞から生成した薬品を服用すれば、チヨコちゃんが見たっていう青い戦士みたいな力が手に入る……はずだ」
チヨコは、迷わず頷いた。
それで父の仇が討てるならば、迷うべくも無かった。
そんなチヨコへと返ってきたのは、悲しそうな目だった。
「チヨコちゃんが犬死するよりはマシだと思って話したけどさ。……本当は、アタシだってそんな危険なことはしてほしくないんだ。
だから……手前勝手な話だけど本音を言うとね。今聞いたことも妖精族のことも全部忘れて普通の子供として生きていくことを、チヨコちゃん自身の意思で選んでほしいんだ」
チヨコとて、レモン叔母さんの気持ちが分からないわけではない。
レモン叔母さんだって、7年前に実の姉が蒸発した件も、今回のことも……悔しいに決まっているのだ。
それを押し殺したうえで、最後に残った身内であるチヨコに人並みの幸せを選んでほしいと言ってきているのだと理解できている。
それでも。
「……ごめんなさい」
「チヨコちゃんの意思を……尊重するよ」
テーブルを立ったレモン叔母さんは、地下のラボへと降りて……すぐに戻ってきた。
レモン叔母さんがリビングへ持ち込んだのは、プラスチック製のシャーレだった。
透明なシャーレの中には、先ほど飲んだココアよりもさらに黒い液体が見受けられた。
「良いかい、少しでも危険を感じたらすぐに吐き出すんだよ」
レモン叔母さんの注意に対して、静かに頷いて。
チヨコは、シャーレの中の黒い液体をひと思いに飲み込んだ。
口の中にあったのは一瞬のことだったのに……ココアなんて比にならないぐらいの甘さを感じたように思った。
頭が真っ白になって、何か大きなものに包まれているような幸福感に浸された。
夢心地の最中に……チヨコは、朧気な映像を見た気がした。
まだ1歳か2歳の頃のチヨコが、初めてウシオのことを「パパ」と呼んできた時の光景だった。
チヨコ自身も完全に忘れていたはずの、幸せな時間の思い出だった。
「……チヨコちゃん、気がついた? まだ意識は混濁してるかい?」
「ううん、大丈夫だよ。ありがとう、レモン叔母さん」
いつの間にか目から零れていた涙を拭って。
少しの間だけレモン叔母さんに戦闘準備を手伝ってもらって、チヨコは実家を後にした。
胸の中には、確かな炎が灯っていた。
実家を後にしたチヨコは……少しだけ、寄り道をすることにした。
妖精族と思しき不審者が目撃されることが多い時間までは、余裕があったからだ。
それに……理外の力を得たとはいえ、返り討ちにあうことだってあり得る。
だから、最後に会っておきたい相手がいるのだ。
目的地は、もちろん公園だ。
「フシャーっ!!」
「しょ、しょんなー!!」
いつもの公園で野良猫にちょっかいをだして逃げられている、愉快な女の子。
膝をついて敗北に震えている姿は、どこかコミカルだ。
そんな微笑ましい背中へと、チヨコは声をかけた。
「セイラちゃん、相変わらずだね」
「少しずつ進歩していますよ! たぶん! きっと……!」
――チヨコさんが辛いときは、私が傍で必ず支えてみせます。
チヨコは、セイラへと事情を打ち明けてしまいたいと思った。
でも……できなかった。
セイラもレモン叔母さんと同じく、チヨコが危険を背負うのに反対すると思ったからだ。
それに、なまじセイラはフットワークが軽いせいで、チヨコと一緒に危険に飛び込んでくることだって有り得る。
だからセイラにだけは、これから始まる戦いのことを知られる訳にはいかなかった。
「セイラちゃん、お母さんの言い残してくれた『幸せ』をいっぱい見つけるんだって言ってたよね」
「はい! 今朝は別の公園に行ってラジオ体操に参加してきました!」
「令和の世にラジオ体操とかある???」
少し不思議というか、抜けているというか。
セイラは相変わらず能天気だ。
楽しそうで、何でもないことで笑って、でも一生懸命で。
そんなセイラのことが、チヨコは好きになっていた。
……だからこそ、チヨコ自身に「もしも」のことがあった時のために、会っておきたかった。
「セイラちゃんに、プレゼントだよ。見つけた『幸せ』を書き残して、いっぱいにしてくれたら嬉しいな」
「これは……手帳ですか? ありがとうございます! 一生大事にします!!」
チヨコは、道中にプリティホリックで調達してきた手帳をセイラへと手渡してやった。
それをセイラは、感激した様子で受け取ってくれた。
心の底から嬉しそうなセイラの顔を、見ることができて本当によかった。
そう、思えた。
……もしこれが最後になったら私の代わりだと思ってね、とは口にできなかった。
「私はお父さんの知り合いに会いに行かなきゃだから、今日はもう行くね」
「そうでしたか。寄ってくれて嬉しかったです! また一緒に、『幸せ』を探しに行ってくれたら嬉しいです!」
セイラは笑顔で手を振ってくれた
チヨコは笑顔を作って手を振った。
振り返らなかった。
迷いなど無かった。
「こんばんは。景気はいかが?」
「?」
人通りのない路地裏で。
作り笑顔を張り付けたチヨコは、スーツを着込んだ何の変哲もない男へと声をかけた。
男性は、怪訝そうな顔をチヨコへと返した。
「そう警戒しないで。私も妖精族だよ」
チヨコは、流れるように嘘をついた。
にこやかに男性へと話しかけた。
その瞳の奥に黒々とした感情を隠しながら、顔だけで笑った。
「なんだ、お仲間かよ。何か用か?」
チヨコとしてはダメで元々ぐらいのつもりでカマをかけたのだが……これには驚いた。
スーツの男は、面白いぐらい簡単に引っかかってくれた。
内心驚きつつも、チヨコはさらに調査を進めた。
情報を引き出すためだ。
「ちょっと正体がバレそうになっちゃって。この辺りに優秀な人間の探偵がいるみたいなんだけど、あなた何か知ってる?」
「そういう事なら安心しな。ソイツは昨日俺が始末したからよ」
チヨコは全身の血が沸き立ったように思った。
だが耐えた。
コイツからは、まだ情報を引き出せるかもしれない。
今すぐに殺してやりたいという激情を抑えて、チヨコは言葉を継いだ。
「そっか。それなら安心だね。ソウルフルーツ、美味しかった?」
「いや、ギャングルメ一族の奴らに献上しちまった。手持ちの種が尽きたところだったし、定期的に新しい種をもらうためには仕方ねぇけどさ……」
種……というのは、ソウルフルーツを育てるための黒い種のことだろう。
人間に植え付けて黒い怪獣を作り、ソウルフルーツの肥料にするための処刑器具だ。
そして、その種を妖精たちに渡している元締めが「ギャングルメ」という一族なのだろう。
さらにチヨコは推測を進めた。
おそらく、一族以外の妖精はソウルフルーツを実らせるまでは出来ても、そこから次世代の黒い種を入手するノウハウを持っていないと見える。
まるでチューリップのようだ、とチヨコは思った。
人間たちも、球根からチューリップを育てて黒い粒状の種を得ることは小学生でも簡単に出来るが、その黒い粒を次世代の球根へと育てる方法を知っている人間は極少数だ。
「おっと、お喋りの時間は終わりだ。そろそろ、あの塾のガキどもが出てくる時間だからな。
やりたいことを我慢してあの狭いハコに押し込められてるガキどものソウルフルーツは、甘さと渋みのハーモニーが最高なんでなぁ」
それだけ言い放って、スーツの男性はチヨコに背を向けて去ろうとした。
男が背中を見せた瞬間、チヨコは……無言で「変身」した。
黒を基調としてブラウンとピンクの飾りの混じったドレスを纏い、長髪は全体的にピンクだが毛先は黒く変化していて。
猫の耳と尻尾のような器官を生やした……黒い戦士が瞬く間に完成したのだ。
薄暗い裏路地で、黒猫の瞳が憎悪に光った。
右手を指鉄砲の形にした黒い戦士は……男性の後頭部を容赦なく狙撃した。
ブラウンの弾丸が指先から放たれ、男性の頭部を貫いた。
「
……貫いたと、思ったのに。
(仕留められなかった……っ!!)
一瞬前までスーツ姿の男性だった存在は……頭部を抑えつつ正体を現した。
キノコの化け物だ。
人間のシルエットへとキノコを無理矢理押し込めたような化け物が、黒い戦士の前に立ちはだかった
「まさか『妖精狩り』!? 噂の『モドキちゃん』とは別の奴がいるなんて聞いてねぇぞ!? いつから増えやがった!?」
黒い戦士としては、今の一発で仕留めきるのが理想的だったが。
しかし、ダメージは入っていると見えた。
黒い戦士は精一杯の虚勢を張りつつ、憎悪に光る瞳でキノコ怪人を見据えた。
「出来立てほやほや、だよ。……大火傷させてあげる!!」
黒い戦士にピンク要素も盛ってあるのは、チョコレートに対する作者のイメージが明治製菓のアポロチョコレートなせいです。
大体ドレスのシルエットは三角形で、頭部をはじめとする数か所にピンクの要素が入っているイメージ。
歴戦のニチアサ民なら「プリキュアのスポンサーといったらFurutaだろ??」と思うかもしれませんが、非力な私を許してくれ……。