手をすり合わせて、私アンナは事務局の扉を開いた。
雪は好きだが寒いのは嫌いだった。
でも、この寒いところから暖かいところへ入る瞬間は好きだ。
手が熱を持って、忘れていた感覚を思い出させてくれる。
「アンナちゃんおかえり」
「ナスターシヤさん! ただいまです」
ナスターシヤ・ドミートリエヴナ・ルージン。
彼女の制服には見慣れない三つの鏃の徽章がある。
確か今は国家保安少尉になったのだったか……。
私の徽章は鏃が一つだ。
ついこの前にやっと三等捜査官から脱したことを考えると、三つはだいぶ遠い。
「お菓子にしましょうよ」
クッキーを片手に彼女に言う。
私も彼女も甘いものが好きなので、ちょっとした息抜になるだろう。
それに、今は他の局員さんも出払っていて冷たい目もない。
クッキー缶の蓋を開けていると、ナスターシヤさんが紅茶を淹れて机に置いてくれた。
私はこの紅茶が少し苦手だ。
というのも、彼女の紅茶は少し濃すぎる。
砂糖入れたいな、と思ってしまう。
けれど、節約しろと怒られてしまったから使うに使えない。
さて、クッキー缶の中には大体三種類入っている。
一つはクッキーというかビスケットみたいなものだった。
あとはミルククッキーとジャムが乗ったクッキーが二枚ずつ入っている。
何だか騙されたような気分になった。
そもそも総量も少ないこれに結構なお金を払ったのか、と。
「ナスターシヤさんはどれを食べますか?」
彼女の方に缶を差し出す。
ビスケットのようなものを一つとった。
「これだけもらうわ。ありがとうね。またお返しさせて」
「それだけで良いんですか? 甘いもの好きと聞きましたが」
「あんまり貰っちゃうと悪いからね」
ナスターシヤさんはそれだけで紅茶を口にした。
追求することも失礼かなと思って、私もビスケットをとった。
私は楽しみを最後まで取って置けるタイプなのだ。
紅茶に漬けたビスケットを半分ほど食べたところで、報告書の紙を引っ張ってきた。
先刻逮捕した地下出版のおじさんの報告のためだ。
私自身、彼は優しい人だったなと思う。
ご飯を作ってくれていたようだし、拘束した後もよく話をしてくれた。
どうしてこんな無意味な犯罪をしたのか、と彼に問いかけた。
これは調書に書くためでなく、疑問を解決するためだった。
他の局員さんにバレたら怒られるかもしれないと恐れもあった。
しかし、記憶の中の彼も聞いた方がいいよと言ってくれた。
「ぼくはヴァレンティノフを許せないんだ」
おじさんは総書記長の名前を挙げた。
ヤーコフ・ヴァレンティノフは新聞で顔を見る程度だが、彼を嫌っている人は多かった印象だ。
今は表立って非難する人は少ない。
理由は言わずもがなだ。……私も少しは頑張った。
「ぼくも昔は赤軍に居てね。白軍を殺したんだ。だからこそ、あの男は悪魔なんだ。六カ年計画で守るべき人らを虐殺した」
自分を殺すための言葉を並べるのが不思議だった。
私はそもそもこれを濁すつもりは全くなかった。
「君も気を付けるといい。あの悪魔の党は君を利用しているんだ」
実際、党のことを記憶の彼は警戒していた。
いつでも脱出する準備をした方がいい、とのことだった。
おじさんはあくまで忠告者という立場を守っている風だった。
私は彼のことを善良だと思うし、軍属していたことも偉大だとは思う。
でも、同時に愚かだなと嘆くような気持ちもあった。
……再びビスケットを紅茶に漬ける。
やっと適当なところまで書き終わったところだった。
先程まで一緒にお茶を飲んでいたナスターシヤさんは既にデスクに戻っている。
もう少し休憩しても良いかなと思いつつ、部屋を見回す。
すると、ヴァレンティノフ総書記長のポスターがあった。
「2+2=6」こんな間違った等式が目立つそれに少し顔を顰めた。
何だか綺麗ではないなと思ったのだ。