零時を少し回ったころに、ワインを開けた。
クンクンと香りをかぐと、やっぱり慣れない臭いだ。
特にワインを飲む道具を持っていないので適当なグラスに注ぐ。
赤黒いそれに口をつける。
渋くてあんまり好きになれないアルコールだ。
いずれ分隊員が全員集まる時があるはずだ。
その日に再び開けることにしよう。
さて、作業を再開しよう。
これはつい先日の血まみれの大通りの写真である。
今朝はこれについての取材という名の証言取りをした。
今、これについての記事を書いている。
内務局から無責任にも任せられたレジスタンスの掃討、これをこの街だけではなく大きく広げてやろうと考えたのだ。
これを地下出版なんかに流すだけの簡単な作業で終わるしね。
しかし、しかしである。
壊すことはあれども作ることはないゆえだろう。
中々うまく書くことが出来ていないのが現実だった。
「はあ、終わらないなー」
思ったよりも間延びした声が出た。
しかし、どうにもこれを終えるまでは寝る気が起きない。
……もうすぐ戦争が終わる。
臨時首都でさえ維持できないバトル共和国は、厭戦気分を恨みで賄ってるに過ぎない。
いずれ終わってしまうのだ。
それまでにある程度仕事の成果を上げなければいけない。
自己保身だ。保身である。私は優秀な内務局員でないといけない。
スパイを見つけることはおろかレジスタンスの掃討もできない。
これでは私は無価値になってしまう。
……らしくないか。
落ち着こう。
……いや、大丈夫だよ。
そんなに慰めなくても良い。
落ち着いたから。
記憶の彼はおろおろとしている。
彼とはもう十六年もの関係になるだろうか。
もっとも長くかかわった何者かだ。
いまだに彼のことはよく知らないが。
お茶を飲んで暫く続きを書く。
九割ほど完成したところでヂリリと鳴った電話を取った。
「はい、こちら第──」
「ヴロンスキー内務局少尉、貴官に頼んだスパイの調査はこちらで解決した。次の任務は追って連絡する」
「……一つ伺っても」
「なんだ」
「そのスパイというのは誰だったのですか?」
「ケーレル・ペトローヴィチ・イヴォルギン少尉。汚らしいジェールのスパイだ」
ブツリと電話が切られた。
雪が窓を叩く音が聞こえる。
「ハハハ」
このように笑ったのは私である。
騙された。まんまと騙されていたのだ。
……何が原因だったろうか。
ひとえに信用しすぎたのかもしれない。
全く知らない他人というものを。
しかし、私は彼の嘘を見抜けなかったのも大きいか。
「はあ」
溜息を吐いて荷物をまとめる。
じきに内務局員が来るだろう。
そうしたら事情聴取だ。きっと根掘り葉掘り、あることないことを聞かれる。
うえー、拷問はされたくないよ。
*
「私は如何なる協力も、そして如何なる共同もなかったと断言します」
開口一番に言ったのはこれだったが、しかし今いるのは暗い部屋である。
監禁されたと言えればいいが、単に逃げられないようにされただけだ。
自白剤なんかを打たれる前に終わればいいが……。
望まれている発言が分からない。
ケーレルさんのことを聞いたかと思えば、私生活のことを聞かれる。
内務局への忠誠心だったり、あるいはカレーニンさんへの忠誠心。
……なるほど理解した。
どうやら私は駒にされたところがあるらしい。
私の無能が招いた事態ではあるが、しかしこれほどまでに迷惑をかけるとは……。
まあだからこそだ。カレーニンさんが不利になることは何も言えない。
そもそも私は持っていないのだ。カレーニンさんを失墜させるための道具を。
なのに彼らはそれを探している。
私もやったことのあるいつも通りの仕草だ。
……たくさん謝れば許してもらえるだろうか。
カレーニンさんまで私を見捨てることはない、はずだ。
*
欠伸をして紅茶に口をつける。
戦争が終わったことを機に、サンクト=ピーテル軍管区隷下からは任を解かれ、東方基地に飛ばされそうになった。
結果的には出世ルートから落ちたのである。
命があるのが儲けものだろうか?
しかし、仕事を果たせなかったというのは悔いが残る。
さて、軍隊への潜伏には明確に失敗した。
そのためだろう。内務局からの指示で退役をし、あっちへと逆戻りすることになった。
今はバトル総督領方面、新しい領土の治安維持の仕事をしている。
けれども、これは逮捕寸前に作っていた記事によって殆ど解決したものだ。
残るのは旧政府の狂信者を逮捕するだけ。
全くつまらない仕事である。
ヂリリと鳴る電話を手に取る。
「はい、こちらヴロンスキー少尉です」
「私だ」
カレーニンさんの声である。
拘束から解放してくれたのは彼である。
しかし、いまだに顔を合わす機会もなかった。
「アンナ、新しい仕事だ。こっちに帰ってきてもらう」
「こっちというとヤウザですか?」
「その通りだ。膿を出そうと思ってな。我々の安全の為に」
翌日にはヤウザの方への列車に乗ることになった。
結局のところ政争の具であるが、全くこちらの方がマシだった。
考えることが少し疲れたのもあるが……。
第三章終わりです。
第四章は内務局編二度目です。
しばらくお待ちを。