空を見ると、とても綺麗な月が浮かんでいた。
今夜はよく晴れるのだろう。
「さて、行きましょうか」
名前の知らない同僚に声をかけた。
おそらく後輩さんなのだろう。顔も見たことがない。
今朝から見続けている玄関を叩いた。
先程家主が戻るのを見たので、この家に人がいるのは分かっている。
「はい」
そんな声とともに扉が開けられる。
後輩さんに目配せをし、扉を掴んでもらった。
「今晩はとてもよい夜ですね。少々お話を伺いにやってまいりました」
女性は少し緊張した様子を見せた。
家主に逃げられるわけにはいかないので、さっさと話を済ませるべきだろう。
「内務局です、セルゴ氏の捜査にご協力を」
優しい笑顔を浮かべる。
これは最近会得した一つの戦略である。
私に威圧感がない事実を考えると、理解のできない恐怖を与えるほうが有効なのだ。
整った家。随分とお金を持っていそうな家である。
貴族趣味、あるいは成金趣味……。
貶す言葉は色々とあれ政治家らしいといえばそれに尽きる。
「適当に物を探してください」
そんな風に指示をしてから書斎に向かった。
この時間に彼は書斎で酒を嗜むことを知っていた。
秘密警察の捜査力の素晴らしさである。
扉を二三度叩いて、開け放った。
本を開いて酒を飲む男と目が合う。
セルゴ・ゴズロフ。
政治局の重鎮である。
「なんだね? 君は」
「ゴズロフ同志、私は内務局からやって参りましてね」
「君は私を逮捕しに来たと?」
「ええ、理解が早くて助かります」
「私もどうやら落ちぶれたらしいな。ヤーシャに裏切られてしまった」
ヤーシャというのはヤーコフ、ようは総書記長の愛称だろう。
セルゴさんは気だるげに笑った。
「ここで抵抗をしたらどうなるのだね?」
「貴方はきっと不慮の事故に遭うでしょう」
「黙って逮捕されたのなら?」
「さあ? それは私の知るところではありません。……参考程度にですが、政治犯で無罪放免は見たことがありませんね」
「私は苦しいのが嫌いでね。これでも医者をやっていたこともあるのだよ。ほら、他人の苦しみをなくす仕事だろう。……どっちが苦しまなくて済むのだね?」
「そうですねー、後者でしょうか? 開口一番に『私はやった』といえば終わります」
セルゴさんは楽しそうに笑った。
それから手を叩いていった。
「君はどうにも面白い人間のようだね。変に気難しい人間でなくて助かったよ」
返す言葉が見つからなくて曖昧に笑った。
この曖昧にというのは、全くこの言葉の通り曖昧である。
*
少しずつ捜査員としての仕事に復帰したのは、カレーニンさんのおかげもあるのだろう。
ただ自分の力が全くなかったとは思いたくはない。
事実として立場の偉い人を逮捕することが増えた。
というよりも、小物が減ったというべきだろうか。
「ああ、死んだのか」
新聞を見てそのまんまに呟いた。
セルゴさんがどうやら
墓に参るつもりはない。しかし彼に何かを言おうとも思わない。
ただヤーコフ・ヴァレンティノフ、あの男に思うところはある。
セルゴさんはヤーコフが裏切ったと言った。
そのヤーコフはセルゴさんの死を悲しむようなことを言っていた。
眉を顰めることしかできないものだ。
連載初期を思い出しました。
こういうの好きです。