内務局員アンナはお掃除をがんばります!   作:朝日橋立

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三十一話め 機械であるべきです。

 やはり高いところで煌めく満月に、ぱっと手を伸ばした。

 仮に、あれに手が届くのならば、きっと私はすぐさまに握りつぶしている。

 

 ……高揚のためだった。

 私には嫌いな人が幾つかいる。

 

 例えば、大通りの端っこにある床屋さんは嫌いだ。

 彼は時々つまらない冗談を、真剣そのもので口にする。

 

 例えば、古くからの同僚は嫌いだ。

 彼らは私を少し侮っているところがある。

 簡単に御せると思われるのは癪だった。

 

 そして、ベズノフはその性根から嫌いな、嫌悪している、あるいは恐れている男であった。

 しかし私は汚点を、その汚点こそを排除できるのだ。いま、この時にこそ。

 

 一つ大きな声で笑ってしまおう。

 そう思ったのだが、これを嗜めたのは記憶の奥の彼だった。

 彼によると、はしたないということらしい。

 

 ……。確かに我ながら恥ずかしいようにも思える。

 興奮をしすぎたのかもしれない。

 冷静になろうか。

 

「あとで、この部屋も整理しましょうかね」

 

 一つ呟きつつも、袖に手を通した。

 窓を閉めると、埃っぽい室内に少しだけ咳をする。

 幾つか昇進するだろう。どこまで上がれるかは知らないが、期待だけはしておこうか。

 

 

 

 *

 

 

 

「首尾はどんなものですかね?」

 

 現場指揮を任せた同僚に声をかけた。

 彼は嫌そうに顔を顰めた。

 なにか嫌われることをしただろうか?

 ……幾つかした記憶はあるが、ちょっとだけ仕事を増やしただけだろう。

 そこまで嫌われる謂れはない。

 

「まあいい感じだ。あの家からは一人も出してない」

 

「地下通路なんかはないんです?」

 

「俺らの認識してる範囲ではな。っで、やっぱりあんたが出んの?」

 

「まあ、私に任せてくださいな。一応、私に任せられた仕事ですからね。しっかりやり遂げませんと、何とも不忠ってやつでしょう」

 

 心にもないことを言う。

 実際の所としては復讐心が三割と、純然たる楽しさが五割、あとはカレーニンさんとか昇進についてとかそのあたりだ。

 

 クンクンと鼻を鳴らして、遠くの、じめっぽい、陰気な川の臭いが漂ってきた。

 全く金があるのにこんなところに住むのは理解ができない。

 私ならば、絶対に住みたいとは思わないだろう。

 

「さて、仕事を始めましょう」

 

 ぱんぱんと二度手を叩いた。

 大きな掃除を終わらせようか。

 幸いにも生死は問われていない。

 

 

 

 *

 

 

 

「ところで、これは復讐だと思いますか?」

 

 もうちょっと悪趣味に泳がせてもよかったのだが、これは何とも趣味が悪いのでやめた。

 三十分ばかり泳がせて、ちょっとした小川の辺りまで辿り着いた。

 ヤウザ川。首都ヤウザの名前の由来となった小川だ。

 

「裏切ったな! やっぱりだ。あの男を信頼したのが間違いだった」

 

「いえ、あなたの間違いはそこじゃありませんよ。無能だったからです」

 

「ハハハ、随分なことを言うようになったじゃないか。お前みたいな思考のない人形が」

 

 人形というようなことは時々言われることがある。

 命令を待つだけの操り人形。

 人を殺すだけの、単純化された機械人形だとか……。

 

「事実でしょう? 貴方は無能で、だからこういう結末を迎えるんですよ」

 

 ベズノフは乾いたように笑う。

 よく知った笑い方だった。

 逮捕された人がする、どうしようもない笑いだった。

 

 ……滑稽だった。

 笑えてきそうだった。

 ……いや、実際笑っていたかもしれない。

 でも、しかたないよ。うん、だって面白かったのだ。

 

「さて、私は幾つか貴方に判断を委ねましょう。一つ、私を殺してみてくださいな。そうしたら、一瞬間に貴方は自由になれる可能性があります。もう一つは、さあここで自殺してくださいな」

 

 たんに愉快さから始まった言葉だった。

 しかし、気になったこともあった。

 

 まあ、でも答えは分かり切っていた。

 残念なことに、やっぱり彼は人間でしかなかった。

 期待外れだった。もっとも期待通りに、期待外れだった。

 

 掴みかかってきた小男に、一つ魔法というものを使ってみる。

 確か彼も川で溺死したのだったろうか?

 目くらましの魔法という奴だ。

 

「くそ、大人しくしろよ」

 

 わめく声がどうにもうるさくって、耳を塞ぐ前に溜息が出た。

 あまりに人間だった。

 どうしようもない、人間的な、被害者のような、あるいは何も知らない一般人的な、……いずれにせよとるに足らない人間だった。

 

 彼が新しい選択肢を見つけ出す可能性は期待しなかった。

 ただ、彼がその命を自らの手で失うことは少し期待した。

 彼が、この内務局の、その局長らしい、内務局的な機械であることを期待した。

 

「お前は、いや! お前らは後悔することになる。私はこの組織に、この国に必要不可欠だ。綻びが生まれる。そして、お前が、お前らが切り捨てられるんだ。その時に知るだろう! 私が、私こそが! この国そのものだったと!」

 

 ヴァレンティノフさんに似た厄介な、そして傲慢の過ぎる言葉だった。

 嘲笑。

 まさに嘲りだろう。

 

 小さな引き金を引いた。

 

 

 

 *

 

 

 

 暫く経ったことで、幾つか昇進をしたのだ!

 国家保安少佐である! 佐官ですよ、佐官!

 ……もちろんコネである。

 

 国家保安総委員に昇進したカレーニンさんが口をきいてくれたのだ!

 現職のトップとのコネはやっぱり素晴らしいものだ。

 というよりも、カレーニンさんが凄いのだ! 万歳!

 

 さて、少佐になったということであるが、一応立場も少し変わることになった。

 秘密政治部第三部長、ようは秘密警察の三番手である。

 ようやく努力が実ったともいえるが、しかしこれからも頑張る必要が出たともいえるだろう。

 

 カレーニンさんの期待に、成果で返さねばならないのだ。

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