欠伸をしてから外套の袖に腕を通す。
久しぶりに着たこれに、若干テンションを高ぶらせていた。
というのも、私の仕事は潜入が主で、ガサ入れは中々ない。
それも黒が確定しているのだから興奮もするだろう。
別に逮捕することが好きなわけではないが、達成感は好きなのだ。
過去の記憶はこれをワーカーホリックだと言うが断じて違う。
そもそも私もそれなりに仕事は嫌いだ。
勿論綺麗にするのは好きなのだが、それで善良な人を傷つけてしまうこともあるからね。
お仕事だから仕方はないがそれでも無駄だから嫌いだ。
「内務局ですよ、大人しくしてくださいね」
正面玄関からてくてくと入って告げる。
私は下っ端だからこれをしているのだが、らしさがない気がする。
もっとこう強面の人がやるべきだろう。
実際、労働者の人もあまりよく分かってない印象だ。
もっと声を張り上げればよいのだが、それほどやる気がある訳でもない。
別にこの労働者が悪事を犯したわけではないのだから。
「おい、お前ら手を挙げて外に出ろ」
後に入ってきた局員さんがそのように言う。
これはとてもドスの利いた声で、ある程度あれた人の多い工場労働者も大人しく従がった。
何だかあっけなく終わってしまうなと思う。
これならば事務局でぬくぬくと書類仕事をしたかったものだ。
行けと言われたら行くしかない下っ端の立場が憎い。
上の人らは行けと言うだけだから本当にいい立場だ。
それだけで私よりも良い給料を貰ってるというのだからね。
「はい、その場から動かずに手を挙げて」
次から次へとそんな言葉をかけて、工場内を歩いていく。
結構急ぎ足での活動で、工場長さんのところまで辿り着くのはあまり時間が掛からなかった。
「さあ同志、分かりますね?」
一番乗りであったために制圧する。
裏から入った局員さんもいるのに不思議である。
もしかしたら私よりもやる気がないのかもしれない。
工場長さんは焦ったように椅子から立ち上がる。
それから両手を挙げた。
彼の額には汗が滲んでいる。
「お願いだ。見逃してくれ。一度でいいんだ」
工場長さんはその両目を揺らしている。
私を怖がっているという様子だ。
「それをして何の意味があるんです?」
「子供がいるんだ。妻もいる。今捕まる訳にはいかないんだ」
「はあ」
子供と妻がいたとして、それがどうして捕まらない理由になるだろう。
確かに彼の家族は生活苦に陥るかもしれない。
でも、結局は彼が犯した犯罪によるもので、一抹の汚れから起こることだ。
「贈賄は立派な犯罪ですよ」
「仕方なかったんだ。こんなところで子供を育てられない」
「だから産業スパイですか」
彼の嫌疑を告げる。
とある情報筋から彼が亡命を企て、あろうことか大事な情報も売ろうとしているとの密告があったのだ。
彼は頭を横に振っている。
捜査報告書に書く内容を考えつつ、私は彼とお話をすることに決めた。
これは純粋な興味本位である。
彼の考えを聞くことで、また別の事件に役立てられるような気がした。
「それで誰に情報を売るつもりだったんですか?」
「違う。スパイじゃない。そんなつもりはない」
「あなたの友人にはジェール人がいるでしょう。これは調査済みです。確かあなたも最近ジェールの方に行っている」
ジェールというのはこの国の西に位置する国である。
ビールとジャガイモくらいしか取り柄のない野蛮な国らしい。
私としてはジャガイモも好きなので一度は行ってみたい。
「それは産業指導部の方からの命令だ」
「一体誰の命令ですか?」
「ミハイロフだ。あいつが命令したんだ」
こんなことで興奮するのも変態的だが、仕方ないものがある。
芋づる式に汚れが取り除けることもそうだし、私の評価も鰻登りに違いない。
きっと最年少で成り上がることができる。
お給料が増えたら何をしようか……。
「なるほど。それの証拠は残ってますか? あなたにも情状酌量の余地が生まれるかもしれません」
それにしても党内の不穏分子がまだ残っていたとは……。
また沢山銃を撃つ機会があるかもしれない。
だとすると汚れが多くなってしまうな。
この辺りでやっと局員さんたちも追いついてきた。
彼らはどっと疲れた様子である。
どうやら一部の工場労働者が暴れたらしい。
大人しくしていればそれで終わりなのに、工場長さんを守るためだろうか?
何とも愚かなものだ。
*
事の顛末としてはその後に、確固たる証拠は見つからなかった。
けれど、工場長さんの自宅から手紙が見つかったらしい。
ミハイロフ逮捕にも私は駆り出されたのだが、そこで彼はやかましく叫んだ。
「悪魔め! お前も内務局も狂ってる。私が一番この国のことを考えてるのに!」
半狂乱のまま暴れるのだから私たちは困ってしまった。
ここで撃ち殺すと、他の汚れを掃除する際に苦労してしまう。
あなたが党の敵を教えてくれればきっと寛大な党は許してくれる。
こんな旨を伝えてどうにか落ち着かせることには成功した。
ちなみに他にも何人か逮捕はした。
ミハイロフは外国で不運に暴漢に殺された。
彼は酒癖が悪かったから問題を起こしたのだろう。
この事件のおかげで私は少し褒めて貰えた。
これは昇級チャンスと思っていたのだが、綺麗なコップを特別賞与として与えられただけだった。
ジェールの高級品らしいと教えてもらった。
今は一輪挿しに使っているのだが、結構綺麗で好きだ。
氷みたいな模様が光できらきらしてる。
……氷と言えばだが、件の工場長さんは凍死したらしい。
極東はやっぱり寒いようだ。