知り合いが死んだと聞くと、ああ死んだんだなぁと思う。
直近で死んだ人が何人かいる。
仕事仲間や私が逮捕した人とか、ちょっと仲良くしてくれてたパン屋さんとか……。
記憶の彼は、沢山私を慰めてくれる。
死んだことは確かに可哀そうだと思う。
でも、仕方ない節もある。彼らはその手を汚してしまったのだし。
あっ、でも最近は理不尽だなと思うこともあった。
革命記念日で案内をしたルートヴィヒさんである。彼はジェールの方で行方不明になったらしい。
国会議事堂を放火したと噂を聞いたりもするが、たぶんもう死んでると思う。
聞くところによるとあっちも治安がよくなくて、よく人が死ぬらしいし。
さて、今日は書類仕事だ。
暖かい部屋でぬくぬくと仕事できる喜び。
これに変わるものを、私はあまり知らない。
同様な喜びは雪に埋もれることと、お菓子を食べること、紅茶でクッキーを崩すこと……たくさん知っていたかもしれない。
明日は何をしようかな。
休みの日だし、新しいパン屋さんを探すのが良いかもしれない。
出来るなら前の人と同じで、沢山サービスしてくれるところだと嬉しいな。
そして物資を横流ししないなら尚更良い。
楽しくお仕事をしていると、ナスターシヤさんと目が合う。
彼女は忙しそうであるが、こちらに声をかけてきた。
「今日カレーニン少佐が帰ってくるからお出迎えしてね」
「えっ! 帰ってくるんですか!」
思わず手が止まった。
ステパン・キリロヴィチ・カレーニン。
この人は私の恩師だ。命の恩人ともいえる。
凍死しかけの私を助けてくれたのもあるし、内務局に受け入れてもくれた。
普段よりもやる気をもってお仕事をした。
カレーニンさんが古都サンクト・ピーテルに行ってからも、時々手紙で褒めてくれたのだ。当然会ったら褒めてくれるはずだ。
だから、頑張ろうと思った。
「頑張るのね」
ナスターシヤさんの目は理解が出来ていないことを物語っている。
彼女はカレーニンさんの相棒だというのに不思議だ。
「当然ですよ。カレーニンさんと早く会いたいですもん。秘蔵のお菓子でもあげましょうかね」
「もてなすことを考えなくてもいいのよ」
ナスターシヤさんは宥めるように言った。
実際カレーニンさんがお菓子を食べる姿は見たことがない。もっと他の手段を考えるべきだろう。
……楽しみだ。
*
今日は快晴で、随分先のほうまで見渡せた。
いっそのこと玄関を飛び出て迎えに行こうかと悩む。
ヤウザは首都だけあって色んなお店がある。だから、お出かけなんかもできる。
恥ずかしいのだが、カレーニンさんとお散歩をしたいなと思った。
そうすれば沢山話す時間もできるだろう。
玄関前に車が止まった。
その中からは待ちに待った彼が降りてきた。
飛びつこうかと考えたところで、実行に移すことをやめた。
カレーニンさんと一緒に車を降りた男によるものだった。
丸眼鏡をつけた小男の名前は、ラヴレンティ・ニコラーエヴィチ・ベズノフ。内務局長だ。
全く来るという話がなかったというのに……。
そもそもベズノフは党本部のほうにいるから、ここに来るというのも珍しい。
敬礼して待つ。
下手に動いて目を付けられたくないためだった。
……言ってしまえば、私はベズノフを好ましく思っていない。
「彼女は?」
玄関に入ったところでベズノフがカレーニンさんに問いかけた。
カレーニンさんはこちらを一瞥すると答えた。
「娘のようなものです。同志アンナ」
手招きをされ不承不承ながら歩み寄る。
丸眼鏡の先の目は濁っている。
名乗ろうとしたところで、ベズノフが手で制した。
「ああ思い出した。久しぶりじゃないか」
ベズノフの差し出した手を握る。
初めて会ったのは、もう少し幼い頃だった。
彼が私を撫でた手を覚えている。
「同志ベズノフ、仕事の方を進めなければいけません」
「時間はまだあるだろう。私は私の時間を全て理解している」
カレーニンさんが守ろうとしてくれたのは以前と同様だった。どうやら今回は失敗した様子であるが。
「同志アンナ、私は今君のような人材を求めているのだが、話を聞くつもりはないかね」
断る選択肢などある訳もなく頷いた。
彼は私を褒める様に頭を撫でるのだが、それもまた恐ろしい。
あの時私を撫でた手だった。腕から肩、それから顎を触れたあの……。
「同志ベズノフ、彼女もやらねばならない仕事があるのですよ」
カレーニンさんの言葉に、ベズノフは溜息を吐いた。
仕方ないといった様子で、彼は私に言う。
「命令は……そうだ。同志カレーニンを通して伝える」
過ぎ去ったことを確認してからやっと一息付けた。
今日は少し運が足りないかもしれない。
カレーニンさんい会えたのは嬉しいのだが……。
記憶の彼は、あたふたしたように声をかけてくる。
それで少し心が落ち着いた。
*
ベズノフが去るまでは大人しく仕事をした。
ナスターシヤさんは帰ってきた私に、少し慌てた様子を見せたのが面白かった。
彼女が淹れてくれたお茶は渋くって、やっぱり心が落ち着いた。
うん。心を綺麗にしよう。そうした方が得だ。
頭を空っぽにして仕事を進めた。
記憶の彼の言うとおりに埋めていくだけの作業をした。
これは楽しくなくて、とても退屈だった。
「アンナ」
こんな風に名前を呼ばれて、そっちを向いた。
カレーニンさんが手招きをしている。
「あの人の異常性愛も全く困ったものだ」
開口一番に彼は口にした。
何だか疲れているように思われる。
「久しぶりです」
そんな風に言ってから抱き着いた。
会議室に衆目はないのだから多少許されるはずだ。
カレーニンさんは何も言わずに撫でてくれた。
これが褒められているように思われて嬉しかった。
前回の時も今回も、発砲をしなかっただけ私はとても善性の人間だな、と思った。
暫く抱き着いてからやっと離れた。
少し元気になることができたと思う。
それから彼がいない間に頑張ったことを沢山並べた。
例えば誰を逮捕したとか、そんなときにどう困ったとか。あとは彼に教えてもらった演奏技術が役に立ったこととか、芸術方向の有用性が分かったこと……。
沢山褒めてくれた。
さて、やっと褒めてもらう事項がなくなったところで、カレーニンさんが話の続きを制した。
依然として頭は撫でて貰っている。
「仕事の話だ」
ベズノフが言っていたものだろう。
カレーニンさんの顔を見る。
「今回は長期の潜入任務だ。ヤウザ士官学校への」
これで一章めが終わりです。
二章めからは暫く軍学校での話になります。
連載再開まで暫しお待ちを。
また、ここがいい感じとか微妙だなというところを教えてくださるとうれしいです。
次章に活かせるように頑張ります。