聖女戦線異常アリ   作:滝浪酒利

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第8話 速度についてⅠ

「なあ、やけに荷物軽くねえか? 目的地はどこなんだ?」

「どうせすぐ近くだろ。歩いてればその内わかるさ」

「俺たちもついに前線復帰かあ……」

「大丈夫だって、聖女様がついてるんだから」

 

 翌日は、よく晴れた日だった。

 朝早く、累の率いるヴァイエル公国軍、第十六独立歩兵連隊はクラウスブルク市郊外の兵営を出発した。

 それは遠目で見ればまるで遠足のようだった。縦に並んだ兵士たちの長蛇の列が、朝の田舎道をぞろぞろと歩いていく。

 目標は200キロ先(おおよそ東京から浜松ぐらいまでの距離だ)にある、ハプストリア帝国軍の補給基地である。

 

 兵士たちの士気は高い。しかし士官たちは違った。

 あの作戦会議の場で累は改めてしっかりと、一体どうやって200キロもの距離を二日で踏破する不可能を解決するつもりかを説明したが、賛同を得られたとは言い難い。士官の二割ほどは作戦への不参加と命令への不服従を表明し、この場にはいない。

 まあ仕方ない。累はさほど気に留めていなかった。関わり合う全員から好かれることなど、人間には不可能なのだから。

 

 出発から、三十分ほど経った。

 涼し気な秋風に頬を撫でられて、累は馬の上からぐるりと景色を見回した。青空の下、遠くの地平に赤く秋めいた山々が見えた。山裾からはシワのついたシーツのように草原色の起伏が広がっている。

 ターチャ曰く、ヴァイエル公国は特に畜産が盛んであり、年中の涼しい気候で丘陵が多いらしい。確かにヨーロッパアルプスみたいな風景だなと累は思った、行った事はないけれど。

 当然、コンクリで舗装されていない剥き出しの道路は凸凹で、その上を歩く馬の筋肉が上下するたびに震動が尻から体を突き抜けてくる。これは慣れてないとキツイ。

 しかしながら風景も相まって長閑な眠気を感じた累は、馬の上で欠伸と背伸びを同時にした。その時だった。

 

『ルイ様』

「わひゃいっ!」

 

 耳元で突然、鈴の音のようなターチャの声が聞こえて、累は馬上から転がり落ちかけた。

 

「おっと、どうかしましたか? 大佐」

 

 そんな累の肩を両手で抱きとめ、落馬を防いだのはヴラド大尉だった。累は馬に一人で乗れなかったので、不本意ながら彼の馬に同乗していた。

 

「いえ、何でもありません。大尉が思ったより臭う以外は」

「はいっ⁉」

 

 ヴラド大尉の抗議の叫びを無視しながら、累は近いうちに死ぬ気で乗馬を覚えようと誓った。

 さておき、声の正体を睨みつける。

 

『……お、驚かせてしまって申し訳ありません』

 

 そこには、申し訳なさそうに肩を落とした、半透明のターチャがいた。

 どういう原理か、少女の姿は累から見てやや前方の空中にふわふわと浮いていた。

 

「……一体、何ですかソレ」

『ええと、私も、今しがた気付いたのですが……』

 

 ターチャの説明によると、どうやら次のような事が判明したらしい。

 どうやら聖女である累が治癒の奇跡を使えるのと同様に、ターチャもまた、自らが召喚した累に対して不思議な力を働かせることができた、らしい。

 その力の内容は、自分の姿を累にだけ見えるし声が聞こえる幻覚として、その周囲に送り込めるというもの。

 今のターチャ本体はここから離れたクラウスブルク市庁舎で朝食中、累の事を考えていたらこの力が使えることに気付いたらしい。

 

『え、ええと、まだこの力で何ができるかは分かりませんが、これで私もルイ様のお傍でお役に立てそうでしょうか……?』

 

 ふよふよと漂いながら、ターチャは控えめな期待を込めた視線で累を見つめた。

 

(……まじか。どうしようコレ)

 

 累は心中で頭を抱えた。最悪だ。つまり一方的に、着信拒否できないし三百六十度映されるビデオ通話をつなげられるようなものだ。これではこのお花畑お姫様に、自分の行動が一挙手一投足バレてしまう。

 ……いや、でも、もうバレてもいいのか。

 累にとって不都合なのは、自分の作戦に反対するターチャによって戦場から遠ざけられることだ。

 しかしもう最高責任者である彼女の兄のマクシミリアから任務と許可を与えられている以上、今更ターチャに知られたところで問題ないのではないか。

 いや、きっとそうだ。なんだ、じゃあいいじゃん。

 というより、そうであるなら、むしろ。

 ムラムラと、へその奥底から黒い欲望が湧いてくるのを累は感じた。

 

 空中に浮遊する半透明のターチャは、白いブラウスにロングスカート。黒いスカートの裾からは、驚くほどに小さく細い裸足の足首が見える。陽を透かしながらふわりと漂う銀髪は、おぼろげな輪郭のせいでどこか妖精じみた儚さをまとっていた。

 累は思わず、ぶるぶると打ち震えた。

 この無垢な少女に、これから自分がしでかす現実を見せつけてやりたいという昂ぶりに。

 そんな累を余所に、ターチャは行軍中の兵士たちを見て小首をかしげた。

 

『ところでルイ様……あの、兵士の皆さんの荷物がやけに少ないようですが……水や食料はどこにあるのでしょう?』

「ああ、それなら心配いりませんよ」

 

 累はあっさりと言った。

 

「食料も水も、一切持ってきていませんから」

『………………え?』

「兵士たちに持たせているのは戦闘用の弾薬とその他最低限の荷物だけです。全体の足並みが遅くなるので後続の輜重部隊もいません」

 

 ターチャが、言葉を失う。

 そこで累の頭上から、ヴラド大尉が声を落とした。

 

「あの、聖女様……ぶつぶつと小声で独り言を仰ってるみたいですが、大丈夫ですか? あと俺そこまで臭いですか? 臭くないですよね⁉」

「気にしないで下さい大尉。ちゃんと匂います」

 

 累は適当に相手をしながら、自分にしか見えないらしいターチャの方をじっと見た。

 半透明の少女は、青ざめた顔で呟いた。

 

『ルイ様……そ、そんなことをしたら、兵士たちが……!』

 

 どうなるかなど、火を見るよりも明らかだ。

 けれど累は、自信満々に微笑んだ。

 

「安心してください。大丈夫ですから」

 

 それから、十八時間が経過した。

 

 真夜中。

 どっぷりと闇に沈んだ街道を、ランタンの小さな明かりを頼りに公国軍第十六独立歩兵連隊の兵士たちは歩いていた。

 出発からこれまで、兵士たちには一滴の水も、一口の食料も、一秒の休憩さえも与えられていなかった。

 普通ならばそれは死を意味する。というよりその前にまず、疲労と飢えと渇きで一歩も動けなくなるだろう。

 だがしかし、兵士たちは誰一人脱落せず、一歩たりとも休まず、すでに60㎞近くを踏破していた――いや。させられていたのだ。

 なぜならば。

 

「大丈夫ですか?」

 

 ふらりと、意識朦朧(もうろう)して前のめりに倒れこんだ兵士の顔を、しゃがんだ累が心配そうにのぞき込んだ。

 

「あ………………せ、せい……じょ、さ……ま」

 

 今にも死にそうなか細い声に累は耳を澄まして、うんうんと頷くと。

 そっと、兵士の肩に手を置いた。

 癒しの力。累の手に宿った淡い緑光が兵士の体を包む。みるみると、過労死寸前の兵士の体が活力を取り戻していく。飢えも渇きも、疲労骨折していた足さえも文字通り全快して、彼は再び立ち上がった。

 そして立ち上がったということは、またそうなるまで歩くという事だった。

 

「はい。これで大丈夫ですよ。というわけで頑張ってくださいね」

「あ…………あ……ぁ」

 

 励ますような累の言葉に押されるがまま、兵士は虚ろな目で隊列に戻って歩き出した。

 兵士たちは誰もが皆、ほとんど同じような有様だった。意思を失った人形のように考えることすら放棄して、ただ倒れるまで左右の足を交互に動かし続ける。

 幾度も繰り返される、死の寸前の過労と、そこからの復活が、彼らから正常な脳機能を剝奪していた。

 雲に覆われた夜空に星はなく、暗闇の先に終わりは見えない。

 

「お、俺たち……」

「一体、どこまで歩けばいいんだ……」

「どこまで、歩かされるんだ……!」

 

 休めない、止まれない、そして死ねない。

 歩行以外の一切の許されないデスマーチ。

 残り距離、約142㎞。

 

 

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