ご飯エネルギーが付きかけるタイミングで来られると、非常に厄介な体力測定。
もやしっ子には大の天敵でしたね……(n敗)
───憂鬱だ。私は青い空を見上げながら独り言ちる。今日の登校時、私が何も無いところで転びかけたり、道端のカラスに食べかけのパンをかっさらわれたりしたが、それは今、問題じゃない。
───とっっっっても憂鬱だ。空を流れる白い雲を見ながらそう思う。本を読んでいるところを邪魔されたり、コンビニ強盗に偶然出くわしたとしても、私はここまで気落ちする事は無い。むしろ、いつもの事だと流すレベルだ。
……じゃあなんで、私がここまで目が死んでいるのかと言うと。
「学年初めだから、体力測定をしますよ〜」
ご存知な人も多いと思うが、体力測定では
「それでは〜、柔軟体操をするので〜、2人1組になってくださ〜い」
私が脳内で盛大に体力測定の事をこき下ろしていると、体育教諭の『メェ本さん』の話が終わっていた。のんびりとした口調ゆえか、話を聞き流していた私は今日やる種目を聞き逃してしまう。
しまったな……、心の準備が出来ない。
私は心の中で悶々としていると、わいわいとクラスメイト達がペアを組み終えて談笑していた。どうやら私は出遅れてしまったらしい。やってしまった。
「あー、どうしよ……。誰か余ってる人居ないかな……」
私はきょろきょろと周りを見回して、ペアが組めずに溢れている子を探す。
「……あ」
「げっ」
───なるほど。
今、げっ、って言ったな?
いい度胸だ。
覚悟しろ??
私は、偶然目が合った瞬間、目を思いっきり逸らしたソイツにズンズン近付いていく。ソイツは顔を引き攣らせ、周りを急いで見回しているが、もうペアを組めそうな子が居ない事は同じく溢れ者になった私によって確認済みだ。
私はものすごく嫌そうな表情をするソイツの目の前で足を止める。
黒いショートヘアにインナーカラーのピンク色。頭には猫耳が立ち、つり目がかったルビー色の三白眼。中学時代によく見受けられた苦い表情が、顔見知りである筈の私に対して向けられていた。
「……へいカズサ、余ってるなら組もうか」
私を見て嫌そうな顔をするソイツに向かって、ちょっと不貞腐れ気味にペアのお誘いをかける。
「────最悪だ、よりにもよってアンタとなんて……」
中学時代の……知り合い、『杏山カズサ』。
トリニティ総合学園に進学し、偶然私と同じクラスになったらしい彼女は、私の声を聞くやいなや苦悶の表情で顔を歪めた。
キャスパリーグとヴォーティガン。
かつて、キヴォトスの不良達の間で、まことしやかに囁かれる2人のスケバンの噂が存在する。
彼女達に遭遇したと主張した者は、闇が襲いかかってきたと証言を残し。
彼女達の暴威の一端に触れた者は、嵐に巻き込まれたと主張した。
彼女達が、噂に上がる情報だけではどこの誰だったかすら定かではない。そんなまことしやかに不良達の間で囁かれていた、かの有名な『伝説のスケバン』に比類するような彼女たちの噂は、つい1年ほど前にぱったりと音沙汰無く消え去ってしまった。
誰が呼んだか『幻のスケバン2人組』、それが私達2人に共通する黒歴史である。
そんな感じで中学時代、
お互いクラスも離れていたし、もう会う事は無いと、そう思っていたのだけれども……。
「……まっさか、またアンタと顔を合わせることになるなんてね」
何とも言えない表情を浮かべて、私の背中を押すカズサ。心做しか、背中を押す手に力が篭っている気がする。普通に痛いのでやめて欲しい。
「てか、同じクラスなのは予想してなかったんだけど?」
膝裏の筋が伸びていく痛みに耐えながら、私は彼女に言葉を返す。一応彼女とは中学の時にモモトークを交換していて、合格発表の日には私と同じくトリニティに合格したとは聞いていた。だけど、同じクラスだった事は予想外である。ちょっとびっくりした。
「……だってアンタ、私より前の席じゃん。メガネかけてるからだろうけどさ」
カズサの面倒くさそうな声が耳を打つ。
言外にはぐらかされているような気がして、私は口を尖らせて文句を言った。
「えー、せめて一言くらい声掛けて欲しかったんだけど?モモトークとか使ってさ」
「嫌だよメンドくさい。アンタ、テンション上がると周り見えなくなるじゃん」
「………………」
ぐ、ぐぅの音も出ない……。
一応事実ではあるので私は黙る。
背後の彼女はため息をついた。
私の柔軟が終わり、今度は私がカズサの背中を押す。ピンク色の猫の瞳のようなヘイローが視界に覆いかぶさってくるので煩わしい。私は顔を顰めながら、先程のカズサの言葉に対して答えた。
「───つまり、何?中学時代から私は何も成長してないとでも?」
「語るに落ちてるよ、ワタル……」
なんかムカッとした。背中を押す手に力を込める。
カズサの背中がゆっくり下がった。彼女の指がつま先を捉える。
ぐぬぬ、と悔しさが溢れ出た。
そこまで強くない私の腕力では、カズサを柔軟で唸らせる事は出来ないらしい。ちくせう。
カズサの柔軟を終え、私達は背中合わせになって腕を交差させる。
「……んで、学校生活どうよ?」
ちょっとだけ、ほんのちょっ〜とだけさっきの言葉はイラッとしたが、私は怒りを抑えて彼女の近況を聞いてみた。
ここで会えたのも何かの縁。折角だし、彼女の今まで起こった悲喜こもごもを聞いてやろうと思ったのである。
カズサの身体が私の腰を支点として、テコの原理が働き宙に浮いた。
「アンタと会った時以外はボロ出てないよ。平和そうな部活に入ったし、そこそこ順調」
それを聞いた私は、カズサを地面に降ろした。今度は反対に、私の身体がカズサに浮かばされる。
───なんだ、だいぶ平和にやれてるじゃん。
顔は見えずとも、あの頃の不機嫌そうなトーンとは比べ物にならないほど落ち着いた彼女の声を聞いて、私は少し羨ましく思った。
「……ふーん、そっか」
「聞いてきたのに淡白だね、相変わらず」
そう言って、カズサは私を地面に降ろす。程よく背中の筋肉がほぐれた私達は、何の気なしに顔を見合わせた。
なんとなく、彼女の表情から呆れが漂っている気がする。
何よカズサ?
「じゃあさ、そっちはどうなの?」
彼女はお返しとばかりに、こちらの近況を聞いてきた。
「ほほーう、聞いちゃうと」
「げっ、やらかした……」
私の発言を聞いたカズサは、地雷のスイッチを踏み抜いたと言わんばかりに顔を歪ませる。
ほーう、そんな顔をするんだ。
元ヤン同士とは言え、旧知の仲な私に対してそんな態度取るんだ。
───なら洗いざらい聞かせてやろうじゃないの。この前から、ずっと続いてる私の踏んだり蹴ったりを全部……!!
「前に教えた1週間で通算24回。それに加えて発破、絡まれは各4回。変なの1回に買い物失敗で1回、嘘バレ1回に雑多諸々」
「……うっわ、中学の時より酷くなってないそれ?てか嘘バレって……、何されたのさ?」
「ゲヘナの子に途中まで読んでた本の内容の後半を歪めて伝えられた。ぶっちゃけその本よりも嘘バレの方が面白かっただけに悔しい」
「えぇ……??」
死んだ目で、私は不幸談義を一斉放出する。
数々の事例の顛末を想像したのか、カズサがげんなりとした表情で空を仰いだ。
「むしろ、良くマトモに生活送れてるねそれ……大丈夫?お昼奢ろっか?」
カズサの口から信じられない言葉が聞こえる。
思わず私はカズサを二度見した。
なんと、彼女の方からお昼ご飯の奢りを提案してきたのである。中学時代、私のお弁当から唐揚げを掻っ攫っていったあのカズサが!!!
えっ、いいの?
遠慮しないよ?
私は目を輝かせて彼女に詰め寄った。
「金欠だからありがたや!定食頼んでいい?高いやつ!!」
私は彼女の提案に遠慮なく乗っかり、ちょっとお高めの定食を頼めないかと考える。食堂のローストビーフ定食、高いから手を出そうとは思えなかったんだけどちょっと気になってたんだよね!良い機会だから食べてみたい。
「タカりすぎだっての、……まあ良いけど」
「やったぜ」
カズサから了承を得た私は内心で小躍りしながらガッツポーズした。後で奢ってくれたお礼にカズサにも堪能させてあげよう。
ふふふふふ……、今からカズサがどんな顔するか楽しみだ。
そんな感じで他愛もない話をしながら、私達は締めのストレッチを終わらせる。メェ本教諭から集合がかかり、グラウンドの隅へとクラスメイトが集まっていく流れに乗って、私達も白い学園指定のジャージの列へと並んだ。
◇
──杏山カズサ、14歳。スケバンから足を洗い、普通の女子らしい生活に夢を馳せるトリニティの1年生。今は女子らしい振る舞いに気を使いつつ、スケバンだったことを周りにバレないようにして生活をしている。
……そんな彼女には今、ちょっとした悩みがあった。
「遠芽ワタルさん」
「……はい」
入学式が終わった教室内で、見覚えのある黄色髪を見つけたからである。中学時代の同級生、しかも彼女の過去を知る者が、同じクラスに。
カズサは思わず天を仰いだ。
彼女の左斜め3つ前の席。
赤渕の眼鏡、黄色いたんぽぽ色の髪。彼女の中学時代の知己である"ワタル"は
ある意味、身内の恥なので。
カズサは机の上で悶絶した。
それからというもの、カズサは常にワタルを警戒し続け、知らん顔をしながら日々を過ごす羽目になる。見つかったら確実に絡まれるからだ。そして彼女の性質上、カズサの預かり知らぬ所から確実にトラブルを持ってくる。そして、ぐだぐだの末に自分1人で解決してしまうのだ。
カズサは頭が痛かった。
スケバンから足を洗って、普通の女子校生らしい生活を望んでいる今のカズサには、彼女という頭痛の種はお呼びじゃない。
なので彼女は、ワタルに徹底して関わらないようにしていたのである。
「……へいカズサ、余ってるなら組もうか」
だが、現実は非常だった。
「──ねぇ、初手150m走とかいう足の瞬発力削ってくる種目設定どう思う?」
「そこまで酷く150m走の事考えてるのはアンタだけだよ」
しょうもない質問に、私は呆れてツッコミを入れる。たかが150m走1つでよくもまあ、そこまで文句を言えることだと、私は頬杖をつきながら彼女を見た。
現在、私は中学時代の同期であるワタルに絡まれている。私の方から絡もうとは思ってなかったのに、彼女はまるでそこが定位置であるかのように私の隣に座ったのだ。私は頭を抱えている。
「ちぇっ、運動得意なやつは羨ましいわー」
「嫌味ったらしく言うけど、私アンタが結構タフなの知ってるからね?」
この面倒くさいおばさんみたいな話し方をする生き物は、精神構造まで面倒くさい。話をしているだけで疲れてくるのだ。現に今の話も、ワタルはそれなりに動けるって知ってる私からしてみれば、ギャグで言ってるとしか思えない。
この世のどこを探してもそうは居ないだろう。
野球ボールを
……毎度の事ながら思うけど、コイツの常識や客観視はどこに置き忘れてきたんだか。
私はため息をついて立ち上がる。
「それとこれとは別問題なんですー。運動反対、体力測定消し飛べー」
また文句言いだしたな……と思いつつ、私は彼女から離れて150m走の待機列に並んだ。自分が嫌なものに相対すると、ぶうぶう文句を言うのだ、彼女は。コンビを組もうと誘ってきた時から何も変わってない彼女に、内心少し苦笑する。幾らツッコんでもキリがないので、こういう時はスルー安定だった。
そうこうしていると、私が走る番がやってきた。レーンの内側に立ち、静かに位置につく。チラッとワタルの方を見ると、彼女は腕を組んで仁王立ちしていた。見続けると変に気が散るので、私はゴールラインに意識を向ける。
──ピーッ!
ホイッスルの音と共に私は走り出した。
不良時代に培った動きで、ぐんぐんと脚の回転速度を上げていく。風が頬を撫でて行く感覚が気持ちいい。走る心地良さに身を任せた私は、そのままの勢いでゴールラインに飛び込んだ。
「7.8秒!」
測定係の子が、声を上げて結果を伝える。
そこそこのタイム、まぁぼちぼちってところかな?
私はそのまま歩いてベンチ付近へ行き、記録用紙にタイムを記入した。
──そういえば、さっきまでここら辺に居た筈のワタルの姿が見えない。割とマメなアイツの事だから、ちょうどいいタイミングを見計らって一声くらいかけてきそうなものだけど……。
不思議に思った私は、周りを見渡してみる。
すぐにワタルは見つかった。彼女は既に、白線で引かれたスタートラインの最前列で、走る準備を始めている。
そういえば苗字の順番的に、割とすぐ彼女が走る番だった。記入用紙に目を落として彼女の出席番号を思い出し、私は再び彼女の方へ顔を向ける。
ワタルは腕を交差させて柔軟体操をしていた。
いや、何やってんのさ…?
意図不明な行動を取るワタルに頭を抱える。
柔軟は授業開始直後にやったし、今やる意味はぶっちゃけ無い。ざわざわと騒めくクラスメイト達の視線が、柔軟体操を終えたワタルに突き刺さっていた。
……あーあ。ワタルってば、あがり症なのに自分から注目集めちゃって。
どうなっても知らないよ?
そうこうしていると、彼女は口角を釣り上げて位置についた。
よく見ると、ニヤケ顔が引きつっている。
こりゃ駄目そうだ。
──ピーッ!
ホイッスルと共に走り出したワタル。
しかし、走るフォームはめちゃくちゃだった。
なんて表現すればいいんだろ……トンボの羽?
変に色々意識し過ぎて身体全体でバタバタしてる感じの走り方を、彼女はしている。遠くのクラスメイトの口から、あちゃー、とか、うわぁ……といった感じの、悲惨なものが目の前に現れた時のような、暗慘たる声が聞こえてきた。
……まあ彼女自身、大勢の視線を受けるという事が苦手なのだから仕方ない。これでも健闘している。中学の時はブリキ人形がひょこひょこ動いてるみたいだったからね……。
そんな事を思い出していたら、彼女はなんとかゴールラインを渡り切っていた。それを見届けた私はため息をつきつつ、彼女をフォローするための言葉を考え始める。
アイツ、私のフォローで変にキレなきゃいいなぁ……。
私は再びため息をついた。
◆
肩で息をしながら、もつれそうな足を無理やり動かして、私はベンチの場所まで戻ってきた。なんだかカズサが生暖かい視線を向けてくる。
……何見てんのよ。
「……あー、なんていうか。お疲れ様」
「中途半端な慰めは要らないやい」
ぐでっとベンチの上にへたり込む私。そのまま記入用紙に9.4とタイムを書いて青空を見上げる。
「まあ、アガり症のアンタにしては頑張った方じゃない?中学の初め頃とかもっと酷かったじゃん」
カズサがわざわざフォローのために、中学時代の記録の話を持ち出してきた。確かに中学時代は10秒も切れないくらいダメダメだったけど、それと今回の記録を比べるのは烏滸がましくないだろうか?
どっちかっていったら、あれは恥の記録だし……。
「……あん時はあん時、今は今でしかないの」
ベンチに寄りかかりながら、横に顔を向ける。ちょっと頭に手を当てて、疲れが見えるカズサの顔がそこにあった。
──150m走るのは大変だろう、分かるとも。
疲れた様子の彼女を見て、私は腕を組んでうんうんと頷く。頷く私を、残念なものを見るような目でカズサが見ている気がした。
「あ、そ。まあ別にいいんじゃない?それで一応、タイム自体は上がってるんだしさ」
彼女はそう言った後に、流し目で私を見ながらベンチから立ち上がる。
「この程度ではあんまし喜びたくないなぁ……」
私も彼女に続いて、ベンチから立ち上がった。まだ1つ目の種目が終わっただけなのに、私の身体が悲鳴を上げ始めた。とりあえず深呼吸をすると同時に、歩いてカズサに追い付く。なんだかまた、カズサに呆れられている気がした。
見ときなよカズサ。
今日はギャフンって言わせてやるかんね!
「よい…、しょっと!」
掌以上に大きい、黄色いボールが青空に弧を描く。カズサが投げたそれは、40を少し過ぎた辺りで落ちて弾んだ。測定係の子が、メジャーを持ってその場所へと走っていく。
「42mです!」
歓声じみたどよめきが、カズサの記録を知ったクラスメイト達から上がった。何となく記録を予想出来た私は、訳知り顔でうんうんと頷く。
「ふっ……流石は我が終生のライバルよ……」
「……なんで後方訳知り顔で頷いてるのよ、アンタ」
「ん、悪いかしら?」
そんな私に、ちょうど2投目を投げ終えて帰ってきたカズサがツッコミを入れてきた。閉じていた瞳を片方開けて、私はそのツッコミに応じる。そりゃあ、知り合いが良い記録だしたら笑顔になるものだ。カズサは違うのだろうか?
「いや……、アンタの場合はねぇ……」
なぜか言葉を濁すカズサ。何だろうか、言いたいことがあるならはっきり言って欲しい。
「遠芽さーん。次、貴女ですよー!」
「あ、はーい。行きまーす!」
しかし、彼女を問い詰める前に私の番が来てしまった。この言及は昼食の時にでもやろう、と心の中で決定した私は、駆け足でハンドボール投げの最前列に向かう。パタパタと駆けていく私を見たカズサは、やれやれと言いたげに肩を竦めた。
さて、私の番がやってきた。
肩を回して温めながら、私はハンドボール投げの極意を思い出す。
ハンドボール投げ、──それはサークルの中から出ずに、渾身の一球がどのくらい飛んでいくかを競う競技だ。肩口から先に、筋力、腕力、遠心力を伝え、手のひらの中からボールを射出する。たったこれだけの簡単な種目。
正直、体力測定の中ではマシな部類の競技の1つだ。私がまともに出来る競技のうちの1つだからね。
ちなみに、他にマシなのは50mシャトルラン。
私がクラスの中で優勝できる種目なんて、アレくらいしか無い。だからと言って、目立ち過ぎると記録は落ちるのだが。今年も授業終了3分前まで粘ったけれど、結局最後の最後でペースダウンしてしまった。とても悔しいので来年リベンジしようと思っている。
「すぅー……、ふーっ……」
それはそれとして、意識を戻そう。
ボールを持って深呼吸。私と周りの世界を狭め、意識をグラウンドの端まで持っていく。追い風が若干吹いていて、サークルの前方の白線が、日に当たって眩しく見えた。
「………」
ボールを指と掌を使い、しっかりと掴む。
左足を前に出し、身体は弓を引くように後ろへ反らした。
───腕を思いっきり振りかぶる。
「──ぜぇぇぇぇりゃぁぁぁぁぁっ!!!!!」
一球入魂、私は勢いよく手に持ったボールを投げた。
ボールから手を離す直前、フッ……と、視界の中の景色が遅くなる。
世界から色が抜けていく、独特の感覚。地面の固さが足裏を通して背中へと伝い、しっかりと固定された上半身から二の腕へと力が伝達されていく。
腕部から肘へ、肘から手のひらへ。
身体を捻って生み出された衝撃が、手の中のボールの中に収まった。
弾き出す。
その瞬間、少し離れた場所で見ているカズサと目が合った気がした。
───ズドムッ!!
ボールが、勢いよく地面へ叩きつけられる。
テンテンと、叩きつけられた拍子に宙へ浮かんで弾んだボールは、緩く吹いた風に流され、測定係の子の足元まで転がって行った。
「……い、1m……です……」
申し訳なさそうな声で、私に結果を告げた測定係の子。クスクスと周りが笑う声で、私の全身は真っ赤に染まる。
「あらあら、緊張しちゃったのかしら?もう1回しても良いですよ〜」
メェ本さんが、穏やかに笑いながら再投球の許可を出してくれた。周りの笑い声が気になって仕方ないが、教諭にはちゃんとお礼を言わなきゃいけない。
「あ、ありがとう……ございます」
頭を教諭に向かって下げる。
お礼は大事って、古事記にも書かれてたらしいからね、うん。
周りの様子を振り切るように、私は前を向いた。そのまま、私は教諭のご好意に甘えて再度投球姿勢に移る。こ、今度こそ……!
「すぅ……、うおりゃぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
再度、私の掌からボールが飛び出した。ヤケクソ気味に放たれたそれは、放たれた弾丸のように低空飛行し、30と書かれたラインの手前で着弾する。
───ザンッ!!
すぐに計測係の子が、メジャーを持って走っていった。私はサークルの中から足がはみ出してないことを確認して結果を待つ。
「……28mです!」
よし、中3くらいの時の最高記録だ。そう思った私は、胸の前でガッツポーズをする。だんだん調子が戻ってきた気がした。
「さぁて……2投目よ!」
燃える炎を瞳に灯して、不敵に笑う私。周りの景色すら目に入らなくなった私は、黄色のボールをしっかり掴んで投球姿勢に移った。
──追い風良好。
……撃つべきは、今!!
「───っしゃおらぁッ!!!」
私は、裂帛の気合いと共にボールを打ち出した。
────ダァンッ!!
まっすぐに飛んで行ったボールは勢いよく地面に着弾し、グラウンドの端まで吹っ飛んでいく。
「……やりぃ!」
思わず口から笑みが漏れてしまう。多分にして過去最高の投球だと確信した私は、カズサに向けてドヤ顔をかます。彼女が私から勢いよく顔を背けた。どうやら現実を直視したくないらしい。
悠然とフィールドを去る私。メジャーを持った計測係の子が、結果報告をするために声を上げようとしていた。
私渾身の一球だ、きっとカズサの記録を越しているに違いない。
私は泰然とした佇まいを維持しつつ、鉛筆を持って用紙に結果を記入する為に準備する。
「──36mです!」
結果を聞いた私はコケた。
「……嘘でしょ!?過去最高の一球だったのに!?」
纏っていたはずの
間違いなく最高記録、紛うことなき私の成長。
だけど……、カズサの投球には及ばなかった。その事実が、私の中の悔しさゲージをメリメリと上げていく。
悔しさで唇を噛んだ私は、カズサの方を見た。もしかしたら、一球目でカズサの記録を超えることが出来るかもしれなかったからだ。あの時一瞬目が合わなければ……!!
──そんなカズサの様子はというと。
「……は〜、絶対アイツ勘違いしてるじゃん。弧を描くように投げないと飛距離伸びないのに……」
肩を竦め、論外であると言いたげに、私の一球を批評していた。
──カッチーン。
私の頭の中で何かが切れた。ずんずかと、私は肩をいきり立たせながらカズサに近寄っていく。
それを見たカズサは何かを察したのか、ビクッと身体を跳ねさせて逃げの姿勢を取った。
「────カーズーサァー!一球目アンタのせいで失敗しちゃったじゃないの!!」
「ちょ、はァッ!?それアタシ関係ないし、アンタの自業自得でしょうが!!」
彼女が言い訳してきたので、私はカズサに飛びかかる。私の飛びかかりを危なげなく回避したカズサは、そのまま私に背を向けて逃走し始めた。逃がすかぁっ!!
ギャーギャーと追いかけっこをする私達。なんだか私を見ている周りの目が、変な奴を見るようなものに変わった気がするが今はそんな事を気にしてる場合じゃない。
「一球目もワンチャン過去新記録出せたかもしれないのに!グラウンドに沈んだ新記録の恨み、ここで晴らしてくれるわァ!!」
「理由が当たり屋地味てんのよアンタ!?落ち着きなさいって!」
「うがーっ!!!?」
最終的に、私はカズサにチョークスリーパーを決められて強制的に黙らされた。覚えてろよこんにゃろう。
・遠芽ワタル
自分の事を運動音痴だと勘違いしている、無限のスタミナを持つアホの子。ハンドボールを直線軌道で投げて、36mいけるタイプは大抵ヤバい。
身長153cm、カズサよりもちょっと背が高い。
・杏山カズサ
お騒がせすぎる相棒を中学時代に得てしまった、悲しき元スケバン系女子高生。この日以降、ことある事に彼女はワタルに絡まれる。同級生の幾人かからは心配の言葉を受け取った。
しかしながら、ワタルに絡まれる事自体は満更でもない様子。
面倒事に巻き込んでこなければ、愉快な小動物だからさもありなん。
次回投稿は5月2日予定です。