リムルの身体は、地面に伏していた。
「……終わりね」
あっけなかった。
いくら上位の魔物といえど、スキルや能力を封じてしまえば
とはいえ、ヒナタ以外が戦えば複数戦を強いられる強さだった。結界の中であれだけ動けるのは確かな脅威だっただろう。
ヒナタに油断も慢心もない。ヒナタの
ヒナタは戦場から背を向ける。
ここにいる理由は無くなった。あとはファルムス王国の兵士達が町の残党を殺せば——
「っ、!」
異様な気配と同時に感じた、鋭い殺気。
ヒナタの培われた本能で咄嗟に回避行動をとる。
元々ヒナタがいた場所は、どす黒い憎悪が形作る炎によって焼き尽くされていた。あと少し遅ければ、ヒナタの身体は外側から燃やされていた事だろう。
炎は陣を描き、ヒナタとリムルの周りを囲む。熱気がヒナタの余裕をじわりと削っていく。
酸素不足による行動不能が狙い?いや、そもそも今の攻撃は何処から。
ヒナタはリムルの死体を見下ろす。
魔力反応は無い。すでに身体の端から崩壊し始めており、動きだす気配はない。とすれば、外部からの攻撃の可能性が高い。
「あるいは……」
死角から放たれた炎の攻撃をレイピアで弾く。ヒナタの視界に捉えられた存在は、先ほど倒したはずの師の仇と同じ姿をしていた。
「確実に仕留めたはずなのに、何故生きてるの?」
「……」
様子が明らかにおかしい。理性の光が消え、黄土色の瞳は空虚を映している。最早ヒナタを敵とすら認識しておらず、命令に従うロボットのようにぎこちない動きで近づいてくる。
レイピアを鞘に納め、ヒナタは浮かんだ疑問を検証するために札を取り出した。
「これはどう?……
札が分散し、リムルを取り囲んで結界を作る。本来魂の肉体である
(魂が無いのにスキルを使うなんて……)
世界の理から外れた存在に、ヒナタは思わず目を細める。もしここで逃してしまえば、世界の滅亡に繋がることを直感的に理解したのだ。理性無き怪物はここで討伐しなければならない。
はぁっと荒々しく息を吐く。周りの炎によって熱が溜まっていく感覚に、ヒナタは珍しく表情を歪ませた。
怪物が呟いた。
『〝
黒炎が壁を作り、ヒナタの逃げ道を塞ぐ。灰色の空が炎の隙間から見える。ヒナタが肌で感じている地獄であり、リムルがいつか体験した悪夢の再来である。
何より、弱体化を促す結界が塗り替えられたという現状に、ヒナタは内心リムルに対する評価を上げた。リムルは魔王に匹敵する脅威だ。この時点を持って、ヒナタは全力を出すことを厭わなくなる。
「精霊召喚!」
ヒナタは五体の無属性精霊を召喚し、リムルに向かわせる。
しかし、片っ端から暴食者で喰らい尽くされ、足を止める事はできない。リムルは魔素を凝縮させ、剣を形作る。ただしそれは、先程見た剣より禍々しいものであった。その剣に込められているのは、無数の怨念。
リムルはヒナタを視界に捉えると、急接近して剣を振り下ろす。軽く避けて追撃するが、こちらも回避される。攻防の激しい戦いを強いられ、ヒナタの思考が乱れかけた。
その最中に、突如身体が重くなる。
(なにっ!)
隙を見逃さず、リムルが攻撃を仕掛ける。ヒナタが咄嗟にレイピアで受け止めると、ギチギチと鉄が擦れる音と同時に刀先が触れている部分からヒビが入り始める。
ヒナタが危険を察知し、無理やり受け流すとレイピアは触れた部分から切断されていた。
(あの剣は腐敗させる効果を持つのね……)
それも、
剣柄を投げ捨て、相手の出方を伺いつつ分析する。さっきまで戦っていたリムルと性質がまるで違う。多少なりとも感じていた人格という不確定要素が排除され、ただ目の前の存在を排除するだけの殺人鬼のような冷たさ。
同じ存在を相手取っているとは考えない方がいい。
問題は、いきなり身体が重くなった原因についてだ。
先程展開された結界なのは明白だった。炎の密度が上がっている事を踏まえ、陣の中にいる敵対存在から何かを吸収していると考えられる。この炎に遮られて、援軍を呼ぶことも難しい。
この結界が吸収しているのは、魔素ではなく生命力。あの黒い炎は、ヒナタの命が消える時まで燃え続けるのだろう。
目の前の怪物は、尊敬する師だけでなくヒナタから全てを奪おうとしているのか?
ヒナタの瞳に確かな熱が宿った。
「……奪わせない」
ヒナタは自身のユニークスキルを最大限行使する。
予測演算を用いて確実に仕留める。<神聖魔法>を準備しながら、隙を作る為にどのような魔法を打てばいいか分析と思考を繰り返す。躊躇していれば消耗するのはヒナタ自身なのだから。
油断はなく、先手を仕掛けるタイミングを伺う。
極限の状態に陥ろうとしていたヒナタの意識外から、光の鎖が降臨しリムルを縛る。
ヒナタの鼓膜に凛とした声が届いた。
『今のうちに葬れ、ヒナタ』
「……ありがとうございます」
すぐに状況を理解したヒナタは、束縛から逃げようとするリムルを視界に移す。両手で印を結び、自らが信仰する神へ祈りを捧げた。
「神へ祈りを捧げ給う。我は望み、聖霊の御力を欲する。我が願い、聞き届け給え」
呪文を詠唱すれば、リムルを中心として巨大な魔法陣が展開する。幾何学模様は光を宿し、幾層にも重ねられた魔法陣が聖なる力を収束させていく。知恵と理性を失い、怨念と憎悪に突き動かされた憐れな魔物を浄化させる。
ヒナタの美しい声が響いた。
「万物よ尽きよ!〝
詠唱は神に捧げられ、神の力は振り下ろされる。
今、ヒナタの神聖魔法はあらゆる魔物を滅ぼす力を持っている。何故なら、今ここに
邪悪な暗黒を打ち払う閃光が、再びリムルに突き刺さる。
霊子を操り魂ごと全てを消滅させる魔法が、リムルの身体を包み込む。その光は周囲にダメージを与えることなくリムルという邪悪な存在に対してのみ降り注いでいた。
周りの黒い炎が粒子となって霧散していく。炎の隙間から見えていた淀んだ空は、いつの間にか元の青い空へと戻っていた。眩い光が役目を終えて消滅し、あの邪悪な存在は塵ひとつ残さず消滅していた。
ヒナタ一人だけが佇む中、空から舞い降りてきた存在がいた。
黒いヴェールを纏い、隙間から赤と青のヘテロクロミアの瞳がヒナタを覗き込んだ。
「ヒナタ、無事であったか?」
「……ルミナス様。ここには他の
「そなた、妾が介入しなければ無理をしていたであろう?」
「それは……」
否定することは出来ない。
事実、ヒナタはあのままだと二つのユニークスキルの同時併用を余儀なくされただろう。脳が千切れる痛みに耐えながら、無理やりにでもリムルを殺そうとしただろう。
ルミナスは黙り込んで視線を外すヒナタの頬に手を添え、耳元で囁く。
「そなたを失いたくはない。……ひとまず帰るが、後ほど妾の部屋に来るのじゃ」
「はい、ルミナス様」
ヒナタの言葉に満足そうに微笑むと、ルミナスはヒナタから距離を取る。
ルミナスはリムルがいた場所を一瞥した後、パチンと指を鳴らしてその場から転移した。
ヒナタは周りを確認し、誰にも見られてない事に安堵した。あのお方は時折無茶をなさる。しかし、ルミナス様がいなければ、本当に満身創痍になっていたかもしれない。
「……私もまだまだね」
◇
暗い。
真っ暗で何も見えない。
ここはどこだ? てか、どうなった。
確か、俺はヒナタの剣に貫かれて死んだはずじゃ……。
そこで、俺の意識は覚醒した。
俺の名前は、リムル=テンペスト。魔物の国の主をしてるスライム。
最期の記憶は覚えてないけど、エミルスに希望を託して……それで……。
《告。暴風竜ヴェルドラが封印されていた洞窟内にて、個体名:エミルス=アゲンストが
おおっ、大賢者さん。
なんだか随分久しぶりに感じる……って、復活!? エミルスはそんなことできたのか!?
《否。これは複数の因果関係が重なったことによる奇跡であり、通常は不可能です》
そ、そうか。
ちなみに、ヴェルドラは無事なのか?
《是。現在も『胃袋』に収納されています》
よかった。
今どんな状況なんだ? テンペストは一体どうなってる?
《解。現在の状況ですが……》
大賢者から聞かされた状況は、俺の目覚めたばかりの頭をぶん殴るような衝撃だった。
町は燃やされ、民は人間達の手で蹂躙され、そして命すら奪われた。エミルスは、自らの手を血で汚して住民達を守ってくれたのだという。
それでも、失われた命を取り戻すことは出来なかった。
彼女は——シオンは、死んでしまった。
俺のせいだ。
全ては、俺の驕りから来た油断。人間達と仲良くしたいと、甘い考えを引きずっていた俺の責任だった。
俺がいない間に、全てを取りこぼしかけてしまうところだったのだ。
哀しみよりも先に、怒りと憎悪が腹の底から湧き上がる。
許せなかった。
家族を踏みにじった人間どもも許せなかったが、何より許せなかったのは、不甲斐ない自分自身だ。エミルスがいるから大丈夫なんて、あまりに無責任だ。俺がいなくても大丈夫なんて、絶対なんてありはしない。そのことを分かっていたはずなのに。
後悔が湧き上がると同時に、更に奥から空腹の獣の声が聞こえてくる。
ユルセナイ、ニクタラシイ、ホロボスダケデハ……タリナイ
破壊衝動のようなものが俺の中を巡る。涙を流す前に、それを塗り替えるような憎悪が内側から俺を焼いている。俺はそれを必死に眺めながら気づく。こいつは生まれた時から
涙は一滴も流れ落ちない。
あぁ、そうか。
俺はもう、心から魔物になっていたのか。
大賢者に魔力感知を
隣を見れば、薄桃色のスライムがいた。
俺がいない間に何かあったんだろう。見慣れないサークレットを被っていた。一見すると禍々しいが、ずっと前から被っていたかのように馴染んでいた。
俺は人間の姿に擬態してエミルスを抱きかかえる。普段のアイツなら抱えさせてくれないけど、無抵抗なんだから仕方ない。
表面を撫でると、波立つ心が落ち着いく。
「……見ていてくれよ、エミルス」
お前が危険を冒してまで繋いでくれた全部を救う選択。
エレンが教えてくれた悲劇の竜皇女の物語。
魔王となる種が発芽していた俺がつかみ取れる未来。
本当、周りに恵まれすぎている。だから、俺はお前達の期待を一身に背負って、必ず最良の未来に連れていくと決めた。
その決意を一番最初に伝えるのは、やはり一番最初の
「魔王になるよ、俺」
死んだ仲間達が結界内に留まっている可能性は3.14%。円周率かよって数値だが、少しでも可能性があるなら十分だ。まだ俺達は全てを取り戻すことができる。
〝真なる魔王〟となり、俺は俺の理想を叶える。
魔王になったら人格が変わってしまうのだろうか、人間を憎み、世界を恨み、滅亡の未来へと突き進む魔王。
それは無いだろう。だって、エミルスがいるからな。
アイツならそうなる前に張り倒して目を覚ましてくれるだろうから。
まぁでも、それでも理性無き
俺は————
まずは仲間達と連絡を取らなければ。
そうして俺は、『思念伝達』でソウエイに声を掛ける。いきなりの連絡に動揺する事無く、ソウエイは至極冷静に返事してくれた。
『ソウエイ、迷惑をかけたな』
『リムル様、無事にご帰還されたようで何よりです。実はご報告がございます』
『なんだ?』
『遠方から出ていた者から報告があり、ファルムスと西方聖教会の連合軍がこちらへ侵攻中とのことです。その数、およそ2万』
真なる魔王へ覚醒するために、必要な
なんだ、エサがあっちから来てくれるなんて都合が良い。俺は思わず笑みを浮かべる。
『報告ありがとうな』
エミルスを抱えながら、俺は洞窟を後にする。
不安も、怒りも、今はこの始まりの洞窟の中に置いていくことにした。