《告。死者4214……4803……5575……》
『大賢者』がリムルの魔法によって死んだ人間の数を主に報告する。
幸運で光線を浴びなかった生き残った人間も、地面から生えてきた針山によって身体を貫かれ、間もなく失血死した。兵士達はすでに戦意を失い、領域の中をひたすら逃げ惑う。
憐れで、滑稽で、あまりに無力だった。
そして人間達は漸く気づく。「眠れる獅子を呼び起こしてしまったのだ」と……。
ただ、気づくのは暗澹たる死の間際である為に、反省も反撃も許されない。
ファルムス王国の軍勢は、最初の攻撃で八割が消し飛んだ。
神の裁きは、地獄は、皆平等に分け隔てなく与えられた。
幸運にも、ラーゼンとフォルゲンは外れにいたため針山の直撃は免れた。
事態を察知した二人は急いで王の天幕へ走る。見張りの兵士はすでに死んでいた。
針山は天幕を囲むようにして形成されており、逃がす気は一切無いと意思表示しているらしかった。そもそも結界があったはずなのにこの針山はどこから出現したのか。敵の攻撃の正体が分からないというだけで、ラーゼンの冷静な思考はすでに狂わされてしまっていた。
ファルムス王国の王、エドマリス王は身体の芯が冷えるような恐怖に襲われていた。目の前で次々と死んでいく兵士達、そしてその死の数に伴い聳え立っていく針山。絶望の景色に、エドマリス王は立ち竦む事しか出来ない。
どうしてこうなった、今何が起きた。
先程までは、圧倒的優位だと思っていた戦場は最早見る影もない。ただ蹂躙されるのみ。
西方聖教会大司教であるレイヒムも、エドマリス王と抱き合って眼前に迫る死から——現実から、逃避したかった。
逃げる道は残されてはいない。敵前逃亡は許されていなかった。
「レイヒム、どうする、どうすれば良い?」
「お、落ち着きましょうぞ、落ち着きましょうぞ!」
そこに、フォルゲンとラーゼンがやってくる。
「王よ、ご無事ですか!」
「騎士団長フォルゲン、只今参上致しました」
「フォルゲン!ラーゼン! は、早くこの場から逃げようぞ、国へ戻り体勢を立て直すのじゃ」
「残念ながら、
「え、なんと……フォ、フォルゲン! おぬしのユニークスキルで……」
エドマリス王はフォルゲンに命令しようとして、気づいた。
フォルゲンは天幕から離れて聳え立つ針山を見ていたのだ。
「フォルゲン! 其方、何を……」
「ご覧ください王よ、裁きを受けるときが来たのです。さぁ、魔物の主よ。私達に天罰を……」
フォルゲンは恍惚とした表情を浮かべながら、天を仰ぎ死を受け入れた。
狂っていたのではない。彼の意識はもう
その事に気づいたのは、聡いラーゼンだけであった。
直後、その願いに応えるかのようにフォルゲンに光線が降り注ぐ。
死体は残らず、肉の焼けた臭いだけがその場に漂っていた。
「ひいいいいいおおおお!!」
エドマリス王は恐怖の雄叫びを上げ、腰を抜かして這いずるように後ろへ下がる。
王の矜持は崩れ去り、恐慌状態に陥った。
レイヒムは脂汗を流し、目を見開いて現実を受け入れる他無い。
「死ぬ……みんな死んでしまう~!」
「そっ、そんな馬鹿な。一体何が起きているというのだ……!」
狼狽する二人を見てラーゼンも精神が崩壊しかけたが、上の方から不穏な気配が近づいてくるのを察知する。天幕から少し顔を出して空を睨みつける。太陽と重なった人影が真っすぐ向かってくる。
聡いラーゼンは理解した。この戦場の支配者が彼の者なのだろうと。
蝙蝠のような黒い翼を広げ、天幕の前に降り立つ。
背はそれほど高くなく、右側にヒビが入った仮面を着けている。
そのヒビは、まるで泣いているかのような。その身に纏う覇気から、燃え滾る憤怒と凍て付く哀惜が漏れ出ていた。ラーゼンは一歩も動けずにいた。許可なく動けば、今この場にいる全員を抹殺するかもしれないとそう感じさせたのだ。
目の前にいる魔物の主は、死んだはずだ。
死んだものは蘇らない。人間側の常識が理解を拒む。
ヒナタは間違えなかったが、エミルスもまた間違えなかった。それだけの話である。
三人に浮かんだその共通の疑問の答えが明らかになることは無い。
世界はまだエミルス=アゲンストを知らないのだ。
◇
地上に降りて見れば、凄惨な光景が広がっている。
少しはすっきりするかと思ったが、どうやらそうでもないようだ。明らかに豪華なテントだけ避けて、その他は全て虐殺した。とはいえ、慣れないことをしたから取り逃がした敵は多い。逃がすつもりはないが、この結界から出られない限りどのみち放っておいても死ぬだろう。
俺の眼下には枯淡の境地に達したと思われる老人と、天幕の奥で震える大物二体がいた。老人は俺を警戒しつつ問いかけてくる。
「魔物の国の主……なのか?」
「そうだとして、お前はどうするんだ?」
「フン、魔物風情が。この叡智の魔人ラーゼンは貴様を討伐してみせよう!」
「そうか、じゃあ死ね」
俺は戯言をほざいた敵の眉間を撃ち抜いた。
魔人だなんだと言っていたクセに、呆気なく地面へ倒れた。それを見て、奥の二人が甲高い悲鳴を上げる。
「ヒイイ!そんな…ラーゼンまでも!」
ラーゼンという人物は、中々に有名人だったらしい。
まぁ、死んでしまったからもう終わった話だ。
周りにいた兵士達が、ラーゼンが死んだことに動揺して命乞いをし始める。俺は気にせず眉間を打ち抜いて静かにさせた。
静寂が訪れ、俺にほんの少し心の余裕ができた。
俺の脳内に〝声〟が届く。
《確認しました。ユニークスキル『
大賢者とは違う、久々の〝世界の言葉〟だ。
名前からしてヤバそうなスキルだな。
どういうスキルか確認しようとした時、俺の思考を遮って俺に話しかけてくるヤツがいた。
「き……貴様が魔物の国の主だな。余はエドマリス。ファルムス王国の王である!伏して控えよ!貴様に話があるのだ」
小汚いおっさんだな。
影武者と断定して殺そうとすれば、横にいたおっさんが名乗り出てきた。西方聖教会の大司教だとかほざいている。
西方聖教会……まずいな、その名称を聞いただけで冷静な思考が乱される。
「じゃあ、王以外は皆殺しにするけどいいな?」
そう告げると、レイヒムという司教は俺に対して命乞いを始めた。大司教とか言ってたクセに、簡単に教えを捨てるんだな。
対してエドマリスは、大国の王だなんだと権力を振りかざして喚いている。
俺はそいつの腕を光線で弾き飛ばす。傷口は『黒炎』で焼いて止血してやった。
数秒遅れて、絶叫が響いた。
悪いが、俺はお前達の戯言に付き合う程暇じゃない。
殺さない時点で最大限譲歩してやっているのに、何が大儀であろうだ。
お前達はこうして対話する機会すら与えず、俺の仲間達を殺したというのに。
《告。ユニークスキル『
なるほど。
使い所はそんなになさそうだが、今はこの力が役に立ちそうだ。
俺は空中へ飛び上がり、軍勢の前に姿を晒す。
俺の姿を見て、兵士達は戦意を喪失したらしく手から武器が落ちる音がした。
《問。ユニークスキル『
ここに来た時点でお前達の命運は決まっていた。
俺の進化の為に、その魂を捧げろ。
YESと、念じた。
心は平静で、痛みは無い。罪悪感はまるで感じない。
その直後、俺の視界にいた兵士は全員死んだ。もちろん、俺の視界にすら入っていなかった人間も全員。
一瞬にして、
魂が全て俺の元へ吸い込まれていく。
《ユニークスキル『心無者』にて、この場に生存する全ての人間の魂を刈り取りました。ただし、個体名エドマリスとレイヒムは指定対象外です》
淡々と結果を報告する大賢者。
本当に無慈悲だ。
幸運にも、その死神の鎌の標的にならなかった二人は、何が起きたのか理解できずに動揺している。
それにしても、心無者か。
俺の意識外の人間にも対応できるみたいだし、思ったよりも使えるかも……
《告。
世界の言葉が響く。
どうやら、ちゃんと魔王に————
そこまで思考した時点で、急激な眠気が襲う。
ヤバい、なんかめちゃくちゃ眠い……
身体から力が抜け、人間の姿を保つのも限界だ。
俺の身体は、俺の意志に関係なく再構成され始めた。
《告。魔力感知にて生存者1名を確認》
何だって……
地面に倒れ込み、猛烈な睡眠欲に抗う。
頭を何度も揺らしながら、俺は影に潜むランガを呼ぶ。
「ランガ……」
「はっ、我が主よ」
「俺を守って町まで連れ戻れ。最重要命令だ。その二人を捕虜にしろ」
ランガの唸り声に、二人はまた悲鳴を上げる。
「承知、生き残っている敵の気配を感じますがいかがいたしますか?」
「それは別の者に任せる……」
そこまで言い終えると、耐え切れずに人間の姿が解除される。
ランガが慌てて俺を器用に角で運び、頭の上に持ち上げた。
〝
俺の感知を欺けるやつなら、
二万もの死体を供物に、悪魔を呼び出す。
「
眠気が限界に達し、言葉が適当になる。
——こんなので召喚されるヤツは、よほどのもの好きか馬鹿だろうな。
俺の眼前の魔法陣から現れたのは、三体の黒い悪魔。
たった三体か、魂という最上位の供物を用意できなかったから仕方が無いと考えよう。
足止めになるかどうか……う、眠い。
もういいや、精々時間稼ぎしてもらおう。
「おいお前等、死んだふりをして隠れてるやつがいる。そいつらを生かして捕らえろ」
スライムが悪魔に命令するって、どんな絵面なんだ。
多分、世界初だろうな。
本格的に思考がヤバい。
眩暈が酷くなり、スライム体の維持も覚束ない。
早く安全な町まで戻らないと……。
「クフフフフ……懐かしき気配、新たな魔王の誕生。実に素晴らしい! 大量の供物に初仕事。光栄の極みで、少々張り切ってしまいそうです。この日を心待ちにしておりました……!」
魔素が爆発し、目の前の悪魔が顕現する。
なんか興奮してるな……まぁ、別にどうでもいいか。
「今後とも、お仕えしても宜しいのでしょうか?」
悪魔の一柱が俺へ挨拶を述べるが、意識が朦朧としていて半ば聞き流した。
「話は後だ。まずは役に立つと証明して見せろ。行け」
「容易い事で御座います。ご安心ください、
そして、俺は意識を落とした。
この世界に来て初めての完全なる無意識状態であり、進化へと至る休眠——
——この世界で、魔王が再び誕生する。
◇
リムルが戦場で虐殺を繰り広げている時、町の住民は中央広場に集合し祈り始めた。
結界を維持する作業と、もう一人の主を護る為だ。
シュナとミュウランが祈りを捧げる背後に、二つの玉座が用意されていた。黒と白の対をなす装飾が施されており、エミルスは黒の布を纏って玉座に置かれている。
エミルスはリムルと違い、仲間達と魂の繋がりを持っていない。
それならば何故、こんなにも慕われているのか。エミルスはかつてそう問いかけたことがある。仲間達は嬉々として言葉を返した。
魔物も人間も関係ない。そこには絆という繋がりが確かに存在しているからと。
言い換えれば、エミルスが求めた「家族愛」は、すでに形作られていたのだ。
それに気づいたのは、二年という長い年月を要したけれど。それでも、眠るエミルスに確かに祈りは届いていた。
仲間達は確信している。繋がりがなくても、すでにエミルスはテンペストの一員であると。
リムルは戦場へ向かう前に、ベニマルと話していた。
万が一、俺が理性もない
リムルは心底安心していたのだ。例え理性のない魔王になったとしても、絶対にアイツなら俺を殺してくれると。王殺しという罪を、仲間達に背負わせたくない。それに、もし殺されるならお前がいいとも思っていた。その言葉はさすがに仲間達に伝えなかったが。
そのような事態になるのだけは、何があっても阻止しなければならない。何より、自分達がそれを許すことができない。
住民全員が一丸となって祈りを捧げる。
主が無事に帰還できるよう、最大限の努力を捧げた。
その時だった。
《告。個体名:リムル=テンペストの
〝世界の言葉〟が響く。
全員が同時に空を見上げ、呆然とその言葉に耳を傾けた。
《完了と同時に、系譜の魔物への
リムル様は、我らが主は見事にやってくれた。
確信した仲間達は、思わず安堵の笑みを零して各々の思いを口にする。
ならばこそ、次は自分達が頑張る番だ。
「気を引き締めろ! 我等が主の勝利だ。次は我等がその力を振るう番だぞ!」
ベニマルが命令を下し、呼応する魔物達。
状況は動き出した。
やがてランガに運ばれてリムルが広場に辿り着く。
リムルはエミルスの隣の玉座に運びこまれ、白い布を纏った。シュナがスライム状態のリムルを撫でて、そっと離れる。
「リムル様、魔王になったからって人が変わったように暴れ出したりしないでくださいよ」
ベニマルは一抹の不安を呟く。
リムルの意識はない。だが、仲間達の不安を代行したその言葉が届いてほしいと願う。
数秒後、玉座の上でリムルの身体が光を帯びる。
《告。
リムルの眩い輝きに照らされて、エミルスの身体が光を帯びる。仲間達に見守られながら、リムルは頂へと登り始めた。
大賢者が主の願いを叶える為、進化を追い求める。
再挑戦、失敗。再挑戦、失敗。再挑戦、失敗。再挑戦、失敗。再挑戦、失敗。再挑戦、失敗。再挑戦、失敗。再挑戦、失敗……
無限に近い試行を得て、『
智慧ある者は思考する。
あぁ、やっと。
やっと、
その満たされた感覚を知覚することはない。ただのスキルであった存在は、再び演算を開始する。
——『
主の進化が終わり、続いて魂の系譜に連なる者達へ
進化を祝うお祭り騒ぎ。それは、テンペストの宴会とは異なり静かに住民達へ行き渡っていく。リムルから名前を与えられた住民達は、心の奥底に眠る願いを掬い上げられ形あるものへ昇華する。まるで、『
本物の愛に固執した鏡像体はもういない。
彼の者の願いは、ただ一つである。