アルティメット彩葉【完結】 作:芦花イラストうおおお!
「なんも分からん言われても困りますわ。四十度の高熱で一週間も寝込んだんですよ? 原因は分かりませんけど異常はありません言われて、安心できると思います?」
「そう言われましても……」
とある病院の一室。
「彩葉、ほんまに大丈夫なんか?」
心配げに彩葉を顔を覗き込むのは、兄の朝日だ。彩葉の記憶ではすでに三十路半ばのイケオジだった彼は、あどけない少年の姿になっている。
その変化は彩葉にも表れていた。少し衰えを感じ始めたアラサーの体が羽のように軽い。両手を見下ろすと、ふっくらした女児の手だった。
「お兄ちゃん、今は何年?」
「……2022年や。もしかして記憶喪失にでもなったんか」
「ううん」
訝しげな朝日に、彩葉はきっぱりと答える。
「記憶ははっきりしとるよ。この上なくはっきりとな」
今の彩葉には三つの記憶がある。
一つは、九歳まで生きた酒寄彩葉の記憶。もう一つは二九歳までの記憶。そしてもう一つ、うっかり縄文時代に不時着した思い人が経験した、八千年の記憶である。
小学三年生の頭脳には耐えがたい情報量がある日唐突に蘇り、彩葉は昏倒した。高熱にうなされ、救急車のサイレンと看護士の忙しない声を背景に少しずつ記憶を整理し、やっと回復して今に至る。
原理はさっぱりだが、こうなったきっかけは明白だ。
二九歳の彩葉は、自宅マンションの階段で足を踏み外した。浮遊感の中、とっさに頭を庇ったのが最後の記憶である。そして気づけば九歳に若返っていた。
思い人の影響である程度サブカル知識を修める彩葉は、状況を正しく認識する。
死に戻り、逆行、あるいは──強くてニューゲーム。
「お母さんっ!」
彩葉はシーツを跳ねのけ、裸足のまま母に駆け寄る。
長く寝ていたためか体がふらつき、母が支えてくれた。
「急に動いたらあかん! まだ寝とかんと──」
「ううん大丈夫! せやから今すぐ退院させて!」
目を白黒させる母と朝日に構わず、彩葉は言った。
「やりたいことができた! もう時間ない! はよせな!」
ーーー
アラサー彩葉──もとい『前回』の彩葉に刻まれたもっとも強烈な記憶は、『かぐや』にまつわることだ。
十七歳の夏、かぐやは突然彩葉の元に降り立ち、散々に振り回してくれた。人が必死でため込んだ残高を勝手に使い、狭い部屋をガラクタで埋め尽くし、将来を見据えた完璧な行動計画をことごとく台無しにしてくれた。かぐやは本当に最悪な少女だった。
けれどいつしか、そんなかぐやとの日々を悪くないと感じていた。破天荒で型破りで無茶苦茶だけれど、自分では見えない景色を見せてくれる。行こうとも思わなかったどこかへ連れて行ってくれる。いつまでも隣にいたいと、気づけばそう思うようになっていた。
その想いは、歌を通してかぐやに伝わった。
かぐやは名前の通り一度月に強制送還されたものの、もう一度地球にやってきた。彩葉と再会するために。
が、不慮の事故で八千年前の地球に不時着してしまい、長い孤独が始まってしまう。
その最果てでかぐやは『ヤチヨ』へと名前を変え、彩葉と再会し最高のハッピーエンドを迎えたのが『前回』だ。
こうした前情報をすべて把握した今回の彩葉はというと。
「ヤチヨになったかぐやと、今回やってくるかぐや。二人とも幸せにしたる!」
速攻で目標を決め、行動を開始した。
前回で残った唯一の悔い。それは、月に帰ったかぐやが孤独の旅に出る輪廻を、見過ごすほかできなかったことだ。
無論、そうするしかないからこそ、八千年を過ごしたヤチヨを徹底的に幸せにしようと気合が入ったのだが。
事前にすべてが分かっていれば話が変わる。今回のかぐやがやってくるまでの八年間で準備を整え、ヤチヨとかぐやの双方を幸せにする、もう一つの結末を目指す。
そのためには無駄にできる時間などない。
彩葉はパソコンの前に陣取り、九歳の時点で出来る下準備に取り掛かった。
「なんやまだ起きとるんか。無理して倒れたら元も子もないで」
「自分の限界くらい把握しとるよ。明日は朝からテレビ電話するから、朝ご飯遅れるかも」
「なんでそんな早うから」
「時差や」
まずは前回と同じく、義体の作成から。
彩葉と過ごした二か月の記憶をベースとした、ヤチヨの特別な分身。それを入れるための体を作らなければならない。
もちろん個人製作できるような代物ではなく、専門の機関・企業とのコネなどを含む研究開発環境が必要になる。今はそうした下準備の期間だ。
前回で培った広範な知識を活かして論文を執筆し、いくつかの科学誌に寄稿。二十年後の時点でも革新的と絶賛される理論を複数開陳したことで、狙い通り有力な知識人の目に留まり、ネットを介して顔合わせする運びとなった。
「向こうはあんたが子供いうのは知っとるんか?」
「知らんよ。心配せんでも舐められるようなことはせえへん。隙を見せたら食い殺されるもんな?」
いたずらっぽく笑うと、母は一瞬だけ目を丸くして、部屋を出て行った。
「ならええわ。遅刻はせんようにな」
顔合わせはつつがなく終わった。前回の経験で相手の人となりを知っていたためか、終始友好的に話が進み、専門的な施設や機関との足がかりを得ることができた。数世代分は進んだ彩葉の知識と発想があれば、コネの維持と拡大は容易だろう。
パソコンを閉じて部屋を出ると、朝日と鉢合わせした。
「お兄ちゃん、おはよう」
「お、おう……お前、英語ペラペラやん。どうしたん」
「学校で英語の授業あるやろ」
「そのレベルちゃうやろ」
「真剣に授業聞いとったら誰でもあのくらい話せるで」
しれっといい加減なことを言い置いて、彩葉は朝食を平らげ、きっちり時間通りに学校へ向かった。
ーーー
新しい結末への下準備は着々と進んだ。
顔合わせをした教授を入り口として、多くの学界の有力者たちとわたりをつけた。主に工学、生理学、サイバネティクス分野の研究者たちを紹介され、京都の実家からでも通える研究室に何度も足を運び、先端技術について激論を交わした。
もちろん学校もおろそかにはしない。ほぼすべての教科で満点と最高評価を取り続け、人当りのよい物腰で周囲に溶け込み、文武両道、才色兼備の神童として名をはせた。
「ここまで行くとコンプレックスも湧かんわ」
読書感想文の片手間で学術誌用の論文を執筆している妹に、朝日はドン引きしていた。
「人様に迷惑かけへんのやったら、好きにしたらええ」
前回はことあるごとにチクチク言葉を吐いていた母は、彩葉の奇行を黙認した。
そうして幼い天才科学者として過ごし、中学に進学すると。
「お母さん、私、東京行く」
「向こうの研究室にお邪魔するんか? 別にええけど──」
「それもあるけど、一人暮らしする。学費と生活費は自分で稼ぐから」
「待てや」
さすがに母が待ったをかけた。朝日は「また面白いことを言い出したぞ」と聞き耳を立てている。
一応、経済的には問題ない。論文のコンペで得た賞金と、彩葉の名前で取った特許の稼ぎがあるため、中学生にして自立が可能だ。
とはいえ中学生の女の子を一人で送り出すのは、母として抵抗があるらしい。頭が痛そうに眉間を抑えている。
「東京行くんはええよ。せやけど独り暮らしは早いやろ。誰か世話してくれる人はおらんの?」
「おるけど、そんなことで迷惑かけたないわ。連絡ならちょくちょく入れるし、ええやろ」
「ああもう、このアホはほんまに……朝日!」
リビングのソファに頬杖をついていた朝日が、「うん?」と顔を上げる。
「彩葉と一緒に暮らしたって」
「え? 俺が?」
「この前東京行くって話しとったやろ。ほんで高校生になったら別々に暮らし」
「まあ俺はええけど」
「えー?」
「えー、てなんやねん」
小突いてくる朝日とじゃれ合っていると、母がため息をつく。
その眼差しには嬉しさと、少しの寂しさ。
「たくましゅうなったなぁ」
そんなわけで彩葉は朝日と共に、東京へ住まいを移した。
朝日は高校に通いながらネットの対戦ゲームに注力し、プロゲーマーとして活動している。彩葉が必死で動き回っている裏で、朝日は朝日でしっかり結果を出し、スポンサーを獲得していたようだ。
彩葉も東京の中学に通いつつ、先端技術の集ういくつもの研究室に顔を出し、若き天才としての名をいっそう上げていく。
そんな中、嬉しい出会いがあった。
「あの、
「は、はい!?」
「私、酒寄彩葉。京都から引っ越してきて、友だちいなくてさ。よかったら仲良くしてくれるとうれしいな」
「こ、こちらこそ……?」
「私も入れてー。
前回でも友人だった、
名前順の席順でちょうど三人が固まっていて、彩葉の方から声をかけた。前回ではもう少し後に知り合っていたので、嬉しい誤算だ。
芦花はやけに緊張しており、彩葉が首を傾げると、真実が「あー」と苦笑する。
「酒寄さん、有名人だから。どこそこ大学の教授とか博士を論破した最強の才媛って噂だもんねー」
「論破……? 普通に意見交換してるだけだよ? あ、あと私も彩葉って呼んでくれていいから」
議論自体はしているが、攻撃的な言葉は使わない。否定はやんわりと当たり障りなくだ。噂は少し脚色されているらしい。
「それに、私よりずっとすごい人はたくさんいるし。最強なんて大げさだよ」
「おお、謙虚」
「さすが酒寄さん……!」
「彩葉でいいってば」
画面越しのアイドルでも見るような目をする芦花には少し辟易したが、数日も経つと前回のような、気安いやりとりができるようになった。
思えば、彩葉は前回も今回も人当りは良かったが、この二人ほど親しくなれた友人は他にいない。馬が合うというやつなのか、東京の人気スポットや授業、先生についての雑談を交わすうち、見る間に仲が深まっていった。
そうして学校生活と下準備の日々を過ごしていると、転機が訪れる。
スマートコンタクト──スマコンの発売。拡張現実、仮想現実を投影するコンタクト型の次世代インターフェースだ。
夏の商戦に合わせて発売されたそれを、彩葉は即日購入。
週末のある日、中学からの帰途で電車を乗り継ぎ、とあるマンションの一室に向かった。
閉ざされた扉の前でスマコンを装着し、インターホンを鳴らす。
返事はない。もう一度鳴らす。
やはり返事はない。
閉じた扉の前で数分じっと待ち、やがて踵を返した。
「待て」
声に振り返ると、足元に饅頭のような丸いものがある。
FUSHIだ。いつでもヤチヨに連れ添うお供ウミウシ。デフォルメされたその体は半透明で、スマコンの拡張現実機能が投影している。
「何の用だ」
「かぐやに会いに来た。それとも、もうヤチヨになってるかな?」
FUSHIの目が昭和のマンガのごとく見開かれた。
「なんでそれを知ってる……? まだ何も」
「始まってないけど、私は知ってる。今は会えない? だったら出直すよ」
FUSHIは驚きで体を飛び跳ねさせると、扉をすり抜けて中へ姿を消す。かちゃり、と開錠の音。入れということだろう。
中は前回で見た通りだった。稼働中のパソコン機器が雑多に積まれ、中央の水槽には巨大なタケノコ──『もと光る竹』が沈んでいる。
すると、視界にノイズが走った。水槽のすぐ前に不鮮明な像が結ばれ、それは少しずつ少女の姿を形成していく。
「彩葉……?」
唖然としてつぶやく少女は、
「もうヤチヨになってたんだ。じゃあもうすぐファーストライブかな」
「そうだけど、どうして? ここを知ってるのも、ヤッチョのこと知ってるのも、全然分かんないよ……?」
「全部話すよ。でもその前に」
ヤチヨの頬に手を添えた。実体のない像の表面を、彩葉の手が優しく撫でる。
「八千年も待たせてごめん。おかえり、かぐや」
ーーー
「二十年後の未来から逆行!?」
電子の涙を流すヤチヨをしばらく励ましてから、二人はごちゃつく隙間に腰を下ろし、話し出した。
彩葉が事情を打ち明けてみると、ヤチヨはえらく理解の早い驚き方である。
「トラックに撥ねられた? それとも過労死? 彩葉死んじゃやだ~!」
「死んでない、死んでないから、たぶん」
「たぶん!?」
「階段から足を踏み外したの。頭は庇ったし受け身も取ったから、たぶん、死んではいない、はず……」
「どんどん自信なくなってる!?」
記憶を得てから意図的に考えないようにしていたことだ。向こうの自分は死んだのか、それとも昏睡状態で夢でも見ているのか。
どちらにせよ、彩葉のやることは変わらない。
「どんな理不尽でも、起こった以上は受け入れて、覚悟するしかない。この記憶を使って、私はできることをやる」
考えても仕方ないことは考えず、自分にできる最善を尽くす。それだけだ。
ヤチヨは息を呑んだように黙り込み、やがてくしゃりと笑った。
「変わらないなぁ、彩葉は。そのできることの一つが、こうしてヤチヨに会いに来ること?」
「まあ、うん」
本当は、ツクヨミが実装されてからにするはずだった。温もりはなくとも、仮想現実なら触れ合うことができるから。
それを待たずスマコンの拡張現実だけを頼りに会いに来たのはなぜか。もう一秒たりとも、ヤチヨに寂しい思いをさせたくなかったから。
口に出すのは照れくさくて、そっぽを向いた。
そんなに会いたかったんだ、かぐやも会いたかったよ。
からかい交じりに抱き着いてくるかぐやが目に見えるようだったけれど。
「ありがと、彩葉」
ヤチヨは心底嬉しそうに笑って、肩を寄せてくるだけだった。
寂しさと愛しさを同時に味わいながら、彩葉も体を寄せる。
「私の話はいいから、ヤチヨの話を聞かせて。八千年分、全部ね」
「え? もう知ってるんじゃないの?」
「知ってるよ。でも直接聞きたい。他でもない、貴女の口から」
『前回』のヤチヨではない、こうして今隣にいるヤチヨから。
意図が伝わったのか、ヤチヨは嬉し気に彩葉の正面に回り、身を乗り出して語り出した。月に帰って社畜となり、仕事を終わらせ再び地球を目指したものの、大きな石にぶつかって縄文時代に飛ばされ──
内容は前回と同じでも、ころころ表情を変えて楽しげに話すヤチヨは、今そこにしかいない。とめどない八千年分の語りに、彩葉はじっと聞き入ったのだった。
ーーー
『ネムッテ、ネムッテ』
不意にFUSHIが機械音声を発する。すると、元気に江戸時代ごろの思い出を語っていたヤチヨの立体映像が消失した。
ヤチヨは一定時間ごとに休眠を必要とする。もうそんなに経ったろうかとスマコンで時計を呼び出すと、丸二日経過していた。
しかし彩葉はまだ満足しない。
軽く背伸びしながら、FUSHIに告げる。
「FUSHI、ヤチヨが隠してること、教えて」
ヤチヨが語ったのは楽しい笑い話ばかりだった。
それでは足りない。かぐやがヤチヨに至る八千年のすべてを知らなければ、スタートラインにすら立てない。
『……前回の記憶ではそうしなかったのか?』
「したよ。前回は前回、今回は今回。さっきまで元気に話してたあの子のことを知ってるのは、今そこにいる
『人の身で耐えられるか分からないぞ』
「問答無用」
そうして彩葉は、前回と合わせて二度目となる、八千年の追体験を開始した。
FUSHIの記憶領域からスマコンを経由し、膨大な情報の濁流が彩葉の脳髄へ流れ込む。八千年の間に味わった孤独と寂寥、期待と失望、そして一縷の希望と、気が狂いそうなほどの絶望。ヤチヨが作り笑いで押し隠したすべてを、彩葉は魂で受け止めていく。
数えきれない別れを経て、時代は現代へ。かぐやは運命を悟ってヤチヨとなり、強い期待と恐怖を味わう。
もうすぐ彩葉に会える。
けれど彩葉は気づいてくれるだろうか。気づいてくれたとして、自分はもうきらきらのお姫様ではない。受け入れてもらえないかもしれない。ひどく拒絶されるかもしれない。
募る不安は諦念に変わった。最初から諦めてしまえば傷つかなくて済む。
運命に身を委ね、それでも諦めきれないでいたところに、あの子はやってきた。
『おかえり、かぐや』
優しいまなざしの奥に、鮮烈な