アルティメット彩葉【完結】   作:芦花イラストうおおお!

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5. 死守

『注目のイベントが始まります! 王者ブラックオニキスが異例の速度でのし上がった超新星かぐや・いろPに宣戦! 運命を懸けたKASSENが今まさにここツクヨミ特設スタジアムで始まろうとしています!』

 

 KASSENのルール『SENGOKU』用のスタジアムにて、彩葉、かぐや、真実の三人が対戦相手の到着を待つ。会場には満員の観衆が詰めかけ、実況解説の口上に盛り上がりを見せている。

 

「あわわわ……」

「ま~だ~?」

 

 黒鬼のファンである真実は緊張で震え、かぐやは到着の遅い黒鬼に不満を見せている。

 

 ここまでは前回と同じ。

 

 違うのは、黒鬼から送られたメッセージの文面だ。

 

 帝はかぐやに求婚をしなかった。対戦コラボで盛り上げよう、としか書いていなかったのだ。

 

 些細な違いだが、彩葉には何かイヤな予感がする。裏方として着込んだ狐の着ぐるみの中で、不安げに顔を曇らせる。

 

『黒鬼! ご来臨!』

 

 しばらくすると、黒鬼チームがやってきた。

 

 牛車ならぬ虎車に乗った派手な登場だ。寡黙な(らい)、いわゆる男の娘な乃依(のい)、そしてリーダーの帝アキラがそろい、彩葉たちと対峙する。

 

「まみ、悪いけど今日は手加減できない」

「名前、覚えて……あぁ」

 

 強火ファンの真実が倒れる。これも同じ。

 

 そこからが、彩葉の知らない展開だった。

 

「かぐやちゃん、対戦受けてもらってありがとう」

「おうおうおう! 勝負だ帝ぉ!」

「ははっ! 前のめりなのかわいすぎ! でも──」

 

 帝は不敵に笑い、こん棒をかぐやに突きつける。

 

「妹をやるには足りないな」

「ふぇ?」

 

 何言ってんだこの男。狐のアバターの目が点になる。

 

「パートナーだの相棒だの結婚するだの、配信で好き勝手言ってるけどさ。うちの妹を半端なやつにやるつもりはない。いろPが欲しかったら、お兄ちゃんに勝ってからだ。俺たちが勝てば、いろPはブラックオニキスが貰う」

「は……はぁぁぁあ!? お兄ちゃん!?」

「なんか変なこと言い出したぁ……」

 

 頭を抱える彩葉。帝と彩葉の間で視線を行き来させるかぐや。

 

 一方、観衆は大盛り上がりだ。

 

『な、なんと衝撃の展開! 帝アキラはあのいろPの兄だったァ! しかもコテコテのお兄ちゃんは認めませんよ発言っ!』

『ここに来て双方にお兄ちゃん属性と妹属性が追加されました。勝負は分からなくなってきましたね!』

 

 実況解説の悪ノリでさらに湧くギャラリー。

 

 意図せず注目を浴びて小さくなりながら、彩葉は感心していた。

 

 メンバーのビジュアルや配信内容の違いから、かぐや・いろPチャンネルとブラックオニキスのファン層は異なる。そこに兄妹という導線を開示したことで、双方のファンが互いに流入し数字が増える。妹はやらん発言でドラマ性、話題性も演出しており、互恵効果は更に高まるだろう。ファンに夢を見せると豪語するにふさわしい手際だった。

 

 かぐやはその意図を知ってか知らずか(たぶん知らない)、はっとして彩葉に抱き着く。

 

「上等じゃん! 彩葉はかぐやの! 誰にもあげないんだから!」

「その意気やよし。でもメンバーはどうするの? まみ、倒れてるけど」

「ぐぬぬ」

「じゃっじゃーん☆ お困りかな~?」

 

 あわや不戦敗かと思われたそのとき、空から声。

 

 ヤチヨだ。人数が足りない場合、来てくれたり来てくれなかったりするお助けNPC仕様。

 

 ようやく知っている展開になってくれた。彩葉はほっと息をつき、推しとの共闘に胸を躍らせるのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

「うーっしやるぞやるぞ~! 彩葉っ、作戦は!?」

「当たって砕けろ」

「砕けちゃダメじゃん!」

 

 開戦前、自陣の幕営地で彩葉がぶっちゃけると、かぐやがあんぐり口を開けて突っ込んだ。

 

 彩葉はバツが悪そうに、への字口で腕組みする。

 

「小細工が通用する相手じゃないのよ」

 

 前回分の記憶と経験値のある彩葉の実力は高い。かぐやも初めたばかりにしては筋が良く、お助けキャラのヤチヨは言うまでもなく強い。

 

 しかしブラックオニキスこと黒鬼はトッププロチームであり、地力の差があまりにも大きい。いくら策を弄したところで勝ち筋はなく、勝利目前まで行った前回は奇跡だ。

 

 かといって負け前提でゲームに臨むのはゲーマーとしてあり得ない。前回はこうだったからと下手に先読みせず、全力でぶつかって流れに任せるのが唯一の勝算だ。

 

「かぐやはどうしたい?」

「ガーッといってーしゅたたたー! そんでバーン!!」

「りょーかい。ヤチヨもそんな感じでよろしく」

「りょー☆」

 

 そうして一戦目が始まった。

 

 左右の幕営地からトップ、ミドル、ボトムの三つのレーンを通り、それぞれのチームメンバーが出発する。戦力差を考慮し彩葉とかぐやは二人でトップへ、ヤチヨはボトムから櫓の占拠へ向かう。一方のブラックオニキスはトライデント──三つのレーンに一人ずつメンバーを分散させてきた。

 

 彩葉たちと同じトップレーンを攻める相手は、帝アキラだった。

 

 牛鬼が守る櫓の前で鉢合わせ、開戦する。

 

「彩葉は渡さーん!」

「それ、こっちのセリフ!」

 

 接敵と同時にかぐやがハンマーで殴りかかり、帝がこん棒で応戦。巧みなキャラコントロールによってかぐやの重い一撃を受け流し、吹っ飛ばす。

 

 体勢を崩したかぐやに追い打ちをかけようとするのを見越し、彩葉がフォローに入った。

 

 ブーメランの投擲。紙一重で躱されたそれを空中でキャッチし、双剣モードに切り替えつつ帝に斬りかかる。

 

「かぐやっ!」

「おっけー!」

 

 数合打ち合ってからバックステップ。

 

 直後、位置を入れ替えるようにかぐやがジャンプ攻撃。巨大なハンマーが帝の足元を砕いた。

 

 地形破壊エフェクトで一時的に悪くなった視界の中、彩葉が宙を舞う。

 

 身を捻り、帝の背後に回り込む刹那、かぐやと視線を交わし合う。

 

「見えてんだよ!」

 

 着地と同時に刃を振り下ろすが、帝は当然のように防ぐ。

 

「じゃあこれは?」

 

 織り込み済みだ。彩葉が獰猛に笑うと、帝は弾かれたように後方を振り向いた。

 

「うそぉ!?」

 

 そこには、彩葉の双剣の片割れを今しも振り下ろそうとするかぐやの姿がある。

 

 アイコンタクトのすぐ後、かぐやに片割れを投擲しておいたのだ。大技の硬直を装備変更でキャンセルし、強引に攻めを継続する。

 

 帝はかぐやの一撃をパリィするが、背後から同時に迫り来る彩葉の刃には対応が間に合わない。

 

 一か八かの前方ステップを実行。わずか数フレームの差で回避が成立し、帝はHPを半分削られながらも生き残った。

 

 互いに距離を取り、にらみ合う双方。

 

 一瞬の攻防に観客が湧き、実況解説が声を張り上げる。

 

『いろP・かぐやが鬼強え! 互いの動きを完全に分かっているような阿吽の呼吸! そして息もつかせぬ連携に対応してみせた帝アキラ、さすが王者の貫禄を見せつけた!』

『位置の入れ替え、目くらまし、慣性がキツイ空中でのキャラコンに瞬時の武器交換! 掛け声一つでここまでやれるのもすんげーですが、初見でさばき切るのはマジで神杉!』

 

 帝を警戒しながら、かぐやも弾んだ声を上げる。

 

「彩葉すっげー! やりたいって思ったこと全部やらせてくれるじゃん!」

「かぐやの考えてることくらい分かってるっつーの」

「じゃあ今何考えてるか当ててみて!」

「『かぐやのこと大好きすぎかよ、好き』」

 

 一言一句同じだったのか、かぐやが驚きで沈黙した。

 

 しかし彩葉は軽口に付き合うどころではない。開幕からかぐやの勢いに乗って押し切る戦法を取ったものの、すべて対処されてしまった。互いに向き合った状態からスタートすれば、冷静な帝に勝てる公算はかなり低い。

 

 帝を倒し、その後ろにいる牛鬼も倒して櫓を占拠する方法は──

 

「あっ、やば! かぐや、突撃!」

「え!?」

「もう遅え」

 

 位置取りが最悪だった。

 

 帝のすぐ後ろに牛鬼がいて、彩葉とかぐやはすぐには詰められない距離を置いて向かい合っている。

 

 この戦いはチーム戦だ。相手を倒すことができずとも、牛鬼を倒して櫓を占拠すれば帝の役割は果たせる。

 

「結構いい線いってたぜ」

 

 彩葉とかぐやに背を向け、牛鬼と向き合う帝。

 

 接敵前に貯めていたらしいゲージを使い、超必殺技(ウルト)を発動。牛鬼を瞬殺して櫓を占拠した。

 

 同時に、一人だけフリーだった黒鬼の雷が彩葉たちの陣地に到着。大将落としを出現と同時に天守閣へ打ち込み、一戦目を終わらせた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 彩葉に油断はなかった。かぐやとの連携や素直にヤチヨを頼る柔軟さを考えれば、前回よりも戦力は高いはずだった。

 

 その有利を帳消しにするほど、黒鬼は強い。

 

 一戦目以後も、勝負はおおむね彩葉の記憶通りに進んだ。

 

 二戦目はかぐやの奇策によってこちらが勝利し、三戦目。

 

 雷、乃依、ヤチヨが相討ちで脱落し、彩葉とかぐや、帝の一騎打ちとなった。帝を倒して天守閣を落としに行けば、勝利が確定する。

 

「なんでこっちに? ミドルから天守に行けば勝ちだったんじゃね」

「ブラックオニキスはな、みんなに夢見せなきゃいけねーんだよ。それと……」

 

 かぐやの問いに、帝はプライベートチャンネルに切り替えて、続ける。

 

「ひっさびさのキョーダイ会議や。めいっぱい楽しまな損やろ」

 

 意表を突かれた思いだった。

 

 彩葉の動揺を見て取ってか、帝が動き出す。

 

 双剣とハンマー、こん棒が入り乱れる乱戦の中、彩葉は八年前を思い出していた。

 

 前回の記憶が戻ってすぐ、彩葉は野望のために行動を始めた。そのために削った時間がある。キョーダイ会議──兄妹でゲームをする時間だ。

 

 まだ母に認められようと足掻いていた頃、落ち込む彩葉を兄はゲームに誘い、ボコボコにしてくれた。まったく楽しくなかったが、悔しさのあまり母との確執をその間だけは忘れることができた。

 

 東京で同棲していた三年間も、兄はプロゲーマーとして忙しく、彩葉は彩葉で時間がない。ゲームを通して本気で戦うのは、実に八年ぶりである。

 

 とはいえ、彩葉は感傷で雑なプレイはしない。前回通用した確実な手段でしっかり勝ちに行く。

 

 武器を入れ替え、双剣のワイヤーをハンマーに仕込む。

 

 かぐやを囮として前に出し、仕込んだワイヤーを起動。帝の体を絡めとる。

 

 動けない帝に彩葉が斬りかかり、決着──

 

「うおおおおっ!」

 

 とは、いかなかった。

 

 とっさに片腕を上げ、拘束を逃れていたらしい。

 

 武器を持たない素手が、彩葉の剣と交錯し、一閃。

 

 彩葉と帝、両方のアバターが花と散った。

 

「ゲームくらいは勝たせてもらうぜ」

「……やるやん」

 

 散り際にそうやり取りして、二人はリスポーン地点へ。

 

 その後、フリーになったかぐやが天守閣を落としに向かうも、雷の仕掛けた地雷に引っ掛かって瀕死に。帝との戦いに熱中するあまり、それとなく「足元注意」と伝えるのを忘れていた。

 

 帝はリスポーン後見事なキャラコンで天守を落としに向かい、勝負は2-1でブラックオニキスの勝利となった。

 

「負けた……負けたぁぁぁぁ! 彩葉ぁぁヤダヤダ! 行かないで、捨てないで!」

「落ち着けっ! ほら、最終順位出るよ」

「そんなことより彩葉が大事だよっ!」

「そんなことて」

 

 取り乱すかぐやを置いて、事態は進行する。

 

 会場の上空に映像が投影される。決着して間もなく終了した、ヤチヨカップの最終順位だ。

 

 結果はかぐや・いろPチャンネルの優勝。二位のブラックオニキスとの差はわずか百数人という僅差だった。

 

 大歓声の中、かぐやがおろおろと右往左往している。

 

「えっ、勝った? 負けたのに? 負けたけど勝った? こ、これってどっち!? 彩葉もらっていい?」

「ま、保留かな」

 

 キザな笑みを浮かべ、帝が近づいてきた。

 

「これじゃこっちも勝ったとは言えない。だからいろPはしばらく君に預ける。妹を頼んだぜ、かぐやちゃん」

「おっ、おお! 任せんしゃい、お義兄ちゃん!」

「誰がお義兄ちゃんだ」

「勝手に人のこと取り合わないでもらえる?」

 

 たまらず口を挟んだが、帝は観客の元へファンサに向かい、かぐやは知ったことかとばかり抱き着いてくる。

 

「いーろはっ! 今日は祝勝会だね!」

「はいはい。……!?」

 

 かぐやをいなしていると、寒気。

 

 ぱっと振り返った先にいたのは、お助けキャラ仕様のヤチヨだ。じー、っと拗ねた子供のような顔で彩葉を見つめている。

 

 呼び止めようとするも、ヤチヨはぷいっとそっぽを向いて花と散ってしまった。

 

「どうしたの?」

「あー……明日はちょっと、出かけるわ。お昼いらない」

「えー!」

 

 ついてくる気満々なかぐやを言いくるめるのに、小一時間かかった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 都内某所、大学付属の研究施設。

 

 彩葉が中学時代から身を寄せている施設の一つで、ここは特に待遇がいい。定期的に先方の研究を手伝いさえすれば、設備をいくらでも使えるのだ。

 

 そんな施設の一画にある、彩葉の研究室にて。

 

 中央の作業台に横たわっていた女性が上体を起こす。透き通るように白い髪が台から零れ落ち、マリンブルーの瞳が周囲をぼんやりと見回す。

 

 髪を解いているが、見る者が見れば一目で分かるだろう。彼女は月見ヤチヨだ。

 

「おはよう、ヤチヨ。やっぱりYC型の方が安定してるな……体に違和感はない?」

 

 高校の制服の上に白衣をまとった彩葉が、モニターの数値を見て唸り、ヤチヨの顔を覗きこむ。

 

 ヤチヨはジト目で睨み返した。

 

「……かぐやに構いすぎて、約束忘れてるのかと思った」

「ほんとごめん! 出来るだけ頑張ったけど無理だった!」

 

 ヤチヨカップの告知以降、彩葉とヤチヨがプライベートで対面する機会は激減した。単純に時間がなかったからだ。

 

 無論、過労になる前提で動けばいくらでも時間は捻出できたが、前回を知る彩葉はもう無謀なことはしない。賢明な判断の結果、ヤチヨを二か月弱放置することになってしまった。

 

「不安にさせちゃった分、今日はたくさんヤチヨと楽しいことしたい。だから機嫌直して?」

「なーんて、拗ねたフリだよー。今日の約束、ずっと楽しみにしてたのです! いっろはっとデート、デート~」

 

 ふくれっ面から一転、笑顔を咲かせて作業台から飛び降りる。勝手知ったる風に更衣室へ向かうヤチヨを、彩葉も軽い足取りで追いかけた。

 

 本日はYC型義体の稼働実験、第三次だ。

 

 一次と二次の実験ではすでに良好な結果を得、三次実験では社会生活を見据えた実践的な機能をテストする──という名目でヤチヨの分身をインストールし、デートをするのだ。この約束があったから、ヤチヨは二か月弱の放置に耐えることができた。

 

 前回を思い出してから実に八年。最初から正解を知っているにもかかわらず、実証データの蓄積や技術水準の底上げに時間をとられ、やっとここまでたどり着けた。 

 

 更衣室でおめかしして、二人っきりで研究室を出る。ヤチヨは長い髪をお下げにして帽子をかぶった上に伊達メガネをかけ、お忍び芸能人スタイルだ。彩葉は実験の建前もあるので、制服の上に白衣をまとったフォーマルな装い。「今の彩葉らしくていとをかし」とヤチヨには好評だ。

 

 平日午後の町は蒸し暑く、まとわりつくような熱気とかすかな蝉の声が二人を迎えた。

 

「はぁー……やっぱり、本物は一味違うねぇ」

 

 白い肌に冷却液を滲ませながら、ヤチヨはしみじみと言った。

 

 二人はゆっくりと夏の町を歩いて、あらかじめ決めておいたカフェに足を運ぶ。

 

 かぐやが初めてパンケーキを食べた、あの店だ。運ばれてきた三段パンケーキを一口かじったとたん、満面の笑みを浮かべるヤチヨ。小さな口で少しずつ味わい、すぐに皿の上は空になった。

 

「ごちそうさま」

 

 と、満足そうに手を合わせる。

 

 しかし何か思わせぶりな視線を送ってくるので、彩葉は意図を察した。

 

 少し呆れつつ、店の外へ移動。手頃なベンチに腰を下ろすと、保冷バッグからタッパーとフォークを取り出す。

 

「彩葉、なんで分かったの?」

「一応初めてのパンケーキだから、念のために。え、でも本当に? あのお店の食べた後で?」

「どんなお店のパンケーキより、ヤッチョにはあれなの! あーん」

「しれっとあーん要求するし」

 

 彩葉はしぶしぶ、タッパーの中身を切り分け、ヤチヨの口に運ぶ。

 

 それは、粉と水のパンケーキ。貧乏だった前回の彩葉が編み出した画期的な食料であり、かつてのかぐやに初めて振る舞った手料理である。

 

 灰色のそれがヤチヨの口に吸い込まれた途端、ヤチヨは梅干しでも突っ込まれたような渋面になった。

 

 彩葉の手からタッパーを奪い、先ほどとは異なる荒々しい手つきで粉と水をかきこんでいく。

 

 ほっぺたをリスのようにしながら、滝のような涙を流している。にもかかわらず表情は笑顔。

 

 尋常ではない形相に目を見張る一方、彩葉は奇妙な既視感を覚える。この状況を見たことがあるような、ないような。

 

「だ、大丈夫……? 無理しなくても……」

「あのね、えと、違くて」

 

 ヤチヨは涙をぐしぐし拭いながら、

 

「今、すごく幸せなの。幸せで、幸せ過ぎて──」

 

 ここでピンと来た。

 

「めちゃくちゃ笑ってるのに?」

「涙止まんない……!」

 

 ひと際嬉しそうに笑みを深め、おそろしくまずい粉と水を平らげるヤチヨ。

 

 最後の一口を水で流し込み、満足気に天を仰ぐ。

 

「まーっずい! もう八千年は食べなくていいかな!」

「でしょうね」

「でも帰ってきたんだー、って感じがする! ありがとう、彩葉!」

 

 八千年焦がれた思い出の味であっても、まずいものはまずい。彩葉も味見してみたが、かぐやの料理で舌が肥えた今ではよくこんなものを人に出したなと戦慄するレベルだった。

 

 それでもヤチヨはあの粉と水を欲した。ツクヨミに味覚と嗅覚が実装され、好きな味を楽しめる今、わざわざリアルであれを欲したのだ。申し訳ないやら照れくさいやらで、顔が熱くなってくる。

 

 彩葉が手で顔を扇いでいると、ヤチヨが話を変えた。

 

「彩葉、さっきの歌詞、未来のヤッチョから聞いたの?」

「うん。もしかしてまだ作ってる途中だった?」

 

 彩葉は先ほど、今度のコラボライブで披露される新曲の、ライブでは歌われない歌詞を引用してみせた。あまりにも歌詞そのままな顔をヤチヨがするので、つい口走ってしまったのだ。

 

「ううん、もうずっと前にできてるよ。あの歌はね、彩葉のことを思って作ったんだ」

「そのせいでライブだと一番だけなんだ?」

「ファンのみんなに聞かせていい内容じゃないからね~」

 

 ヤチヨは少し身を乗り出して、彩葉の顔を覗き込む。

 

「それでそれで、感想は? ヤチヨの思い伝わったかな」

「伝わりすぎて一週間寝込んだ」

「えっ」

 

 彩葉があの曲の歌詞の意味を知ったのは前回、かぐやが帰ってしばらくした後のことだ。

 

 そういえばライブのあの曲、フル版はないの? ほんの興味で聞いてみると、ヤチヨは言いにくそうにしながらフル版音源を送ってきて、彩葉はうやうやしくそのファイルを再生し──そこから記憶が曖昧になっている。

 

「あれはダメでしょ。FUSHIに記憶を見せてもらったのと同じくらいの衝撃あったよ。たぶん今度のライブで二番やるとか言われたら途中で気絶する」

「そ、そんなに」

「そんなに。一番だけならまあ、歯を食いしばってお腹に力を入れればどうにか」

「そんなに!?」

 

 あの一件から学んだこととして、音楽は気持ちを伝える最良の手段であるということ。歌詞に込められた思いは旋律と歌唱で増幅され、ダイレクトに心を揺さぶる。推しにして最愛の相手から贈られる歌であれば効果は更に倍増しだ。

 

「あ待って無理思い出すだけで泣けてきたヤバイ」

「あらら……お互い泣き虫さんになっちゃったねぇ。はいティッシュ」

「ありがと」

 

 今度はヤチヨが彩葉をあやす番だった。ティッシュを顔にあてがいながら背中をさするヤチヨ。ついでに頭も撫でる。そんな機能つけた覚えはないのに、ヤチヨの体からはパンケーキのものとも違う甘い匂いがした。もちろん、彩葉の錯覚である。

 

 そうして泣いたり笑ったりしつつ、二人でイチャイチャしていると。

 

「いろ、は……? え……?」

 

 聞きなれた声が聞こえた。

 

 公共の場のベンチである。知り合いが通りかかることもあるだろう。

 

 平静を装って声の方向を向くと、そこにいたのは芦花だ。美容系ライバーの名にふさわしいきれいな肌を惜しげもなく晒す、涼し気な夏のファッションに身を包んでいる。

 

「よっ、芦花。ごめん、今ちょっと取り込み中」

「そ、そっか。そっちの人は……え? ヤチヨ?」

 

 変装しているとはいえ、その存在感は隠せるものではない。目を丸くする芦花に、ヤチヨはしー、と静かにのジェスチャー。

 

 芦花になら教えても大丈夫では。彩葉はわずかに逡巡して、やっぱダメと結論付ける。

 

 この状況を説明するにはヤチヨの正体、彩葉の研究内容に野望と、必要な情報量が多すぎてデートどころではなくなってしまう。

 

「今はまだ話せないけど、そのうち芦花と真実にも教えるから! 見なかったことにして!」

 

 拝むように手を合わせ、懇願する。

 

「彩葉が言うなら……でもそのうち教えてね? さすがに摩訶不思議過ぎて忘れらんないから」

「うん、絶対!」

 

 芦花は激しく困惑しながら、去って行った。

 

 姿が見えなくなると、反対側から裾をぐい、と引っ張られる。

 

 ヤチヨがぷくっと頬を膨らませていた。

 

「デート中に他の子と話すの禁止」

「不可抗力じゃん」

「タラシ」

「違うってばぁ!」

 

 憤慨する彩葉の様子が面白かったのか、ヤチヨがくすくす笑う。

 

 それにつられて彩葉も笑ううち、ヤチヨが幸せそうだからもうなんでもいいや、と考えを放棄した。

 

 こうして義体の実地テストおよびパンケーキデートは、成功裏に終わったのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 手の届く範囲すべてを幸せにする。

 

 彩葉の壮大な野望の試金石となる日がやってきた。

 

 ヤチヨとのコラボライブ当日である。

 

「どぅるるるるカニ! どぅるるるるウサギ!」

「はいはい、かわいいかわいい」

「練習しすぎてお腹すいたー。終わったらパンケーキ食べよ? 彩葉が焼いたの食べたい!」

「アンタの方が上手なのに? まあいいけどさ」

 

 ステージ近くの控室にて、興奮して変なテンションになっているかぐやの相手をしていると、視界の隅から白い人影が近づいてくる。

 

「だららららら、どじょう!」

 

 ヤチヨだ。カニとウサギに対してどじょうポーズを繰り出す意味は、二度目でも分かりそうにない。

 

「あ、ヤチヨ、おっつー」

「おつー☆ パンケーキいいよねー。ヤチヨもこの前たくさん食べたんだー」

「ヤチヨも好きなの? 終わったら一緒食べる?」

「んーん、ツクヨミだとお腹ふくれないからねぇ。気にせずお二人でどーぞ。ちなみに」

 

 こてん、とヤチヨが首を傾げる。

 

「彩葉の作ってくれたパンケーキは、どんな味?」

「すっごくおいしい! 甘くてふわふわでしっとりしてる!」

「ほほう、さようですかさようですかー」

 

 ヤチヨは思わせぶりな笑みを浮かべて、彩葉に流し目を送る。彩葉は照れくさそうに目を逸らした。

 

「なっ、何何何!? どういうこと? 仲間外れはよくないと思う──」

『各所、準備OKです』

 

 かぐやが騒ごうとした矢先、舞台監督からのメッセージが空間に表示される。

 

 ライブの時間だ。

 

「いざ、ゆこうか」

「後で問い詰めてやる……!」

 

 瞬時に歌姫モードに切り替わるヤチヨ。

 

 彩葉も、未練たらたらのかぐやも呼吸を整え、顔を上げる。

 

 歌、振り付け、進行、すべて頭に入っている。

 

 すべてを終えたその後こそ──第二の野望の始まりだ。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 きらめく照明、波のように揺らめくサイリウムの光、万雷の拍手と歓声。

 

 長いようで一瞬の狂騒が過ぎ去り、体の火照りと余韻を全身で感じる。

 

「ヤチヨ、サイコー!」

「ヤチヨー!」

「かぐや、結婚してくれー!」

「かぐや、愛してるぞー!」

「いろP、俺だ! 君の夫だー!」

「いろP抱いてー!」

 

 心なしか前回よりも熱量が高い。温感を実装した分そう感じるのだろうか。

 

「め──っちゃ、楽しかった!」

 

 かぐやは潤んだ目で客席を見回し、

 

「彩葉、好き」

 

 なぜか彩葉にそう言った。

 

「あーもー、彩葉と結婚しよっかなー」

 

 熱々のファンが叫ぶ愛に答えるのではなく、他でもない彩葉に。

 

 その意味を、真意を、今の彩葉は知っている。

 

「ダメ?」

 

 ライブ後の熱に浮かされた色っぽい顔と、蕩けた瞳に込められた思いも、知っている。

 

「いいよ。しよっか、結婚」

「……へっ?」

 

 だから応えた。

 

 遊びの誘いに応じるような気楽さで、当然のように。

 

 実際、彩葉には当然のことだった。

 

 前回の経験があるから、ではない。二か月前に初めて出会った目の前のかぐやを、やはり自分は好きになっている。かぐやも同じ気持ちであるなら、本音を抑える必要なんてないのだ。

 

「彩葉、今なんて……」

「かぐや」

「ひゃい!?」

 

 唖然とするかぐやに詰め寄り、両肩を抱く。

 

「伏せてっ!」

 

 位置を入れ替えて背に庇いながら、キーボード一体型の双剣を呼び出し、一閃。

 

 背後に迫っていた灯篭頭を両断した。

 

 周囲を見ると、すでに観客のアバターのうち数体が乗っ取られ、灯篭頭の怪物に姿を変えている。

 

 月人の襲来だ。読み通りのタイミングで仕掛けてきた。

 

 目的はかぐやの強制送還。前回はかぐやの腕に触れさせる不覚を取ったが、今回はそうはいかない。

 

「大丈夫」

 

 へたりこみ、不安げに瞳を揺らすかぐやを振り返る。

 

「かぐやは、私が守るから」

 

 そこからは一方的な展開だった。

 

 元より戦うつもりで身構えていた彩葉に、あくまでも雑兵の灯篭頭が敵うはずもない。双剣を自在に操り、指一本かぐやに触れさせなかった。

 

 程なく管理者権限を引っ提げたヤチヨが助力し、灯篭頭は一揖して撤退。

 

『2030/09/12』

 

 彩葉の想定通りの期限が示され、ライブは終了したのだった。

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