アルティメット彩葉【完結】   作:芦花イラストうおおお!

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9. エピローグ

 彩葉のハラキリ未遂から三日後。

 

 彩葉は新たにやるべきことを見つけたと言い、連日学校の帰りに各地の研究所やら事務所やらに立ち寄って、忙しなく奔走している。

 

 かぐやはそんな彩葉の帰りを笑顔とおいしい料理で迎えつつ、同居人のヤチヨとの生活を楽しんでいた。

 

 元よりヤチヨのことは友達感覚で好きだったし、未来の自分と聞いてから親近感は一入だ。たまにキッチンで肩を並べて料理をしてみると、ほとんど何も言わずに役割分担できるあたり、本当に同じなんだなと驚く。

 

 とはいえヤチヨはツクヨミのトップライバーにして管理者。義体のメンテナンスと稼働時間の都合もあり、一日の半分は部屋にこもって配信やツクヨミの保守管理にと忙しくしている。

 

「今日の夕飯はなんだい~?」

「じっくりことこと煮込んだタンシチューと新鮮アスパラのシャキシャキサラダ、デザートに焼きプリンだよー」

「聞いてるだけでよだれが止まりませんなぁ。んー、いい匂い」

 

 午後六時、配信部屋兼私室からリビングにやってきたヤチヨがうっとりと目を細め、香ばしいシチューの匂いを楽しんでいる。

 

 期待に満ちた足取りで食器棚に向かおうとする彼女に、かぐやは残念なお知らせを告げた。

 

「彩葉、今日遅いんだって。先に食べとく?」

「待つ! 一緒に食べた方が、ずっとおいしいのです」

 

 即答だった。

 

 かぐやも同じ意見だ。おいしいご飯も、彩葉がいた方がずっといい。

 

 鍋に蓋をし、サラダにはラップをかけて冷蔵庫へ。

 

 エプロンを片付けると、ノートPCを片手にリビングのソファへ身を投げ出した。

 

 息を合わせたようにヤチヨもソファへやってきて、背中合わせで座る。彩葉が見れば驚く距離感だろうが、二人には大した意図はない。

 

「かぐやはさ」

 

 かぐやは動画編集を、ヤチヨはぼうっと天井を見上げて数分した頃。

 

 ヤチヨが切り出す。

 

「何か悩んでる?」

 

 パッド上を淀みなく滑っていたかぐやの手が、ぴたりと止まった。

 

 ぐりん、と体ごと振り返る。支えを失ったヤチヨが「わあ」と傾いた。

 

「なんで分かったの!?」

「我は汝、汝は我~ですから。なんとなく分かるのだよ」

「すげー! さすが人生経験豊富いひゃい!?」

「今度それ言ったらツクヨミBANだよー」

 

 頬をつねられ、かぐやは唸る。

 

 ヤチヨはずっと未来のかぐやだ。年を経たといっても、元の心は同じ。くよくよしていれば丸わかりなのだろう。

 

「人生相談ならいつでも受け付けてるよ。八千年の人生経験でどんなお悩みも解決しちゃう!」

「自分で言ってんじゃん!」

「人に言われるのはイヤなの! いいからほら、吐け吐けー!」

 

 飄々としてこちらを急かすので、かぐやは「えーと」と言葉を探す。

 

 別に悩みと言えるほどはっきりした思いではないのだ。

 

「お迎えの前にね、彩葉、かぐやと一緒にいたいって言ってくれたの。でも、かぐや、彩葉でも絶対無理だ、敵わないって思ったから……『もういい』って言っちゃった」

 

 訥々と、ぽつぽつと、思いを言葉に変えていく。

 

「彩葉はね、すっごくかっこいいんだ。結末が気に入らないなら、戦って自分だけの結末を手に入れるんだって。そう言ってたときの顔が、きれいでかわいくて、凛としててかっこよくてさ。すぐ好きになっちゃった」

 

 優しいまなざしの奥底に、鮮烈な覚悟の(いろ)がいつだってきらめいている。自分が信じる結末に躊躇いなく突き進む彩葉は、息が詰まるほどきれいだった。

 

 日ごとに大きくなっていく気持ちが、どうしようもなく溢れそうになっているのに気づいたのは、ヤチヨとのコラボライブの日だ。

 

「『かぐやは私が守るから』。そんな風に言ってくれたとき、なんか胸がいっぱいになって、好きで好きでたまらなくなって、もう絶対彩葉と一緒にいたいって思った。離れたくないって。なのに──」

 

 そこまで口にして、かぐやはようやく悟った。

 

 心の内に淀んでいたモヤモヤは、とても単純なものだった。

 

「なのに、彩葉を信じきれなかった。かぐやのために、ずっとずっと頑張ってくれてたのに。守るって、言ってくれた、のに……」

 

 それは、後悔と罪悪感だ。

 

 彩葉はいつだってかぐやのために身を削ってくれていた。あの花火の夜、素直な気持ちをまっすぐに伝えてくれた。

 

 にもかかわらず、かぐやは彩葉を拒んでしまった。

 

「運命には逆らえない。月に帰るしかない。だったらせめて彩葉が悲しまないように、ずっと笑って平気なふりをしようって思った……ていうのは、言い訳かな」

 

 かぐやは悄然と肩を落とす。スリープ状態になったPC画面が、苦悶するかぐやの顔を映し出す。

 

「彩葉を信じてあげられなかった。それがめちゃくちゃ悔しい。たくさんごめんなさいしたい。だけどそんなことしても彩葉が困っちゃうから……」

「一人でモヤモヤしてたんだねぇ」

 

 ヤチヨの手が、かぐやの頭を優しく撫でる。

 

「今までよく我慢したね。キラキラのお姫様に、そんな顔で謝られても、彩葉はちっともうれしくない。えらいよ、かぐや」

 

 柔らかな手つきと温かい声音が心に染み入り、淀みが晴れていく。

 

 心地よい感触に身を委ねていると、ヤチヨが苦笑した。

 

「でもねえ、こればっかりはかぐや悪くないと思う。彩葉のせい!」

「へ?」

 

 思いがけない言葉に顔を上げるかぐや。

 

「かぐやはあの日月に帰るはずだったの。そうして八千年の孤独を味わってヤチヨになる。そうなる運命だった、それが決められた輪廻だった」

「輪廻……」

 

 嫌な言葉だ。かぐやは思わず顔をしかめる。

 

 かぐやの生まれである月の世界では、永劫の輪廻を繰り返すことで不滅の命を実現している。その世界において輪廻と運命は絶対に逆らえないシステムであり、抗うすべはない。日本人にとっての自然災害のようなものが、月人にとっての輪廻だ。

 

 かぐやとヤチヨも本能的にその絶対性を恐れており、諦めてもいる。

 

 しかし彩葉は、なぜかそれを真っ向から覆してみせた。

 

「同じ状況ならヤッチョだって諦めてる。諦めない彩葉がおかしいんだよ」

「そっかー。じゃ、かぐや悪くないね。最強すぎる彩葉が悪いよね!」

「うんうん!」

 

 冗談めかして笑うかぐやとヤチヨ。

 

 元より誰が悪いという話でもなく、心の持ちようの問題だ。言葉にしたことでかぐやは気持ちが軽くなった。問題解決。

 

「ありがとう、ヤチヨ」

「いいってことよ~」

 

 ツクヨミ内なら例のにっこにこ笑顔になってそうな顔で、ヤチヨは鷹揚に頷いた。

 

 そのとき、玄関から物音。

 

 彩葉の気配だ。かぐやとヤチヨは同時に立ち上がり、ぱたぱたと玄関に駆けていく。

 

 見慣れた制服姿の彩葉がそこにいた。

 

「おかえり! ごはんにする? お風呂にする? それとも」

「ヤッチョにするよねー彩葉!」

「するぅ!」

「おいコラ!」

 

 ヤチヨにデレデレしたかと思うと、彩葉はキリッとした顔で空っぽのお弁当箱を取り出して、

 

「かぐや、今日もお弁当ありがと。おいしかったよ」

「でっしょ~」

「むむ」

 

 とかぐやに手渡す。ヤチヨは少しむくれた。

 

 玄関で少しじゃれ合って、中へ。

 

 リビングに入ると、彩葉は疲れた顔に微かな喜色を浮かべた。

 

「いい匂い、シチュー?」

「ことこと煮込んだタンシチューだよ! 自信作!」

「いつもありがと……でもごめん、明日からはもっと遅くなるから、二人で先に食べてて」

 

 配膳中だったかぐやとヤチヨが、ぴたりと動きを止める。

 

 視線を交わし合い、彩葉の左右から寄り添った。

 

「彩葉。かぐやたちのためにがんばってくれてるのは分かるけど」

「そのせいで一緒にいられる時間が減っちゃうと、すっごく悲しいな」

「くっ……でもこればっかりは……」

 

 かなり強情だ。左右同時のおねだりでも屈しないとは、ただごとではない。

 

 しかし彩葉は何を目指しているのだろう。ヤチヨの義体の完成度はかなりのものだし、月の使者も追い返したきり音沙汰はない。業務代行ボットは十全に仕事を果たしているのだろう。これ以上何を求めるのか?

 

 月の使者戦のために無理がたたり、倒れたのは記憶に新しい。頭から血を流し、倒れ伏す彩葉が脳裏をよぎる。

 

 かぐやは勢い込んで尋ねる。

 

「彩葉、今は何を頑張ってるの?」

「この前の結婚のことなら、ヤッチョたちは急がないよ~」

 

 ぐぬ、と彩葉が苦し気な顔をした。

 

 彩葉はかぐやとヤチヨの両方と結婚するつもりだったらしく、その不誠実さにショックを受けてしまった。ハラキリを止められた後の彩葉は普段の凛とした振る舞いからは考えられないほど弱り切っていて、死ぬほど落ち込みながら「保留で」と申し訳なさそうに言ったのだった。

 

 かぐやも最初こそ「マジかこいつ」と引いたが、今はさほど気にしていない。

 

 だって相手はあの彩葉だ。やると決めたら絶対にやり切る行動力の化身。かぐやとヤチヨの二人ともと結婚して幸せにするくらいやってのけるだろう。

 

 だから必要なのは彩葉の心の準備だけ。ヤチヨと話し合って、かぐやはそう決めたのだ。

 

 もしも彩葉がその件で忙しくしているなら、急ぐ必要はない。

 

 すると彩葉は言いにくそうに、

 

「ありがとう……でも今やろうとしてるのはそれとは別件なの」

「かぐやたちに関係あること?」

「あるけど、もう少し見通しが立ってから……」

「ダメ、教えて、今!」

 

 かぐやとヤチヨのためならよくも悪くも箍が外れるのが彩葉だ。また知らないところで抱え込んで倒れたらと思うと気が気ではない。

 

「彩葉ぁ……」

 

 ヤチヨの甘えた声でのダメ押しもあり、彩葉は観念した。

 

 口をついて出てきたのは、かぐやの思いもしないことだった。

 

「寿命?」

「今のまま何もしないと、私だけ先立って二人に寂しい思いさせちゃうでしょ? そのために色々調べてるの」

 

 寿命。

 

 ヤチヨの本体は電子生命体で、義体はメンテナンスさえすればずっと動く。

 

 一方、かぐやは自分の体のことをよく知らない。もと光る竹によって生成されたことくらいしか。

 

 ヤチヨは少し考えて、

 

「たぶん、かぐやに寿命はないだろうね。FUSHIはもと光る竹が八千年前に作ったけど、その間ずっと動き回って今も水槽で飼ってるし」

「でしょ?」

「えっ、じゃあ彩葉、先にいなくなっちゃうの? ヤダヤダヤダ彩葉! ずっと一緒いて!」

「だからそのために動いてるんだって。あー、この際だから聞いちゃおうか」

 

 彩葉は少し間を置いて、すさまじいことを言い放った。

 

「私が不老不死になるのと、二人が人間になるの、どっちがいい?」

「なんかヤバイこと言い出した!?」

「げに恐ろしき愛の力~」

 

 大げさに恐れおののくかぐやとヤチヨ。

 

 対する彩葉は、真顔だ。比喩や冗談ではなく、本当にどちらがいいかを聞いている。

 

 彩葉の本気を察し、かぐやとヤチヨは顔を見合わせ、笑みをこぼす。

 

 二人の思い人である酒寄彩葉は、未来からやってきて、輪廻を破壊し、人間を辞めることすら検討し始める、ハチャメチャな女の子だ。

 

 そんな彼女の思いに応え、末永く一緒にいるために、二人が出した答えは──

 

 

 

ーーー

 

 

 

「そういうわけで、二人を人間にする方向で研究することにしたんだー」

「ふーん。不老不死ってやろうと思えばできるもんなの?」

「体の一部を機械化して意識体を電脳化すればまあできるよ」

「そうなんだ。彩葉はすごいね」

「このくらい大したことないよ」

 

 ある日の昼下がり、芦花の部屋にて。

 

 彩葉は芦花に呼び出され、生身で向き合っていた。

 

「芦花の方はどうなの? ブランドアンバサダーのオファーあったんでしょ?」

「オファーはありがたいけど、時期考えろって話だよね」

「断ったの?」

「受けた。受験とか進路関係の予定を優先してもらうって条件付きで」

「すご。雑誌の表紙とかになったら教えてね、絶対買うから」

「モデルとごっちゃになってるでしょ。アンバサダーっていうのは──」

 

 お茶を飲みながら、互いの近況報告に花を咲かせる。

 

 しばらく後、話がひと段落したのを見計らって、彩葉が切り出した。

 

「それで、話っていうのは?」

 

 大切な話がある、と芦花に連絡をもらったのは昨日のことだ。いつでも会えるツクヨミではなく、二人きりの生身で話がしたい、とここに呼び出された。

 

 芦花は言いにくそうに何度も瞬き。切れ長のきれいな目があちこちに視線を散らした。胸の前で指を合わせ、「えっと」とためらいの言葉を繰り返す。

 

「大丈夫。どんな事情があっても、私は芦花の味方だよ」

 

 まっすぐ見据えてそう告げると、芦花はやっと覚悟を決めたらしい。

 

 ローテーブルに身を乗り出して、

 

「あのさ、かぐやとヤチヨって同一人物だけど、別々の二人だよね?」

「えっ? そうだけど……」

 

 意外な指摘に彩葉は不意を突かれた。

 

 かぐやとヤチヨは同じ存在だが、人としては別個だ。あくまでもヤチヨの分身だった前回とは違う。

 

「彩葉はその二人が大好きなんだよね」

「うん」

「それって二股だよね」

「ふぬぎゅ」

 

 精神的急所を突かれ、変な声が出た。

 

「かぐやから聞いたけど、結婚も考えてるんだって?」

「ま、まあいずれは……法律を倒してからの話かな……」

 

 あの能天気宇宙人、と内心歯噛みする。配信では言いふらしてないようだが、身内には筒抜けのようだ。

 

「だったら」

 

 ローテーブルを回り込んで、彩葉の隣につく芦花。

 

 肩のくっつくような距離で彩葉と手を重ね、声を絞り出す。

 

「もう一人くらい増えてもよくない?」

「はぁ?」

 

 頭が真っ白になった。

 

 呆然とする彩葉に、芦花は畳みかける。

 

「中学の頃から、ずっと好きだった。私とも付き合って」

 

 親友からの告白。

 

 前回の経験はおろか、膨大な学術知識もまるで役に立たないピンチに追い込まれた彩葉は、こう言った。

 

「……ん゛っ????」

 

 

 

ーーー

ーーー

 

 

 

 2041年某月某日。

 

 とある世界線における、都内の病院にて。

 

 酒寄彩葉は目を覚ました。ぱっちりと目を開き上体を起こす。

 

 この状況にも慣れたもので、視線を巡らせ周囲を確認。

 

 ベッドには、金髪と白髪の少女が突っ伏して寝ている。

 

「かぐや、ヤチヨ」

 

 名を呼ぶと、二人は身じろぎして身を起こす。

 

「いろは……? 彩葉っ!」

「やっと起きてくれた……! もう一週間も寝てたんだよ……?」

 

 かぐやとヤチヨを抱きしめつつ、彩葉は難しい顔で唸る。

 

「一週間……翌日のつもりで計算したんだけどな。世界線移動はまだまだ課題が……」

「彩葉?」

「何でもない」

 

 彩葉は考えを中断した。今は、心配をかけた二人を安心させるのが先だ。

 

 しばらくすると医師と看護士が飛んで来て、容態を確認。階段から転落し、頭を打って一週間寝ていた、と説明を受けた。

 

 寝ている間にあったことを、かぐやとヤチヨがかわるがわるに語る。芦花と真実は心労のあまり元気がなく、あの真実が食欲をなくし、芦花に至っては寝込んでいるという。母は京都からやってきて病院付近のホテルに泊まりこみ、兄と一緒に病室へ通い詰めているとか。

 

 ベッドサイドには花束と果物、それから寄せ書きが置いてある。彩葉が所長を務める研究所の職員たちが置いていったらしい。

 

 まずは心配をかけた人たちに謝罪し、安心してもらわないと。

 

「じゃあ彩葉、ヤッチョたちはまた明日来るね」

「ぜっっったい無理しちゃダメだよ! 仕事のことは考えないよーに!」

「分かってるって」

「おらっ、さっさと帰ってください面会時間とっくに過ぎてんですよっ!」

 

 消灯時間が迫り、ヤチヨとかぐやは帰宅する運びになった。

 

 後ろ髪を引かれる二人は何度も振り返り、看護士にぐいぐいと肩を押されて退室していく。

 

 出ていく間際、彩葉が言った。

 

「かぐや、ヤチヨ。ありがとう。大好きだよ」

「へっ?」

「彩葉……?」

 

 かぐや、ヤチヨが目を見張る。

 

 彩葉の顔つきはおそろしく穏やかで、まるで何十年もの修行で悟りを開いた修行僧のような落ち着きがある。

 

 まっすぐで純情な瞳に射抜かれて固まる二人。目を合わせていない看護士さえ心を射抜かれたように、陶然と彩葉を見つめた。

 

 やがて真っ先に看護士が再起動し、かぐやとヤチヨを締め出しにかかる。

 

「い、彩葉ぁ! かぐやも大好きだよー!」

「ヤッチョも、愛してるー!」

 

 ついに追い出され、病室に静けさが満ちる。

 

 やがて照明が落ち、彩葉は一人、窓外の夜空を仰ぎ見た。

 

 雲一つない闇の中、まん丸な月。

 

 その光に手を透かし、妖艶に微笑む。

 

「さて、次はどんな結末にしようかな」







ーーー
おまけ、いろろか百合ss、5000字
ーーー



 世の中にはすごい子がいるんだな。

 綾紬芦花が酒寄彩葉に抱いた最初の印象はそんなものだった。

『酒寄彩葉さん(10)が地元企業と協同で新型のテレイグジスタンスロボットアームを開発し、自身の革新的理論を実証──』

 アナウンサーの明るい声音と共に、彩葉は画面の中できょとんとしていた。何を騒いでいるのだろう、とでも言うように。背景はどこかの研究所のような場所で、小さな体の横にごついロボットアームが鎮座していた。

 小学生なのに大人でも難しいことを成し遂げたらしい。すごいとは思うけれど、芦花には遠い世界の話だった。

 野球、将棋、レスリング、フィギュアスケート。世の中には競い合う人たちがたくさんいて、中にはフィクションを現実が追い越してしまったような、すさまじい活躍をする人がいる。酒寄彩葉さんもきっとその類なのだろう。自分にはまったく関りのないどこかで、これからも活躍していくに違いない。

 考えていると、テレビは別の話題に変わった。

 それが彼女を知ったきっかけだった。全国ニュースに出ていたのを偶然見かけた、画面の向こうのすごい人。泣きボクロと、凛としたきれいな顔が、残像みたいに目の裏に焼き付いていた。

 夥しい情報が溢れる中でも、その残像はいつまでも消えない。テレビやネットニュースでたびたび彩葉の活躍が報じられ、目で追うようになった。何を称えられているのかはまるで分からなかったけれど、彼女が褒められているのを見るのは気持ちが良かった。ニュースは録画して、ネットニュースはスクショをたくさん撮った。

 同い年なのに大人顔負けの活躍をする彼女に、アイドル的な憧れがあったのだろう、と今にして思う。彩葉はいわゆる推しだったのだ。

 だから中学の教室で顔を合わせたとき、心臓が爆発しそうになった。

 小五から二年間追っかけをしていたあの酒寄彩葉が、なぜか隣の席にいる。

『私、酒寄彩葉。京都から引っ越してきたばかりで友達いなくて、良かったら仲良くして』

 何と答えたのかはよく覚えていない。

 ただ、気づけば後ろの席の真実と共に、彩葉と友だちになっていた。

 緊張したのは初日だけ。彩葉は想像よりもずっと親しみやすくて優しい良い子だった。クラスメイトともすぐに打ち解けてみんなと仲良くなっていた。

 勉強も運動も完璧で人当りもいい。完璧超人とはこの子のためにある言葉だ。

 そう思ったけれど、

「きゃーっ! ヤチヨー!」

 仮想空間ツクヨミのライブ会場。そこで大はしゃぎする彼女は、メディア越しに見る凛とした姿とも、しっかり者な教室での様子とも違って、まるで小さな子供みたいだった。

「芦花の太ももは最高だね。寝心地いいし、美人な顔がすぐそこに見えるし」

 人の太ももを枕に無防備に寝こけて、ふにゃっと笑いながらそう言われたときには、心臓が高鳴って仕方なかった。

 完璧だけど幼くて無防備。

 かと思えば、

「私には野望がある。命に代えても叶えたい野望が」

 強い決意をにじませた勇ましい顔を不意に見せることもある。瞳の奥に覚悟の(いろ)をきらめかせ、遠いどこかをまっすぐに見据える彩葉のきれいな横顔。思い返すたび、芦花の顔は耳まで熱くなるのだ。

 いわゆるギャップ、温度差。無防備だったりかっこよかったりするギャップにきゅんと来ているだけ。他意はない。

 そんな思い込みが砕かれたのは、中学二年のこと。

 進級して彩葉とクラスが別になった。真実が一緒だったから寂しくはなかったけれど、どうしても心に穴が開いたような感覚は否めなかった。

 真実はその時点で色々と察していたのか、彩葉の様子を見に行こう、と言い出す。

 断る理由はない。一つ隣のクラスを覗きに行って、後悔した。

 彩葉はすでに多くの新しい友だちに囲まれていた。彩葉は人気者だから当然だ。分かってはいても、笑顔を振りまく彩葉を見ていると胸がズキズキ痛んだ。

 だというのに。

「ろかー」

 人の壁の隙間から、小さく口を動かして、手を振ってくる彩葉。

 その気安い表情に、芦花は悟った。

 好きだ。

 憧れを拗らせたとか、顔が良いからとか、理由はいくらでもあるだろうが、とにかく。

 彩葉のことが好き。芦花は中二にして初恋に落ちていた。



ーーー



 初恋の前途は多難だった。

 何しろ彩葉は忙しい。多くの部活動からのスカウトを退け、終礼後は芦花、真実と共に直帰して何らかの研究やら課外活動をしているのだ。デートに誘うのも簡単ではない。

 しかも彩葉と来たら、大人顔負けの研究成果を出しているにもかかわらず、まるで怠けようとしない。酒寄彩葉で検索すれば毎日異なる功績をたたえるニュース記事が出てくるし、中には最年少ノーベル賞候補と持ち上げる人さえいるのに。

 結果は十分に出している。野望があるといっても、もう少しペースを落としていいのではないか。

 やんわり聞いてみると、

「周りにどう評価されるかより、自分の目標に近づいているかの方が大事だから。まだまだ怠けるには早いかな」

 あっ、好き。

 周囲の反応を気にせず我が道をゆく。ぶれない彩葉の姿勢に芦花はもう一段階深く惹かれるのを自覚した。

 真実はブラックオニキスという推しのグループについて語る際、脳を焼かれるとよく表現する。芦花の状態はまさにそれだった。彩葉の言動の一つ一つが輝いて見える。声を聞くたび、友だちにしか見せない気安い笑みを見せてくれるたび、際限なく好きになっていく。

 そして好きになればなるほど臆病になっていった。下手に気持ちを打ち明けて拒まれたら。今の心地いい関係を壊してしまったら。

 だからだろう。真実は芦花の特別な気持ちを察していながら、急かしたりはやし立てたりはしなかった。芦花が自分なりに向き合うのを待っていてくれた。

『高校でも一緒だねー。よかった』

 地元の公立校に進学し、教室で顔を合わせたときにはほっとした。軽く手を取り合って笑い合うスキンシップが嬉しくてたまらなかった。彩葉には飛び級や海外留学の噂がいくつもあり、中学でお別れになる可能性があったのだ。

 その可能性は大学進学の際にも付きまとう。進路をとっくに決めている彩葉ならなおのことだ。

 だから、高校を出るまで。卒業するまでには、この関係を前に進める。

 ひそかにそう決意する芦花だったが、

『月からやってきたかぐやだよー! よろしく!』

 予期せぬ闖入者によって、すべてご破算になった。

 かぐやと名乗る少女。彩葉が光る電柱から拾い上げ、三連休で少女の姿にまで成長したというその子は、かわいくて明るくて。

 何より、彩葉の向ける目の色が違った。

 野望を叶えるのだと、いつもここではないどこかを見据えていたきれいな目は。

 かぐやにぴったりと据えられて、優しい光を放っていた。

 彩葉とかぐやは二人三脚で走り始め、あわやお別れになるところだったけれど、彩葉の機転でどうにかなった。

 その後で知らされた二人の宿縁と、彩葉の推しである月見ヤチヨとの関係を聞き、芦花は──

「敵うわけない」

 諦めた。

 八千年の孤独を耐えて彩葉を想うヤチヨ。未来の知識をヤチヨとかぐやのためだけに使う彩葉。純真無垢で裏表のないかぐや。

 この三人の間に割って入る隙間なんてない。彩葉が自分をそういう目で見てくれることなんて未来永劫ありえない。

 だから、綾紬芦花の物語はここで終わり。

 彩葉の特別な一人ではない。ただ親友として傍に立ち、幸せな彩葉を見守り続ける。そんな結末を芦花は受け入れた。

 そのはずだったのに。

「は? 二股?」

 仮想空間ツクヨミ内、芦花のプライベートルームにて。

 かぐやのアバターが語ったのは予想だにしないことだった。

「そうなんのかなー。彩葉ね、かぐやとヤチヨの両方と結婚するつもりだったらしくて。別にかぐやはいいよ? でも彩葉が自分ですんごいショック受けちゃってさー」
「なに、それ。なんでかぐやちゃんは平気そうなの?」
「だって彩葉だもん」

 かぐやは歯を見せて笑った。

「彩葉の選択なら、かぐやは全部信じることにする! ヤチヨと一緒に両手の花みたいになるのも面白そうじゃん? もし捨てられたら……いや絶対ないな、うん」

 芦花は途中から聞いていなかった。

 彩葉が二股をしている。しかし被害者のかぐやとヤチヨは全然堪えていない。

 そんなの反則だ。だって恋愛は一対一で、結ばれるのは二人だけ。だから諦めたのに。

 上等だ。

 先に反則をしたのは彩葉。諦めるための言い訳に使った恋愛の大前提を、彩葉が先に破った。

 だったら私も──



ーーー



 芦花の覚悟を露とも知らず、彩葉はのこのこと呼び出しに応じやってきた。

 世間話もそこそこに、芦花が告げる。

「中学の頃から、ずっと好きだった。私とも付き合って」

 彩葉はたっぷり十数秒ほど固まった後、聞いたことのない声を発する。

「……ん゛っ????」

 汗をだらだら流して目をまん丸にした、どこかコミカルなその表情さえ、芦花には魅力的に映る。

 すでに間合いは詰めてある。肩の触れ合う近距離。

「ちょっ、ろ、芦花?」

 手と手が触れ合い、指を絡めとる。更にぐいっと距離を詰め、彩葉を後ろに追い詰めた。

 彩葉の背中をベッドに押し付ける。両手の指を絡め、顔を真っ赤に染める彩葉と正面から向き合う。

「聞こえなかった? 二股してるんでしょ。だったらもう一人くらい貰ってよ」
「えっ、いや、だって」
「私をそういう目で見たことはない?」

 問い詰めると、気まずそうに彩葉がさっと目を逸らす。

 そんな逃げは許さない。顔を一気に近づけた。互いの鼻先が触れ合い、息遣いが分かるような至近距離。

 形のいい彩葉の唇に、芦花の視線が釘付けになる。

「じゃあ、今日からそういう目で見てもらう。見させる」
「芦花、ダメっ……」

 問答無用とばかり、芦花はそっと口づけした。

 きゅっと目を閉じた彩葉の唇──ではなく、紅潮した頬に。

 絡めた指を解いて、隣に座り直した。

「今日はここまで」
「え……え……!?」
「何その顔」

 芦花はくすくす笑って、彩葉の頬にそっと手を添える。

「期待してた?」
「し、してないっ!」

 彩葉は視線を泳がせながら、それでも芦花の手を払うことはしない。

「ちなみに今日、親いないんだよね」
「体育10ナメないで。その気になったら逃げられるし」
「今はその気じゃないんだ」

 彩葉は少し言葉に詰まって、

「あの、さ。気持ちは嬉しいんだけど、今はもう手一杯というか……」
「ああそういうのいいから」
「いいの!?」

 いいのだ。

 芦花だって分かっている。彩葉から芦花に対する感情は友情のみで、他意はまったくない。

 では玉砕覚悟で告白したのかというと、そうでもない。

 彩葉の頬に添えた手を、ゆっくりと動かす。首筋から耳にかけてを擦ると、「んっ」と聞いたことのない甘い声が漏れた。

「彩葉は顔が良くて押しの強い女の子に弱い」
「はぁ!?」
「だから私はもう我慢しない。押して押して押しまくる。彩葉が『もう一人くらい増えてもいっか』って思うまで、意識してもらう」
「そ、そんなこと思いませんけど!?」
「本当に?」

 彩葉の両頬を手で挟み、じいっと目を合わせた。彼女の瞳の奥にきらめく覚悟の(いろ)は、羞恥と動揺でぼやけている。

「私は彩葉のことが好き。好きな人のために一生懸命なところも、子供っぽくて無防備なところも、細かい気づかいができる優しいところも、やりたいことがはっきりしててブレないところも、全部全部大好き。親友じゃなくて、彩葉の特別になりたいってずっと思ってた」
「あ、うぅ……」

 身を捩って逃げようとする彩葉だが、芦花はしっかり抑え込んで離さない。

 耳まで赤い彩葉の照れ顔を堪能しながら、蠱惑的に笑う。

「効いてんじゃん。やーい、チョロ葉」
「むうぅ……なんで急に……」

 苦し紛れの抗議をすかさず潰していく。

「そっちが先に反則しかけてくるからでしょ。それにほら、あの言葉」
「どれ……?」
「エンディングだからって諦めたら本当に終わっちゃう」

 結末に不満があるなら、喚いて暴れて戦って、自分だけの結末をつかみ取る。

 かぐやが彩葉とののろけ話で何度も口にするお気に入りのフレーズが、芦花の背中を押したのだ。

「彩葉の前回の記憶みたいに、ずっと友だちでも悪くないと思う。でもダメ、無理。好き過ぎ。なんなら今すぐ襲いたい。襲っていい?」
「ダメ! かぐやともまだなのに……」
「それ聞いたらもっと襲いたくなってきたんだけど」

 彩葉は無力な少女のように自分の体を抱いて後ずさった。羞恥と怯えの入り混じったその顔に、芦花は心をわしづかみにされる。

 とはいえ欲望に身を任せることはない。ゆっくり深呼吸してどうにか落ち着きを取り戻す。

 今日の目的は想いを伝え、意識させること。そうしてスタートラインに立つことだ。

 目的は達した。

 立ち上がり、部屋の出入り口に向かう。扉の内鍵を開け、開いてみせた。

「ここまでにしとこっか。話聞いてくれてありがと。今日は解散しよ」
「落差……」
「文句あるなら襲うよ?」
「はい帰ります帰りますっ!」

 玄関で別れ際、芦花は告げた。

「覚悟しててね。これからガンガン攻めて意識させるから」

 彩葉は逃げるように去って行った。

 その警戒する小動物のような物腰に、芦花はニマニマと小悪魔めいた笑みを浮かべるのだった。



ーーー



 彩葉が這う這うの体で帰宅すると。

「彩葉、さっき芦花からタレコミあったんだけど」
「『今日から三股仲間としてよろしく!』っていうのは、どういう意味かにゃ~? 怒らないから正直に教えて~?」
「ひぇ」

 静かな圧を発する最愛の二人に出迎えられ、小さく悲鳴を上げた。
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