一枚の絵画
八月十一日。マクファーレン邸
「ようこそいらっしゃいました、エヴァ・ブラウン様。どうぞ中へとお入りください。」
今回の依頼はMr.グレン・マクファーレンの館に飾られた一枚の絵を守ってくれとのことだった。マクファーレン邸の中に入ると、中央階段の前で四人の男たちが私の到着を待っていた。
今回の依頼主Mr.グレン・マクファーレン、シャーロック・ホームズ、ワトソン先生、そしてレストレード警部だ。
「おぉ、君がMissブラウンか!これで全員が揃ったことだ、君たちに守ってもらいたい絵画まで案内をしよう。」
私たちがMr.マクファーレンと共に階段を上ると奇妙な絵画が階段の先に飾られていた。
「この絵画だ。この絵画をアダム・ワースの手から守って欲しい。」
書斎に飾られた絵画には人間の形をした何か……グールが、人間を食べる様子が、まるで絵を描いた画家が体験した出来事のように細部まで細かく描かれ、自分はそこにいないにも関わらず、匂いや恐ろしさを感じるほどにリアルだった。
この絵画を見た反応は様々で、ワトソン先生とレストレード警部は口を抑え喉から逆流してくるものを必死に堪えており、ホームズさんは絵画を食い入るように眺めていた。
「どうだ?見ただけで、この画家の狂気を感じる、素晴らしい絵だと思わないか?」
「確かに……失礼ですがMr.マクファーレン。私は絵画に疎くて、この絵を描いた画家の名前をお聞かせいただいても?」
「知らなくても無理はないさ。この絵画を描いた者の名はリチャード・アプトン・ピックマン。無名の画家だよ。」
「なぜ、無名の画家の描いた絵をアダム・ワースが狙うのか、心当たりはありますか?」
「君たちも感じただろ?この絵は見るだけで匂いや恐怖を感じるほどにリアルなものだ、呪われているといってもいい。当然、そういったものを欲しがるコレクターは少なくなくてね、相当な額で取引されるんだ。」
「納得です。私もこの画家に興味が湧きました。」
「残念だが、彼に会うことは叶わないよ。彼の絵はハーバーという男が代わりに市場に流すんだ。何人ものコレクターたちがピックマンとコンタクトをとろうとしたが、ハーバーは頑なに会わせようとしないんだ。」
恐らくリチャード・アプトン・ピックマンは本当に怪物を目撃したのだろう。正気を保った人間が、この絵を描けるとは思えない。狂気を伝達する絵画……本来であれば回収して処分するべきなのだが、許してはもらえないだろう。
「お楽しみのところ失礼だが、Mr.マクファーレン。なぜアダム・ワースが盗みに来ると?奴が犯行予告などをするとは思えないのですが……」
レストレード警部の質問にMr.マクファーレンは丁寧に回答した。
「ピックマンの描いた絵画で知られているのは五作のみ。他の四作は、連日、既に知り合いのコレクターたちの手から盗まれた。そうなると次に狙われるのは、この絵画だとは思わないか?」
推測の域を出ない考えだが、あのアダム・ワースならありえない話ではない。噂では裏社会のボスだったアダム・ワースは、新しい体と怪物たちを上手く使い以前では考えられないほどのペースで犯罪を犯しているという。
「皆様には絵画を守るため三日ほど、この館で生活をしていただきたいのです。館にあるものは好きに利用していただいて構わないので、どうか自分の家だと思って存分にくつろいでくれ。」
そう言ってMr.マクファーレンは執事を残し、その場から去っていった。
「ブラウンさん。元気にしていたかい?」
「なんだ?お前たち知り合いなのか?」
「以前に依頼を共にしたことがあるんです。」
ホームズさんにワトソン先生、レストレード警部が挨拶をしに来たのだろう。私の元へ歩み寄り、声をかけてくれた。
「お久しぶりです。ホームズさんの噂は相変わらず私の耳にも届いていますよ。犯人の吸血鬼を捕まえたとか……付き合うことになるワトソン先生の苦労が目に浮かびます。」
ホームズさんの後ろで気づかれないようワトソン先生は強く頷いている。
「吸血鬼?そうか、君があのエヴァ・ブラウンか。怪物退治とかいう、にわかには信じがたい噂の探偵……」
この反応には慣れている。知らずにいられるなら私だって知りたくなんてなかった。だが、知ってしまった以上、彼のように怪物の存在を知らない人を一人でも多く怪物の脅威から守る責務が私にはある。
「だいたい、アダム・ワースと名乗る犯罪者も若い好青年だって言うじゃないか。五十代が近いオッサンが若い好青年に間違えられるか?それとも二代目だとでも言うのか?」
「それはアダム・ワースが現れれば分かることさ。執事さん。館の中を見て回りたいのだが、案内を頼めるかな?」
「承りました。」
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ワトソン先生とレストレード警部を玄関ホールに残し、私とホームズさんはマクファーレン邸の執事の案内で館を隅々まで調べ潜入経路を記憶した。
「ノーマンさん、案内ありがとう。彼女と少し二人にしてもらってもいいかな?。」
「かしこまりました。では、ワトソン先生、レストレード警部と共に書斎にてお持ちしております。」
執事のノーマンさんがいなくなり、私は二階の第一客室にホームズさんと二人になった。
「……ホームズさんが話したいことと言うのは侵入経路やアダム・ワースのことについてではないですよね?」
「世の中の女性が君と同じくらい理解が早ければ嬉しいんだがね……あの絵画を見て君は何を思った?」
「画家の体験を描いたのではと思いましたが………………」
「何か心当たりがあるようだね?」
このロンドンで探偵という仕事をしている以上、いずれ知ることになることなのかもしれない。いや、シャーロック・ホームズであれば、間違いなく深淵へと辿り着く。話しても問題はないだろう。
「……
「この画家は、その幻夢郷に行ったことがあるかもしれないと?」
「可能性の話です。見たことがないので本当にあるかも分かりません。……念の為釘を刺しておきますが、怪物に深く関わろうとはしないでください。もしも身の回りに失いたくない人がいるなら尚更……」
「この数ヶ月、私なりに怪物を調べたからね。私もむやみやたらに触れてはいけないものだということは承知しているよ。だがね、私は彼らの存在を恐怖すると同時に、こうも思うんだ。なんて面白い存在なのだと!」
これだ……これがシャーロック・ホームズなのだ。探偵とは名ばかりで自身の知的好奇心を満たし、退屈を紛らわせることしか考えていない。私が探偵になるきっかけになった人物は、
「怪物に関わらなくなれば、私はコカインに頼る毎日に逆戻りだ。」
「……わかりました。ではせめて、ブラヴァツキー夫人とお会いになってください。あの方に認められればホームズさんの力になってくれると思います」
「ブラヴァツキー夫人というのは神智学協会のヘレナ・ブラヴァツキー夫人か?」
神智学協会とは神の啓示や瞑想などを通じて、神の神聖な知識などを通じて人間の内なる神聖を探求することを目的とする、聞く人によってはオカルトめいた組織だ。
ブラヴァツキー夫人がニューヨークで神智学協会を設立し、世界中へと活動の範囲を広めた。
「彼女に頼ることになるとはね……過去の私が聞いたら腹を抱えて笑っていたろうな。」
そう口にしたホームズさんの瞳は、新たらしい玩具を貰った子供のように輝いていた。