絵画の謎
会話を終え書斎に戻った私とホームズさんは、執事のノーマンさんに案内され、それぞれ別々の部屋に案内をされ眠りについた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「おはようブラウンさん。昨晩はよく……眠れなかったようだね。」
昨晩、私は蹄を持つ犬の顔をした人間。つまりグールが人間を食べている夢を見た。その夢は妙にリアルなもので、独特な血と死の匂い、それから眼前のグールへの恐怖が記憶に残っている。
恐らくは絵画の影響であろう。幸いなことにグールなどの存在に私は慣れているが、ワトソン先生とレストレード警部は相当参っている様子だ。
「皆様、おはようございます。……その様子ですと、あの夢をご覧になられたようですね」
「知っていたのですか、Mr.マクファーレン!」
Mr.マクファーレンの、夢について何か知っているような言動にレストレード警部は怒鳴るように声を荒らげ詰め寄った。
「落ち着いてくださいレストレード警部。話さなかったのは悪いとは思いますが、絵画には奇妙な夢を見せる効果があるなどと話したところで信用はしなかったでしょう?」
レストレード警部はMr.マクファーレンの言葉に一理あると考えたのか、足を止め鋭い目つきでMr.マクファーレンを見つめていた。
「ブラウンさん。あなたを呼んだのは絵画をアダム・ワースから守るためというのもありますが、怪物などに詳しいあなたなら、このような不思議な絵画にも詳しいのではないかと思い依頼したのです。」
依頼してまで守ろうとする絵画を玄関ホールなどに飾るのはおかしいとは思っていた。同様の悪夢に悩まされていたのだろう。私は少し考え、自分なりの意見を口にした。
「絵画に限らず芸術作品などに製作者の記憶や感情がこもることは珍しくありません。ただし、こういった物が持ち主や近くの人間にどういった影響を与えるかは、作品に抱いた感情が大きく作用します。」
私の話を興味深そうに聞く依頼主とホームズさんとは対照的に残りの三名は心ここに在らずといった様子だ。
「私たちは最初に絵画を見た時に、全員が、まるで絵画の中にいるような不快感を感じ取りました。その不快感こそが夢を見せるに至ったのです。」
「バカバカしい!絵画が夢を見せるなんてそんなこと……!」
「……では、ワトソン先生。絵画に近づき目を瞑っていただいてもよろしいでしょうか。」
「わ……私ですか!?」
ワトソン先生は驚いた様子を見せながらも、ホームズさんと行動を共にしているだけはあり、すぐに顔つきが変わり、絵画へとゆっくり歩をすすめ、絵画の前で目を瞑った。
「…………!!」
絵画の前に立ったワトソン先生は鼻を覆いすぐに距離をとった。
「今ので何がわかるというのです?」
「今のは……」 「ブラウンさん!」
私が説明をしようと口を開くと、ホームズさんが私の声をかき消すように声を上げた。
「ここからは私に説明させてくれないかな?」
余程退屈だったのだろう。私が軽く頭を下げ了承すると、生き生きとした表情で私の口にしようとしていた説明を代弁してくれた。
「私たちは一つの大きな勘違いをしていたのですよMr.マクファーレン。」
「ほう……その勘違いとは?」
「私たちは絵画を見たことにより香りや恐怖を感じたと思っていましたが、ワトソンくんの様子からしてそれは正しくはないようです。実際は絵画そのものから放たれている匂いだったのです。」
「それだけ強い匂いなら、なぜ我々は気付けなかったというんだ?」
「いい質問ですレストレード警部。みなさんはクロスモーダル現象というものをご存知でしょうか?」
「クロス……モーダル?なんなんだいそれは?」
「クロスモーダル現象とは感覚の相互作用です。例えば、いい料理とは視覚で食欲を刺激し、唾液を分泌させることで味を感じやすくする効果があり、嗅覚で香りから味を想像させることができます。」
クロスモーダル現象とは、何かを感じた時に脳が別の情報と記憶から結びつけることで発生する現象であり、ホームズさんのあげた例とは別に、音から重さや硬さを想像させる行為も、このクロスモーダル現象に当てはまる。
「つまり近づかなくては分からないほどの匂いを、リアルな絵画であるばかりに、脳が勝手に増幅させていたということか?」
「その通り。ただ、この部屋に集まっている人物の表情を見てわかる通り、効果は人によって違いますがね。」
依頼主に執事のノーマンさん、そしてホームズさんは比較的よく眠れていたのか、健康な表情だが、元軍医であり、現在は開業医出あるワトソン先生とレストレード警部は目の下にくまがあり眠れていないのがわかる。
「恐らくは遺体や人間の血の匂いを鍵慣れている人間は絵画の影響を受けやすく、ブラウンさんのような人物であれば怪物の香りまで感じ取れることでしょう。」
「……?待て、ホームズ。では、私が絵画に近づいた時に感じた匂いはなんなんだ?何故絵画から血の匂いがする!?」
「その質問をする時点で君はもう気づいているはずだワトソンくん。」
「……!?」
「そう、この絵画は本物の人間の血液と怪物の血液を使って描かれたものだ。」
「なんだって!?」
初めからわかっていたことだ。いくらクロスモーダル現象が起きていたとしても存在しない香りを感じるということはないだろう。そう、香りの元となる物が部屋にない限りは。
「私にわかるのはここまで……何か付け足す情報はあるかなブラウンさん?」
ホームズさんはまるで「これくらいのことは私にもわかるぞ。」と言いたげな表情でこちらに笑みを浮かべ会話を投げかけてきた。
「……私の昔の同僚に呪詛師がいるのですが。呪いの宿る肉体に呪詛の込められた物を入れることで誰でも簡単に呪いを生み出せると言っていました。」
「……絵画に描かれた怪物と、食べられている人間が肉体で、血液が呪詛の込められた物ということですか?」
「その通りですワトソン先生。最も呪いたい対象の記憶に残るというのが前提にありますが。記憶にさえ残ってしまえば夢に現れるということも容易いでしょう。」
「……待てよ。それが本当だとして、私たちの夢に現れたということは、私たちは既に呪われいるのではないか!?」
レストレード警部は顔が青ざめており、体調の悪さを誤魔化すように大きな声で質問した。
「……絵画を燃やしてしまうというのが最も簡単な対策なのですが。」
「それはこま」 「それは困る!」
Mr.マクファーレンと言葉が重なるように叫び、玄関を蹴破り、一人の男が館へと侵入した。