名探偵の戦い
「ワトソンくん急ぐんだ!」
ヒルダを無事に家まで送り届けたシャーロック・ホームズとワトソンは危険な家に一人残したエヴァを心配して全力で走っていた。
「ハァ……スゥ……ハァ……スゥ……ホームズ……君は先に行ってくれ……後から必ず追いついてみせるから……」
ホームズは無言で頷き、息も絶え絶えなワトソンを置いて一人残されたエヴァの元へと急いだ。
(もうすぐ着く……頼むから無事でいてくれ。)
ホームズがブラウンの残された建物へと急ぐ途中、奇妙なローブを身にまとった老人とすれ違った。
「失礼、ご老人。余計なお世話だとは思うのですが、治安の悪いこの街をそのような上等な布でできたローブを身にまとって練り歩くのは辞めた方がいい。」
ホワイトチャペルに物取りが多いのは有名な話だ。長く生きた老人が知らないとは思えない。ホームズは建物へ急ぐ足を止め、怪しい老人に声をかけた。
「悪い人ばかりではないということさ。現に私はこのローブを奪われずにいるわけだからね。」
「なるほど……かくいう私もホワイトチャペルで襲われたことはありません。まぁ、いつも隣に体格のいい友人がいたからでしょうが。」
老人はどこかへと急いでいるようで、しきりにホームズの背後へと視線が向いている。
「ローブにばかり目がいってましたが革靴も上等な物を履いておいでだ。創業から二年で有名ブランドの仲間入りをしたエドワード・グリーンの革靴ですね。」
「……失礼だが、私は急いでいてね。話は……」
会話を終わらせようとする老人の言葉をかき消すようにホームズは声を被せた。
「ただ、折角のいい革靴も使い方を間違えれば悪くなるのは一瞬です。あなたのように高価な物を身につける人間が同じ革靴を毎日履いているとは考えにくい……水洗いしなくては取れない汚れでもつきましたか?」
男の革靴は色落ちが酷く、これは水洗いをした際によく見られる。通常、履いている間にかいた汗を乾かすため、二、三足の革靴をローテーションで履くのが常識だ。他の革靴があるのであれば、わざわざ色落ちした革靴を履く理由はない。
「何を言いたいのです?」
「いえ、仕事柄細かいことに目がいってしまうもので。このような街に高価なものを身につけて歩いているご老人がどのような人物なのか気になってしまったのです。」
「…………」
老人は疑いの目をホームズに向けた。
「そういえば、先程お邪魔した家の家主は老人だと聞きました。奇妙な彫刻についてお尋ねしたいことが幾つかあるのですが、新しく越してきたというご老人に心当たりはありませんか?」
「貴様……何者だ……」
老人がローブから手を出しホームズに向けると同時に、老人の背後で銃を構えたワトソンが静止命令を老人に対して行った。
「動くな!」
ホームズの会話は全てワトソンが到着するまでの時間稼ぎだった。老人とすれ違った際に見えた血痕の跡、話しかけた時点でホームズは老人が事件に関わる人物だと気づいていたのだ。
「失礼、自己紹介が遅れました。私の名前はシャーロック・ホームズ。この街にはジャック・ザ・リッパーの事件の調査にやって来ました。幾つか質問をしてもよろしいでしょうか。」
「……………」
男は下を向き小さく何かを呟いている。
「気をつけろホームズ……なんだか様子がおかしいぞ!」
老人が二人の体に手をかざすと、突如目に見えない何者かの手に首を掴まれた。
「……私はこんな所で捕まるわけにはいかないのだ。悪いが君たちにはここで死んでもらう。」
(なんだ……!一体何に掴まれている……これがブラウンさんの言っていた魔術だとでも言うのか……!)
頭に酸素が回らないなか、何とか思考を巡らせるホームズ。そんなホームズとはうってかわり、ワトソンは拳銃を三発、老人に発砲した。
(外れた!?)
首を掴まれ狙いが定まらなかったのか、弾丸は老人に命中することはなく建物の壁へと命中した。
(いや、当たらなかったにしてはおかしい。なぜ、このご老人は驚きするしないんだ……まるで当たらないことが分かっていたかのようだ。)
ホームズは自分の推理を検証せずにはいられなかった。ワトソンに続きホームズもシリンダーに装填された弾丸を六発、全弾を老人に向かい放った。
「……ッチ!」
射撃の腕も一流のホームズが放った弾丸のうち数発は見事に老人目掛け飛んでいった。だが、弾丸は老人を避けるように軌道を変え、再び建物の壁へと命中した。
「何をしても無駄だ!大人しく死ね。」
見えない手による首への締め付けが先程までより強くなり、二人の意識が遠のく。
(この老人に弾丸が当たらない仕組みは分かった……だが、ダメだ……意識が……遠のいて……)
ホームズとワトソンは最後にエヴァの安否を確認できなかったことを気に停めたまま意識を手放した。