ツァトゥグァとの会食
ブラヴァツキー夫人の邸宅。新たなジャック・ザ・リッパーの事件から一週間。私とホームズさんの元にブラヴァツキー夫人から一通の手紙が届いた。内容は「【神】との接触について」私とホームズさんは合流してブラヴァツキー夫人の邸宅を訪ねることとなった。
「よく来たわね、Mr.ホームズにエヴァちゃん。さぁ、席についてちょうだい。」
セント・ジョンズ・ウッドにある庭付きの大きな家。家を尋ねると、彼女の部下に案内を受け食堂へと連れていかれた。
食堂に入ると大きなテーブルの上に様々な国の料理が並び、テーブルの中央にはツァトゥグァの彫刻が置かれていた。
「Mrsブラヴァツキー。怪物の情報を教えていただいた際にはお世話になりました。再びこうしてあなたと会って再び話すことができることを幸運に思います。」
「私もあなたに会えて嬉しいわ、Mr.ホームズ。さぁ、料理が冷めたら彼に悪いわ。早速、彼と対面しましょうか。」
ブラヴァツキー夫人は我々の認識で言うところの
私はツァトゥグァに言われた通り、忘れたくとも忘れることのできない、ヒキガエルのような頭部を持つ、あの怪物を頭に浮かべた。
すると……周囲は突然闇に染まり、あの日の怪物が目の前に現れた。
「待ちくたびれたよエヴァ・ブラウン。忘れているのかと疑うところだった。」
相も変わらず気だるげそうに天井を見上げ、視線だけをこちらへ向けて怪物はそう言った。
「……もしかして君の言う新たな契約者って言うのは彼女のことかい?」
「そうです。事情は説明してありますし、彼女の資金力ならあなたの空腹を満たせると思い、相談させていただきました。」
しばらくの沈黙が続き、ツァトゥグァが口を開いた。
「久しぶりだね、ヘレナ・フォン・ハーン。彼女が紹介する人間が君とは思わなかったよ。」
「ツァトゥグァ様、私もあなたな名前を聞いた時は驚いわ。」
フォン・ハーンはブラヴァツキー夫人の旧名だ……彼女を旧名で呼ぶということは、結婚前の彼女と知り合っていた?
「それにしても、やはり君は分かっているね。どいつもこいつも僕を信仰する奴らは人間を生贄に捧げるけど、僕は人間なんかより君らの食べていた料理に興味があったんだ。」
「ここにある料理は殆どあなたの為に用意したものです。私たちの分は正面に置かれた料理だけ。お好きなだけお召し上がりください。」
遥か昔から人間は供物として生贄に捧げられてきたが、意外と人間を供物に捧げられることを望んでいない神は多い。
ツァトゥグァは素手で、まだ暖かい料理を掴むと口の中に一口で放り込んだ。
「……実に美味だ。量では人間に劣るが人間などとは比較にならないほど美味だ。」
そこからツァトゥグァの手が止まることはなく、誰よりも早くテーブルの上の料理を食べ尽くしてしまった。
「………………」
ツァトゥグァが私のことを眠たそうな表情でジッと見つめている。
「ツァトゥグァ様。私はもうお腹がいっぱいでして、余り物を捧げるのは不敬かと思いますが、よろしかったらお召し上がりになりませんか?」
私の口から放たれた言葉を待ち望んでいたのだろう。今まで変わることなかった表情が少し変わり、笑顔になった。
「奇遇だね、Missブラウン。私の住んでいる下宿の女主人、Mrsハドソンの作る粥ばかりを食べていたせいか、食が細くなってしまってね。だが、こんな美味しい料理、捨てるのは勿体ない。よろしかったら私の分も召し上がってはいただけないでしょうか?」
「いいよ、食べてあげるよ。」
ツァトゥグァの許しを得た私とホームズさんはテーブルに並べられた料理をツァトゥグァの前まで運んだ。ツァトゥグァの前には再びテーブルいっぱいの料理が並び、ツァトゥグァは再び口の中に料理を放り込むので忙しくなった。
テーブルの上の料理が片付くのには、そう時間はかからなかった。料理を食べ終えたツァトゥグァは満足した様子で口を開いた。
「それでどうするんだい?ヘレナ、君が僕と契約するつもりかい?」
「契約なんて仰々しい言葉じゃなくて、お友達になりましょ!」
ブラヴァツキー夫人の言葉にツァトゥグァがため息を着くと、場の空気が一瞬で変わった。重く淀んだ空気が体にこべりつき、空気が重くなったのを体で感じ取れる。
「……僕が君のような下等な種族と友人になるとでも?」
「悪くない話だと思うわよ?私は沢山の国々を巡ったことがあって、様々な国の料理の知識を知っている。今日食べていない料理に興味はない?」
「フッ……ハハハハ!そんな事を言う人間は君くらいなものだ。いいだろう友人になってやる。ただし、くれぐれも私を空腹にしてくれるなよ。」
「もちろんです。これからよろしくお願いしますねツァトゥグァ様。」
話が無事纏まってよかったと、肩の荷がおりた気持ちになっていると、ツァトゥグァ様から驚く提案を持ち出していただいた。
「エヴァ・ブラウン。そして君は……」
「自己紹介が遅れましたシャーロック・ホームズです。」
「そうか……シャーロック・ホームズ。君たちは量こそ少ないものの、私に料理を供物として捧げてくれた。ささやかだが君たちに贈り物だ。」
ツァトゥグァガそう言うとテーブルの上に老人を飲み込んでいた不定形のスライムのような生き物が飛び乗った。
「この子たちは姿形を自由に変えることができて、持ち運びも容易い。君たちの役に経つだろう。ただし、食事を忘れれば飼い主も食べてしまうような奴らだから気をつけるように。」
不定形の黒い怪物は酷い悪臭を放っており、何とかしなくては持ち運ぶのは難しいだろう。
「さて、僕は少し眠ることにするよ。また会おう人の子らよ。」
ツァトゥグァの言葉が耳に入ると同時に、視界が激しい光で遮られた。あの怪物がいた場所から戻ったのだ。テーブル近くしか見えないほどの暗闇だったため、光に慣れるのには時間がかかった。
「Mr.ホームズ。エヴァちゃん。ツァトゥグァ様のことをよく知らせてくれました。ツァトゥグァ様からいただいた生き物を利用した、あなた方の活躍を心から楽しみにしていますよ。」
私とホームズさんは最近になって化学者によって開発された魔法瓶なるものをブラヴァツキー夫人からいただき、ひとまず不定形の怪物を閉じ込め、持ち帰ることにした。
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(さて、持ち帰ったはいいもものの……どうしたものか。)
魔法瓶の中から事務所に解き放った不定形の怪物は、瞬く間に事務所を汚し、悪臭を撒き散らした。
「待て!」
これ以上部屋を汚されたくなく咄嗟に出た言葉。不定形の怪物の動きは言葉を理解できているのかピタリと止まって動かなくなった。
「あなた、人間の言葉を理解できるの?」
不定形の怪物はスライムのような体に大きな口を生成して私へと向き直った。それ以上の動きを見せない様子は、さながら命令を待つ忠犬のようにも思えた。
「……汚れに沿って私の前まで来て。」
不定形の怪物は驚くべきスピードで私の元まで近づいた。
「(理解できてるみたいね……だったら)幾つかルールを決めましょう。まず、返事を決めましょうか。私の言葉にYESと返事を返す時はその場で小さくジャンプして。Noと返事を返す時は小さく回転して。」
やはり言葉を理解できているようで、不定形の怪物はその場で小さくジャンプして私に返事を返した。
「(確か犬を飼ってる人は褒める時にオヤツをあげるんだっけ……)ちょっとそこで待ってて!」
私は急ぎ地下室へと降り、溜め込んでいた保存の効く缶詰などの食材を幾つか手に持ち不定形の怪物の元に戻った。
「これ、よくできましたってご褒美……」
私が缶詰を開け、中身を不定形の怪物の口に投げ入れると咀嚼を始めた。動物と違い、感情を感じない目の前の生物に私は徐々に親しみを感じ始めていた。
「……そういえば、何も考えずコーンビーフあげたけど、あなたって食べられないものってあるの?」
不定形の怪物は「グルリ」とその場で回転して意思表示をした。
「じゃあ味覚は?」
再び回転をする怪物。
「(となると安価で量のあるものが望ましい……)買いに行くしかないか。あなた……名前がないと不便ね。……バディ、バディにしましょう!バディ、あなたも一緒に来る?」
バディがその場で小さくジャンプをしたので、再び魔法瓶の中に入れ、安価で買えて腹持ちのいいジャガイモを買いに向かい、私とバディの普通とは程遠い生活が始まった。