酒に狂った男 作:鶏肋
FUSHI、悼む
蝉の音はいつも変わらない。
幾年もの時を地中で過ごした末にようやく日の目を見た彼らは、しかし互い違いの世代交代を以てして毎年のようにコーラスを響かせる。そして奇しくもそれは、僕達にとってはカウントダウンと同義だった。
鳴り響くごとに、
そのカウントダウンも最終盤。平成24年、蒸し返るような夏の日差しの下で、僕は今日も今日とて這っていた。
(ウミウシボディの調子は好調。でも今度こそ、そろそろお役御免かな)
地球人が電子の海を発明し、ヤチヨがそこにのみ自由を取り戻したのがザッと15年ほど前の事だ。それから彼女は活躍の場をネットに移し、代わりに僕がこの現実での肉体を譲り受けた。まぁそもそも
という経緯で、電脳を駆使して経済に介入・国へとその毒牙を浸み込ませていくヤチヨを、僕は現実世界からサポートしてきたという訳。でもそれも最早佳境を超えてほぼ完了、ツクヨミを築き上げるだけの土台は既に整え終えていた。
なら、手足であると同時に“枷”となり得るこのボディは捨てるのが賢明だろう。僕はそう思い、ヤチヨに提言して────
「ん~……しかしねぇFUSHI。私としては7950年以上慣れ親しんできた身体なんだから」
「よく喋る!……じゃなくてだな」
「いやいや、それにしたって捨てるなんて勿体ない!でも私はもうその体には戻れないし、代わりにFUSHIが使っちゃってよ。まだ何かに使えるかもだしっ♪」
「……!」
僕は最初から電子の生き物だ。実体世界に生きた事なんて一度たりとも無く、知っているのは“ヤチヨ”が“かぐや”だった頃の記憶を共有してる分だけ。
……憧れが無かった、なんて口が裂けても言えない。それを主であるヤチヨは見通していた。
そうして僕は、まんまと望外の
“拠点マンション周辺の巡回”という、意味の無い仮初の役を与えられて。それを満喫している。
(でも、もう充分だ)
あと少し。もう少しだけ。まだ不躾な輩が近付くかもしれないから、もうちょっとだけ。
らしくもなくそうして先延ばしにしてきたけど、本当に満足だった。物理に縛られているが故の人々の営みを、躍動をこの目で見るのは楽しかったんだ。監視カメラのデータ越しに覗き込むのとはまるで違う熱に、浮かされた気分……けどこれ以上は流石にリスクが大き過ぎる。
「ありがとう、ヤチヨ。今から戻る」
息抜きはこれでお終い。ここから急ピッチで仮想世界を形にするんだから、ウミウシボディにかまけている暇も無くなるだろうしな。
名残惜しくもそう思いながら、僕は主へと通信を飛ばした。
……
…………
………………あれ?
(なんで返信が無い?)
いつもならタイムラグμ秒未満で反応が来る。でもその時、ヤチヨは応答どころか既読の目途さえつかない。
何か……対応に追われている?
(まさか)
そんなの有り得ない。2030年でも遠く及ばないのに、この時代の人類がヤチヨの防御を突破し得る電子ノウハウなんて持ち得る訳が無い。でも、だったらどうしてヤチヨは何も返してくれないんだ?
「ヤチヨ!」
分からないなら分からないなりに次善の一手を。即ち、すぐに拠点に戻ってヤチヨのサポートを!
────今思い返せば、この時点で何もかもが遅かった。
異変に気を取られて、背後のドアが開く音を聞き損じた。
言い訳をするなら、ここはビルの屋上。そしてビル内の全ての監視カメラを掌握して、何者かがここまで来るならその途中で絶対に把握できる。筈だった。
でも見えなかった。何故か?
「 見 い つ け た 」
「え」
信じられない事に。
光学カメラが捉えられない速度で。
赤外線センサーさえ躱す身のこなしで。
全部すり抜けてここまで登って来たんだろう。ドアからこのビル壁面の淵まで彼我15m、その距離を音も無く一瞬で詰めた身体能力がそれを裏付けていた。
「へ……ぇ、ええ……!?」
鷲掴みにされれば、この身体では手も足も出ない。太陽を背にして見下ろす下手人の顔は逆光で窺えず、知らず冷や汗代わりの分泌液が肌を伝う。そのヌルヌルで脱出できれば良かったのだけれど、彼もしくは彼女の握力は凄まじくそれさえ許しちゃくれなくて。
脳裏をよぎるは最悪の想定。僕の所為でヤチヨの夢が途絶える可能性の、具現。
(自壊するしか……!)
なら最終手段しか無いだろう。宿す全情報を
(さぁ、ちょっとでも害意を仄めかしてみろ。その瞬間に、お前が得た
僕自身がここまでだとしても、全てはヤチヨの為に。
その一念で睨みつけた黒い影、薄く垣間見えた口角が吊り上がり──
「──か……」
「か?」
「かァ~~~いぃ~~~~!!!」
一瞬で、その影を瞳の輝きが吹き飛ばした。
「何このフワフワかわい過ぎるんやけど!?ちっちゃくてかわいい!ちいかわ!!」
「な、ちょっ、えぇ?!」
「やっぱしシンさんの言うことは間違いあらへんね!!なぁ君、もしよかったらウチ来ぉへん?ダンナがさか●クンと知り合いやねん、悪いようにはせぇへんで!」
「ま、待て待て!僕には帰る場所があるんだ、そんな所に行けるかっ!」
「キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!!」
「うるさっ」
先程までの得体の知れなさは何処へやら、僕を高らかに掲げて笑うさまは幼児のそれに近い。というか胴上げやめろっ、ここ高所だぞ!?
「ええやんええやん、落ちても掴み止めたるし!君みたいなかわええモンを見れたことをよろこばせてぇな!!」
「ああっもう……!」
そうこうしてる内に、完全に気を逸した上に毒気まで抜かれた。幸か不幸か焦りを失った今の心境じゃ、とてもじゃないけど自壊なんて選べそうも無い。
更に、この胴上げ。
宙から見下ろすこの面持ち。
それに見出した面影が、
(──覚えてる)
かつて、こうしてもらった事がある。
こうやって遊んでもらった、思い出がある。
今とは違う液晶越しの景色。これは……そうか。僕がまだ“犬DOGE”だった頃の。
「お前、現実世界でも投げられんの好きなのな」
そうだ。彼と、僕は、こうやって。
「……“石実”」
「ほぇ?なんで知ってるん」
「やっぱりか」
気付くのが遅れた。恥ずかしい限りだ。
その吊り目も、髪色も。そういえばお前、自分が
「僕は……FUSHI。お前の名前を教えてくれないか」
「ええで!ウチは楓、石実楓や!よろしゅうなぁフシちゃんっ!」
快活に、勝気に笑うその姿。それがどこまでも面影として重なって、僕は。
……僕、は────
「着いたぞ」
その声に目を開けた。見上げた先に、彼女の影を纏う少年がいた。
「ありがとな。寝足りなかったみたいだ」
「どーも。電子生命体が寝不足ってのもなんだか不思議な話だぜ」
「電子だろうと物理だろうと生命体であることに変わりは無いからな。記憶の整理には不可欠なんだ」
言いながら現の肩から降りる。ここは霊園、消えた命の証を後世へと残す場所。
今日この日まで、来る勇気は無かった。今ここにいるのだって、現が久しぶりに墓参りすると言うので便乗しただけ。
立ち並ぶ導は何も言わず、僕達に何の反応も示しはしない。当たり前だ、そこに彼らはいないのだから。墓標とは、墓石とは、飽くまで生者が死者を悼む為のものであって、消えた彼らの魂の行方など月の技術を以てしても分かりはしない。
なら何故僕らはここに来たのか?
「不孝息子が来たぜ。母さん」
「……ここに楓が?」
「ああ。ぐっすりお寝んねだ」
他は大体が一家代々の墓石が立ち並ぶ中、それは只一人の為の物としてはあまりにもしっかりし過ぎていた。夫の、慎也の妻への愛が見え隠れして、思わず目を逸らしそうになる。
「なぁ母さん。俺、彼女が出来たよ」
でも現は前に進んだ。そう、これこそが彼がここに来た理由。
「真実っていってな。本当に可愛い女の子で、俺には勿体無いくらいの良い女なんだよ。母さんもきっと気に入ってたと思う」
「本当はここにも連れて来たかったんだけど、先に諌山のおやっさん──ああ、真実のお父さんの事な。あの人に殴られてからが筋だと思ってるから、今日は俺だけだ。それで我慢してくれ」
亡き母へ、自分が未来を歩んでいる報告。これが親孝行でなくて何というのか。
言いながら墓を丁寧に拭き、花を備える彼の所作は、とても普段の粗暴さは見受けられない。そこに彼の成長を見出して嬉しくなり、そして彼女にそれを見せてあげられなかった事が悔しくて堪らなくなった。
……僕に遭いさえしなければ、今頃。
「ま、俺からはそんなとこだ。強いて言うならこの後に友達の結構な大一番があるから、見守ってやってくれると嬉しいぜ。頼むわ」
「──終わったのか?」
「ああ。お前は?」
「僕は……何も出来やしないさ」
強いて言うなら、ただ墓石の前で悼むだけ。何も出来ないし、しないし、する権利も無い。
僕には別にするべき事がある。
やり残した事、やらなきゃいけない事。幸せにしなきゃいけない
「……じゃ、これで充分か?」
「ああ。帰ろう」
「おう帰ろうか、もう帰ろうよ」
現は今も踏み込んでは来ない。黙秘する僕とヤチヨの意見と立ち位置を尊重し続けてくれている、内心は知りたくて仕方ないだろうに。
けど、もし聞いてくれたら?
もし、迂闊に明かせてしまったなら?
それが出来たなら、果たしてどれだけ気が楽か。
「おや」
「ん?」
母さんの墓参り。久方ぶりのそれを済ませて帰路に就こうとしたその瞬間、意外な人物と出会した。
その名も善庵直也。1ヶ月前と変わらず胡散臭い糸目をチラつかせて歩み寄ってきやがる。
「久しいな
「出会い頭にとんでもないド失礼かまし過ぎやろ君。まぁ元気そうでなによりやね、石実君」
「そちらこそ。俺とてアンタが
「お?デレた??」
「やかまし」
とはいえ彩葉関連で一定の信を置ける大人なのも事実。真実・彩葉・芦花・かぐやは俺にとって大事になり過ぎてるからそうそう雑に扱えないが、帝やコイツはそこの所を気にせず足蹴にし合える気安さもあった。
けど本当にどうした、関西の人間が遥々立川の霊園まで出張るなんてよ。マジで縁ある人が亡くなってる感じなら、さっきは悪い事言っちまったな。
「唐突に殊勝になるのやめーや、反応に困んねん。あと俺の知り合いは朝日君含めて全員無事やから安心してな」
「そら何よりだし、酒寄朝日が帝としてあんな活躍しといて“実は死んでた”とかミステリーホラー極め過ぎてて普通に怖いが、じゃあ尚更なんでここに?」
「うーん、知り合いは無事やけど“俺が一方的に知ってる人”が亡くなっとってなぁ。その墓をつい最近発見したから、今日初めて尋ねたって具合やね」
「そらまぁ酔狂な事で」
その口ぶりからして、何らかの著名人でも眠ってて、善庵の兄ちゃんはそのファンだったとかそんな感じだろうか。まぁだとしたら邪魔するのも悪いし、尚更とっとと帰るとすっか。
「後も詰まってるしな。ああ分かってる、限定ペンライトも購入済だっての」
「え、待って?誰と話してるん?君の肩には何もおらへんよ?」
「あっそうか、アンタには見えないんだったな。気にしねぇでくれ、あと兄ちゃんも手早く済ませて夜に備えといてくれ。じゃ、行こうぜ」
「待って待って待って!?ナチュラルに虚空に向けて話しかけんといてくれ!!ここ墓地!ここ墓地っ!!!怖い怖い怖い!!!!」
ンだよるっせーな。墓地だから何だよ、お化けとか居る訳無ぇんだからンな喚くなみっともねぇ。そんな事で疲れてる暇があったら、早く墓参り済ませて夜の準備しろってさっきから言ってんだろうが。
「んな事言われても……で、今日の夜が何?」
「オイオイしっかりしやがれ。全SNSでトレンド1位、嫉妬に駆られて逆張りに勤しむオールドメディア以外の全てがこの話題で持ちきりだろうが」
そこまで言って、やっと思い出した様子。やれやれコイツもテレビからの情報に縛られてる世代が、時代遅れは困るよ兄ちゃんよぉ。
頑張った奴らが報われる。正しい努力が正しく評価される最高の瞬間。この目で見なきゃ、損以外の何物でもねぇだろうが。
「ヤチヨ・かぐや・いろPのコラボライブだ。親が死んでも参加しろよな」
その点、俺は気楽なもんだぜ全く。なんせ両方死んでっから!
現の親父?本人の意向で散骨されましたよ
ゴミ処理場に