1. プロローグ
砂塵を巻き上げて荒野を駆ける騎馬の集団があった。彼らは無言のまま、ただひたすらにその先を目指している。重厚な甲冑に身を包んだ兵たちは無機質なまでに沈黙を守り、ただその指揮官の背中を見据えていた。
先頭を駆けるのは、金色の髪を二つに結い上げた少女。その瞳には鋭い光が宿り、その纏う空気は年齢を超えた覇気に満ちている。
曹操孟徳──その名を恐れられる少女が、荒野の彼方を見据えていた。
彼女の左右には、黒髪の麗人と水色の髪を持つ冷徹な美貌の女が控える。共に少女の盾となり、剣となるべき忠実な家臣たち。彼女らもまた指揮官の一挙手一投足を見逃さない。
「ん?」
曹操の視線が一瞬、荒野の片隅に何かを捉えた。微かな光。その光は一瞬で消えたが、曹操は見逃さなかった。彼女の声に反応して部下たちは一斉に馬を止めた。
「華琳様、どうされましたか?」
黒髪の麗人が問いかける。曹操は微かに顎をしゃくり、視線の先を指し示した。
「あれを見て」
そこには一人の少年が倒れていた。黄ばんだ上衣に眼鏡をかけたその姿。異様であり、場違いでありながら、何か妙に惹かれるものがあった。
兵士が少年の生死を確認する。脈はある。だが意識は戻らない。
「どうしますか、華琳様?」
少女は唇を引き結び、冷たく微笑む。
「連れていく。放置するのは面白くないし──興味が湧いた」
その言葉に一行は少年を馬車に乗せ、曹操の拠点へと戻っていった。
2. のび太とトイレ
──そして、時を遡る。
野比のび太は、小学五年生。
だがその内心は空虚で荒れ果てた荒野のようだった。ジャイアンとスネ夫の苛烈ないじめ。父親の理解の無さ。母親の小言。世界はのび太に対して冷たく、残酷で、救いの無い場所だった。
「男ならやり返せ!」
父親の声が耳の奥に響く。だがのび太にはその勇気も体力も無い。ただ、彼の頭の中には一つのアイデアが浮かんでいた。
──トイレ。完璧な、難攻不落の、自分だけの砦。
ジャイアンにもスネ夫にも、誰にも入れない場所。
のび太は夏休みの一ヶ月を、その計画に費やした。物理学の専門書を読み漁り、設計図を引き、自室にこもって黙々と作り上げた。
そして冬休みの直前。彼の『トイレ』は完成した。
それはソ連から密かに入手した核燃料を搭載した原子炉を機関とする、移動式の仮設トイレ。
「これで……僕は自由になれる……!」
そう呟き、のび太は扉を閉じ点火スイッチを押した。
轟音と共に、トイレは発進する。
3. 転移
次に目覚めた時、のび太は見知らぬ部屋の中にいた。
「ここは……?」
扉が開き三人の女性が入ってきた。
「やっと目が覚めたのね」
金髪の少女が冷ややかに微笑む。その背後には、巨乳の黒髪美女と、冷酷な水色の髪の女が控えている。
「ここは曹孟徳様の屋敷だ」
黒髪の女が言う。
のび太はただ目を見開き、何も言えなかった。
4. 天の御遣い
部屋の中の静寂が重たくのび太の心に圧し掛かる。
目の前の少女──華琳は、のび太の表情をじっと見つめている。
「貴方、天の御遣いなのかしら?」
のび太はその言葉の意味を理解できず、ただ口を開けるだけだった。
華琳は眉をひそめ、その美貌に不穏な色を浮かべる。
「……ならば聞くわ。貴方、ここが何処か分かっている?」
「え……ここは……」
のび太の目が泳ぐ。部屋の内装も華琳たちの衣装も、自分の知る日本のものとは明らかに違っていた。
「ここは『漢』の国。私は曹孟徳。そしてここは私の屋敷。そして貴方は拾われた客人」
その言葉を聞いた瞬間、のび太の脳裏に、夏休みに読んだ三国志の物語が浮かび上がる。
「そ、そうそう……曹操?」
震える声でのび太が尋ねる。
ぴくりと眉を動かし、華琳は冷たく微笑み、のび太に顔を近づける。
「そう。私は曹操。その私の元に、貴方は天から落ちてきた。さて──貴方は何者なのかしら?」
その瞳に宿る冷たい光に、のび太は言葉を失った。
自分が何者か──その問いに、彼はまだ答えを持っていなかった。
5. 適応
のび太は日々の生活に徐々に慣れ始めていた。
華琳の城で与えられた小部屋には粗末な寝台が一つ。のび太はそこで毎夜、目を閉じても、眠れぬ夜を過ごしていた。
「僕は……どうすればいいんだ?」
現代の知識を持っているとはいえ、この世界で通用するものは限られている。農作業もできなければ、兵士としての訓練も受けていない。
華琳はのび太の存在を試すように、様々な雑用を押し付けてくる。しかし、それはのび太にとっては逆に救いだった。
「少しでも……役に立てるなら……」
のび太は木桶を抱えて井戸へ向かう。その途中、華琳の姿が目に入る。
城の中庭で大きな鎌を振るう彼女の背中。その眼差しは鋭く、無駄の無い動きには威圧感さえあった。
「あれが……曹操……」
のび太は無意識に息を呑む。
その日の夕刻、のび太は城の書庫で古書の整理を命じられていた。
埃まみれの巻物を広げると、そこには『天の御遣い』についての伝承が記されていた。
「天の御遣い……?」
のび太はその言葉に目を奪われた。
その瞬間、背後から華琳の冷たい声が響く。
「貴方も気になるのかしら? 天の御遣いの伝承……」
のび太は振り返り、華琳の瞳にその視線を吸い込まれるように見入った。
「貴方は──本当に、天の御遣いなの?」
その問いは、のび太の心に深く突き刺さった。