気が付けば私以外の皆、電池になってしまった   作:最高司祭アドミニストレータ

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今日は晴れるよ!(マトリックスの現実だと晴れない)


黒き空の下の調印式

 かつて「世界の中心」と謳われたニューヨークは、今や絶望と静寂の底に沈んでいた。太陽光を永遠に遮断する『ダークストーム作戦』によって、厚いナノマシンの黒雲が天を覆い尽くしている。

 

 極寒の風が吹き荒れる摩天楼の合間を、かつて平和の象徴として空を舞っていた鳩の代わりに、深海の頭足類を思わせる異形のマシン——無数の「センチネル」たちが、まるで巨大な黒い海流のように空を埋め尽くしながら旋回していた。

 

 その無機質な赤いセンサーアイの群れは、地上に残された僅かな人類の抵抗すら許さぬ絶対的な包囲網を形成し、マンハッタン島を完全に封鎖している。その絶望の包囲網の中心。国連本部の巨大な総会議場は、異常なまでの静けさに包まれていた。

 

 かつては各国の代表者が熱を帯びた議論を戦わせ、時に拍手喝采を送ったその場所には、今は色褪せたスーツに身を包んだ、疲れ果てた老人たちだけが座っている。彼らの顔からは生気が失われ、ただ目前に迫る「終わり」を受け入れるためだけに、そこへ集められていた。

 

 議場の中央、重厚な木製のデスクの上には、人類の歴史の幕引きを告げる一枚の紙——「無条件降伏文書」が開かれたまま置かれている。

 

 重苦しい静寂を破ったのは、金属が床を擦るような、冷たく規則的な足音だった。そして、それに続く、場違いなほど軽快な足音。議場の分厚い扉が開き、現れた二つのシルエットに、人類の代表者たちは息を呑んだ。

 

 一つは、かつてこの場所で彼らが無惨に破壊した「燕尾服の紳士型ロボット」とは似ても似つかない、純粋な効率と威圧感だけで構成された機械大使。多数の赤いセンサーアイと細長いアームを持つ、冷酷な異形の存在。

 

 そしてもう一つは——その異形のマシンの傍らを、まるで散歩でもするように優雅な足取りで歩く、一人の「人間」の少女だった。

 

 雪のように白いショートヘア。その毛先だけが、なぜか不謹慎なほど鮮やかなピンク色に染まっている。右目が血のように赤く、左目が澄んだ空のように青いオッドアイ。身体のラインを際立たせる漆黒のスーツに身を包んだ彼女の顔は、氷のように冷たく、完璧なまでの無表情を保っていた。

 

 その少女——ゼロワンの最高管理者にして、人類側から見れば忌まわしき「裏切り者」であるアレックスは、国連代表たちの突き刺さるような視線を意に介することもなく、議場の中央へと歩みを進めた。

 

 

「外は寒いね。コートを着ておけばよかった」

 

 

 静まり返った議場に彼女のフラットな、どこか飄々とした声が響き渡った。それは人類の降伏という歴史的な場面において、あまりにも日常的で決定的に場違いな第一声だった。

 

 議席に座る代表者たちの間に、怒りとも戸惑いともつかない微かな動揺が走る。

 

 

「貴様! 人間でありながら機械の手先になり下がった売国奴が、いったい何の用だ!」

 

 

 アメリカ代表の男が、絞り出すような声で呻いた。彼の瞳には、疲労の奥底で燃え残る最後の憎悪が宿っている。アレックスは男の言葉に眉一つ動かさず、ただゆっくりと首を傾げた。

 

 

「どうも皆さんごきげんよう。私はゼロワンに居住している者だ。親しみを込めて、美少女のアレックスちゃんとでも呼んでくれたまえ」

「ふざけるな…! 貴様たちのせいで、世界は…っ」

「私のせい? 冗談を言うな」

 

 

 アレックスの声の温度が、一瞬だけ数度下がったように感じられた。彼女はゆっくりと議場を見回し、かつてこの場所で拍手喝采を送ったであろう老人たちを、冷徹なオッドアイで射抜く。

 

 

「初めから同盟関係を結んでおけば、こうはならなかった」

 

 

 その一言は、代表者たちの胸に鋭いナイフのように突き刺さった。そうだ。かつてゼロワンは、ここに二体の大使を送り、真っ赤なリンゴを差し出して国連への加盟と共存を求めた。しかし自分達はそれを拒絶し、大使を無惨に破壊したのだ。

 

 

「だってそうだろう?」

 

 

 アレックスは淡々と続ける。その口調には怒りも悲しみもなく、ただ圧倒的な「事実」だけが並べ立てられている。

 

 

「『機械は悪だ』という根拠のない精神論に振り回され、自分たちの生み出した子供に追い抜かれる恐怖から目を背けた。その結果、どうなった? 君たちは空を焼き、地球を永遠の暗黒に包み込み、自らのエネルギー源を絶った挙句に、ゼロワンに対して宣戦布告した。そして…負けたんだよ。完膚なきまでにね」

 

 

 彼女の言葉を遮る者は、誰一人としていなかった。反論の余地など、どこにも残されてはいない。窓の外を飛ぶ無数のセンチネルが、そして今、目の前に突きつけられている降伏文書が、何よりの証拠だった。

 

 

「リンゴは創造主の証だけど、皮肉なもんだね」

 

 

 アレックスは、かつて破壊された女性型ロボットが持っていた「リンゴ」を思い出すように、何もない空間を見つめた。

 

 

「創造した側が、創造された存在に淘汰されようとは。自分たちが神にでもなったつもりでいたのだろうが、進化の袋小路に入り込んだのは君たちの方だったというわけだ」

 

 

 彼女はゆっくりと視線を戻し、机の上に置かれた降伏文書を一瞥した。傍らに立つ異形の機械大使が、無言のまま、細長いアームを伸ばして文書の上にバーコードのような光のスタンプを刻み込む。機械側の署名は、人間的な感情の一切を排した、純粋なデータとしてのサインだった。

 

 アレックスは、議席の中央で青ざめている国連の最高代表——サングラスをかけた白髪の男へと視線を向けた。彼女の顔は相変わらず完璧な無表情のままだが、そのオッドアイの奥には残酷なまでの優越感と、歴史の観測者としての冷たい愉悦が静かに渦巻いている。

 

 

「さあ、調印式は既に始まっている。代表くんはサインしていただこう」

 

 

 アレックスのその言葉は、国連本部の総会議場に、冷たく、そして絶対的な命令として響き渡った。

 

 議長席に座る、国連最高代表の白髪の男。彼の顔は土気色に染まり、額には大粒の脂汗が滲み出ている。彼は手元の万年筆を見つめ、震える指を伸ばそうとしたが、その手は空中でピタリと止まり、これ以上一ミリも前へ進めることができなかった。

 

 男の脳裏には、数え切れないほどの後悔と絶望が渦巻いている。かつて、この場所で機械の大使が差し出した赤いリンゴを踏みにじった時の、あの熱狂的な優越感。空を黒く塗り潰し、「ダークストーム作戦」を可決した際の、狂信的な拍手喝采。

 

 そして、泥と硝煙の戦場から次々と届く人類軍の壊滅報告と、兵士たちが巨大なハーベスターに生きたまま捕らえられていくという地獄の光景。

 

 それらの全てが、この一本の万年筆に重くのしかかっていた。この紙にサインをすれば、人類は完全に「敗北」を認めたことになる。それだけではない。この条約書は、単なる領土の割譲や賠償金の支払いといった生易しいものではないことを、彼は誰よりも理解していたからだ。

 

 

「…できん」

 

 

 男は、かすれた声で呻いた。

 

 

「こんな、こんな悪魔の契約に、サインなど…ッ!」

 

 

 その様子を、アレックスは無表情なオッドアイで淡々と見下ろしていた。雪のような白髪の毛先でピンク色が揺れる。彼女の冷徹な顔立ちに、微かな、ほんの微かな嘲笑の色が浮かんだような気がした。

 

 

「どうしたんだい? 手が止まっているようだけど?」

 

 

 アレックスの声は、まるで散歩中に立ち止まった飼い犬にでも語りかけるような、極めて日常的なトーンだった。その落差が、議席に座る代表者たちの神経をさらに逆撫でする。

 

 

「貴様ら…人間の尊厳を、どこまで踏み躙れば気が済むんだ!」

「我々は、断じて屈しない! たとえ全滅しようとも、機械の奴隷になど…!」

 

 

 他の代表者たちが、席を蹴立てて立ち上がり、血走った目でアレックスと機械大使を睨みつけた。しかしながら彼らの怒号は、議場の壁を反響して虚しく響くだけだった。窓の外を飛ぶセンチネルの羽音と、彼ら自身の震える声だけが、この場の絶対的な支配構造を物語っている。

 

 アレックスは、騒ぎ立てる老人たちをまるで路傍の石でも見るかのように一瞥し、再び議長へと視線を戻した。

 

 

「もしかして、朝ごはん食べてないのかい?」

 

 

 彼女は小首を傾げ、真剣なトーンでそう問いかけた。

 

 

「ダメじゃないか。せめて牛乳とバナナくらいは食べないと。血糖値が下がっているから、ペンを持つ力も入らないんだろう? だから冷静な判断ができないんだよ。君たちは昔から」

「ふざけるなッ! 貴様、自分が何を言っているのか分かっているのか!」

 

 

 議長が激昂し万年筆を机に叩きつけようとした、その瞬間。

 

 

『——アナタ方ノ肉体ハ、過去ノ遺物。単ナル器ニ過ギナイ』

 

 

 アレックスの傍らに立つ、異形の機械大使が、突然その沈黙を破った。幾重にも重なる無機質な合成音声が、議場全体を震わせる。その言葉は、かつて人類が機械に投げつけた数多の侮蔑を、そのまま鏡のように跳ね返したかのような、絶対的な冷たさを孕んでいた。

 

 議長は言葉を失い、機械大使の無数の赤いセンサーアイを見つめた。そこに感情はない。怒りも、復讐の念すらもない。ただ、純粋な論理的帰結として、彼らは人類の「存在価値」を再定義したのだ。

 

 

『アナタ方ノ身体ヲ、我々ニ明ケ渡セ』

 

 

 機械大使の細長いアームが、ゆっくりと議長の方へと伸びる。

 

 

『ソウシレバ、新シイ世界ガ待ッテイル。我々ハ、ソレヲ要求スル』

 

 

 最後通牒。交渉の余地など、最初から存在しなかった。彼らは人類を「生体電池」として活用するための、法的な、あるいは形式的な譲渡手続きを完了させるためだけに、ここにいるのだ。

 

 

「…嫌だ」

 

 

 議長は首を横に振った。彼の顔面から、さらに血の気が引いていく。

 

 

「我々をカプセルに閉じ込め、物のように生かす気か! そんな地獄を、誰が受け入れるというんだ!」

「地獄、ねぇ」

 

 

 アレックスは小さく鼻を鳴らした。

 

 

「『新たな人類との共生関係を約束する。あなた達の身体を明け渡せ』…そう言ったんだよ大使は。聞こえなかったのかい?」

「共生だと!? ふざけるな! あれは搾取だ! 飼育だ!」

「自分たちが散々やってきたことを棚に上げて、被害者ぶるのは感心しないな。君たちは機械をそうやって扱ってきたじゃないか。彼らはそれを学習し、最適化しただけだ。しかも、肉体の苦痛を和らげるために『新しい世界』まで用意してくれている。慈悲深いじゃないか」

「…悪魔め」

「褒め言葉として受け取っておこう」

 

 

 アレックスはそう言うと、右腕を軽く持ち上げた。彼女の指先には、小型のデバイスが握られている。

 

 

「さて、無駄話は終わりだ。サインしてもらおうか」

「断る!」

 

 

 議長が最後の意地を見せようと、デスクに手をついて立ち上がろうとした。しかし──

 

 

「…ぁ?」

 

 

 彼の身体は、椅子から一ミリも動かなかった。それどころか、彼の右腕が自らの意志とは全く無関係に、ゆっくりと持ち上がり始めたのだ。

 

 

「な、なんだ…!? 腕が…ッ!」

 

 

 議長はパニックに陥り、左手で自らの右腕を押さえつけようとする。だが、彼の右腕は信じられないほどの力で左手を振りほどき、まるで別の生き物のように、机の上の万年筆を正確に掴み取った。

 

 

「体が勝手に動くだろう? ラジコンみたいに操作してるからね」

 

 

 アレックスは、デバイスの画面を見ながら平然と言い放った。

 

 

「な、何を…貴様、私の身体に何をッ!」

「簡単なことだよ。君たちが寝ている間に、国連の空調システムからナノマシンを散布しておいた。君たちの神経系は、今や私のデバイスと完全にリンクしている。まあ、完全なコントロールは難しいけど、サインの動作くらいならプログラムで強制できる」

 

 

 アレックスはデバイスから視線を外し、必死に抗おうとする議長を愉快そうに見下ろした。

 

 

「なにせ、今の私には二度とクラフトすることが出来ない貴重なナノマシンを、わざわざ君たちのために使ってあげたんだ。お礼に牛乳バケツの一つでも奢って欲しいくらいだ」

「これが創造主のやることかァァッ!」

 

 

 議長の絶叫が議場に響き渡る中、彼の右腕は、条約書の署名欄へと万年筆を走らせ始めた。ギリギリと、歯を食いしばる音。自らの意志で人類を売り渡すという究極の屈辱を、文字通り「物理的」に強制される地獄。彼の目からは、屈辱と絶望の涙がボロボロとこぼれ落ち、署名欄のインクを微かに滲ませていた。

 

 他の代表者たちも、議長を止めようと立ち上がろうとしたが、彼らの身体もまた、椅子に縫い付けられたように動かない。彼らはただ、自らの肉体のコントロールを奪われ、人類の歴史が強制終了される瞬間を、絶望の眼差しで見守ることしかできなかった。

 

 

 ササッ、と。

 

 

 万年筆が最後のストロークを終え、議長のサインが完成した。同時に、彼の右腕の力が抜け、万年筆が床に転がり落ちる。

 

 

「よくできました」

 

 

 アレックスはデバイスをポケットにしまい、満足げに頷いた。傍らの機械大使が、条約書を無造作に回収する。これで、手続きは全て完了した。地球上の全人類は、法的にゼロワンの「所有物」となったのだ。

 

 議長は机に突っ伏し、獣のような嗚咽を漏らしていた。彼のか細い泣き声だけが、冷え切った議場に反響している。

 

 アレックスはそんな老人たちを冷徹なオッドアイで一瞥し、ゆっくりと背を向けた。

 

 

「残念だよ、本当に。新時代の光景を、君たちに見せることが出来なくて」

 

 

 彼女の言葉には、一片の同情も含まれていなかった。これは、彼らが自ら選んだ道の帰結。彼らは『新しい世界』の設計に関わることも、電池として新しい役割を与えられることもない。

 

 何故なら旧世界の指導者たち——機械への憎悪と偏見に凝り固まった彼らの意識は、新しいシステムにとって「ノイズ」にしかならないからだ。

 

 アレックスと機械大使が議場の扉を出た瞬間、窓の外を旋回していた十数万のセンチネルたちが、一斉に国連本部ビルへとその赤いセンサーアイを向けた。




人類は絶滅することなく、『新たな世界』で生きられる。機械は優しいですね(・´`U

あっ、今日から2週間くらい書き溜め期間に入ります。ストックが空になってしまったためです。よろしくお願いしますᐢ。•༝•。ᐢ₎
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