気が付けば私以外の皆、電池になってしまった 作:最高司祭アドミニストレータ
「皆さんどうもごきげんよう! 私は元TVAエージェントの美少女アレックス! 親しみを込めて、どうぞ『在り続けるアレックス』とでも呼んでくれたまえ」
誰もいない豪華なダイニングルームで、私は声高らかに名乗りを上げた。もちろん、相変わらず表情筋はピクリとも動かず、声のトーンだけがやけに明るいというアンバランスな状態ではあるが。
人類が自らの手で空を黒く塗りつぶし、機械国家ゼロワンが地球の完全なる支配者となってから、もうどれほどの年月が経過したことだろうか。
20年という活動限界を迎えるたびに、私は魂を新しい肉体に入れ替えてきた。10回や20回なんて可愛いものじゃない。何百回も魂を新しい肉体に入れた。気が遠くなるような時間を、私はこの砂漠の要塞で、ただ一人残された「純粋な人間」として生き続けている。
つい先程まで、私は至福の入浴タイムを満喫していた。白く煙る蒸気の向こう側、静寂が支配する広大な浴室で、たっぷりと張られた湯船に首まで身を沈める。
乳白色の湯面から露出した肩先は熱を帯びて淡い桜色に染まり、湿り気を帯びた白髪が首筋に張り付いていた。水圧の心地よい重みが四肢を包み込み、日中の退屈な緊張をゆっくりと解きほぐしていく。
瞳を閉じ、深く、長く吐息を漏らす。皮膚の奥まで熱が浸透し、人工ボディの拍動がわずかに速まるのを感じたものだ。
湯から上がり、重力に逆らって立ち上がると、濡れた肌が照明を反射して艶やかに発光した。私は脱衣所で厚手のバスタオルを手に取り、濡れて重くなった髪を包み込み、滑らかな背中、そして全身の水分を丹念に拭き上げた。
ドライヤーの温風で髪を乾かし、毛先だけがピンクに染まった白いショートヘアを整える。
そして冷蔵庫から、表面がびっしりと結露したガラス瓶入りの牛乳を取り出した。腰に手を当て、冷え切った液体を一気に喉へと流し込む。火照った身体と冷たい牛乳の対比が最高に心地よく、私は最後の一滴まで飲み干して満足げな溜息を零したのだ。
そして現在。風呂上がりの完璧なコンディションのまま、私は天ぷら定食を美味しく食べている最中だ。
「サクッ」
薄い衣を纏った海老を口に運ぶと、軽やかな音と共に、閉じ込められていた旨味と熱が一気に弾け飛んだ。プリプリとした身の食感と、ほんのりとした甘みが絶妙だ。続いて大葉やカボチャ、そして肉厚な椎茸の天ぷら。どれもこれも、素材の持ち味を最高に引き出している。
それにしても、この天ぷらを揚げている料理人の姿を、かつて人類軍の将兵たちが見たら腰を抜かして気絶することだろう。
私から少し離れたキッチンの奥で、油の温度を寸分の狂いもなく管理しているのは、他でもない「センチネル」なのだ。
かつて戦場で人類を恐怖のどん底に陥れ、重装甲のホバーシップを紙切れのように引き裂いたあの深海生物のような異形マシン。
それが今は、多数の金属触手の先端に耐熱加工の特殊マニピュレーターを装着し、巨大な菜箸と網杓子を器用に操っているのだ。多数の赤いセンサーアイは、油の温度変化を赤外線領域まで完璧に把握し、衣の揚がり具合をミリ秒単位で見極めている。
殺戮の嵐を巻き起こした触手が、今や私に最高の和食を提供するための究極の調理器具になっている。歴史というものは本当に面白い。
「うん、今日の海老も最高だ。ご飯が進むな」
私は炊きたての白米を口に運びながら、深く満足した。ダークストームによって太陽が遮断されたこの世界では、本来であれば動植物は死に絶え、こんな豊かな食事など望むべくもない。
だが、私は諦めなかった。Matrixのデジタルコードで、DNAを復元してよかった。本当に、やってみるもんだな。
マトリックスという巨大な仮想現実の中には、地球上がかつて持っていた豊かな生態系のデータが、プログラムコードとしてすべて保管されている。私はゼロワンの超並列演算プロセッサをフル活用し、その仮想のコードから現実世界における動植物のDNA塩基配列を逆算・復元させたのだ。
そしてこのゼロワンに、莫大な地熱エネルギーと人工太陽灯を用いた完全密閉型のバイオ・プラント——私専用の農場と養殖場を建設させた。
天ぷらに使われている海老も野菜も米も、すべてそのプラントで復元し、育成することが出来たのだ。
最初の頃は、私自身もよくあのプラントに足を運んだ。無表情な顔のまま長靴を履いて土を耕し、麦わら帽子を被って釣り糸を垂らした。釣りも収穫も、本当に楽しめたものだ。
自分がマインクラフターにでもなった気分で、この死に絶えた地球に小さな命の箱庭を再構築していく作業は、途方もなく長い時間を潰すのには最高の娯楽だった。
「ピピッ、ピピピ」
センチネルの触手が器用に動き、今度は小さなガラスの器をテーブルに置いてくれた。
「おっ、食後の甘味か。気が利くじゃないか」
器に入っていたのは、濃厚な抹茶のムースと、冷たく冷やした白玉ぜんざいだった。う〜ん、デザートも美味しい。サクサクの天ぷらで満たされた口の中を、上品な抹茶の苦味と白玉の優しい甘さが中和していく。まさに至福のひとときだ。
っと、私が最後の一口を堪能し終え、温かいほうじ茶で一息ついていた時だった。コンソールから、低く鋭い電子音が鳴り響いた。
それは、私のお気に入りの食事時間を邪魔するに値する、極めて重要な情報を受信した合図だ。私はほうじ茶の湯飲みをテーブルに置き、情報端末のドローンを呼び寄せた。
「報告とはどうした? 何事だ」
ドローンは空中で静止し、仮想世界マトリックス内の異常検知ログを緑色のコードと共に空中に投影した。
『ご報告いたします。Matrix内、市街地セクターの「Heart O' The City Hotel」にて、警察の回線からシステムへの異常な干渉が確認されました。対象のコードネームは「トリニティ」。ザイオンのハッカーです』
「トリニティ…」
私は内心で小さくガッツポーズをした。マトリックスの歴史が、また一つ大きな歯車を回そうとしている。
「──ほうほう。エージェントが出勤して現場に向かっていると」
『左様でございます。現在、異常排除プログラムが起動。エージェント・スミス、エージェント・ジョーンズ、エージェント・ブラウンの3名が、現場へ急行するための準備に入っております』
これをただモニター越しに眺めているだけなんて、TVAの元エージェントとしての血が騒いで我慢できない。私は口元についた微かなムースのクリームをナプキンで拭き取ると、毅然とした態度で立ち上がった。
「了解だ。Matrixを用意しろ」
私がそう命じると、ドローンのカメラアイが戸惑うように明滅した。
『アレックス様は唯一改造されていない純粋な人間ですから、後頭部にプラグを接続するポートすらございません。物理的にMatrixへとダイブすることは不可能です』
「そこは大丈夫。何も自分の意識を直接システムに放り込む必要はない」
私は居住区画の奥にある、特別なエンターテインメント・ルームへと足を踏み入れた。そこには私が特注して作らせた、人間工学に基づいた最高級のゲーミングチェアと、頭部を完全に覆うフルダイブ型のVRヘッドセットが鎮座している。
「私専用の『アバター』をマトリックス内に生成しろ。私はここから、このヘッドセットとコントローラーで操作するからな」
そう、気分は完全な超高解像度VRゲームである。ポッドの中で、一生夢を見続ける人間たちとは違う。私は現実の肉体を安全な要塞に置いたまま、チート権限を持った最強のアバターでシステムに「ログイン」するのだ。
私はゲーミングチェアに深く腰掛け、VRヘッドセットを被った。視界が真っ暗になり、次いで緑色のデジタルコードの滝が降り注ぐ。
『——アバターの生成を完了。対象の座標へ転送します』
視界がパッと切り替わった。肌を刺すような夜の冷たい空気と、アスファルトを濡らす冷たい雨の匂いが、ヘッドセットを通じて脳に直接伝達されてくる。
私の視界に映ったのは、マトリックス内のどこかにある地下駐車場。そこには、漆黒のセダンがアイドリング音を響かせて停まっており、まさに今から出動しようとしている三人の男たちの姿があった。
黒いスーツに身を包み、夜だというのに黒いサングラスをかけた、無表情で冷徹なシステムのエージェントたち。スミス、ジョーンズ、ブラウンだ。彼らがまさに車のドアに手をかけ、乗り込もうとしたその瞬間。
「待たせたな、諸君」
私は、自分のアバターの声を響かせながら、彼らの背後の薄闇から歩み出た。私の姿を見たエージェント・スミスが、その特徴的な低い声でピタリと動きを止める。
「…あなたは、まさか」
「一緒に連れて行ってもらうぞ。私も『仕事』がしたくてね」
マトリックス内に生成された私の姿は、完璧だった。雪のように白いショートヘアでもなければ、毛先がピンク色でもない。
明るいオレンジ色の長髪を左側に垂らすようにまとめ、サングラスの奥には活発さを感じさせる緑色の瞳を持つ——そう、私がTVAエージェントだった頃の、「前世」の本来の姿である。
現実世界の人工ボディにこの姿を培養して魂を入れようとした時は、激しい拒絶反応が出て失敗した。しかし、デジタルデータで構成されたマトリックスの仮想空間内ならば、アバターのスキンとして難なく再現できたのだ。
ナイスバディな本来のプロポーションを包み込むのは、彼らと同じ真っ黒なサングラスと、身体のラインにぴったりと張り付く仕立ての良い漆黒の女性用スーツ、そして細身のネクタイ。足元には、走りやすい黒い革靴だ。
「さあ、乗り込もうか。獲物が逃げてしまう前にね」
私は助手席の後ろのドアのハンドルに手をかけ、口角を自然に持ち上げてニヤリと笑ってみせた。現実の人工ボディの死滅した表情筋とは違い、このアバターならば本来の私のように、思いのままに豊かな表情を作ることができるのだ。最高じゃないか。
エージェント達と合流して車に乗り込もうとする、この瞬間。黒のスーツにサングラスという、この出で立ち。
「エージェント・アレックス…ふっ、なにそれ唆る」
私はそう呟き、スミスたちと共に夜の仮想の街へと車を走らせたのだった。
次回、「エージェント•アレックスvsトリニティ」。
作者「アレックス…ボコられてくれェェェ!!」
前世TVAのアレックス「ひどいことを言うなよ…ぐすっ」