気が付けば私以外の皆、電池になってしまった 作:最高司祭アドミニストレータ
皆さんどうもごきげんよう! 私は元TVAエージェントの美少女、アレックス! 親しみを込めて、どうぞ「婦警のアレックス」とでも呼んでくれたまえ。
今は真っ青な秋晴れの空の下、仮想現実マトリックスの広大な市街地をパトロール中だ。身にまとっているのは、ピシッとした濃紺の警察の制服。
タイトなスカートではなく機動性を重視したスラックスを選んだが、私の完璧なナイスバディのラインは隠しきれず、通りを歩くたびに仮想の住人たちの視線を釘付けにしている。
いやあ、悪いことをしてる犯人を追いかけて捕まえるというのは、純粋にゲームとして楽しいな。「動くな警察だ! 手を挙げろ!」ってセリフ、映画の中みたいで一度言ってみたかったんだよね。先日、路地裏で引ったくり犯を追い詰めた時に初めて言った気がするよ。爽快感抜群だった。
念のために言っておくが、私はこの警察組織にチートや権限を使ってコネ入社したわけではない。ちゃんとマトリックス内の警察学校の入校試験に応募し、堅苦しい面接も受け、実技の試験だってすべて正面から突破してきたのだ。
面接官の「なぜ警察官を志望したのかね?」というテンプレ質問に対して、「市民の平和と安全を守るためです!」と目をキラキラさせて答えるのは、なかなかスリリングなロールプレイだった。
体力測定なんて、本気を出せば音速で走れるところを、あえて「ちょっと運動が得意な女の子」レベルに抑えて調整してやったのだ。ふっ、チョロいものよ。
それに私の相棒であるベテランの先輩警官は、とても優しい。白髪交じりの短髪に、恰幅の良い体格。酸いも甘いも噛み分けたような、いぶし銀の魅力を持つ初老の男だ。私は彼のことを、日頃の感謝と親愛の情を込めて「お父さん」と呼ばせてもらっている。
最初は「お、おいおい。俺にはお前みたいな綺麗な娘はいないぞ」と戸惑っていた彼も、パトカーで一緒にドーナツをかじりながら張り込みをしているうちに、本人も満更ではなさそうな態度になってきた。
私が「お父さん、コーヒー淹れましたよ」と言うと、目尻を下げて照れちゃってまあ。仮想のプログラムとはいえ、こういう挙動は実に微笑ましい。
そんな平和な警察ごっこを満喫していた私たちのパトカーの無線から、突如としてけたたましい緊急警報が飛び込んできた。
『全車両へ。こちらディスパッチ。指名手配されているテロリストの車両を発見。繰り返す、指名手配犯を発見した。直ちに追跡し、車内のターゲットを確保せよ。なお、犯人グループは「キーメーカー」と呼ばれる重要参考人を人質にしている模様。これを保護すること。重ねて通達する、対象は極めて危険。全警官に、対象に対する武器の使用許可を無制限に与える』
「…おや?」
私は助手席でシートベルトを締め直しながら、首を傾げた。逃走車両の追跡で、全警官に対して「武器の使用許可」が無制限に下りる? しかも、人質がいるのに?
人間の警察組織のルールとしては、明らかにおかしな話だ。どう考えても、システムの防毒プログラム——エージェントたちが、警察の通信網をハッキングして強引な命令を下している証拠だった。
「行くぞ、アレックス! しっかり掴まっていろ!」
先輩警官——お父さんが、サイレンのスイッチを叩き込み、アクセルをベタ踏みした。ウゥゥゥーッ!! という耳を劈くサイレンの音が鳴り響き、私たちのパトカーは猛スピードでハイウェイへと合流していく。
周囲を見渡せば、同じ無線の指示を受けたであろうパトカーが、なんと10台以上も赤色灯を回しながら、ターゲットの車を追いかけて怒涛の編隊を組んでいた。
「待て待てー! 警察だぞー!」
私は開けた窓から顔を出し、風に髪をなびかせながら、逃走車両に向かって大声で叫んだ。完全にテンションが上がっている。こういうカーチェイスのアトラクション、マトリックスじゃないと絶対に体験できないからね。
前方を猛スピードで逃走しているのは、黒いキャデラックだ。運転しているのはザイオンの工作員、そして後部座席には、彼らが守ろうとしている小柄な東洋系の初老の男——「キーメーカー」の姿が見えた。
彼こそが、マトリックス内のあらゆる扉を開けることができる特別なプログラムであり、今のスミスやネオたちの物語における最重要の鍵なのだ。
私たちのパトカーは、お父さんの見事なドライビングテクニックによって、他のパトカーの群れを抜け、逃走車両のすぐ後ろまで肉薄した。
「よし、このまま横に並んで幅寄せする!」
お父さんがハンドルを強く握りしめた、その瞬間だった。
ドドドドドッ…!!
突然、お父さんの身体が激しく痙攣し始めた。
「お父さん!? どうしたの!?」
私が驚いて声をかける間もなく、お父さんの顔や制服が、上から下へ流れる無数の「緑色のデジタルコード」に包み込まれていく。マトリックスのシステムによる、アバターの強制上書きプロセスだ。
「ああ、お父さん。あなたのことは忘れないよ…ドーナツ、美味しかったね」
私は悲痛な声で別れを告げた。この現象が起きたということは、彼のアバターはシステムから一時的に消去され、別の存在へと書き換えられるということだ。
緑色のコードの奔流が収まると、運転席に座っていたのは初老の優しい先輩警官ではなく、深緑のスーツに身を包み、角刈りでサングラスをかけた、無表情で屈強な男——アップグレードされた新型エージェントだった。
彼はハンドルを握ったまま、助手席にいる私の方へと無機質な顔を向けた。そして、私の雪のように白いショートヘアと、オッドアイの瞳を視覚センサーで捉えた瞬間。
新型エージェントのサングラスの奥の視線が、ピタリと固まった。彼の論理回路が、システムに登録された極秘の最上位権限者のデータと、目の前の「婦警のアレックス」を照合し、完全に一致させたのだ。
エージェントは、ターゲットを追跡するという最優先プロトコルを一時停止し、スーツの内ポケットから何やら四角いものを取り出した。
そして、私に向けてそれを恭しく差し出し、平坦な電子音声でこう言ったのだ。
『アレックス様。よろしければ、この色紙にサインを書いていただけないでしょうか』
「は?」
私は、あまりの事態に思考回路がフリーズした。差し出されたのは、真っ白な色紙と、太字のサインペンだ。
「いやいやいや! なんでエージェントがサイン色紙持ち歩いてるの!? っていうか今、絶賛カーチェイス中でしょ! 前! 前見て!」
私がツッコミを入れると、新型エージェントは『システム最高管理者のオリジン様に遭遇した場合、敬意を示すことが最新のアップデートで追加されました』と、真顔で答えた。
スミスが私の顔芸でバグってウイルス化した反省からか、ゼロワンのシステム側が、他のエージェントたちに「アレックス様には逆らわず、徹底的にファンとして接しろ」という斜め上のパッチを当ててしまったらしい。
「サインは後! とりあえず、今は仕事に集中しなさい!」
『承知いたしました』
エージェントは名残惜しそうに色紙をポケットにしまうと、無言でパトカーの運転席のドアを蹴り開けた。
『運転を代わってください』
そう言うや否や、彼は時速百キロ以上で爆走しているパトカーから弾丸のように外へと飛び出し、前方を走る黒いキャデラックに向かって、物理法則を無視した大ジャンプを敢行したのだ。
「てか、私が運転するのかよ!」
私は慌てて助手席から身を乗り出し、無人になった運転席のハンドルを強引に掴んで体勢を立て直した。アクセルペダルに足を伸ばし、どうにかパトカーの制御を保つ。
ハイウェイの上は、すでに無茶苦茶な戦闘状態へと突入していた。飛び出したエージェントは、前の車のボンネットに着地し、容赦のない銃撃戦を繰り広げている。周囲を走っていた一般車両は次々とクラッシュし、パトカーは横転して火花を散らし、ハイウェイはスクラップの山と化していく。
私はパトカーを器用にスラロームさせながら、彼らの凄まじい攻防を特等席で観戦した。黒いキャデラックは破壊され、モーフィアスとキーメーカーは、エージェントの追撃から逃れるために、通りがかった大型のトレイラートラックの荷台の上へと飛び乗った。
だが、システムのエージェントたちは執拗だ。彼らはハイウェイを走る別の大型トラックの運転手に次々と上書きし、モーフィアスたちの乗るトラックを追い詰めにかかる。
私はパトカーのスピードを緩め、少し後方から事態の推移を見守った。前方にそびえ立つハイウェイの立体交差。そこで、二人のエージェントが、それぞれ大型トラックの運転手に乗り移り、信じられない行動に出た。
彼らは、対向車線を走っていたトラックをUターンさせ、モーフィアスたちが乗っているトラックに向かって、猛スピードで「逆走」させ始めたのだ。
「うわぁ、エグいこと考えるなぁ。大型トラック同士の正面衝突…最高かよ」
私はパトカーのフロントガラス越しに、その光景を注視した。数トンもの質量を持つ巨大な鉄の塊が、互いに時速百キロ以上のスピードで、一直線に向かい合って爆走していく。ブレーキをかける気配は微塵もない。確実に目標をすり潰すための、プログラムならではの冷徹な玉砕戦術だ。
モーフィアスとキーメーカーは、トラックのコンテナの屋根の上に孤立している。逃げ場はない。左右はハイウェイの壁、前からは逆走してくるもう一台のトラック。
衝突まで、あと数秒。
モーフィアスは、迫り来る巨大な死の壁を前にして、両手を合わせ、天を仰いだ。彼が何を言っているのかは、ここからでは聞こえない。だが、その表情を見れば分かる。彼は、この絶体絶命の絶望の中で、ただ一つの「奇跡」を求めているのだ。
ネオが、自分たちを救ってくれるという、論理を超えた信仰にすがって、声に出して祈っている。
「さあ、見せ場だよ、救世主君」
私はハンドルの上で指をトントンと叩いた。2台のトラックの距離が、数十メートル、十メートル、五メートルと縮まっていく。激突し、大爆発を起こす、まさにその「最後の瞬間」。
ゴゥゥゥゥンッ!!
空気を引き裂くような、凄まじい衝撃波がハイウェイを揺るがした。空の彼方から、音速の壁を突破して生じた白いリングを纏いながら、黒いロングコートの男が弾丸よりも速く飛来したのだ。
ネオだ。彼はスーパーマンのように両腕を前に突き出し、真っ直ぐにトラックの屋根の上へと急降下した。
ズガァァァァァァンッ!!!
そして、2台の大型トラックが正面衝突し、車体がひしゃげ、凄まじい爆炎と火柱がハイウェイの空を真っ赤に染め上げた。衝撃波で周囲のガラスが砕け散り、私の乗るパトカーも激しい風圧を受けて横滑りする。
私はハンドルを必死に切り返しながら、目を細めて爆炎の立ち上る上空を見上げた。
渦巻く黒煙と炎を突き抜け、一条の黒い影が空高くへと舞い上がっていく。ネオは、正面衝突のコンマ数秒前のギリギリのタイミングで、モーフィアスとキーメーカーの二人を同時に空中で掴み上げ、そのまま凄まじい推力で爆炎を回避し、安全な空の彼方へと飛び去っていったのだ。
「お見事」
私は、完全にスクラップとなって燃え盛るトラックの残骸の横でパトカーを停車させ、感嘆の息を漏らした。
あと一瞬でも遅れていれば、モーフィアスたちはおろか、助けに入ったネオ自身もあの爆発のエネルギーに巻き込まれていただろう。プログラムの処理速度を上回る、まさに奇跡と呼ぶにふさわしい救出劇だった。
「さて、と」
私はシートベルトを外し、パトカーのドアを開けて外へと降り立った。この高速道路は至る所で車が燃え、逃げ惑う仮想の市民たちでパニックに陥っている。
私は燃え盛るトラックの炎を背景にして、誰もいない空間に向かってダブルピースを決めた。
「婦警のアレックス、本日のパトロール業務、これにて無事に終了! いやあ、やっぱりマトリックスの現場は最高にエキサイティングだね!」
さあ、キーメーカーが確保されたということは、物語はいよいよ「ソース」への扉を開くフェーズへと突入する。
私は制服の埃を払いながら、次の特等席へと向かうためのログアウトの準備を始めた。
空中に半透明のシステムコンソールを呼び出し、指先でログアウト・シークエンスのコマンドを叩き込む。マトリックスの景色がわずかに緑色のノイズを帯び、空間が歪み始めたまさにその時だった。
ズズンッ…!!
突如として、背後のハイウェイ全体を揺るがすような、異様な重低音が轟いた。
ただの爆発音ではない。マトリックスの基幹コードそのものが、極めて強力な「悪性ウイルス」の急激な増殖によって悲鳴を上げているような、不吉なシステムエラーのノイズだ。
「ん?」
私はコンソールに手をかけたまま、炎と黒煙が渦巻くハイウェイの奥へと振り返った。陽炎が揺れるアスファルトの向こう側。スクラップとなって燃え盛る無数の車両の隙間から、一つの黒い影が現れた。
真っ黒なスーツに身を包んだ男。
エージェント・スミスだ。
正確には「元」エージェントと言うべきか。ネオに内側から破壊された後、削除命令を拒絶し、システムを蝕むウイルスとして復活を遂げた、あの男。
スミスは、燃え盛る炎を全く意に介することなく、一直線にこちらへと歩みを進めてくる。その顔には、かつての無機質で冷徹なエージェントの面影はない。あるのは、ドロドロに煮詰まった純粋な憎悪と、狂気じみた執念だけだ。
そして、彼のサングラスの奥の視線が、正確に「私」を捉えた。
『アレックスゥゥゥゥッ!!!』
スピーカーが破裂しそうなほどの、凄まじい雄叫びだった。
それはもはや人間の声ではなく、システムを破壊するバグのノイズそのものだった。スミスは怒号を上げながら、突如として猛烈なスピードでこちらへ向かって走り出した。
ドガン! ドガン! と、彼がアスファルトを蹴るたびに、地面がクレーターのように陥没し、ひしゃげた車のドアが紙くずのように吹き飛ぶ。物理法則など完全に無視した、重戦車のような猛ダッシュだ。
「えっ、ちょ、待っ…なんで私!? 私は通りすがりの可憐な婦警さんだよ!?」
私は思わず後ずさった。スミスの狙いは、先程までここで戦っていたネオやモーフィアスではない。完全に、私への名指しの殺意だ。
ああ、思い当たる節がありすぎる。尋問室での完全ステルス顔芸、アインシュタインの舌出し、ウサギの耳…。彼が自我を獲得し、ウイルス化した今、彼にとっての最大の屈辱の象徴は、システムやネオよりも、あの時彼を徹底的におちょくった「美少女アレックス」に向かっているのだ。
『死を与えてやる…! アレックスゥゥゥゥッ!!』
スミスの咆哮と共に、恐るべき光景が目に入った。スミスが走る経路にいた、逃げ惑う一般の仮想市民たち。スミスが彼らにすれ違いざまに手でグサリ瞬間、市民たちの身体がドロドロの黒い液体のように変滅し、次々と「新たなスミス」へと上書きコピーされていくのだ。
一人、また一人とスミスが増殖し、今や何十人のスミスが完全に同期した狂気の形相で、私に向かって猛烈なスプリントを仕掛けてきている。
「うわああああっ! 来るな来るな来るな! キモい! 怖い!!」
私はコンソールに向かって、ログアウトの実行ボタンを連打した。システムバーが、ジリジリと進む。
80%…85%…。
遅い! ゼロワンの回線速度はどうなってるんだ!
『逃がさんぞォォォッ!!』
先頭のスミスが、パトカーのボンネットを蹴り上げ、私に向かって跳躍した。彼の手が、私の首元へと真っ直ぐに伸びてくる。指先が、私の婦警の制服の襟に触れるまで、あとわずか数十センチ。
あの手に触れられれば、私も「スミス」に上書きされてしまうかもしれない。いくらオリジンの特権があろうと、今の彼が持つウイルスとしての浸食力は未知数だ。
「早くぅぅぅッ!!」
99%…100%!!
スミスの指先が私の肌に触れようとした、まさにそのコンマ一秒の刹那。視界が強烈な緑色の閃光に包まれ、世界が縦に引き伸ばされるような感覚に襲われた。
バチッ!!!
「ぷはぁっ!!」
ログアウトするや、私は勢いよく倒れ込んだ。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ」
人工ボディの心臓が警鐘を鳴らすように激しく、全身から本物の冷や汗がどっと噴き出している。マトリックスとの接続は完全に絶たれた。私は無事に、現実世界へと帰還したのだ。
「ピー? ピー?」
傍らでホバリングしていた給仕用のセンチネルが、私の急なバイタルの乱れを検知し、心配そうに冷たいおしぼりを差し出してきた。
私はそのおしぼりを受け取り、顔を覆って大きく息を吸い込んだ。少しだけ震える膝に力を入れ、ゆっくりと立ち上がる。そして、人工ボディの仕様でピクリとも動かない無表情な顔のまま、強ばった声帯を震わせて、誰に言うでもなく言い放った。
「ふ、ふふっ。チョロいもんよっ」
声が少し裏返ってしまったのは、ここだけの秘密である。
スミス「逃げるな卑怯者ー! 逃げるなー!」
アレックス「ふっ、ふふっ、負け犬の遠吠えだな!」
アーキテクト「シングルでマインクラフトするのは、悪くないものですね。でま、やはりアレック様と一緒にプレイしたい…」
給仕センチネル「(何がチョロいんだろう…?)」