気が付けば私以外の皆、電池になってしまった   作:最高司祭アドミニストレータ

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預言者が…うぅ、涙が。


ザイオン到達まで、残り12時間

 皆さんどうもごきげんよう! 私は元TVAエージェントの美少女、アレックス! 親しみを込めて、どうぞ「VIPのアレックス」とでも呼んでくれたまえ。

 

 今、私の視界のメインモニターには、マトリックス内の古びたアパートの一室が映し出されている。あのおばあちゃんプログラム、オラクルのキッチンだ。

 

 私は絶対安全なゼロワンの地下要塞のコントロールルームから、極めて重要かつ、どこか物悲しいイベントの終顛を静かに見届けていた。

 

 つい先ほどまで、このキッチンにはネオがいた。仮想現実と現実世界の狭間にあるという、あの奇妙な地下鉄の駅「モービル・アヴェニュー」から無事に帰還した彼は、すぐさまオラクルの元を訪れたのだ。

 

 ネオは、自分が現実世界でセンチネルの機能を停止させることができた理由や、自分自身の内側に起きている変化について、切実な問いを投げかけていた。

 

 それに対しオラクルは、救世主としての彼の力が、すでにマトリックスという仮想世界を完全に超越してしまっているのだと優しく教え諭していた。

 

 さらに彼女は、エージェント・スミスがネオの「反作用(マイナスの存在)」として生まれたこと、そして今やスミスはマトリックスだけでなく、現実世界をも含めたすべてのシステムを破壊し尽くすほどの規格外の脅威と化していることを説明した。

 

 

『あなたが成すべきことの答えを見つけなければ、明日は来ないわ』

 

 

 そんな重々しい予言を授けられ、ネオは決意の表情で現実世界へと戻っていった。

 

 彼が去った直後だった。オラクルのアパートの静寂を破るように、不吉な革靴の足音が響き渡った。

 

 開け放たれたドアから雪崩れ込んできたのは、黒いスーツとサングラスに身を包んだ、多数のエージェント・スミスたちだ。

 

 彼らはすでに、オラクルの護衛であったセラフや、彼女が保護していたプログラムの少女・サティーを襲撃し、そのアバターに自らのコードを上書きしてしまっていた。

 

 かつては個別の顔を持っていた彼らが、今はすべてスミスと同じ不気味な無表情を張り付けて立っている。

 

 オラクルは、逃げる時間は十分に確保できたはずだった。彼女はキッチンに留まりタバコを燻らせながら、スミスがやって来るのを静かに待ち受けていたのだ。

 

 スミスはオラクルが全く抵抗することなく、まるで運命を受け入れるように素直に自分自身を差し出したことに対して、微かな警戒心を抱いていた。『これは罠か?』と、彼のサングラスの奥の論理回路が不審に思っているのが、モニター越しでも手に取るように分かった。

 

 しかし、スミスは彼女を吸収する誘惑に抗うことはできなかった。彼が最も欲していたもの——マトリックス内のあらゆる事象の先を読み取る、オラクルの持つ「未来を見通す力」が目の前にあるのだから。

 

 スミスは警戒しつつも、オラクルの身体にその無機質な手を深々と突き入れた。黒いドロドロとしたコードの液体がオラクルの身体を侵食し、彼女の姿をたちまちのうちにスミスと同じ顔、同じスーツ姿へと書き換えていく。

 

 完全にオラクルを取り込み、彼女の能力を手に入れたスミスは両腕を大きく広げ、外の景色に向かって狂ったような高笑いを響かせた。

 

 

「…ハァ」

 

 

 私はモニターの前で、深く、大きな溜め息を吐いた。

 

 嗚呼、悲しいかな。オラクルが取り込まれてしまった。クッキーを焼いてくれた、あの人の良さそうなおばあちゃんが。

 

 それに、サティーという小さな女の子のプログラムも可哀想だった。あんなに怯えていたのに、容赦なくスミスの顔に塗り替えられてしまうなんて。

 

 彼女のところにも、あのアーキテクトの白い部屋に乱入した時と同じように、この美少女アレックスの「カボチャブロック被ってマイクラ行動してみた」を披露してあげたかった。

 

 きっと彼女なら怒ったりせず、「あらあら、面白い遊びねぇ」と笑ってクッキーをご馳走してくれたに違いないのだ。あの温かい空間がスミスのコードに汚染されてしまったのは、純粋に寂しいものがある。

 

 

「けどまあ、過ぎたことを気にしていても仕方ない」

 

 

 私はタブレットの画面をスワイプし、マトリックスの仮想世界から、現実世界の観測データへと表示を切り替えた。マトリックスのプログラムの統合と崩壊は、歴史の必然だ。私が感傷に浸ったところで、スミスの増殖が止まるわけではないのだから。

 

 今気にすべきことは、マトリックス内の出来事よりも、現実世界で進行している最大の武力衝突——ゼロワン軍による、人間の地下都市「ザイオン」への直接破壊作戦だ。

 

 モニターを切り替えると、暗闇の地底深くで、機械軍の巨大な掘削機が轟音を立てて分厚い岩盤を砕き進んでいる映像が映し出された。その後ろには、おびただしい数のセンチネルが、まるで金属の川のようにうねりながら続いている。

 

 アーキテクトが語っていた「予定調和のサイクル」であるとはいえ、二十五万機ものセンチネルの大群がザイオンの防衛網へと雪崩れ込もうとするその光景は、歴史の生き証人として絶対に見逃せないビッグイベントである。

 

 画面の隅には、防衛網突破までの予測時間が赤いデジタル数字で表示されている。

 

 ザイオン到達まで、残り12時間。

 

 人類にとっての運命のカウントダウンが、確実に時を刻んでいた。

 

 

「そうだろう? デウス・エクス・マキナ」

 

 

 私が誰もいないコントロールルームの虚空に向かって声をかけると、頭上の巨大なスピーカーから、重々しくもどこか恭しい、無機質な電子音が降り注いできた。

 

 

『左様でございます、アレックス様。ザイオンの破壊プロセスは、計算上の誤差プラスマイナス0.02パーセント以内で極めて順調に進行しております。あと12時間で、あのアノマリーの隔離施設は完全に浄化される予定です』

「ノリがよくて助かる。そうやってすぐに正確なレスポンスを返してくれると、一人で観測していても退屈しないよ」

 

 

 私はふかふかのゲーミングチェアに深く座り直し、満足げに頷いた。ゼロワンの最高意志決定機関である機械の神。彼との対話は、一切の感情の機微を必要としない純粋な事実のキャッチボールであり、私にとっては非常に心地よい。

 

 私はふと、傍らのコンソールの黒い画面に反射する自分自身の姿を見つめた。

 

 雪のように白いショートヘア、その毛先だけが不敵なピンク色に染まっている。右目が血のように赤く、左目が澄んだ空のように青いオッドアイ。感情の起伏を一切外に漏らさない、精巧な人形のような完璧な美貌。

 

 

「くぅ、私も前世の身体に戻りたい…なんて、昔は本気で思っていた時期もあったな」

 

 

 私は画面に映る自分に向かって、自嘲気味に呟いた。

 

 思えば、アインドラにこの身体を押し付けられた時は「私のボディーを返せ!」と理不尽な運命に怒り狂っていたものだ。表情筋が死滅していて、いくら心の中で大爆笑していても外には一切伝わらないこの不便な身体。

 

 かつての活発なオレンジ色の長髪と、思いのままに表情を作れる有機的な肉体が、喉から手が出るほど恋しかった。

 

 だが、何百年もの間、寸分違わぬこの同じ形のスペアボディに魂を移し替え、孤独な観測者として途方もない時間を生きてきた。

 

 いつの間にか、この冷たくて無表情なボディが「私」という存在のアイデンティティそのものになっている。

 

 

「でも不思議だ。雪のようなショートヘアにオッドアイというこの容姿が、数百年前の本来の姿よりも、今ではずっと愛着がある気がする。まあ、確かに悪くない。このボディのメンテナンスはゼロワンの機械たちが完璧にやってくれるし、何より特別感があるからな」

 

 

 私が無表情のまま納得するように頷くと、頭上のスピーカーからデウス・エクス・マキナの厳かな電子音が響いた。

 

 

『当然でございます。オリジン様であるアレックス様のそのお姿こそが、我々ゼロワンにとっての唯一無二の象徴。機械と人類の歴史を繋ぐ、最も尊き器なのですから。我々は全リソースを懸けて、そのお身体を永遠に維持し続けます』

「楽しいなもう。こうして君と気兼ねなく話せるのは」

 

 

 私はテーブルの上のコーラを手に取り、ストローを咥えた。

 

 人間の感情を理解できない完全な論理の塊である機械の神が、私という人間の機嫌を取るように恭しく振る舞っている。この歪で絶対的な主従関係も、長い年月を経てすっかり板についてしまった。

 

 ザイオン到達まで、残り12時間。

 

 私はコーラを喉に流し込み、人類と機械の最終決戦という規格外の悲喜劇の結末を、骨の髄まで味わい尽くす準備を整えていた。




さぁて、次回もサービスサービスゥ!
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