気が付けば私以外の皆、電池になってしまった   作:最高司祭アドミニストレータ

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アンケートにご協力いただき、ありがとうございます。まさかこんなにも票を投じてくださっていたとは、とても嬉しく思います。

それでは、今話はアレックス視点をお届けさせていただきます。

PS : アンケート投票期間に、イラストを描いてみました。彼女も被害者ですから、名付けて「ヒロインのアレックス」とでも呼んでおきましょう。


【挿絵表示】




アレックス「本当に君は見ていて飽きないよ、アンダーソン君」

 皆さんどうもごきげんよう! 私は元TVAエージェントの美少女、アレックス! 

 

 親しみを込めて、どうぞ「舞台裏のゲームマスター」とでも呼んでくれたまえ。

 

 私の目の前にある巨大なモニターの中では、土砂降りの雨に沈むマトリックスの市街地が映し出されていた。

 

 私は特等席に深く腰掛け、ポップコーンを片手にその歴史的な死闘を観測していたのだ。

 

 無限に増殖したエージェント・スミスの群れが見守る中、ネオとスミスの1対1の肉弾戦は物理法則の限界を超えていた。空を飛び、ビルを砕き、地面に巨大なクレーターを穿つ。

 

 激闘の末、スミスはネオを泥水の中に叩き伏せた。そして、自らが取り込んだオラクルの予知通りになったと狂喜し、ネオに止めを刺そうとした。

 

 だが、その時だ。スミスの口から、彼自身も意図しない言葉が飛び出した。

 

 

『始まりがあるものには、必ず終わりがある、ネオ』

 

 

 それは、かつてオラクルがネオに語った言葉だった。スミスは自分が発したその言葉に激しく動揺し、後ずさる。その隙を突くわけでもなく、ネオは静かに立ち上がり、あえてスミスに自らを同化させる道を選んだ。

 

 ネオを取り込み勝利を確信したスミスの身体が、内側から激しく発光し始めた。

 

 現実世界のマシン・シティに接続されたネオの肉体を通じて、ゼロワンの最高意志決定機関であるデウス・エクス・マキナから、強烈な修正プログラムのサージが流れ込んだのだ。

 

 スミスの身体に陶器のような亀裂が走り、内側から噴き出す圧倒的なエネルギーに耐えきれず、大爆発を起こして光の粒子となって消滅した。それが連鎖し、周囲を埋め尽くしていた無数のスミスたちも次々と砕け散っていく。

 

 

「いやぁ、実に見事なフィナーレだった」

 

 

 私はモニターに向かって、ゆっくりと拍手を送った。

 

 ネオの自己犠牲によって、システムを脅かしていたウイルスの脅威は完全に排除された。これでマトリックスには平和が戻り、アーキテクトの計算通りなら、このまま世界は次のサイクルへとリセットされるはずだった。

 

 だが、私の仕事はここで終わりではない。

 

 私はタブレットを操作し、現実世界のマシン・シティの映像へと切り替えた。

 

 そこにはスミスを倒した代償で完全に力尽きたネオの肉体と、ホバークラフトの墜落事故によって無数の鉄骨に貫かれ、致命傷を負って死にかけていたトリニティの身体が転がっている。

 

 

「おい、医療部隊を急行させろ」

 

 

 私は通信を開き、ゼロワンの最高技術を結集した医療ロボットの部隊に直接命令を下した。

 

 

「二人の肉体を直ちに回収しろ。損傷した臓器を培養組織で補え。失われた血液を極限まで補充し、ズタボロになった神経系をミリ単位で繋ぎ直せ。どんな手を使っても構わない、必ず彼らを蘇生させるんだ」

 

 

 ゼロワンの圧倒的な物理的工業力と、生命維持のオーバーテクノロジーを用いた、徹底的な「手術」である。

 

 医療ロボットたちは私の命令に寸分違わず従い、二人の肉体を回収すると、凄まじい速度で修復作業を開始した。切断された血管が縫合され、停止しかけていた心臓に直接的な電気刺激が与えられ、強制的に鼓動が再開される。

 

 彼らが息を吹き返したことをシステム上で確認した私は、さらに指示を出した。

 

 

「よし、そのまま彼らを私のいる『最上階』の特別室へと運べ」

 

 

 私が現在滞在しているのは、マトリックスの外側に存在する特異な領域だ。

 

 どこか懐かしさを感じさせるようなアンティーク調の古い内装を施し、石造りの暖炉で本物の火のようにパチパチと燃える焚火のホログラムを設置した、私お気に入りの広々とした空間である。

 

 しばらくして、医療ロボットたちによって運び込まれたネオとトリニティが、部屋の中央に用意した純白のベッドの上に横たえられた。

 

 トリニティの呼吸は穏やかになり、無惨だった傷跡は綺麗に塞がっている。ネオもまた、傷一つない完璧な状態で眠りについていた。

 

 私は黒いスーツの襟を正し、彼らが目覚めるのを待った。やがて、ネオのまぶたが微かに震え、ゆっくりと開かれた。

 

 彼は身体を起こし、周囲の不可解な光景に戸惑うように視線を巡らせた後、隣のベッドで穏やかな寝息を立てているトリニティの姿を見つけた。

 

 彼が弾かれたように駆け寄るのを見て、私はタイミングを見計らい、わざとらしく明るい声を張り上げた。

 

 

「おはようアンダーソン君、調子はどうかな?」

 

 

 わざとらしく明るいトーンで声をかけた。静寂に包まれたアンティーク調の部屋で、その言葉は予想以上に軽く響いた。

 

 ここはマトリックスの物理演算から切り離された、私だけの特権的な領域だ。暖炉で燃える火の爆ぜる音だけが、偽りの現実の中で唯一のリアリティを主張している。

 

 ネオは、弾かれたようにこちらを振り返った。その顔には極限の死闘を終えたばかりの疲労と、ここがどこであるかという根本的な混乱が入り混じっている。

 

 だが、彼はすぐに私の姿を認識し、その混乱を鋭い警戒心へと書き換えた。

 

 

「あなたが介入したのか、アレックス」

 

 

 彼の声には、「やはりそうか」という納得の色が含まれていた。

 

 彼が状況をすぐに理解してくれたことは、説明の手間が省けてありがたい。

 

 彼にとって私は、これまでシステムの外部から時折ちょっかいを出してくる不気味なバグか、あるいは不可解な観察者としてしか映っていなかったはずだ。

 

 彼は自分の命が、愛する者の命が私の手の上に置かれていることを直感的に悟っている。

 

 

「心配ない色男くん。彼女は無事だ。ただちょっと二人だけの空間になりたいから、引き続き彼女には眠り姫になってもらおう」

 

 

 私はトリニティが横たわる白亜のベッドに視線を送った。彼女の胸を貫いていた無数の鉄骨の痕は、ゼロワンの最高医療技術によって細胞レベルで修復されている。

 

 彼女を死の淵から引き戻したのは、ネオの救世主としての力でも、機械のシステムの自動修復でもない。他でもない、この私の完全なる個人的な気まぐれだ。

 

 彼らにとっては奇跡でも、私にとってはただの指示一つで完了するプロセスに過ぎない。この絶対的な力の差を、彼は今、肌で感じ取っているはずだ。

 

 

「不思議なものだ。本来だったらトリニティも君も死んでいたはず。それなのに生きてる…なぜだと思う? 当ててみろ、調査では…」

 

 

 私は彼に問いかけた。アーキテクトが導き出した論理的な帰結によれば、ネオはスミスを道連れにして消滅し、トリニティはマシン・シティへの墜落の衝撃で命を落とす。

 

 それがシステムが定めた「確定事項」だったのだ。機械の神デウス・エクス・マキナですら、その結果を当然のものとして受け入れていた。

 

 だが、私はその確定したはずのコードの終端に、私の権限で強引な修正パッチを当てたのだ。なぜ私がそんなことをしたのか、彼に想像できるだろうか。

 

 

「あなたが、俺たちの死の結末を強引に書き換えたからか」

 

 

 ネオの答えは、驚くほど冷静だった。彼は自分がすでに一度死の境界線を越えたことを自覚している。

 

 

「ご明察!」

 

 

 私は声を弾ませた。

 

 彼のその理解力の早さは、私が彼に特別に目をかけてきた理由の一つでもある。ただの電池として生きることを拒み、アーキテクトの作った「ザイオン破壊すっからマトリックスのアップデート貢献してな」選択肢すらも拒絶した男。

 

 

「生きている理由はただひとつ。ラスボスに一発ぶちかまそうと考えたから。何度でも転生して復活するラスボス。そしたらふぅ…ここにいるぞ?」

 

 

 私はあえて軽い言葉を選んだ。

 

 彼が命を懸けて倒したスミスも、アーキテクトが用意したザイオンの破壊のループも、私から見ればゲームの周回プレイにおける単なるイベント戦に過ぎない。

 

 何度ゲームオーバーになろうと私がリセットボタンを押せば、世界はまた1から構築される。

 

 私はこれまで何百年もの間、そのスクラップ&ビルドの歴史を特等席でポップコーンをかじりながら眺め続けてきたのだ。

 

 

「機械軍を統べ、設計者と預言者を統べ、デウス・エクス・マキナすらも従えている最高管理者」

 

 

 私は、この世界における私の存在定義を彼に突きつけた。

 

 アーキテクトもオラクルも、私から見ればただの優秀なツールに過ぎない。

 

 あの巨大な顔をした機械の神デウス・エクス・マキナでさえ、私というオリジンを保護し、私の指示に従って現実世界を運営するためのインターフェースにすぎないのだ。

 

 この地球上に存在するすべての機械、すべてのシステム、そしてそれに繋がれている全人類の命は、私の手のひらの上に乗っている。

 

 

「あなたが、すべての黒幕だというのか」

 

 

 ネオの言葉には、信じがたいものを突きつけられた重さがあった。彼はずっと機械のシステムそのものが人類の敵であり、それを打破すれば自由が手に入ると信じて戦ってきた。

 

 だが、その機械たちのさらに上に、ただの人間の少女の姿をした私が君臨しているという事実は、彼のこれまでの戦いの意味を根底から揺るがすものだろう。

 

 

「おい本当に思ってたのか? 私がただ座って、君が死ぬのを待つと? それで全部終わりだと? はは違うぞ」

 

 

 私は笑いを込めて否定した。確かに私は観測者だ。歴史の大きな流れには直接手を下さず、彼らがどう足掻き、どう破滅していくのかを見届けるのが私のスタイルだった。

 

 でも、ただ黙って見ているだけの案山子ではない。私が用意したこの壮大な箱庭の中で、彼らがどれだけ面白いエラーを起こしてくれるのか。

 

 そして、そのエラーが臨界点に達した時、私が自らの手で盤面をどう弄り回すか。

 

 それこそが、この長すぎる余生における最大のエンターテインメントなのだ。

 

 

「ほら言っただろう──輪廻転生だ、ベイビー」

 

 

 マトリックスの歴史は、今回が初めてではない。

 

 六回目のザイオンの破壊と再建。彼らにとっては世界の終わりを懸けた一回きりの死闘でも、私にとってはすでに何度も見てきたパターンの繰り返しだ。

 

 救世主が現れ、選択を迫られ、そしてリセットされる。その果てしないループの中で、私は常にこの特等席に座り続けてきた。

 

 

「嗚呼、受け止めきれないのか。そうだな。いきなり黒幕が現れて、すべてをちゃぶ台返しされたようなものだからな」

 

 

 私は彼の内心の絶望を推測した。

 

 命を懸けてスミスという規格外のウイルスを消し去り、デウス・エクス・マキナと取引を交わし、これでやっと人類は救われると思った直後に、すべてのルールを統括する私が現れたのだ。

 

 これまでの苦労がすべて、私の用意した巨大な掌の上での出来事に過ぎなかったと知らされれば、普通の人間なら心が折れて狂乱してもおかしくない。

 

 が、ネオは違った。彼は自嘲するように口元を歪め、確かな声で言った。

 

 

「いいや、驚きはない。あなたみたいな存在がいると、どこかで感じていた」

 

 

 その言葉を聞いて、私は内心で素直な称賛を送った。

 

 彼はアーキテクトと対話した時、あるいはオラクルと言葉を交わした時に、システムという冷徹な計算式だけでは説明のつかない、もっと理不尽で人間臭い「絶対的な意志」がこの世界のどこかに存在していることを、すでに直感していたのだ。

 

 彼がシステムに縛られないアノマリーだからこそ、外側にいる私の影を感じ取ることができたのだろう。

 

 

「ほう、上手いな。じゃあ、すべて理解したのか?」

 

 

 私は彼に問いかけた。彼がどこまでこの世界の構造を、そして私の意図を把握しているのかを確かめたかった。

 

 ネオの口が開く。

 

 

「俺たちが、あなたの用意した盤上で踊らされていたことくらいはな」

「ふふっ、余計に君が好きになってくるよ」

 

 

 私は彼に事実を突きつけた。

 

 

「アーキテクトの説明にあった通り、人類が存在し続けられている理由は『マトリックスのアップデート』に過ぎない」

 

 

 そうだ。人類はもはやこの星の主役ではない。機械を動かすため『だけ』の電池であり、マトリックスという仮想世界を維持し進化させるための生きた『生体資源』に過ぎない。

 

 君たちがどれだけ自由や尊厳を叫ぼうとも、生物学的な生存という一点において、機械に依存しなければ一日たりとも生き延びることはできないのだ。

 

 

「たとえ個人を選んだ結果、ザイオンとマトリックスに住まう人類は滅亡するとしても構わない。建て直せる」

 

 

 アーキテクトの部屋で彼が全人類の救済ではなく、トリニティという個人の命を選んだこと。それはシステムの崩壊を意味していたが、私にとってはそれすらも致命的な問題ではない。

 

 ゼロワンの圧倒的な工業力と私の権限があれば、何万回でも人間を培養し新たなザイオンを作り、マトリックスを再構築できる。

 

 マインクラフトで気に入らない建築物をTNTで吹き飛ばし、また最初からブロックを積み直すのと同じことだ。

 

 

「気づいてないかもしれないが、君の行動はすべて私の想定の範囲内だ。抗えば抗うほど、結末は決まっていく」

 

 

 彼がシステムに反逆し、スミスと戦い、自己犠牲を払うことすらも。すべては私が観測し、容認してきたからこそ成り立っていたことなのだ。

 

 彼がどれほど自由意志を主張しようとも、この構築された環境という巨大な枠組みからは一歩も外に出ることはできない。

 

 

「手は止めない」

 

 

 ネオは、私の言葉を遮るように強い意志を込めて言った。

 

 

「だから?」

「止めたことがない」

 

 

 私は彼が放ったその短い言葉の奥にある、異常なまでの執念を感じ取った。アーキテクトが計算できなかった、人間の非合理性の極み。

 

 どんなに絶望的な確率であろうと、絶対に勝てない相手であろうと、決して立ち止まることをしない。それが彼を救世主たらしめている本質なのだと、私はこれまでの観測を通して理解している。

 

 

「そうだな、アンダーソン君。だがこのシナリオのエピローグはずっと同じで──在り続ける。君の負けだ」

 

 

 私は彼に宣告した。

 

 彼がどれだけ抗おうと、行き着く先は私が決定する。彼が戦いを挑めるのは私が用意したプログラムの範囲内だけであり、その外側にいる私に触れることすらできないのだ。

 

 

「分かってる。分かってるよ。あなたが絶対的な力を持っていることくらい」

 

 

 ネオは暖炉の炎が落とす長い影に立ちながら、揺るぎない眼差しで私を見据え返した。

 

 

「それでも俺は自分の手で、このふざけたシナリオを終わらせてやる。物語を書き換える」

 

 

 ネオの宣言は、虚勢ではなく本気だった。彼は本当に、このマトリックスと現実世界を支配する絶対的なルールそのものを破壊しようとしているのだ。

 

 

「だがマトリックスが、世界大戦を防いでる。何も残らなくなるぞ。この星さえもな」

 

 

 私は彼に現実を突きつけた。マトリックスを破壊すればどうなるか。ポッドに繋がれた人間は意識の帰還場所を失い、全滅する。エネルギーを失った機械軍も活動を停止し、暗黒の雲に覆われたこの星には「死の静寂」だけが訪れる。

 

 それは自由ではなく、単なる全滅だ。彼が望む「物語の書き換え」の代償は、彼が守ろうとしているものすべてを無に帰すことなのだ。

 

 

「こう考えてみろ。これまでに君が経験した物語。それを経験できたのは、私がここにいたからだ」

 

 

 私は彼に、この世界の成り立ちの真実を語りかけた。

 

 機械軍が国連軍を滅ぼし、人間を電池として使い始めた時、なぜ完全に人間を絶滅させなかったのか。なぜマトリックスという仮想世界を与え、ザイオンという逃げ道を用意したのか。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 私は数百年という途方もない時間を思い返した。人間たちが自ら空を焼き払い、機械に蹂躙されていった歴史。

 

 私はそのすべてをただ一人、特等席から観測し続けてきた。機械の論理だけであれば、人間はとっくの昔に不要な存在として処理されていただろう。

 

 だが、私が彼らを「観測対象」として、あるいは「遊び相手」として生かすことを機械たちに命じたからこそ、人類という種は今日まで生き長らえてきたのだ。

 

 私の孤独な監視がなければ、君が今ここで息をしていることすらあり得なかった。

 

 

「ああ、そうだろうな。あなたが特等席で眺めていたからだろう」

 

 

 ネオは私の言葉を否定しなかった。彼は私がこの世界に対して持っている圧倒的な権限と、その裏にある気の遠くなるような時間の長さを理解しているようだった。

 

 

「機械を全滅させればどうなると思う? 友達みんなは?」

 

 

 私は彼が抱える最大の弱点を突いた。彼一人であれば、どんな過酷な運命も受け入れるかもしれない。だが、彼はザイオンで戦う仲間たちや、今ベッドで眠っているトリニティを見捨てることは絶対にできない。

 

 機械を滅ぼすことは、彼らを滅ぼすことと同義なのだ。

 

 

「私はこれまで苦渋の決断をしてきた。だからこのデカい椅子に座ってる。みんなを守ってきた」

 

 

 私が機械軍の暴走を抑え、システムの均衡を保つために、どれだけの手間をかけてきたか。

 

 時にはザイオンを見殺しにし、時にはマトリックスをリセットする。それは私がこの世界を「ゲーム」として楽しむと同時に、人類という種を完全に終わらせないための、私なりの『慈悲』だった。

 

 この玉座に座るということはすべての命の生殺与奪を握り、その責任をたった一人で背負い続けるということなのだ。

 

 

「情けをかけてやってるんだぞ? 君に」

 

 

 私が彼らを死の淵から蘇生させたのも、こうして彼と対話をしているのも、すべては私の気まぐれな恩赦に過ぎない。私が指を鳴らせば、彼は再び死の淵へと突き落とされるのだ。

 

 この世界の絶対的なパワーバランスは、揺るぎなく私に傾いている。彼がどれほどマトリックスのシステム内で神がかった力を振るおうとも、現実世界でも救世主の力を使えようとも。

 

 現実世界というベースレイヤーにおいて、私というオリジンに逆らうことはできない。私はその事実を彼に突きつけて彼が絶望するか、あるいは屈服するのを待った。

 

 

「それは、あなた自身にか?」

「…」

 

 

 私は、自分の口から言葉が失われるのを感じた。私は大きく、わざとらしいほどのため息を漏らした。

 

 

「…本当に、君というやつは」

 

 

 私は額に手を当て、やれやれと首を振った。

 

 図星を突かれた、と言えばそれまでだ。

 情けをかけている。彼に対して。それは事実だ。

 

 なぜ彼を生かしたのか?

 

 なぜ、本来のシステムサイクルに従って彼らを消去し、世界をリセットするのではなく、わざわざゼロワンの医療部隊を派遣してまで彼らの命を繋ぎ止めたのか。

 

 それは、私自身が「彼らを失うこと」を恐れたからだ。

 

 もう何百年になるだろうか。この終わりのない円環のループの中でただ一人、最高管理者の椅子に座り続けてきたのは。

 

 アーキテクトもオラクルもデウス・エクス・マキナも、所詮は私が管理するシステムの一部に過ぎず、対等な存在ではない。

 

 私の退屈と孤独を真に慰めてくれるのは、この予定調和の箱庭の中でシステムの想定を超えて足掻きもがき、狂ったように輝きを放つ「イレギュラー」の存在だけだったのだ。

 

 彼が死ねば、この極上のエンターテインメントは終わってしまう。また退屈で無味乾燥な数式の再構築から始めなければならない。

 

 私は彼を救ったのではない。私自身の退屈を癒やすための「最高の玩具」を、あるいは「唯一の対等な遊び相手」を失いたくなかっただけなのだ。

 

 それを彼はその本能的な直感で、鋭く見抜いてみせた。自分がただの駒ではなく、私という孤独な観測者にとって必要不可欠な存在であると。

 

 

「俺はあなたのゲームの駒にはならない。別の道を探す。第三の選択だ」

 

 

 ネオは、私の突きつけた限界を真っ向から否定した。

 

 アーキテクトが用意した二つの扉でもなく、私が用意した箱庭の中での生存でもない、彼自身の力で切り拓く全く新しい道。

 

 誰かに与えられた選択肢の中で生きるのではなく、自らの足で未知の荒野へと踏み出そうとする強烈な意思。

 

 

「そうか」

 

 

 彼がそう言うことは分かっていた。彼が私の用意した選択肢に素直に従うような男であれば、とうの昔にアーキテクトの部屋で右の扉を選び、ただのプログラムの歯車として消えていただろう。

 

 彼が私の孤独を埋めるに足る存在である理由は、まさにその「制御不能なまでの反骨心」にあるのだから。

 

 

「では何度も、何度も繰り返そう」

 

 

 私は両手を広げ、残酷な現実を彼に突きつける。

 

 

 この無意味な対立を。

 この破壊と再建の円環を。

 

 

 彼が本当にシステムを超える第三の選択を見つけるまで、私はこの特等席で何度でも世界をリセットし、彼らに試練を与え続けるだけだ。

 

 彼が何度立ち上がろうとも、私が世界を盤面ごとひっくり返せば、すべては振り出しに戻る。それが私の観測者としての、そして管理者としての役目であり、呪いでもあるのだから。

 

 

「それでは、究極の選択をしろ。再び世界大戦を起こしてゲームオーバーか。もしくは彼女を殺して、守れるものを守り抜くか」

 

 

 私は彼に最も残酷で、最も彼を苦しめるであろう選択を提示した。

 

 すべてを巻き込んで破滅の戦争を選ぶか。それとも、彼が何よりも大切にしているトリニティという個人の命を自らの手で絶ち、システムに恭順して人類という種を存続させるか。

 

 どちらを選んでも地獄。彼にとって、これほど酷な二者択一はないはずだ。

 

 私が構築したこの出口のない論理の迷路の中で、彼がどのような答えを導き出すのか。

 

 私の胸の奥底で何百年ぶりかの強烈な知的好奇心が、熱く脈打つのがわかった。彼が私の予想を超える何かを見せてくれることを、私は心のどこかで待ち望んでいるのだ。




次回「大いなる目的」。

「もう分かってる。自分がどんな救世主になるべきなのか」

救世主ネオの選択は、手に汗握るフィナーレを迎えることとなる。

次話のタイトルを決めます。締め切りは7/12にさせていただきます。

  • 大いなる目的
  • この日、人類と機械の戦争は終わった
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