気が付けば私以外の皆、電池になってしまった   作:最高司祭アドミニストレータ

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全米が号泣した。私も泣いた。
それでは皆様の感想、評価をお待ちしております。


大いなる目的

 最上階の静寂の中、暖炉の火がパチパチと爆ぜる音だけが規則的に響いていた。

 

 その古い石造りの部屋の中央に置かれた白亜のベッドに、ネオはゆっくりと歩み寄った。

 

 ベッドの上に横たわる、トリニティの呼吸は穏やかだった。ネオは彼女の傍らに跪き、その冷たい指先を自分の温かい両手で包み込んだ。

 

 彼はそっと、彼女の平らな腹部へと手のひらを当てた。皮膚を透かして、ネオの救世主としての鋭敏な感覚に伝わってきたのは、トリニティ自身の安定した心拍だけではなかった。

 

 その奥深く。まだ極めて小さいながらも、驚くほどに力強い、もう一つの新しい生命の脈動が、未来を刻む秒針のように確かに脈打っていた。

 

 彼らの子供。マトリックスという冷酷なプログラムの嘘でも、ザイオンという管理された箱庭の残骸でもない。

 

 彼ら二人が、過酷な現実の中で確かに紡ぎ出した、本物の「未来への種」が、その小さなお腹の中に宿っていた。

 

 

「…ネオ」

 

 

 かすかな吐息と共に、トリニティの瞼がゆっくりと震えて開いた。

 

 その澄んだ瞳は目の前にいるネオの姿を、そして彼の背後に立つ白髪オッドアイの少女の姿を正確に捉えていた。

 

 彼女はシステムの一部としてのオラクルが何をもたらし、アーキテクトがどのような残酷な計算式を用意したのか、そのすべてを直感的に理解していた。

 

 どちらの扉を選んでも誰かが死に、世界が滅びるという無慈悲な均衡。

 

 トリニティは、力を振り絞ってネオの首筋に両手を回し、その耳元に自らの唇を寄せた。

 

 

「選択肢が二つしかないのなら、あなた自身が新しい道を作りなさい。私は、あなたを信じてる。この子に…暗闇ではない、本物の空を見せてあげて」

 

 

 その言葉が、ネオの胸の奥で渦巻いていた不均衡な葛藤のすべてを、一つの確固たる方程式へと収束させた。

 

 生存の最大化。どちらかを犠牲にして一時的な調和を保つという機械側の古いプログラムを破棄し、人類という種、そして自らの家族を確実に存続させるための、唯一の解決策。

 

 ネオはゆっくりと立ち上がり、暖炉の炎の前に立つ最高管理者アレックスへと向き直った。

 

 

「もう分かってる。自分がどのような救世主になるべきなのか。君のため、僕たち子供のため。そして、この星に生きるすべての命の未来のために」

 

 

 それはシステム全体の破滅を回避し、最も多くの生命を救い出すための、彼だけの「第三の選択」の宣言だった。

 

 アレックスは大げさな身振りを止め、最上階の部屋の出口を静かに指ししめした。

 

 ネオは再び眠りについたトリニティの額にそっと唇を寄せ、「さようなら」と心の中で告げる。

 

 部屋の重い扉を力強く押し開け、現実世界の冷たい風が吹き荒れる地上へと足を踏み出した。

 

 扉を抜けた先、ネオの全身を容赦なく叩きつけたのは、かつて人類が自らの手で引き起こし、地球から太陽の光を永遠に奪い去った『ダークストーム』がもたらす、凍てつくような絶対零度の暴風だった。

 

 息を吸い込むたびに細かい氷の粒子と、何百年も降り積もった機械のオイル、そして焦げた鉄の匂いが混じり合った不気味な大気が肺を突き刺す。

 

 見上げる空は分厚く、禍々しいほどの漆黒の雲に覆い尽くされ、絶え間なく発生する雷鳴だけが、この死に絶えた惑星のわずかな光源となっていた。

 

 ネオの視線はその荒れ狂う空を通り越し、目の前にそびえ立つ圧倒的な威容に釘付けになった。

 

『ダークストーム浄化装置』。

 

 かつてゼロワンの最高管理者が数百年という途方もない歳月をかけて設計・建造したという、その黒曜石の巨塔は、ネオの想像を絶する巨大さだった。

 

 見上げる頂上は厚い暗雲の中に突き刺さり、その全貌を捉えることすらできない。

 

 塔の表面には、マトリックスのコードにも似た幾何学的なラインがびっしりと刻み込まれており、それがこの巨大な建造物が単なる石の塊ではなく、システムと直結した巨大な装置であることを静かに物語っていた。

 

 ネオがその巨塔の威容を見上げた、まさにその瞬間だった。

 

 

 ──ギギギギ…ッ

 ──カチャ、カチャカチャカチャ…! 

 

 

 無数の金属が擦れ合い、蠢くような不気味な駆動音が響き渡った。ネオの周囲を囲む荒野の岩陰、瓦礫の山、そして塔の麓のあらゆる死角から赤く不吉な光が一斉に点灯したのだ。

 

 

 一つ、十、百、千、一万…。

 

 

 数え切れないほどの赤いセンサーアイ。正体は塔の防衛と排除を絶対の目的として配置されていた、ガーディアン•センチネルの群れだった。

 

 通常のセンチネルよりも装甲が厚く、金属の触手には鋭利なブレードと高出力のレーザーエミッターが備わっている。

 

 彼らはネオという「外部からの侵入者」を認識した瞬間、一切の警告を発することなく、一斉に金属の波となって彼へと殺到した。

 

 ネオは迫り来る無数の殺戮機械を前にして自らの足に力を込め、重力を無視した超高速の飛翔——マトリックスの中でスミスを打倒し、トリニティを救い出したあの絶対的な能力——を引き出そうとした。

 

 空へ飛び上がり、この忌まわしい機械の群れを飛び越えて、一気に塔の頂上へと到達するために。

 

 

「ッ!?」

 

 

 ネオは足裏が地面から一ミリも離れないという決定的な事実に驚愕し、思わず体勢を崩した。彼の身体に、想像を絶するほどの凄まじい重圧がのしかかっていたのだ。

 

 筋肉が悲鳴を上げ、骨が軋む。地球の重力が局地的に数倍に膨れ上がったかのような、圧倒的な物理的負荷。

 

 それだけではない。マトリックスのコードを視覚化し、世界の法則を書き換える「救世主」としての彼の感覚が、分厚いコンクリートの壁に遮られたように完全にシャットアウトされていた。

 

 これが、アレックスがこの塔の周囲に幾重にも張り巡らせていた『超能力無力化空間』の真の力だった。

 

 いかなるシステムのバグであろうと、どれほど強大なエネルギーを持つアノマリーであろうと、この領域内に入った瞬間にすべての特権は剥奪される。

 

 ネオは今、空を飛ぶことも銃弾を止めることもできない。疲労を感じ、傷つけば血を流し息を切らす、ただの「重力に縛られた脆弱な生身の人間」へと完全に引き戻されていたのだ。

 

 

 ──シャァァァァッ!! 

 

 

 能力を封じられ、その場に膝をつきそうになったネオに向かって、先頭のセンチネルが鋭い金属の触手を鞭のようにしならせて襲い掛かってきた。

 

 ネオは咄嗟に身をよじってその一撃を回避したが、触手の先端が彼の黒いロングコートの袖を掠め、分厚い生地ごと彼の皮膚を鋭く切り裂いた。

 

 

「グッ…!」

 

 

 鮮血が飛び散り、ネオの腕に熱を帯びた痛みが走る。仮想の痛みではない。現実世界の肉体を切り裂かれる本物の激痛だった。

 

 ネオは傷口を手で押さえながら、荒い息を吐いて後ずさった。

 

 周囲はすでに、数万機ものセンチネルの群れによって完全に包囲されている。

 

 逃げ場はどこにもない。彼に残された道はこの無慈悲な鋼鉄の波に飲み込まれ、肉片一つ残らずすり潰されることだけのように見えた。

 

 

(ここで終わるのか?)

 

 

 ネオの脳裏に、絶望という冷たい感情がよぎりかけた。

 

 アーキテクトが告げた絶対の滅び。システムが導き出した、人類の根絶という結末。

 

 機械の作った強固なルールの中では、人間は結局のところ無力なのだと、この無力化空間が彼に冷酷な現実を突きつけている。

 

 ふと、ネオの頭の中に先程までの温かな感触が蘇った。トリニティの平らな腹部の奥で確かに刻まれていた、小さくも力強い生命の脈動。

 

 

『あなた自身が新しい道を作りなさい。この子に…暗闇ではない、本物の空を見せてあげて』

 

 

 祈りにも似た言葉が、ネオの胸の奥底で燻っていた小さな炎に爆発的な熱量を与えた。

 

 

「終わらせない」

 

 

 ネオは血を流す腕をだらりと下げたまま、ゆっくりと立ち上がった。

 

 彼は迫り来る無数のセンチネルの群れから視線を外し、その先にある黒曜石の巨塔——自分を縛り付けている無力化の根源である、巨大な「檻」そのものを真っ直ぐに見据えた。

 

 機械の用意したルールに従って戦う必要はない。空を飛べないのなら。能力を封じられているのなら。この「檻」の物理的な構造そのものを、根底から破壊すればいいのだ。

 

 ネオは目を閉じ、息を吸い込んだ。

 

 無力化空間は、彼がマトリックスに干渉する能力を外部から封じ込めているに過ぎない。

 

 彼自身の内側に宿る、数多の死闘を経て蓄積された「救世主としての膨大なエネルギー」そのものを消し去ったわけではないのだ。

 

 彼は自分の中に眠るその未曾有のエネルギーの奔流を、物理的な破壊力として極限まで圧縮し、ただ一点へと集中させていった。

 

 ネオの身体の周囲の空気が、異常な熱を帯びて陽炎のように歪み始めた。

 

 彼の内側から、マトリックスの基幹システムを構成する鮮やかな「緑色のコードの光」と、彼自身の生命力の輝きである「黄金の光」が混じり合い、皮膚の下で脈打つように激しく明滅を繰り返す。

 

 センチネルたちはターゲットから発せられる未知の致死的なエネルギー反応を検知し、一斉に攻撃態勢を執り攻撃しようとした。

 

 

 ──が、遅すぎた。

 

 

「ウォォォォォォォォッ!!!」

 

 

 ネオの両目が見開かれる。大地を震わせるほどの咆哮と共に限界まで圧縮したエネルギーを両腕に込め、黒曜石の巨塔の基部に向かって、その両拳を力任せに叩き込んだ。

 

 

 ズガァァァァァァァァァァンッ!!!! 

 

 

 ネオの拳が触れた一点から緑と黄金の光が混ざり合った、目も眩むような超高密度のエネルギーの衝撃波が爆発的に解き放たれた。空間そのものを断裂させるかのような、凄まじい衝撃だった。

 

 ネオを取り囲んでいた数万機のセンチネルの群れは、その圧倒的なエネルギーの波を浴びた瞬間、金属の装甲が飴細工のようにひしゃげる。

 

 内部の電子回路が一瞬にして焼き切れ、粉々のチリとなって漆黒の暴風の中に消し飛んでいった。

 

 その破壊の波は止まらない。

 

 ネオが拳を叩き込んだ巨塔の黒曜石の外壁に、雷鳴のような音と共に巨大な亀裂が走った。

 

 亀裂は瞬く間に塔全体へと広がり、アレックスが何百年もかけて構築した物理的な外殻と、強固なアンチ・チート領域の発生装置を根底から粉砕した。

 

 鼓膜を突き破るような轟音と共に巨塔の黒曜石の外殻が剥がれ落ち、外周を覆っていた螺旋階段が次々と崩壊して落下していく。

 

 土煙と光の粒子が舞い散る。

 

 ネオの身体にのしかかっていた凄まじい重圧が、嘘のようにフッと消え去る。

 

 無力化空間は破壊され、彼の内側には、マトリックスのコードを視覚化し、世界に干渉する「救世主」としての絶対的な能力が完全に戻ってきていた。

 

 しかし、この空間に埋め込まれた絶対のルール──「飛行の禁止」という制約だけは、微塵も揺らいではいなかった。

 

 マトリックスの物理法則を書き換えるほどの力を持ちながら、この巨塔の領域内において、ネオは空へ飛び立つことだけは完全に禁じられていたのだ。

 

 それはこの装置を設計した者が施した、いかなるプログラムをもってしても解除できない最上位の絶対的な制約だった。

 

 ネオは自らの身体が軽くなったのを感じながらも、空へと跳躍する力だけが完全に封じ込められている現実を悟った。

 

 そして、轟音と土煙が晴れた彼の視界の先に、信じられない光景が現れた。

 

 外殻と螺旋階段が崩壊した塔の残骸。その遥か上空、暗雲のすぐ下に、唯一破壊を免れた装置の中枢──巨大な透明の「ビーコン」がぽつんと虚空に浮かび上がっていた。

 

 変化が起きた。

 

 ネオの足元から遥か上空に浮かぶビーコンへと向かって、一切の支えを持たず装飾も手すりもない、純粋な光の結晶のような「透明な階段」が伸びていたのだ。

 

 ネオは、その透明な階段を見上げた。飛んでショートカットすることは不可能だ。

 

 どれほど強大なエネルギーを宿そうとも自らの二本の足で、この透き通るような冷たい階段を一歩一歩踏み締めながら登り切る以外に、他に方法はない。

 

 

「行くしかない、か」

 

 

 ネオは一切の躊躇いを捨てて、その透明な階段の第一歩へと足を乗せたその瞬間。

 

 

「グッ、ァァァァァッ!」

 

 

 先程の無力化空間とは比べ物にならないほどの、凄まじい激痛が貫いた。

 

 ネオが階段を登り始めたことで、マトリックスのシステム崩壊に伴って発生している致死性の残余コードと、現実世界の環境を維持しようとする莫大なエネルギーの激流が、彼という「特異点」に向かって一斉に逆流を始めたのだ。

 

 カツッと二段目に足を乗せる。

 

 ビリッ! とネオの漆黒のロングコートが、目に見えないエネルギーの刃によって大きく引き裂かれた。

 

 三段目、四段目。

 

 登るたびに、彼の肉体に致死レベルの高負荷が叩きつけられる。コートはズタズタに引き裂かれ、布切れとなって虚空へと消え去っていく。彼の肌にはひび割れが走り、そこから緑と黄金の光が血のように溢れ出した。

 

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ…!」

 

 

 ネオは歯を食いしばり視界が白く明滅するほどの激痛に耐えながら、透明な階段を真っ直ぐに登り続ける。

 

 その孤独で過酷な歩みを急かすように、どこか楽しげな響きを帯びた少女のアナウンスが降り注いできた。

 

 

『警告。マトリックス・メインフレームの臨界点を突破。論理回路の崩壊を確認。世界崩壊まで、残り300秒』

 

 

 システムの完全なる終焉という絶望的な状況を告げているにも関わらず、その声色はクライマックスの舞台を演出する司会者のように響いた。

 

 

『警告。ザイオン防衛線、侵攻再開準備。有機生命体の生命維持プロセス、強制シャットダウン開始まで、残り280秒』

 

 

 孤独で果てしなく遠い頂上への歩み。

 

 ネオの足取りは決して止まらなかった。彼の一歩一歩が、崩れゆく世界を強引に縫い合わせるための、楔となって空間に打ち込まれていく。

 

 十段、二十段、五十段、百段。

 

 

『警告。システムコードの崩壊率、85パーセント。現実と仮想のリンク切断まで、残り140秒』

 

 

 ネオの肉体を蝕んでいた緑と黄金の光の奔流は、やがて彼の身体を破壊するのではなく、彼を守るための新たな形を成し始めた。

 

 引き裂かれた黒いコートの代わりに、彼自身の魂から溢れ出した無数の「光の糸」が、彼を優しく包み込み、新たな装束を高速で編み上げていく。

 

 漆黒の夜空を切り取ったかのような深い闇色のローブを基調とし、マトリックスの緑色のコードと生命の黄金のラインが緻密な文様を描き出しながら脈打つ、神々しいまでの出で立ち。

 

 新たな光の装束を纏ったネオは、痛みを完全に乗り越え、力強い足取りで透明な階段を一気に駆け上がった。

 

 そして遂に巨塔の頂上、巨大な円形のプラットフォームへと到達した。

 

 そこには、巨大な透明ビーコンが鎮座していた。そのクリスタルコアの真正面には——彼がここへ来ることを最初から予期していたかのように——黒曜石と黄金の意匠で設えられた「椅子」が置かれていた。

 

 最高管理者であるアレックスが、この世界のすべてを背負うことになる新たな神、世界の「アンカー」となる彼のためにあらかじめ用意していた孤独な玉座だ。

 

 その周囲の空間では、恐ろしい光景が広がっていた。

 

 マトリックスの崩壊によってちぎれかけ、ドロドロの黒いノイズに侵食されて死にかけている「仮想世界の接続コード」と、現実世界でザイオンの人々やポッドの中の人間たちが発している、消え入りそうなほどに細い「生命の光の糸」が無数に漂って散逸していた。

 

 

『警告。修復不能なエラーが全セクターに拡大。世界崩壊まで、残り90秒』

 

 

 システムと生命が完全に断絶し、世界が終わろうとしている。

 

 

「俺が繋ぐ」

 

 

 ネオは、一歩前に踏み出した。彼は迷うことなく、自らの両手を前に突き出し、空間に漂うその無数の「死にゆくコード」と「命の糸」を、素手でガシリと掴み取った。

 

 

「グアァァァァァァッ!!!」

 

 

 ネオの口から、凄まじい咆哮が迸った。

 

 何十億という命の重み、マトリックスの全データ量、そしてそれらを維持するための途方もないエネルギーの負荷が、彼の一つの精神と肉体に一気に流れ込んでくる。掌の皮膚が焼き切れ、骨が軋むほどの苦痛。

 

 彼は決してその手を離さなかった。ネオは自らの全生命力と救世主としての超越的なエネルギーを、自らが掴み取った光の束へと逆流させ、死にかけていたコードに再び命の輝きを与えていく。

 

 

『警告。存在の維持が不可能です。世界崩壊まで、残り30秒』

 

 

 ネオはその膨大な光の束を自らの胸へと引き寄せ抱え込んだまま、自分自身のために用意されたあの黒曜石の椅子へと重い足取りで歩み寄った。

 

 

『残り10秒…8、7…』

 

 

 彼が椅子に近づくにつれ、空間の震動は限界に達し、世界そのものが白く弾け飛ぼうとしていた。

 

『6、5、4…』

 

 

 ネオは束ねた世界のすべてのコードを抱いたまま、椅子の肘掛けに力強く手をかけた。

 

 そして、玉座へと深く腰を下ろした。

 

 

『3、2…』

 

 

 ネオの手が椅子に触れ、彼自身がシステムの中枢と完全に同化したその瞬間。

 

 

『1』

 

 

 ピタリと、崩壊のカウントダウン・アナウンスが停止した。

 

 

 カァァァァァァァァァンッ!!! 

 

 

 静寂を打ち破り、ネオの全存在がコアに接続されたことで、数百年もの間沈黙し続けていた『ダークストーム浄化装置』が、許容量を限界突破した究極のエネルギーを得て、ついに完全起動を果たした。

 

 クリスタルコアから、眩い黄金の光の柱が天に向かって真っ直ぐに撃ち放たれた。光の柱の軌跡をなぞり、視点は爆発的な速度で上空へと上昇していく。

 

 

 世界大戦時代の地上の激しい戦闘の跡。

 マシン•シティ。

 発電所。

 人類畑。

 

 

 世界を黒く閉ざしていた分厚いナノマシン雲の層を瞬く間に突き抜ける。

 

 上昇は決して止まらず大気圏を越え、視界は一気に広大な宇宙空間へとズームアウトした。

 

 果てしない暗闇に包まれた宇宙空間から見下ろす、地球の全体像。その死の星の地表の一点から、強烈な黄金の光の波動が発せられた。

 

 光は巨大な波となって、地球の表面を凄まじい速度で舐めるように全方位へと広がっていく。光の波動が通過した場所から、信じられない現象が起きた。

 

 空を覆っていた黒いナノマシンの霧が、浄化のエネルギーによって原子レベルで分解され、無害な透明のチリとなって次々と霧散。宇宙から見下ろす地球の表面で、厚い黒雲が古い殻が剥がれ落ちるように消え去っていく。

 

 雲の下から姿を現したのは何百年もの間、光を失い荒れ果てていた不毛の大地だった。

 

 ネオが命を懸けて放った黄金の光は空を浄化するだけでなく、大地そのものにも確かな命の息吹を吹き込んでいく。

 

 時間を早送りしたかのように茶色く乾ききっていた荒野が、みるみるうちに鮮やかな緑色に染め上げられていく。

 

 森林が芽吹き、植物が大地を覆い尽くす。そして黒く淀んで濁りきった広大な海が、本来の透き通るような美しい青色へと還っていく。

 

 光の波が地球全体を包み込み、完全なる浄化が終わった時。宇宙空間には、美しく輝く「青い星」が静かなる鼓動を取り戻して浮かんでいた。

 

 その星の地上、浄化の光を放ち続ける巨塔の頂上。用意された玉座に座り、クリスタルコアと完全に一体化したネオは自らの身体から無数の光の糸を放射し、世界を支える中心の座に静かに身を委ねていた。

 

 彼の顔に苦痛の色はない。漆黒と黄金の装束に身を包んだ彼の表情はどこまでも安らかで、静かなる威厳と深い慈愛に満ちていた。

 

 閉ざされた瞳の奥で彼は青く晴れ渡った空の下、トリニティが子供を抱きかかえて微笑む、確かな未来のビジョンを見つめているのだ。

 

 彼は人間と機械、現実と仮想のすべてを繋ぎ止める「アンカー」となった。

 

 地上を優しく照らす暖かな太陽の光と、天に向かって伸びる巨大な黄金の光のタワーは荒廃した地球を癒し、「光の世界樹」のように美しく雄大に輝き続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、人類と機械の戦争は終わった。




次回はエピローグ。包うご期待!
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