機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界:Re 作:ボルメテウスさん
地球は、窓の向こうで静かに回っていた。
雲をまとった青い球体が、暗い宇宙の中央に浮かんでいる。戦艦の姿勢制御がわずかに働くたび、白い雲の帯と海の色が、展望窓の端から端へゆっくり流れていった。
何度も見たはずの星だった。
降下作戦の前にも、撤退の途中にも、ティターンズの艦隊に追われながら振り返った時にも見た。けれど、あの頃の地球は、いつも戦場の背景だった。帰る場所ではなく、次の命令が待つ場所でしかなかった。
俺は窓へ手を触れた。
当然、ガラスは冷たい。けれど、窓越しに頬へ落ちる青い光は、冷却灯よりも柔らかかった。戦闘服の袖に残る焦げ跡まで淡く染まり、ジュピター・ノード03で浴びた赤い警報を、少しずつ洗い流していくように見えた。
「久しぶりだな」
誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。
地球に向けたのか。
以前の世界で、帰れないまま死んだ自分に向けたのか。
それとも、地球のどこかで生きているマチュへ向けたのか。
個人端末を開くと、送信済みの表示が小さく残っていた。
生きて帰った。
今から、君のところへ行く。
通信経路はまだ中継中で、到達確認は出ていない。たった二行の文章が、宇宙の広さに比べれば笑えるほど小さい。それでも、未送信のまま抱えていた時より、その二行はずっと遠くへ進んでいた。
「送ったのに、まだ見てるんだ」
背後から声がして、俺は端末を閉じた。
ドゥーが展望区画の入口に立っていた。医療区画でもらった薄い上着を羽織り、片手を壁へ添えながら、こちらへゆっくり近づいてくる。
「確認してただけだ」
「三回目の確認?」
「よく見てるな」
「ランガが同じ画面を三回開いた音がしたから」
聞こえるという言葉の範囲が、相変わらず俺とは違う。
けれど、白い音を探していた頃より、今のドゥーの声には少しだけ余白があった。答えを急がず、俺が何を言うのか待っている。
彼女は俺の隣へ立ち、地球を見上げた。
窓いっぱいに広がる青が、ドゥーの頬へ映る。白い部屋では照明に溶けていた横顔が、今は雲の影に合わせてゆっくり色を変えていた。彼女はしばらく瞬きもせず、夜側に浮かぶ都市の灯りを目で追った。
「どうだ」
俺が尋ねると、ドゥーはすぐには答えなかった。
青い大気の縁が、星の輪郭を細く光らせている。夜と朝の境目には、まだ名前のついていない時間があるようだった。
「綺麗」
「それだけか?」
「思っていたより、静か」
彼女は窓へ指先を添えた。
俺の手から少し離れた場所で、二つの指先が同じ青い星へ触れている。
「白い部屋から聞こえてた地球は、もっと大きな音だった。命令とか、戦争とか、怖がってる人の声が重なってたから」
「実際、静かな星じゃないけどな」
「うん。でも、ここから見ると何も聞こえない」
「遠いからだろ」
「遠いと、綺麗に見えるんだね」
その言葉は地球のことだけを指していないように聞こえた。
昔の戦場も、失った人も、過ぎた時間も、距離ができれば輪郭だけが整って見える。けれど、近づけば傷も、焦げ跡も、言えなかった言葉も残っている。
俺は窓から手を離し、指先を軽く握った。
「俺は、あの星を故郷だと思ってた時期もあった」
「今は違うの?」
「分からない。俺が知ってる地球と、この世界の地球は同じ形をしてる。でも、同じ場所じゃない」
「ランガは同じ顔をしてるのに、前と同じランガじゃない」
「それ、慰めてるのか?」
「たぶん、違う」
ドゥーは少しだけ首を傾けた。
その仕草に思わず息が漏れると、彼女も口元をわずかに緩めた。
戦艦が地球へ近づくにつれ、青い球体は窓の中で少しずつ大きくなっていく。遠くからなら一つに見えた雲の塊も、近づけば複雑な渦を描き、海の色にも濃淡が生まれていた。
マチュも、きっと同じだ。
生きていると知っただけで、頭の中では以前の笑顔がそのまま浮かんだ。けれど、俺のいなかった時間を彼女も生きている。再会すれば、あの日の続きが簡単に始まるわけじゃない。
端末を握った手が、無意識に強くなる。
「ランガ」
「何だ」
「地球は綺麗だけど、ランガの顔は帰ってきた人に見えない」
俺は横を向いた。
ドゥーは地球ではなく、窓に映る俺の顔を見ていた。青い反射光の中で、俺の輪郭だけが少し暗く浮かんでいる。
「じゃあ、どんな顔に見える」
「これから帰る人みたい」
言葉がすぐには返らなかった。
以前なら、帰るという言葉は戦闘終了後の命令だった。基地へ戻る。艦へ戻る。次の出撃に間に合うように戻る。そこに誰が待っているかなんて、考えない方が楽だった。
今は違う。
マチュがいる。
ドゥーが隣にいる。
リオは医療区画で名前の続きを待っている。
俺の帰還を、自分だけの問題にしておけるほど、もう一人ではなかった。
「そうかもしれないな」
ようやく口にすると、ドゥーは地球へ視線を戻した。
「マチュに会ったら、最初に何て言うの?」
「考えてない」
「送った文章は?」
「あれは文章だから書けた。顔を見たら、たぶん全部飛ぶ」
「じゃあ、名前を呼べばいい」
「お前と同じことを言うな」
「名前を呼ぶのは、大事だから」
反論する言葉が見つからず、俺は肩を竦めた。
窓の外では、地球の朝側が少しずつ広がっている。大気の縁に生まれた光が、暗い宇宙を細く切り開いていた。それは戦場で見たビームより穏やかで、けれど、どんな砲撃よりも確かに夜を押し返していた。
「ドゥー」
「何?」
「地球へ降りたら、まず空を見よう」
「今も見てる」
「窓越しじゃない空だ。風があって、雲が動いて、たぶん匂いもする」
「白い音はある?」
「雨が降れば、嫌になるほど聞こえるかもな」
「それなら、聞いてみたい」
彼女はそう言って、窓の青へもう一度指を重ねた。
戦艦の進路表示が切り替わり、地球降下軌道への航路灯が次々と点灯する。青い星へ向かって、光の道が一本ずつ繋がっていった。
俺は送信済みの端末を胸元へしまった。
帰ってきたわけじゃない。
まだ、約束の相手へ顔を見せていない。
けれど、帰る場所が見えているなら、迷う理由は少しずつ減らしていける。
蒼い地球は、何も答えずに回っていた。
その沈黙の中で、俺たちを待つ朝だけが、ゆっくり近づいていた。