機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界:Re 作:ボルメテウスさん
展望区画を出た直後、ラルさんから作戦室へ来るよう連絡が入った。
地球降下軌道への移行準備が進み、艦内には低い振動が絶えず流れている。壁の向こうで推進器が細かく姿勢を直すたび、足元に置いた影がわずかに揺れた。
ドゥーは俺の半歩後ろを歩いていた。
「さっきまで地球を見ていたのに、今度は作戦の話なんだね」
「綺麗なものを見た直後ほど、面倒な現実が待っているらしい」
「ランガは、そういう現実をよく拾うね」
「拾っているんじゃなくて、向こうからぶつかってくるんだ」
ドゥーは少し考えるように瞬きをしてから、俺の隣へ歩幅を合わせた。
以前の彼女なら、呼ばれていない作戦室へ自分から向かおうとはしなかっただろう。けれど今は、俺の背後ではなく、同じ扉の前へ立っている。
作戦室へ入ると、照明は落とされていた。
窓の外には蒼い地球が浮かび、作戦卓の上には巨大な環状施設が赤い光で投影されている。幾重にも重なった構造体と、中心へ集まるエネルギー経路。その形は兵器というより、星の周囲へ巻きついた機械の冠に見えた。
ラルさんは卓上へ両手をつき、赤い施設図を見下ろしていた。
その横顔には窓から入る地球の青と、作戦卓の赤が半分ずつ重なっている。
「来たか、ランガ。それにドゥー君も一緒だな」
「私も聞きます。ランガだけが持って帰る話にはしません」
ドゥーが言うと、ラルさんは一度だけ目を細めた。
それから彼は席を勧めず、俺たちと同じ高さで作戦卓を囲んだ。
「これが、イオマグヌッソですか」
「そうだ。表向きの目的と、実際に持たされている役割には大きな隔たりがある」
ラルさんが施設図へ触れると、環状構造の周囲へ複数の艦隊表示が現れた。
赤い識別は二つの大きな群れに分かれ、互いを睨むような位置で停止している。
「ギレン派とキシリア派ですか」
「ザビ家の中で積み上がった亀裂は、もはや言葉で隠せる幅を越えている。どちらもイオマグヌッソを握れば、地球圏の主導権だけでなく、互いを消す力まで得られると考えている」
艦隊表示の間へ、新しい射線予測が走った。
その赤い線はイオマグヌッソを中心に広がり、地球やコロニー群までを覆っていく。
「制圧戦が始まれば、施設だけでは済まないということですね」
「艦隊同士が撃ち合えば、地球圏全体がザビ家の内輪争いへ巻き込まれる。ティターンズの火を消した直後に、別の火種が酸素を求めているというわけだ」
窓の外で、地球の夜側がゆっくり回り込んできた。
さっきまで青く光っていた海が影へ入り、代わりに都市の灯りが細い神経のように浮かび上がる。
「それを止めるために、ラルさんは何をするつもりなんですか」
俺の問いに、ラルさんはすぐには答えなかった。
彼は艦隊表示を消し、その中央へ一人の名前を出した。
アルテイシア。
赤い派閥図の真ん中で、その名前だけが白く浮いていた。王冠のような装飾はなく、どこかへ戻る者のために点灯した航路標識に近い光だった。
「ザビ家の支配が終わった後、ジオンは旗を失う。ギレン派とキシリア派を放置すれば、残った部隊はさらに細かく割れ、それぞれが正義を名乗って戦い続けるだろう」
「そこで、アルテイシアを擁立するんですか」
「彼女はザビ家とは異なる血統と名を持ち、ジオン・ズム・ダイクンの遺志を継ぐ象徴になり得る。少なくとも、ギレンとキシリアのどちらかが勝者になるよりは、流れる血を少なくできる可能性がある」
「本人は、その玉座を望んでいるんですか」
俺が尋ねると、作戦卓の白い名前だけが静かに点滅した。
ラルさんの指が、卓上からゆっくり離れる。
「望んでいるとは言っていない」
「なら、擁立という言葉も檻になりませんか」
室内の空調音が、妙に大きく聞こえた。
ドゥーは何も言わず、アルテイシアの名前を見つめている。
白い部屋で番号を貼られていた彼女だからこそ、他人から与えられる役割がどれほど重いか、俺よりよく知っているはずだった。
「君の言うことは正しい。しかし、選ばなければ何も起こらないわけではない」
ラルさんの声は低かった。
「彼女が立たなければ、ギレンかキシリアが立つ。二人とも退かなければ、互いの艦隊が地球圏を焼く。その時、選ばなかった責任だけが綺麗に残ると思うか」
「思いません。何もしないことを選ぶつもりもありません」
「ならば、次の話も聞いておけ」
ラルさんが別の暗号階層を開いた。
卓上へ二つの標的表示が現れる。
一つはギレンの艦隊指揮中枢。もう一つはキシリアが押さえようとしているイオマグヌッソ管制区画だった。
表示された作戦時刻は、ほぼ同じだった。
「同時作戦ですか」
「片方だけを排除すれば、生き残った側が殉教者を利用して権力を固める。それを防ぐには、二人を同時期に政治の盤面から外す必要がある」
盤面から外す。
その言い方は丁寧だった。
けれど、二つの赤い標的点から伸びる線は、どちらも一人の命へまっすぐ届いている。
「暗殺するつもりなんですね」
「あくまで選択肢の一つだ。だが、必要になれば実行する」
ラルさんは目を逸らさなかった。
その顔に、暗い喜びは一つも浮かんでいない。
ただ、誰かが持たなければならない刃を、自分の手へ引き寄せようとしているだけだった。
だからこそ、簡単に頷くことはできなかった。
「ギレンとキシリアを殺して、アルテイシアを立たせる」
俺は二つの赤点と、中央の白い名前を交互に見た。
「それでは、彼女の立つ場所が二人の死体の上になります」
「既に多くの血が流れている。これ以上の内戦を止めるためなら、二人の命で済む方が少ない」
「数だけなら、そうでしょうね」
操縦桿を握っていないのに、右手の指がわずかに曲がった。
HADESなら、最短の答えを出すだろう。敵の中枢を落とし、指揮官を排除し、混乱の前に次の命令系統を置く。それは戦術として美しく、だからこそ見落とすものがある。
白い部屋で、バスクも人の数を数えていた。
使える者と、使えない肉を分ければ、秩序が保てると信じていた。
「殺すしかないと最初から決めたら、あの白い部屋と同じです」
ラルさんの眉が、わずかに動いた。
「あれと同じだと言うのか」
「ラルさんがバスクと同じだとは言っていません」
俺は二つの赤い標的を指した。
「でも、人間を目的のための数字へ変えた瞬間、使う言葉は違っても、道は少しずつ同じ形になります」
「では君は、ギレンとキシリアへ降伏を勧めるつもりか。彼らが素直に剣を置くと考えているのか」
「考えていません。たぶん、俺の言葉なんて聞かないでしょう」
「ならば、どうする」
「イオマグヌッソを止めます。二人が握ろうとしている力を先に使えなくする。艦隊の指揮系統を分断して、アルテイシア本人が立つかどうかを選べる時間を作る」
「時間を作っている間にも、人は死ぬ」
「だから俺が前に出ます」
自分の声が、作戦室の壁へ返ってきた。
「アルテイシアを守ることには協力します。イオマグヌッソも止める。ギレン派もキシリア派も、撃ってくるなら武装を潰します」
俺は暗殺命令の表示へ手を伸ばさず、白い名前の横へ新しい作戦線を引いた。
中枢破壊ではなく、動力遮断。指揮官狙撃ではなく、艦隊通信分離。人間を消す線ではなく、兵器だけを止める線だった。
「それでも二人を殺す以外に道がなくなった時はどうする」
ラルさんの問いが、静かに落ちた。
地球が影の中へ入り、作戦室から青い光が消える。
二つの赤点だけが、俺たちの顔を下から照らしていた。
「その時まで、俺は別の道を探します」
「答えになっていない」
「簡単な答えを出さないことが、俺の答えです」
俺はラルさんを見た。
「HADESはいつも一番速い線を見せます。でも、その線に従うだけなら、俺が操縦席にいる意味はありません」
ドゥーが隣で、作戦卓の縁へ指を置いた。
白い名前と二つの赤点の間に、彼女の指先が一本の境界を作る。
「アルテイシアが嫌だって言ったら、王様にしない方がいいと思う」
「政治は、それほど単純ではない」
「知ってる。でも、本人がいない場所で、その人の役を決めるのは白い部屋と似てる」
ラルさんはドゥーを見たまま、しばらく言葉を返さなかった。
やがて彼は暗殺命令書を閉じた。
消去はしない。ただ、二つの赤点が見えないように端末を伏せた。
「この案を破棄したわけではない」
「分かっています」
「君が示した道が失敗すれば、私は自分の責任で刃を使う」
「その時は、俺が止めます」
短い沈黙のあと、ラルさんの口元がわずかに緩んだ。
「私を止めると言うか、ランガ・ロード」
「ラルさんだから止めます。勝手に全部を背負って、帰らない側へ行こうとするなら」
「それは君が言える台詞ではないな」
「最近は、止めてくれる人が増えたので覚えました」
ドゥーが隣で小さく頷いた。
「ランガも、前より止まりやすくなった」
「せめて、少しは褒めてくれ」
「止まれるのは、たぶん良いことだよ」
艦が姿勢を変え、地球が再び陽光の側へ出た。
蒼い光が作戦室へ戻り、卓上に残っていた赤い派閥線を薄く染めていく。
アルテイシアの白い名前も、赤い標的も、その光の下では同じ端末上の記号にしか見えない。
けれど、その向こうには人がいる。
望んでいない玉座へ座らされるかもしれない人。
権力を握るために多くを焼こうとしている人。
その争いへ巻き込まれる、名前も知らない人たち。
俺は作戦卓へ引いた線を保存した。
「イオマグヌッソを止めます。アルテイシアの道は、アルテイシア本人に選んでもらう」
「ギレンとキシリアについては、まだ結論を出さぬということだな」
「二人の野望は止めます。でも、殺すことを当然の答えにはさせません」
ラルさんは伏せた暗殺命令書へ片手を置き、それからゆっくり頷いた。
「ならば君の道を示せ。理想を口にした者には、それを現実まで運ぶ責任がある」
「運びます。帰る道ごと、最後まで」
窓の外では、蒼い地球が変わらず回っていた。
遠くから見れば争いも国境も映らず、白い雲だけが海の上を滑っていく。
その美しさを理由に、地上の血を見ないふりはできない。
けれど、地上に血があるからといって、最初から誰かの死だけを道標にするつもりもなかった。
作戦室を出る前に、俺はもう一度イオマグヌッソの図面を見た。
巨大な機械の冠は、赤い光の中で静かに回っている。
その中心へ、マチュへ続く航路と、アルテイシアの名前と、ザビ家の二つの刃が重なっていた。
次に向かう場所は、ただの戦場ではない。
誰を王にして、誰を敵にして、誰を殺せば終わるのかを、大勢が勝手に決めようとしている場所だ。
「ドゥー、行こう」
「うん。今度も、名前を数字にしないために行くんだね」
「ああ。王様でも、標的でも、その前に一人の人間だからな」
背後で作戦室の扉が閉じた。
暗殺命令書は、まだラルさんの手元に残っている。
それでも、蒼い地球へ伸びる航路には、赤い標的とは別の線が一本だけ増えていた。