機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界:Re 作:ボルメテウスさん
マチュのスマホの画面が蜘蛛の巣みたいに割れたまま、彼女が頬を膨らませて帰って来たからだ。
そして、床に置かれた小さな部品を見た瞬間、俺の中の戦場人格が勝手に息を吸った。
「ランガ! 見てこれ、絶対おかしいやつ!」
「落ち着けマチュ、まずは深呼吸して、それから順番に説明しろ」
「説明するから! だから協力して! 監視カメラとか、そういうので追えないの?」
「追えるが、追う前に一つ聞く、怪我はないな?」
「ないけどスマホが死んだ! それは死ぬより悲しい!」
「死ぬより悲しいは盛りすぎだ、でも怒るのは正しい」
「でしょ! だから捕まえて修理代払わせる!」
マチュは怒りの方向が分かりやすいから助かる。
怒りの先に銃口を向けずに済む、そういう意味で。
俺はサイド6のザルみたいな監視網に、古い整備用の手順で滑り込んだ。
数分で、ぶつかった場所の映像が出て、黒いバッグを抱えた少女が走り去る姿が映る。
その背中は小さくて、必死で、そして運の悪いことに、俺が知っている背中だった。
「……ニャアンか」
「え? 知ってる人なの?」
「いや、正確には知ってると言うか、関わったと言うか」
「何それ、めっちゃ怪しいんだけど」
「怪しいのは今夜の出来事全部だ、まずは追うぞ」
マチュは不満そうにジト目を作りつつも、俺の横にぴったり付いてきた。
この距離がありがたいのに、同時に怖い。
守りたいものが近いほど、失う可能性も一緒に近づくからだ。
難民区域の外れ、薄い街灯と壁の落書きと、風の匂いが混ざる場所。
そこにニャアンはいた。
呼吸が荒くて、片手には黒いバッグを抱え、もう片手で端末の画面を何度も確認している。
GPSだろう。
備え付けの追跡機能で、取り違えた荷物の位置を追ってきたらしい。
「やっと見つけた……」
彼女が安堵の息を吐く。
それは勝利の息じゃない。
「生き延びた」と思った時にだけ出る、あの種類の息だ。
そして次の瞬間、マチュが声を張る。
「ねえ、ちょっと!」
「っ……!」
ニャアンが振り向いて、固まった。
そこに立っていたのは、どこかで見た少女。
駅の改札ですれ違った時の顔。
「罠か」と疑うのは当然で、彼女は即座に逃げる準備をした。
だが、その逃走ルートの先に、俺が立っていた。
フードを深く被り、影と同化する位置を選び、足音を消して。
戦場で身に付けた「そこにいるのに、いない」立ち方で。
「よう、まさか、お前だったとはな、ニャアン」
「ぇっ……」
ニャアンの顔色が、見て分かるほど青くなった。
あの時の路地裏で、追い剥ぎを黙らせた俺の声を、彼女は覚えている。
覚えているから、今ここで一番聞きたくない声として、俺の声が刺さる。
「らっ……らっ、ランガさん……」
「さん付けはやめろ、余計に目立つ」
「じゃ、じゃあ……ランガ……」
「それも微妙だが、今は我慢する」
マチュが俺とニャアンを交互に見て、眉を釣り上げた。
ジト眼が完成している。
その目が怖いのは、敵意じゃなくて「見透かす力」があるからだ。
「ランガ、知り合いなの?」
「いや、その……」
「いや、その、って何」
「まっ、まぁ、少し知り合って!」
「少しって、どれくらい」
「道に迷って、その時に……」
「道に迷うって、難民区域で?」
「そう、その、たまたまね!」
俺は必死に言い訳を並べた。
戦場で弾幕を抜けるより、マチュのジト眼を抜ける方が難しい。
ニャアンは俺の横で、今すぐ消えてしまいたい顔をしていた。
(逃げたいだろうな)
(だが逃がせない)
俺は口には出さず、視線だけで伝える。
ニャアンが小さく肩を震わせたのが分かった。
俺がマチュに向けている声は柔らかいのに、眼だけが違うことを、彼女は感じ取ったのだろう。
ニャアンがそろり、そろりと半歩後ろへ下がる。
その動きが、逃走に変わりかけた瞬間。
「……動くな」
俺は低く言った。
低く言っただけで十分だった。
戦争を知らない者でも、この声の温度は理解できる。
「ひぃ!?」
ニャアンが変な声を出す。
マチュが俺を見る。
「ランガ、今の言い方、なんか怖いんだけど」
「怖くしないと危ないからだ」
「危ないって、スマホの修理代の話だよね?」
「修理代の話の形をした、別の話だ」
「なにそれ、意味わかんない!」
マチュはスマホの残骸を掲げる。
画面はボロボロで、端が欠けて、タッチも効かない。
その惨状に、ニャアンが視線を逸らした。
「とりあえず、スマホ、修理代払って」
マチュは真正面から言った。
怒りの方向が潔い。
「えっと、その……」
ニャアンが黒いバッグを抱え直す。
「この荷物を届けないと、その、金が入らなくて……」
「だったら行って、金を作らないといけないな」
俺は声を優しくした。
優しくしたまま、言外に釘を刺す。
余計な動きをしたら、逃がさない。
マチュは首を傾げる。
「え、なに、じゃあ一緒に届けに行くの?」
「そうだ」
「へぇ、なんか急に優しいじゃん」
「優しいのはお前に向けてだ」
「え」
「違う、今の言い方は誤解を招く」
「もう遅いよ」
マチュのジト眼がさらに強くなる。
ニャアンが板挟みのまま固まっている。
この状況、誰が見ても修羅場の入り口だ。
「ランガさん、あの、その……」
ニャアンが小声で言う。
「私、ほんとに急いでて……」
「急いでるのは分かった」
「じゃ、じゃあ……」
「先に言っておく」
俺は言葉を切る。
「逃げない」
「……逃げない」
「嘘をつかない」
「……つかない」
「余計な相手に連絡しない」
「……しない」
マチュが腕を組んで、俺とニャアンを見た。
「ねえ、これってスマホ修理の範囲超えてない?」
「超えてる」
俺は即答した。
「でも、超えてるからこそ、俺がいる」
ニャアンが小さく呻いた。
「なんでこんなことに……」
「俺もそう思う」
俺は本音で返した。
「だが、マチュのスマホを壊した以上、責任は取れ」
「うんうん、その通り!」
マチュが勢いよく頷く。
「ちゃんと払わせる!」
「払うために届ける」
俺が言うと、マチュは一瞬だけ眉を上げた。
「……届けたら、逃げないよね?」
「逃げさせない」
「それ、怖い」
「怖くない言い方もできる」
「じゃあそれで言って」
「逃げないように、俺が一緒に行く」
「最初からそう言ってよ!」
ニャアンは、俺とマチュに挟まれたまま、配達先へ歩き出した。
歩き出すしかない。
その背中は、薄い壁に挟まれた紙みたいに頼りない。
逃げたくて、でも逃げるともっと怖い。
そういう地獄の選択肢しか残っていない背中だ。
「……ねえ、ニャアン」
マチュが声をかける。
「あなた、運び屋って言ったよね?」
「う、うん……」
「これ、ほんとにただの回路?」
「し、知らない……私は運ぶだけで……」
「運ぶだけって、なおさら怖いんだけど」
「うぅ……」
俺は二人の会話を聞きながら、周囲の死角を確認した。
難民区域の角は多い。
角は隠れられる。
隠れられるということは、狙われるということだ。
(マチュをここに長居させたくない)
(だが、ここから先は引き返せない)
俺の中の合理が言う。
必要なら、運び屋の背後にいる相手を潰す。
だがそれは、マチュの目の前でやるべきことじゃない。
マチュの世界は、まだ“壊れていない”世界であってほしい。
「ランガ、さっきから目が怖いよ」
マチュが言う。
「私のこと見てる時は普通なのに、周り見ると急に軍人みたい」
「……軍人みたいって言うな」
「じゃあ何、元軍人なの?」
「違う」
嘘ではない。
少なくとも、この世界の俺は違う。
ニャアンが小声で呟く。
「絶対、嘘……」
「聞こえてる」
俺が言うと、ニャアンが震えた。
「ごめんなさい……」
「謝るのは最後でいい」
俺は言った。
「まず届けて、金を作って、スマホ代を払う」
「うん、払わせる!」
マチュが即座に乗る。
ニャアンが泣きそうな顔で頷く。
板挟み。
文字通り、ニャアンは板になっていた。
そして俺は、その板を折らないように支えるふりをしながら、折れた瞬間に出てくる“中身”を警戒していた。
(運び屋は入口だ)
(入口の奥には、必ず誰かの都合がある)
俺はフードの奥で息を吸う。
殺しはしない。
少なくとも、今夜は。
だが、必要なら止める。
止めるためなら、俺の手段は綺麗じゃない。
「……ほら、早く行け」
俺が背中を押すように言うと、ニャアンは小さく頷いて歩幅を速めた。
マチュはその横で、壊れたスマホを握りしめている。
怒りの熱で、それを溶かしてしまいそうな勢いで。
この夜が終わる頃、ニャアンはもう、今日の自分を好きでいられないかもしれない。
それでも俺は、彼女を逃がさない。
逃がしたら、次に壊れるのはマチュの世界になる。
だから俺は歩く。
偽物の平和の中で、本物を守るための、嫌な歩き方で。