機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界:Re 作:ボルメテウスさん
宇宙から――サイド6へ、戻って来た。
正確には「戻って来られた」と言うべきだろう。
戻る途中の感覚はまだ指先に残っていて、呼吸のたびに胸の奥が少しだけ遅れて痛んだ。
「戻ってこれた……」
マチュが、ほっとしたように言った。
その声の軽さが、俺の胃の底を少しだけ温める。
「あぁ」
俺は短く返しながら、コックピットの計器を落ち着かせて、ゆっくりとハッチを開いた。
空気が戻る。
空気があるだけで、人間はここまで安心できるのかと思う。
宇宙は呼吸を奪わないようでいて、精神の呼吸だけは簡単に奪う。
俺はザクから降りる。
関節の軋みと、機体の古い油の匂いが鼻についた。
マチュもガンダムのハッチから身を乗り出して、地面に降りる。
互いに顔を見て、互いに生きていることを確認するだけの数秒が、妙に長い。
「ランガ! 凄かったよね!」
マチュの顔は、楽しそうだった。
怖かったはずなのに、恐怖より先に興奮が目に出ている。
さっき見た“虹”と“地球”と“アクシズ”と、そしてあの一瞬の輝きが、彼女を掴んで離さないのが分かった。
俺はそれが嬉しい、とは言えなかった。
嬉しいより先に、違和感がある。
あの光景は美しすぎた。
美しすぎるものは、だいたい人間を殺すための餌だ。
「どうしたの、ランガ?」
マチュが首を傾げてくる。
楽しいのに、俺の顔が固いのが分かったのだろう。
「いや、少しな」
俺は曖昧に答えて、視線をザクの右手へ移した。
そこに、握られている“柄”があった。
無我夢中で振り回したもの。
熱の刃が伸びて、ザクを簡単に切り裂いたもの。
あれが今もここにあるという事実だけで、さっきの光景が幻じゃないと確定してしまう。
俺は一歩、ゆっくり近づいた。
近づくほど、喉が渇く。
手が勝手に動いて触れてしまいそうで、触れた瞬間に何かがまた接続される気がして怖い。
「っ……」
マチュも気づいたらしく、俺の横から覗き込む。
「あれ、これって……確かビームサーベルだっけ?」
彼女の言い方が軽い。
軽いからこそ、背筋が寒くなる。
ビームサーベルを“確か”で済ませる世界。
それが今、彼女の現実になりかけている。
「……」
俺は返事を遅らせる。
言葉にしたら、より現実になる。
より現実になったら、マチュの憧れが“危険”と同じ意味になってしまう。
「あれ、ザクってこんなの持ってたっけ?」
マチュが不思議そうに言う。
彼女には、虹の向こうの幻が見えていなかったのだろう。
見えていたら、この質問は出ない。
見えていなかったことに、少しだけ救われた。
「……さぁな」
俺はそう答えた。
嘘ではない。
少なくとも「このザクの標準装備ではない」のは確かだが、説明するには話が長すぎて、話したら彼女をさらに巻き込む。
俺はそのまま、ビームサーベルの柄が外から見えないように、ザクの手を機体の影へ寄せた。
“隠す”という行為が習慣になっていることが、ここでも嫌になる。
だが隠すしかない。
今はまだ、隠すしかない。
「マチュ、とりあえず送っていくよ」
俺がそう言うと、マチュは目を瞬かせた。
「えっ、けど、これらはどうするの?」
彼女の視線はガンダムとザク、そして倉庫の奥を行き来する。
今の彼女は、好奇心が勝っている。
好奇心が勝つと、危険は“面白い”に変換される。
それが一番危ない。
「ふふんっ、そこは大丈夫、大丈夫」
俺はわざと軽く言ってみせた。
軽く言わないと、マチュが不安を増やす。
不安が増えたら、また勝手に動く。
それが一番困る。
「俺がなんとかするから」
「いや、なんとかって……」
マチュの声が疑いの色を含む。
「とにかく、また面倒なのが来る前に」
俺はそこで言葉を切った。
面倒、という単語で濁すしかなかった。
軍警だとか、ガンダムだとか、歪みだとか、言った瞬間に日常が崩れる。
「うっ、うん……分かった」
マチュは渋々頷いた。
門限が過ぎていることも、彼女は分かっている。
そして今夜の出来事を、家で説明できないことも、たぶん分かっている。
それが彼女の目を、少しだけ曇らせた。
俺はマチュを送り届けた。
帰り道、彼女はいつもの調子で文句を言いかけて、途中で黙った。
黙ったまま、最後に小さく言う。
「ねえ、ランガ」
「なんだ」
「私、怖かった」
「……」
「でも、ちょっとだけ、綺麗だって思った」
俺は返事ができなかった。
綺麗だと思うのは、悪いことじゃない。
だが綺麗だと思ったものが、人を戦場へ引っ張ることもある。
その“ちょっとだけ”が、未来を変える。
だから俺は、言葉じゃなくて、ただ頷いた。
「じゃあ、また明日ね」
マチュはそう言って手を振り、ドアの向こうに消えた。
俺は振り返り、夜の空気を吸った。
ここからが本番だ。
隠しものを片付ける時間だ。
面倒の種を摘む時間だ。
すぐに俺はペイルライダーへ向かった。
偽装外装のズゴックが、倉庫の暗がりで鈍い影になっている。
ズゴックの装甲のおかげでパワーは十分にあり、重量物を運び込むには都合がいい。
俺は機体を起動し、静かに進めた。
推進は最小。
音も光も出しすぎない。
目立たない動きが、戦場よりも重要になる夜がある。
ポメラニアンズの拠点へ戻り、ガンダムとザクを運び込む。
その瞬間、ジェジーが吠えた。
「あれって、もしかしてシローなのか!? おい、お前、今までどこに――」
「うるさい」
俺は言葉を切る。
「お前達が色々と面倒な事をしたからだろ」
「はぁ!? 俺のせいかよ!」
「お前が引き金を引かなきゃ、ここまで騒ぎになってない」
「言い方がムカつくんだよ!」
ケーンが慌てて割って入る。
「まぁまぁ、今は口喧嘩してる場合じゃないよ! それよりその機体、どこから――」
「説明は後だ」
俺は短く答え、収納作業を優先した。
幸い、施設自体は壊れていない。
ガンダムもザクも、強引に押し込めるスペースはある。
俺は手順を頭の中で組み、最短の動きで格納していく。
金属が擦れる音が響くたび、さっきの虹の残光が脳裏を掠めて、背中が冷たくなる。
ここに置いておくこと自体が危険だ。
だが置いておかなければ、もっと危険になる。
そういう矛盾の中で、俺は手を動かすしかなかった。
作業がひと段落したところで、アンキーから通信が入った。
周囲に他の連中がいるから、彼女はわざと軽い声で言う。
「それにしても、シロー」
「あなた、可愛い彼女がいたんだね」
「……やっぱりバレてたか」
俺は苦く笑う。
隠したつもりでも、あの女の嗅覚は鋭い。
「色々聞きたい事はあるけどね」
アンキーの声は軽いのに、その軽さが逆に重い。
“聞きたい事”が、俺の素性なのか、機体なのか、ガンダムなのか、全部なのか分からない。
分からないから怖い。
「……それは」
俺が言いかけると、アンキーが先に遮る。
「ここじゃ無理かもしれないね」
「そっちも、周りにその話を聞かれたくないだろ」
「……分かった」
俺は頷くしかない。
今は向こうの要求を断る訳にはいかない。
ポメラニアンズという足場を失えば、地球行きの金が消える。
それはマチュの願いを遠ざける。
そして、俺の“確かめたい本物”も遠ざける。
通信が切れて、倉庫の音が戻る。
ジェジーがまだ不満そうに唸っている。
ケーンが端末でログを追っている。
ニャアンは隅の方で小さくなっている。
マチュはいない。
それが、今は一番ありがたい。
俺は作業台の端に腰を下ろし、手のひらを開いた。
指先に、まだ熱が残っている気がする。
もちろん錯覚だ。
だが錯覚だと言い切れないものが、今夜の俺には多すぎた。
(νガンダムのビームサーベル)
(オメガサイコミュ)
(虹の向こうの地球)
(アクシズ)
俺の知る宇宙世紀の記憶が、勝手にこの世界へ侵入してきて、現実と混線する。
それがゼクノヴァのせいなのか、マチュのせいなのか、俺のせいなのか。
答えはまだない。
だが一つだけ確かなことがある。
マチュは“動かせた”。
そして“綺麗だと思った”。
その二つは、戦場の入口としては十分すぎる。
(守る)
俺は心の中でだけ繰り返す。
(守ると決めたなら、今夜の出来事を放置しない)
(放置すれば、次に壊れるのは日常だ)
俺は立ち上がり、フードを直し、もう一度格納庫の奥を見た。
ここにあるものは、どれも“面倒”の塊だ。
だが面倒を恐れて逃げたら、面倒は必ずマチュの方へ寄っていく。
それだけは、絶対に嫌だ。
「……考えるか」
俺は小さく呟き、アンキーとの次の会話を想像して胃が重くなるのを感じながら、手を動かす準備を始めた。
今夜は終わっていない。
むしろ、今夜から始まったんだと思う。