機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界:Re 作:ボルメテウスさん
格納庫の空気は油と金属と埃の匂いが濃く、さっきまでの“虹”の残光が嘘みたいに現実へ引き戻してくる。
俺は機体の固定を確認し、扉のロックを二重に掛け、念のため監視ログも一度だけ潰してから、フードを深く被った。
今夜は終わったはずなのに、胸の奥の警報だけが鳴り止まず、呼吸が妙に浅くなる。
待ち合わせ場所へ向かう道には、露店の灯りが点々と浮かんでいて、難民区域の夜にしてはやけに賑やかだった。
誰かの笑い声と鍋の煮える音が混じり、そこだけが戦争と無縁だと言い張っている。
俺はその“無縁”が一番信用できないと分かっていながら、足を止める。
露店の暖簾には「おでん」と書かれていて、出汁の匂いが鼻をくすぐった。
この匂いが嫌いじゃないのが、少しだけ腹立たしい。
戦場の匂いは嫌悪できるが、生活の匂いは嫌悪しきれないからだ。
「よぉ、待っていたよ、シロー……いや、この場合はランガ君と呼んだ方が良いのかな?」
声の主はアンキーだった。
湯気の向こうで彼女は既に飲んでいて、器の縁に口紅の跡が薄く残っている。
余裕の顔だ。
余裕を見せられると、人間は無意識に焦る。
その焦りを利用するのが、こういう女のやり方だ。
「……さぁな、呼び方なんて好きにしろよ、俺は今夜もう疲れてる」
俺は言葉を雑にして、感情の温度だけ下げた。
温度が下がれば、相手は探りづらくなる。
そう信じたいだけかもしれないが、今はそれでいい。
「相変わらず愛想がないねぇ、せっかく奢りでも良いと思ったのにさ」
アンキーは笑いながら、串をくるりと回して鍋に戻した。
笑い方が軽いのに、目だけは軽くない。
この女は、笑いながらでも人を刺せる。
「奢りはいらないし、時間も無駄にしたくないから、用件を先に言ってくれ」
俺はアンキーの横に座り、鍋の湯気の熱さで手の位置を誤魔化しながら、店主に短く頼む。
「すみません、卵と大根と牛すじを頼むけど、出汁は薄めにしてくれないか」
俺は口を動かしている間に、周囲の死角と人の流れを確認する。
露店は人が多いから、会話は紛れやすい。
だが人が多いほど、耳も多い。
「それで、話っていうのは何だ、俺を呼び出した理由を聞かせろ」
俺が先に切り込むと、アンキーはわざとらしく肩をすくめた。
「別に深い理由なんてないよ、興味本位で色々と聞きたかっただけさ」
「つまり、あんたは一体何者なのかってね、あんたの口から聞きたいんだよ」
「……別に、どこにでもいる普通の男だし、普通に暮らして普通に稼ぎたいだけだ」
俺は嘘を混ぜながらも、嘘だけにはしない。
普通に稼ぎたいのは本当だ。
普通に暮らしたいのは、もっと本当だ。
「普通の男ねぇ、それでザクを動かして、ガンダムを隠して、女の子を送って帰れる普通があるのかい」
アンキーは串を咥えたまま言い、わざと俺の反応を待つ。
「普通じゃない夜に巻き込まれただけだし、俺の方が聞きたいくらいだ」
俺は笑わずに返し、箸で大根を割る。
熱い出汁が滲み、舌が火傷しそうになる。
「そういうあんたこそ、何者なんだよ、女社長ってだけじゃ匂いが強すぎる」
俺が問い返すと、アンキーは鼻で笑った。
「何って、あんたも知ってるだろう、ただの女社長だよ」
「ジャンク屋の親玉で、クラバの穴場を握ってて、金の回りを見てるだけの女さ」
「ただの女社長ねぇ、だったらその目の鋭さが説明つかないし、その勘の良さも説明できない」
俺が言うと、アンキーの目尻がほんの僅かに上がった。
「勘が良い女は嫌いかい、それとも怖いかい、それとも両方かい」
「怖いというより厄介だし、厄介というより信用できないと感じるだけだ」
俺は言い切り、湯気の向こうのアンキーをじっと見る。
アンキーも俺を見返している。
お互いに得物を隠しているのを、互いに知っている。
俺のコートの奥にナイフがあることを、彼女はもう気づいている。
彼女の腰の位置が僅かに硬いことから、銃があることも俺は分かっている。
この露店の湯気は、会話を隠すが、殺気も隠せない。
「まぁ、別にあんたが何者でも、こっちには直接関係ないよ」
アンキーが先に折れるような言い方をしたが、それが本当に折れていないことも分かる。
「互いに敵じゃなければ、それで良いってだけさ」
「敵か味方なんて状況で幾らでも変わるし、戦争ならそれは珍しくもない」
俺が返すと、アンキーはすぐに食いつく。
「おや、まるで戦争を知ってるような口だね」
「一年戦争は五年前に終わったのに、あんたの口ぶりは古すぎるよ」
「まさか戦争に子供が参加するなんて、可笑しな話だろうし、俺はそんな世界を知らない」
俺は一歩だけ嘘を塗る。
本来の一年戦争には、その可笑しな話が現実としてあった。
笑えない話だが、今ここで笑えない話を出すのは最悪だ。
「そうだね、可笑しな話だし、子供が銃を握るのは地獄だよ」
アンキーが器を置き、声だけ少し落とした。
「でもね、今日起きた事だけでも、その可笑しな話が続きすぎてる」
「二体のガンダムに、高校生くらいの子が簡単にモビルスーツを動かした」
「それを見て“可笑しい”で済ませられるほど、私は鈍くないんだよ」
「確かにね、今日だけで常識が何回ひっくり返ったか分からない」
俺は素直に認める。
認めた上で、話の中心をずらす。
中心に置きたくないのは、マチュだ。
「それで、本題は何だよ、興味本位って顔じゃないだろう」
俺が促すと、アンキーはようやく核心を投げてきた。
「気になったのは、あの時ザクが持ってたビームサーベルだよ」
「ねぇ、あれはどこで手に入れたんだい、まさか軍警の倉庫を漁ったのかい」
答えは最初から決めてある。
知らないと言い切る。
知らないと言い切って、相手の追及の手を鈍らせる。
真実を言えば、マチュも歪みも、全部が繋がる。
繋がった瞬間に終わる。
「さぁね、俺は知らないし、宇宙の落とし物じゃないのか」
俺は薄く笑う。
笑ってはいけないのに、笑ってしまう。
嘘を嘘として通す時、笑いは便利だ。
「そうかい、宇宙の落とし物ねぇ」
アンキーは納得したふりをして頷き、納得していない目で俺を見た。
この女は、納得しないまま飲み込む。
飲み込んだまま、あとで吐き出す。
「用が済んだなら帰るし、明日も早いからな」
俺は器を置き、代金を払うために立ち上がる。
「ご馳走様だし、奢りじゃないならこれで終わりだ」
俺がそう言って背を向けた瞬間、アンキーが声を投げてきた。
「そうか、だったらついでに伝言を頼むよ」
「シローでもランガ君でも、どっちでも良いからさ」
「……なんだよ」
俺は振り返らずに聞いた。
振り返ると、目の圧で余計な感情が出る気がした。
「あの子、アマテちゃんは、たぶんクランバトルに参加するよ」
「っ……」
息が止まる。
アマテ。
マチュ。
この世界での彼女の名前を、アンキーが普通に口にしたことが怖い。
そして、その内容がもっと怖い。
「どういう意味だ」
俺は声を低くした。
低くした瞬間、露店の湯気が急に冷たく感じる。
「意味も何も、そのままだよ」
アンキーは平然と言った。
「止めるのは無理だし、止めようとすると逆に燃えるタイプだろ、あの子は」
「私達じゃ戦わせるのを止められないし、止める資格もない」
「……」
言い返せない。
マチュの目を思い出す。
自由を見たいと言った目。
怖いのに綺麗だと思ったと言った目。
あの目がクラバを見たら、引き寄せられるのは分かる。
「もし守りたかったら、彼女に教えてやりな」
アンキーの声が少しだけ柔らかくなる。
柔らかくなるのが、逆に厄介だ。
「私達じゃ無理だからね、あんたみたいに“近い人間”じゃないと無理だよ」
「……忠告、どうも」
俺はそれだけ言った。
礼にも皮肉にも聞こえる声で。
「焦らないでね、焦ると大事なものを踏むからさ」
アンキーが最後にそう言い、串を噛んで笑った。
その笑いが、冗談じゃないと分かる。
俺は今度こそ歩き出し、露店の灯りから離れた。
夜風が冷たくて、頭が少しだけ冴える。
冴えたぶんだけ、現実が重い。
(マチュがクラバに出る)
(止めるのは無理)
(なら、どうする)
守るために隠すのか。
守るために教えるのか。
守るために、一緒に立つのか。
どの選択肢も、マチュを戦場へ近づける。
でも、何もしなければ、もっと早く壊れる。
俺はフードを深く被り直し、歩幅を一定に保った。
心臓だけが早い。
戦場で早くなる心臓とは違う。
日常が壊れる予感で早くなる心臓だ。
「……俺は」
俺は小さく呟く。
「守ると決めたんだろ」
誰に言われたわけでもない。
ただ、自分に刺さる言葉として、それだけが残っていた。