機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界:Re 作:ボルメテウスさん
最期に、彼女を見た光景は今でも鮮明に覚えている。
どこにでもある、ありふれた路地裏の夕方で、買い物袋の擦れる音と、遠くの子供の笑い声が、戦争という単語すら拒むように溶けていた。
俺はその時、本気で思っていたのだ、この世界は戦場と無縁で、俺の手はもう血に触れなくて済むのだと。
けれど平和というものは、いざ壊される時には、驚くほど脆く、驚くほど簡単に、音もなく割れてしまう。
戦争が終わっていない連中がいた。
終わっていないのではなく、終わらせる気がない連中がいて、彼らは日常の壁を蹴破るのに、何の躊躇も持っていなかった。
そして眼前に転がった彼女の顔は、何も映し出さず、もう戻らないことだけを、残酷なほど静かに告げていた。
それが俺の中で“過去”として固定され、胸の奥に錆びた釘として残り続けている。
「えっ、ちょっ、いきなりどうしたの」
目の前にいる。
暖かさを感じる。
生きている。
その事実だけで、俺の肺が勝手に息を吸い込み、脳が遅れて現実を追いかける。
「どうしたの、いきなり」
「……悪い、もう少しだけ、こうさせて欲しい」
「どうしたの、本当に」
俺の腕の中で、マチュは首を傾げた。
理解できないのは当然で、理解できる方がむしろ異常で、だからこそ彼女は言葉を重ねずに黙ってくれたのだろう。
僅かな時間が経つにつれ、俺の心拍は遅くなり、抱き締める力も、少しずつ“今”に合わせて緩んでいった。
「悪い、いきなり」
「別に良いけど、どうしたの?」
「少し、悪夢を見てな、お前が死んだ夢を」
「いきなり縁起の悪い事を言わないでよ!」
マチュの声は、生活の速度で俺を叩く。
その速度がありがたいのに、同時に怖い。
戦場の速度とは違うからだ。
戦場では、言葉は命令か報告か罵倒にしかならず、感情は判断の邪魔だと切り捨てられる。
それでも俺は今、感情に縋っている。
「……あぁ、本当に」
縁起が悪すぎるのは、夢の内容ではなく、夢が“夢ではない”可能性が、俺の中で消えないことだ。
守れなかった過去が、もし別の場所で現実として成立していたなら、その責任はどこに落ちるのか。
俺が抱えてきた罪悪感は、ただの自己満足の鎖に変質してしまうのか。
「というよりも、学校、どうするの?」
「……あぁ、少し、気分悪いし、休むわ」
「そうなの? まぁ、良いけど、気をつけてよね」
「あぁ、悪いな」
マチュは踵を返して、軽い足取りで廊下を進んでいった。
その背中を見送るだけで、胸の奥に詰まっていた何かが、少しだけほどける。
彼女が学校へ行くという当たり前の行為が、戦争の外側の時間を証明していた。
俺はその証明を、喉が痛くなるほど欲していた。
ドアが閉まり、部屋に静けさが戻る。
俺はゆっくりと息を吸って、窓際へ歩いた。
外の景色は、太陽とコロニー照明が混じったような明るさで、道行く人々の表情は、戦場で見たことのない軽さを纏っている。
この景色は現実だ。
視覚がそう告げ、嗅覚がそう告げ、耳がそう告げる。
だが脳の中の記憶もまた、偽物だと言われて引き下がるような薄さではない。
「いや、違うな」
独り言が漏れた時、俺は自分が“二つの現実”を同時に抱えている感覚を理解した。
一つは今ここにある生活で、もう一つは、血と火薬と後悔で作られた宇宙世紀の正史だ。
どちらかを選べと言われても、選ぶ行為そのものが、俺の内側を裂くだけだろう。
その裂け目から、ふいに言葉が浮上する。
『人はいつか時間さえ支配できるようになれる』
俺はその口調まで思い出してしまい、苦笑ともため息ともつかない呼気を吐いた。
「アムロさんが、そんな事を言っていたな」
エゥーゴで出会った伝説のパイロット、アムロ・レイ。
ニュータイプという概念を、俺は頭では理解しているつもりだったが、理解と実感の間には、宇宙の距離ほどの隔たりがある。
俺が乗っていたペイルライダーに搭載されたHADESは、実感の方を強引にねじ込んでくる装置だった。
パイロットを制御系の一部として扱い、演算が出した最適解を、神経に叩き込み、反応速度を引き上げる。
ティターンズがニュータイプに対抗するため、強化人間を少しでも強くするために用意した、言ってしまえば人を壊すための道具だ。
俺はその道具の座席に座らされ、幸運にも、壊れなかった。
壊れなかったから、俺は戦い続け、戦い続けたから、今こうして別の世界に落ちているのかもしれない。
『おそらくは、ニュータイプに覚醒しつつある君の反応速度が、HADESが合わせる形でサポートしているのだろう』
『本来なら人を殺すシステムが、結果としてニュータイプへと促したのかもしれない』
『ある意味、奇跡のような結果だ、今後現れるかどうかは分からない』
あの会話を思い出すたび、俺の中で倫理が軋む。
人を殺すための仕組みが、人の可能性を開いたという皮肉が、背骨の奥を冷やす。
俺がニュータイプになったのか、それともHADESが俺をそれらしく加工したのか。
今となっては、検査する場所も、確かめる手段もない。
「どちらにしても、知らなければ、何も分からない」
俺は机の上に転がっていた携帯端末を手に取り、画面を点けた。
指の動かし方は変わらない。
世界が変わっても、指先の癖だけは置いていけないらしい。
俺は“アムロ・レイ”を入力して検索する。
結果は、出ない。
候補の関連語も、英雄譚も、白い悪魔の逸話も、まるで最初から存在しなかったかのように空白だった。
「アムロさんが、出てこない?」
背中に冷たい汗が流れた。
一年戦争の英雄が、検索にすら引っかからない世界があるという事実が、俺の世界観を根底から折り曲げる。
ならばこの世界の一年戦争は、俺の知る一年戦争ではない。
俺は検索語を変え、“一年戦争”を叩き込む。
画面に文字が並び、年表が出て、勢力図が出て、勝敗が出る。
「……え」
吐息が、喉の奥で凍りつく。
そこに書かれていた結論は、俺の記憶を真っ向から否定していた。
「一年戦争で、勝利したのが、ジオンだって」
笑えない冗談だ。
笑えないのに、口角が引き攣る。
連邦が負けるという未来を、俺は何度も想像してきたが、それは“もしも”としての想像でしかなかった。
だが、この世界では“もしも”が現実になっている。
そして現実になった“もしも”は、想像よりもずっと普通の顔をして、人の生活の背後に貼り付いている。
俺は画面を滑らせ、戦争の始まりから追う。
開戦、コロニー落とし、モビルスーツの出現。
そこまでは、俺の記憶と一致している。
一致しているからこそ、ズレが際立つ。
歴史が変わった瞬間、その節目は、やはり“ガンダム”にあった。
ガンダムは、連邦の切り札であり、俺の知る歴史ではアムロ・レイが乗り、戦況をひっくり返した。
だがこの世界の年表は、別の名前を載せている。
“シャア・アズナブルがガンダムに搭乗”
その一行が、俺の胃を重くした。
シャアは俺にとって、遠い神話ではない。
ティターンズの暗部も、エゥーゴの理想も、そのどちらにも影を落とす存在として、俺の視界の端にいつもいた。
「……そうか、けど、俺は」
窓の外の景色が、急に遠く見えた。
俺が欲していたはずの平和が、まるで合成映像みたいに薄く感じられる。
嫌悪しているわけではない。
むしろ待ち望んでいた。
それなのに、手放しで受け入れられない。
俺の中にある戦争の記憶が、この景色を“偽物”だと裁こうとしている。
「どうしたら、良いんだ」
頭を抱える。
平和な世界に来たのなら、そこで生きればいい。
会えないはずのマチュが生きているなら、それだけでいい。
そう言い聞かせても、心は頷かない。
なぜなら俺は、戦争に人生を削られたのではなく、戦争によって形作られてしまった人間だからだ。
戦争が消えた世界に置かれた瞬間、俺は自分が空洞であることに気づいてしまう。
「……一年戦争」
その言葉を口にしただけで、喉が乾いた。
年表によれば、終結から既に五年ほどが経っている。
五年という時間は、傷を塞ぐには短く、忘却には長すぎる。
ならば、どこかに残っているはずだ。
戦争が“終わったことにできなかったもの”が、どこかに沈殿しているはずだ。
俺は立ち上がり、散らかった衣類の中からフード付きの服を引っ張り出し、顔を隠すように被った。
目立つのが嫌なのではない。
俺自身が、この世界に馴染んでいないと自覚しているから、視線を浴びるだけで軋むのだ。
端末で検索を続けながら、部屋の外へ出る準備を整える。
「記憶通りならば」
平和な世界でそれを求めるのは、狂っている。
自分でもそう思う。
だが俺は、求めてしまった。
この平和が本物なのか偽物なのか、確かめる術が欲しかった。
確かめるためには、俺の過去を証明する物が必要だ。
そして俺の過去を最も残酷に証明するのは、俺を戦いへ導いた相棒だ。
「……本当に、嫌になるよ」
本来の歴史で表に出ることのなかった機体。
ガンダムが存在しなければ、造られなかったとも言える実験の歪み。
俺の命を救い、同時に俺の心を削った機体。
もしこの世界にそれがあるのなら、表に出るわけがない。
隠されている可能性が高い。
廃棄されたか、封印されたか、あるいは、誰かの都合で“存在しなかったこと”にされている。
「ペイルライダー」
口にした瞬間、胸の奥がざらつく。
機体名は祈りになり、呪いにもなる。
俺は歩き出す。
それがどこにあるかも分からず、そもそも存在しているかも分からないまま、それでも歩き出す。
この平和の正体を探るために。
そして、自分が何者になってしまったのかを確かめるために。