機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界:Re 作:ボルメテウスさん
クラバの試合が終わった翌日、俺はポメラニアンズの拠点へ顔を出した。
顔を出したと言っても、皆と笑って雑談するためじゃない。
勝った翌日ほど、厄介な匂いが強くなる日もないから、俺は“異常がないか”を確かめに来た。
表通りから少し外れた、屋上に近い開けた区画。
そこはプールなんて洒落たものがあるわけじゃないのに、日差しだけは妙に強くて、金属の手すりが熱を持っていた。
上を見上げれば、コロニーの偽物の空が広がっている。
偽物の空なのに、浴びる光は本物みたいに熱いから質が悪い。
そこで、マチュが一人、空を見つめていた。
水着を身に纏って、太陽を浴びて、ヘッドホンを耳に押し当てて、世界から半歩だけ距離を取っている。
あの子は派手に見えるくせに、こういう時は驚くほど静かだ。
静かな背中ほど、抱えているものが重い。
「……」
声をかけるべきか、一瞬だけ迷った。
迷った瞬間に答えが出る。
今のマチュは、俺に触れられたくない場所を抱えている。
だから俺は、声をかけずに、距離を置いて見守った。
見守るだけなら、俺の得意分野だ。
戦場でも、誰かを見守るふりをして、一番危ない影を先に潰してきた。
マチュの思考がどこへ向いているかは、想像がついた。
先日の戦い。
あの魔女との一戦。
そして、マヴが“いつものシュウジ”ではなく“俺”だったこと。
彼女の中で、比較が始まっている。
比較は、答えに近づくが、同時に心も削る。
その時、背後から足音がした。
軽い。
軽いのに、隠す気配がない。
隠す気配がないのに、周囲がざわつかない。
つまり、ここは“アンキーの庭”だ。
「甘いの、いるかい?」
アンキーの声が、日差しの中に混じった。
彼女も水着で、手にはドーナツとコーヒー。
この人が水着でも違和感がないのが、逆に違和感だ。
戦場で銃を持っても違和感がない人間は、こういう格好でも違和感がない。
マチュがヘッドホンを片耳だけ外して、頷く。
「……うん、いる」
アンキーがドーナツの袋を差し出す。
マチュは受け取り、少しだけ口を動かした。
味が分かっている顔じゃない。
味より思考が先にある顔だ。
「どうだった、シローの戦い方は」
アンキーが、いきなり核心を刺す。
遠回しも前置きもない。
こいつは、刺す時はいつも短刀だ。
マチュの指が止まる。
ドーナツを齧る手が、一拍遅れて動く。
それから、静かに言った。
「……私が知ってる彼じゃないみたいだった」
その言葉が、俺の胸に刺さった。
マチュが知っている“俺”と、戦場で動く“俺”は違う。
違うからこそ、俺は隠してきた。
隠してきたのに、クラバという場所で、結局あの子の前に漏れてしまった。
アンキーがニヤリと笑う。
「へぇ、その口ぶりだと、古い知り合いかい?」
「別に止められてる訳じゃないけど……幼馴染み」
マチュが小さく言う。
幼馴染み。
その言葉が、俺の中の“ここにいるはずの俺”を刺す。
この世界の俺は、本来、マチュの隣で普通に歳を重ねているはずだった。
それを奪っているのは、俺だ。
俺自身だ。
アンキーが、ドーナツの残りを齧りながら言う。
「幼馴染みねぇ」
「ってことは、あんたの幼馴染みはずっとここで住んでたってことになるね」
「クラバやってるの、最近知った」
マチュの声が少し尖る。
「始めたのもつい最近だよ、数ヶ月前くらい」
数ヶ月前。
その単語で、俺はマチュが思い出している光景が分かった。
俺の様子が急変した頃。
寝起きの俺が別人みたいに見えた頃。
“ランガ・ロード”としての俺が、外側だけ残して中身が入れ替わった頃。
マチュが空を見上げたまま呟く。
「……なんか不思議な感じ」
アンキーが笑いを消して、少しだけ真面目な声を出す。
「けど、あいつは化け物だよ」
「なんたって、あの魔女相手に一方的に戦ってたからね」
マチュが悔しそうに唇を噛む。
「私は……ほとんど戦えなかった」
アンキーはすぐ否定する。
「むしろ、あの状況で一緒に対応したあんたも十分才能があるよ」
「だからこそ疑問なんだ」
「その機体に乗って才能があるのは分かる」
「でも、シローがどうやってあそこまでの強さを手に入れたのか、ね」
マチュの眉が、ほんの少しだけ寄った。
疑問は、たぶん同じ場所にある。
“キラキラ”だ。
「……キラキラの中に、あったのかな」
マチュがぽつりと言う。
その言い方が、ただの憧れじゃない。
怖がっている言い方だ。
俺は息を殺した。
聞こえたのは俺じゃない。
でも、あの子が“キラキラ”を“場所”として捉え始めているのが怖い。
場所として捉えた瞬間、人はそこへ行こうとする。
行こうとした瞬間、戻ってこれなくなることがある。
マチュがドーナツを一口齧り、ほとんど味のしない顔で続ける。
「初めて見た時、ランガも見えた」
「でも、彼は……違う何かを求めてるみたいで」
「だから、怖かった」
「ランガが離れるのが」
アンキーが静かに頷く。
「……そりゃ、怖いね」
マチュの指が、ヘッドホンの縁をなぞる。
癖だ。
不安な時の癖。
俺も、不安な時は操縦桿を握り絞める。
同じだ。
同じだから、余計に怖い。
「でも」
マチュが言う。
「戦い続ければ、分かる気がする」
アンキーが目を細める。
「分かるって?」
「キラキラが何なのか」
「シュウジと戦えば、もっと見える気がする」
「今は見るだけで必死だけど……何度も、何度もやれば」
「その先に、ランガが見てた景色が分かる気がする」
その言葉を聞いた瞬間、俺の背中が冷えた。
理解したい。
追いつきたい。
同じ場所を見たい。
それは純粋な願いであるほど、危険だ。
戦場に足を踏み入れる理由なんて、だいたいそういう純粋さから始まる。
マチュが小さく笑う。
笑い方が、少しだけ夢見ている。
「その時は、ランガを引き留められるかもしれない」
引き留める。
その言葉が優しくて、胸が痛い。
引き留められる側の俺が、引き留めてほしいと思ってしまう。
それがいちばん卑怯だ。
マチュは続ける。
「でも、同時に……」
少し間があって、声が小さくなる。
「私も行ってみたいのかな、あの先に」
アンキーが、ほんの少しだけ眉を上げた。
「……あの先?」
「ランガが向かおうとしてる所に」
マチュが言う。
「私も、シュウジも、ニャアンも」
「みんなで一緒に行けたらいいのにって思っちゃった」
その瞬間、俺は背中を向けたまま、歯を噛みしめた。
みんなで一緒に。
その言葉は救いに聞こえる。
でも、戦場で“みんなで”と言った人間ほど先に死ぬ。
だから俺は、その未来を許したくない。
許したくないのに、マチュの声には希望があって、希望は否定しづらい。
アンキーが、コーヒーを一口飲んでから、呆れたように笑った。
「こりゃ案外、両方とも重症かもしれないね」
マチュがむっとする。
「なにそれ、重症って失礼じゃない?」
「失礼だけど本当だよ」
アンキーは軽く言う。
「片方は守るために隠して、片方は知るために踏み込もうとしてる」
「噛み合ってるようで噛み合ってない、いちばん危ないやつだ」
マチュはドーナツの袋を握りしめて、空を見上げた。
「でも、危なくても……私は、知りたい」
その言葉が、俺の胸を強く叩いた。
知りたい。
それは止められない。
止めたら、別の形で噴き出す。
だったら、せめて俺が管理できる場所に置くしかない。
俺は一歩だけ離れた場所から、マチュの背中を見た。
日差しの下で水着の肩が光り、ヘッドホンのケーブルが風で揺れる。
平和の絵面だ。
平和の絵面なのに、会話の中身は戦場だ。
(……俺は、何を守ってる)
(マチュの夢か)
(マチュの命か)
(その両方か)
答えは簡単だ。
両方だ。
両方守れないなら、せめて命だ。
命さえ守れれば、夢はいつか別の形で拾える。
でも夢を守れなければ、マチュの目が死ぬ。
目が死んだら、生きていても死んでいる。
俺はそれを前の世界で見た。
だから、目も守りたい。
その矛盾を抱えたまま、俺は静かに踵を返した。
今ここで割り込めば、マチュの思考を止めてしまう。
止めれば、反動が来る。
反動はいつも、危険な方向へ出る。
だから俺は、先回りする。
マチュが踏み込みたくなる“先”に、俺が先に立って、せめて崖の手前に柵を作る。
それが俺のやり方で、俺にできる唯一の償いだ。