機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界:Re 作:ボルメテウスさん
予想外のマヴ戦を終えた瞬間から、俺の中の時間の進み方が狂った。
勝利のアラートも、運営の声も、賞金の数字も、全部が遠くで鳴っているだけだった。
頭の中に残っていたのは、ニャアンの叫びと、オメガ・サイコミュの光と、そして――マチュが軍警に見つかったという言葉だけだ。
「……っ、マチュ」
俺は赤いガンダムを最短のルートで潜らせ、帰投の動線を切り詰めながら、同時に思考も切り詰めた。
余計な想像を挟むな。
想像は恐怖を育てる。
恐怖は判断を遅らせる。
遅れは取り返しがつかない。
それは前の世界で、骨の奥まで叩き込まれている。
ニャアンの震える声を、俺は耳の奥で何度も反芻した。
軍警に見つかった。
別れた。
マチュは逃げた。
だから大丈夫――と考えたい。
けれど、このコロニーの軍警は“優秀じゃない”代わりに“数”で動く。
数で動く相手は、運が悪いと最悪を引き当てる。
「……ポメラニアンズ」
まずはそこだ。
マチュは、逃げるならあそこへ向かう。
俺がそう仕込んだ。
仕込んだ以上、そこにいる可能性が一番高い。
俺は格納庫へ駆け込むように移動し、機体を最低限の処置だけで放り込み、ロックをかけるのも半分で走り出した。
息が切れているのに、胸の奥の冷えがそれを上回って、呼吸が浅くなる。
走りながら、雨の匂いに気づいた。
このコロニーの天候制御は完璧なはずなのに、たまにこういう“湿り気”が落ちてくる。
偽物の空が泣く、みたいな冗談を言う余裕はない。
「はぁ……はぁ……いたっ」
ようやく見つけた。
ポメラニアンズの裏口近く、薄暗い通路の先で、マチュが立っていた。
いや、立っていたというより、ふらつきながら歩いていた。
そして――先程までニャアンが着ていたパイロットスーツを、マチュが身に纏っている。
髪が濡れている。
頬に水滴がついている。
息が上がっている。
それだけで、何があったか分かる。
「大丈――」
俺が声をかけるより早く、マチュはこっちを見るより早く、走り出した。
逃げる走り方だ。
誰かに追われた後の走り方だ。
その背中に、俺の足が止まりかける。
……どうして。
どうして逃げる。
どうして、俺から。
答えを探している暇はなかった。
このまま離れたら、また二度と届かなくなる気がした。
それはただの思い込みじゃない。
“届かなかった過去”が、俺の中に実在している。
キラキラの裂け目みたいな光が、さっきの戦いで一瞬だけ蘇らせた記憶がある。
目の前で、マチュが死んだ記憶がある。
どんなに走っても届かなかった、あの距離の記憶がある。
「っ……!」
俺は、これまでにない脚で走り出していた。
足場なんて安定しないコロニーの通路なのに、転ぶことを計算に入れずに、ただ真っ直ぐ追った。
追って、追って、追って、最後に腕を伸ばした。
そのまま、俺はマチュを後ろから抱き締めた。
「マチュ――!」
叫んだ声が、情けないくらい震えていた。
「ニャアンとっ――!」
マチュが、俺の腕の中で暴れた。
逃げようとしているんじゃない。
殴ろうとしている。
怒りで、俺の胸を叩いている。
「えっ、なに……やめて、離して!」
「離せるかよ……!」
俺は力を緩めない。
緩めた瞬間に、また消える気がした。
消えたら終わる。
終わらせたくない。
「ニャアンとはキラキラを見たよねっ!」
マチュが叫ぶ。
その言葉が胸に刺さる。
返答できない。
あの場で、俺は確かにサイコミュ同士の共鳴を起こして止めた。
止めた結果、ニャアンに俺の記憶が流れた。
その記憶の中には――マチュが死んだ世界もあった。
それをマチュに言えるわけがない。
「私とマヴの時には見なかったのにっ、なんでっ!」
マチュの声が、怒りの形をしているのに、根っこは不安だった。
置いていかれる不安。
知らない場所へ連れていかれる不安。
昨日の抱きつきと同じ温度の不安。
俺は抱き締める力を、少しだけ緩めた。
締め付けると折れる。
折れたら、守る意味がなくなる。
「……あの時、放っておいたらニャアンは死んでた」
俺はようやく言葉を出した。
綺麗な言い訳じゃない。
ただの事実だ。
「なんでっ、そう思うの!」
「知ってるからだよ」
「知ってるって何を――」
俺は言ってしまった。
言いたくなかったのに、言葉が勝手に落ちた。
「サイコミュに囚われた人間の末路を」
「……ぇっ」
マチュの身体が、腕の中で固まる。
雨粒が落ちる音が、やけに大きく聞こえた。
俺は濡れているのに、それを感じない。
感じるのは、言葉を出してしまった後の後悔だけだ。
「……ジークアクスが、これまで暴走しなかったのは」
俺は続ける。
止まったら、マチュの不安が育つ。
不安が育つと、彼女は一人で答えを探しに行く。
それが一番危険だ。
「マチュのニュータイプが、優れてたからだ」
「良い方向に、な」
「ニャアンも高いかもしれない」
「けど、放っておけば、死ぬ」
「なんで……そんな事を知ってるの、ランガ」
マチュの声が、小さくなる。
怒りが引いて、代わりに知りたさが顔を出す。
この顔が一番怖い。
踏み込む覚悟の顔だからだ。
「……知ってるからだ」
俺は苦く言う。
「ずっと前から」
抱き締めたまま、俺は動けない。
離したら何かが壊れる。
離さなければ、また別の何かが壊れる。
その狭間で、俺は言葉を探した。
「できれば……知ってほしくない」
本音が漏れる。
戦場の俺を、マチュに見せたくない。
見せたら、彼女の世界が汚れる。
汚れた世界で彼女が笑えるか分からない。
「けど……」
俺は言葉を詰まらせた。
「……知ってほしくないって、どういうの」
マチュが背中を預けてくる。
俺とは正反対に、彼女は落ち着いていた。
落ち着きは、覚悟の形でもある。
「本当の俺……本当の俺は……俺は」
喉が締まる。
喋ったら、終わる気がした。
喋ったら、マチュが俺を見る目が変わる気がした。
その沈黙を破ったのは、マチュだった。
「……ランガはさ」
「えっ」
「私にとって、ずっと偽物だったの」
「偽物って……」
俺は戸惑いを隠せなかった。
偽物なのは俺の方だ。
この世界の“本物の俺”はどこかにいる。
それを奪っているのは俺だ。
なのに、マチュは別の意味で偽物と言った。
「ずっと前は、マチュマチュって呼んでくれた」
「でも、ある日からアマテさんって余所余所しく呼ぶようになって」
「距離も離れて」
「そんなランガは……私にとって、お母さんの次に息苦しかった」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
前の世界の罪悪感と、この世界の距離感の罪悪感が、同じ場所で混ざる。
「けど」
マチュが続ける。
「マチュって、また呼んでくれたあの時から」
「私にとっては本物だった」
「……偽物かもしれないよ」
俺は絞り出す。
「俺は……本物じゃないかもしれない」
「偽物、偽物って言うけどさ」
マチュが、少しだけ笑う。
「私が感じてる心は、確かに本物だから」
その言葉が、胸に落ちた。
理屈じゃない場所に、落ちた。
俺がどの世界線の誰であろうと、彼女がいま感じている温度は本物だと言い切る。
それは強い。
強すぎて、俺が折れそうになる。
「だから、教えて」
マチュが言う。
「今のランガの本当の事を」
俺は、ゆっくり頷いた。
頷くしかなかった。
ここで拒んだら、彼女は別の形で知ろうとする。
そしてその別の形は、たぶんもっと危険だ。
「俺も、分からない事だらけだ」
俺は正直に言った。
「この世界がどうなってるかも、ジークアクスが何なのかも、俺が何者なのかも」
「うん」
マチュが小さく返す。
うん、が重い。
受け止める覚悟のうんだ。
「それでも……聞いてくれるか」
俺は息を吸い直す。
喋ったら、戻れない。
でも戻れない場所に、もう足は入っている。
「良いよ」
マチュが言った。
迷いのない声だった。
俺は、雨に濡れた通路で、ようやく言葉を選ばずに吐き出した。
「俺の戦争を」