機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界:Re   作:ボルメテウスさん

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第58話

 ジュドーに肩を貸されながら歩く廊下は、病院のそれとは程遠かった。

 

 壁には何本もの配管が剥き出しになっていて、古い空調の唸りと、どこか遠くで金属を叩く音が絶えず響いている。床は微かに傾いていて、歩くたびに足裏へ古いコロニー特有の軋みが伝わってきた。清潔さよりも、今も動いていることを優先した場所だ。シャングリラという名前から想像する楽園めいた響きとは、まるで違っていた。

 

「本当に行くのかよ。まだ寝てた方がいいんじゃねぇの?」

 

「話しておかないといけない。あいつが落ち着いている内にな」

 

「落ち着いてる内にって、あの子そんなに危ないのか?」

 

「危ない。けど、たぶん一番危ないのは、本人が何を抱えているか分からないまま放っておくことだ」

 

 ジュドーは納得したような、納得していないような顔をした。

 それでも、俺を止めることはしなかった。

 さっき会ったばかりなのに、こいつは妙に引き際を知っている。相手の事情に踏み込みすぎないというより、踏み込んだら壊れるものがあると、生活の中で覚えたような距離感だった。

 

 胸が痛む。

 脇腹も、背中も、脚も、全部が痛む。

 それでも、俺は歩く必要があった。

 

 サイコ・ガンダムの中にいたドゥーは、完全に壊れていた。

 俺を愛していると言い、一緒に死のうと笑い、マチュを排除しようとした。あれが本心の全てなら、俺は彼女を助けたことを後悔しなければならない。けれど、最後に聞こえた声は違った。あの声は、狂気に塗り潰された女の声ではなく、暗闇で誰かを呼ぶ子供の声だった。

 

 だから、確かめなければならない。

 あの少女が、本当は何を見ていたのかを。

 

「ここだぜ。おっちゃんは少し機体の方を見に行ってる。あんたが来るなら、無茶させんなって言ってたけどな」

 

「無茶をしているのは俺だけじゃないからな」

 

「それ、全然言い訳になってねぇぞ」

 

 ジュドーは呆れたように言い、扉の横に立った。

 俺は軽く息を整え、古い金属扉を押し開ける。

 中は、俺が寝かされていた部屋より少しだけ片付いていた。とはいえ、まともな病室とは言い難い。簡素なベッドと、使い込まれた医療モニターと、古い毛布。それだけの部屋だった。

 

 ドゥーは、ベッドの上に座っていた。

 黒いマスクは外されていない。けれど、以前のような粘つく視線も、俺を絡め取ろうとするような圧もなかった。薄暗い照明の下で、彼女はただ静かにこちらを見ていた。サイコ・ガンダムの中で響いていた狂った声が、同じ少女のものだったとは思えないほどに。

 

「……来てくれたんだ」

 

「あぁ。身体はどうだ」

 

「痛い。けど、死んでない」

 

「そうか」

 

「助けてくれたんだよね」

 

「見捨てられなかっただけだ」

 

「ランガらしいね」

 

 その言い方に、俺はわずかに眉を動かした。

 前なら、その言葉だけで肌が粟立っていただろう。

 俺を知っているように、俺を所有しているように、俺の奥に指を差し入れてくるように響いていたからだ。

 だが、今の彼女の声にはそれがない。

 ただ、よく知っている誰かへ話しかけるような、ひどく普通の声だった。

 

「ジュドー、少し外してくれ」

 

「いいけどよ。無茶すんなよ、ランガ。あんた今、強そうに見えて全然強くないからな」

 

「分かっている」

 

「分かってる奴はそんな歩き方しねぇんだけどな」

 

 ジュドーは最後まで文句を言いながらも、扉の外へ出ていった。

 扉が閉まると、部屋には機械の小さな駆動音だけが残る。

 俺は壁に手をつきながら、近くの椅子へ腰を下ろした。座るだけで傷が痛み、思わず息を詰める。

 

「痛そう」

 

「痛いよ。お前を助けるために、だいぶ無茶をしたからな」

 

「ごめんね」

 

「謝れるんだな」

 

「ひどいなぁ。私だって、謝る時ぐらいあるよ」

 

 ドゥーは少しだけ笑った。

 その笑みには、あの時の狂気がなかった。

 薄くて、弱くて、すぐに消えてしまいそうな笑みだった。

 

「……ランガはさ」

 

「なんだ」

 

「前の世界もそうだけど、なんでそんなに戦いたがるの」

 

 その言葉で、部屋の空気が変わった。

 俺は痛みを忘れ、ドゥーを見つめる。

 前の世界。

 彼女がその言葉を偶然口にしたとは思えなかった。俺自身がマチュに話した時でさえ、簡単に出せなかった言葉だ。それを、ドゥーは当たり前のように言った。

 

「……お前、まさか、俺と同じように」

 

「うん。まぁ、よく分からないけどね」

 

 ドゥーは視線を少し落とした。

 自分のことを話しているはずなのに、遠くの誰かの出来事を語るような声だった。

 

「死んだら、繰り返したかな」

 

「繰り返した、だと」

 

「そう。気がついたら、また始まってるの。場所も、相手も、流れも、少しずつ違うけど、最後はあんまり変わらないんだ」

 

 彼女の指先が、毛布を掴んだ。

 ほんのわずかに震えている。

 狂気の代わりに見えたのは、傷だった。何度も同じ場所を抉られ、もう痛みが何なのか分からなくなっているような、古い傷。

 

「サイコ・ガンダムに乗って、容赦なく死ぬ。それは変わらないんだよね」

 

「……」

 

「戦って、暴れて、壊れて、最後は死ぬ。私が死ぬ時もあるし、私じゃないものになってから死ぬ時もある。どっちにしても、終わり方はそんなに変わらない」

 

 サイコ・ガンダム。

 強化人間。

 サイコミュに感情を燃やされ、機体に飲まれ、最後には人間として戻れなくなる者たち。

 俺は前の世界で、その末路を見てきた。

 だが、一度だけではないと彼女は言う。

 何度も、何度も、自分が壊される場所へ戻されたのだと。

 

「何度も、なのか」

 

「数えたことないよ。数えたら、たぶん本当に壊れるから」

 

「もう壊れていたように見えたが」

 

「ひどいなぁ」

 

 彼女は軽く笑った。

 けれど、その笑みは自嘲に近かった。

 壊れていると自分で分かっている人間の笑いだ。

 俺はその笑いを責められなかった。

 何度も死に、何度もサイコ・ガンダムへ戻され、それでも正気でいろという方が無理だ。

 

「でもね、君がいたあの世界だけは違った」

 

「俺がいた世界……」

 

「君が助けてくれたから」

 

「俺が?」

 

「うん。たぶん、君は覚えてないかもしれないけど」

 

 俺は記憶を探った。

 ティターンズにいた頃。

 エゥーゴに入った後。

 サイコ・ガンダムが関わった戦場。

 炎と煙と、誰かの悲鳴。

 救えた命もあれば、救えなかった命の方が多い。戦場で助けた人間の顔を全部覚えていられるほど、俺は綺麗に生きてこなかった。

 

 だが、彼女にとっては違ったのだろう。

 俺が忘れてしまった一瞬が、彼女にとっては唯一生き残れた世界だった。

 

「君のおかげで、生きれたから」

 

 ドゥーは、そう言って笑った。

 その笑顔は、普通の女の子のものだった。

 サイコ・ガンダムの中で俺を求めていた狂った表情ではない。

 命を救われた少女が、その相手へ向ける、柔らかい笑みだった。

 

「だから、覚えてた」

 

「それで、俺を欲しがったのか」

 

「うん。たぶんね」

 

「たぶんって、随分曖昧だな」

 

「サイコ・ガンダムに乗ってる時は、色々ぐちゃぐちゃだったから。好きも、助けてほしいも、死にたくないも、全部混ざった」

 

 彼女は自分の胸元を押さえた。

 そこに、まだサイコ・ガンダムの感触が残っているように。

 

「ランガに見てほしかった。ランガに助けてほしかった。ランガがいれば、また違う終わり方になるかもしれないって思った。でも、サイコ・ガンダムの中にいると、それが全部おかしくなるの」

 

「俺だけを見ろ、になる訳か」

 

「うん。私だけを見て。私だけを助けて。私だけを選んで。そうじゃないなら、全部壊れればいいって」

 

「迷惑な話だ」

 

「うん。ごめん」

 

 また謝った。

 その素直さが、かえって胸に刺さる。

 あの時のドゥーは確かに危険だった。マチュを殺そうとした。俺を巻き込んで死のうとした。

 けれど、今目の前にいる少女は、あの怪物そのものではない。

 怪物に押し込められ、何度も死なされ、助けを求める声まで歪められた少女だった。

 

「俺は、戦いたい訳じゃない」

 

 俺はゆっくりと言った。

 ドゥーは顔を上げる。

 

「でも、戦ってる」

 

「あぁ。戦わないと守れない時があるからだ」

 

「守るため?」

 

「昔は違った。復讐のために戦っていた。憎しみしかなかったし、それが正しいと思い込もうとしていた」

 

 言葉にすると、やはり胸の奥が重くなる。

 ティターンズに拾われた頃の俺。

 ジャミトフの言葉に縋り、怒りの行き場を与えられて、それを自分の意思だと思っていた。

 殺すことしか知らず、守るという言葉も、復讐を正当化するために使っていた。

 

「でも、今は違う。マチュを守りたい。帰りたい場所がある」

 

「マチュ」

 

 ドゥーの声に、わずかな影が差した。

 けれど、そこに以前の殺意はなかった。

 ただ、自分にはないものを見てしまった子供の寂しさがあった。

 

「いいなぁ」

 

「……」

 

「帰りたい場所があるの、いいなぁ」

 

 その一言は、あまりにも寂しかった。

 サイコ・ガンダムの中で叫んでいた時より、よほど鋭く俺の胸を刺した。

 彼女は、俺を欲しがっていたのではない。

 本当は、帰る場所が欲しかったのかもしれない。

 何度死んでも戻される地獄ではなく、死なずに戻れるどこかが。

 

「お前も、これから作ればいい」

 

「私が?」

 

「あぁ」

 

「無理だよ。私はまたサイコ・ガンダムに戻る。そういう風になってる」

 

「決めつけるな」

 

「だって、繰り返したもん」

 

「なら、今度は繰り返させない」

 

 ドゥーが目を見開いた。

 俺は痛む脇腹を押さえながらも、彼女から目を逸らさなかった。

 

「俺は過ちを繰り返さないために、もう一度生きている」

 

「……」

 

「お前がまたサイコ・ガンダムに戻ると言うなら、その前に止める」

 

「殺すの?」

 

「違う。助ける」

 

「……ランガって、本当に変だね」

 

「よく言われる」

 

 ドゥーは俯き、小さく笑った。

 その笑顔はまだ危うい。

 けれど、サイコ・ガンダムの中で見せた壊れた笑顔とは違っていた。

 自分に未来というものがあるかもしれないと、初めて少しだけ想像したような表情だった。

 

「じゃあ、私も作れるかな」

 

「何を」

 

「帰りたい場所」

 

「作れるさ」

 

「ランガがいる場所?」

 

「それは違う」

 

「即答なんだ」

 

「俺だけを帰る場所にするな。それだと、またお前は壊れる」

 

「……そっか」

 

 ドゥーは少し残念そうにした。

 だが、怒りはしなかった。

 以前の彼女なら、俺の拒絶を受け入れられず、サイコミュの圧をぶつけてきただろう。

 今は、言葉を受け止めて考えている。

 それだけでも、大きな違いだった。

 

「誰か一人じゃなくていい。場所でも、人でも、仕事でも、飯でもいい」

 

「飯?」

 

「生きる理由なんて、最初はそれぐらいでいい。少しずつ作ればいい」

 

「難しいね」

 

「俺もまだ練習中だ」

 

「ランガも?」

 

「あぁ。俺だって、マチュがいなかったらどうなっていたか分からない」

 

 それは本音だった。

 マチュがいたから、俺はまだ人間の場所に戻れている。

 彼女が俺に「一緒に生きたい」と言ってくれたから、俺は死ぬための戦いから降りようとしている。

 だからこそ、ドゥーにもそれを一人に背負わせる訳にはいかない。

 

「じゃあ、私も練習すればいいのかな」

 

「そうだな。まずはサイコ・ガンダムに乗らない練習からだ」

 

「それ、練習なのかな」

 

「少なくとも、大事な一歩だろ」

 

「ふふっ、変なの」

 

 その笑い声は、普通だった。

 本当に、どこにでもいる少女が、少し変なことを言われて笑っただけの声だった。

 俺はその声を聞いて、ようやく肩から力が抜けた。

 

 しばらく沈黙が落ちる。

 その沈黙は、さっきよりずっと穏やかだった。

 俺は椅子から立ち上がろうとしたが、足に力が入らず、壁へ手をついた。

 情けない姿だが、今は仕方がない。

 

「ランガ」

 

「なんだ」

 

「助けてくれて、ありがとう」

 

「……あぁ」

 

「今度は、死なないようにしてみる」

 

「そうしろ」

 

「でも、また怖くなったら呼ぶかも」

 

「呼べ。サイコ・ガンダムに乗る前なら、話ぐらいは聞く」

 

「乗った後は?」

 

「殴ってでも止める」

 

「ふふっ、やっぱりランガだ」

 

 ドゥーは、もう一度笑った。

 普通の女の子のように。

 その笑顔を見て、俺はようやく理解する。

 サイコ・ガンダムの中にいた怪物は、彼女そのものではなかった。

 何度も死なされ、何度も壊され、それでも誰かに助けてほしかった少女の叫びだったのだ。

 

 なら、助ける。

 マチュの元へ戻るためにも。

 俺自身が、過ちを繰り返さないためにも。

 この少女を、もう一度あの棺桶へ戻すわけにはいかない。

 

 扉を開けると、廊下の壁に寄りかかっていたジュドーが、気まずそうに顔を逸らした。

 

「聞いてたのか」

 

「ちょっとだけな。いや、全部じゃねぇぞ。本当にちょっとだけだ」

 

「その言い訳は下手だな」

 

「うるせぇな。心配してただけだっての」

 

 ジュドーは照れ隠しのように頭を掻いた。

 その姿を見て、俺はほんの少しだけ息を吐く。

 

「ジュドー」

 

「なんだよ」

 

「世話になる相手が増えた」

 

「あの子のことか?」

 

「あぁ。危ない奴ではあるが、見捨てる理由にはならない」

 

「ふーん。まぁ、うちは元々厄介事には慣れてるしな」

 

「慣れない方が良いぞ」

 

「シャングリラでそれ言うかよ」

 

 ジュドーは笑い、俺に肩を貸した。

 俺はその肩を借りながら、薄暗い廊下を戻っていく。

 

 ドゥーの話は、まだ全てではない。

 俺自身も、彼女を完全に信用した訳ではない。

 けれど、サイコ・ガンダムの亡霊から一つだけ手を引き剥がせた気がした。

 

 過ちは繰り返さない。

 その言葉は、もう俺一人のためだけのものではなくなり始めていた。

 

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