機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界:Re 作:ボルメテウスさん
ラルさんは、急かさなかった。
展望区画の透明装甲越しに、宇宙が広がっている。
シャングリラの外壁灯が遠くでゆっくり明滅し、その向こうには、どこまでも冷たい黒があった。
星の光は綺麗だった。
けれど、俺にはそれが、どこか遠すぎる場所から届いた過去の光に見えた。
俺は、何から話せばいいのか分からなかった。
ティターンズ。
その名前が出ただけで、胸の奥に古い傷が開く。
もう終わったはずの戦場の匂いが、鼻の奥に戻ってくる。
焼けた金属、血の臭い、コックピット内にこもる汗と焦げたケーブルの匂い。
HADESが赤く灯った時の、あの冷たい高揚感まで、指先に蘇る。
俺はもう、そこには戻らないと決めた。
マチュにそう誓った。
自分自身にも、何度も言い聞かせた。
けれど、名前を聞いただけで、こうして心の奥がざわつく。
それが、どうしようもなく怖かった。
「話せるところからでいい。すべてを語れとは言わん」
ラルさんの声は低かった。
命令ではなく、確認でもなく、ただ隣に置かれた言葉だった。
それが余計に、喉の奥へ引っかかっていたものを動かした。
「……詳しくは話せません」
「構わん。話せぬ事情がある者の顔は、私も何度か見てきた」
その言葉に、少しだけ息が詰まった。
話せないことがある。
それを責められないだけで、こんなにも楽になるとは思わなかった。
俺は今まで、秘密を抱えることは、誰かを騙すことだと思っていた。
けれど、言葉にできない痛みを持つ人間がいると、この人は知っている。
「ティターンズのことです」
「やはり、その名か」
俺は頷いた。
透明装甲に映る自分の顔は、ひどく硬かった。
マチュの前では見せたくない顔だった。
ニャアンが見れば怯えるだろうし、ジュドーが見れば軽口を止めるだろう。
戦場に戻る時の顔。
昔の俺の顔だ。
「俺は、あいつらに似た連中を知っています」
「似た連中、か」
「正義とか、秩序とか、治安維持とか。そういう言葉を使って、人を道具にする奴らです」
口に出すと、胸の奥がじわじわと熱くなった。
怒りだ。
それが分かる。
けれど、その怒りが真っ直ぐなものなのか、腐ったものなのか、俺にはまだ分からなかった。
「強化人間も、サイコ・ガンダムも、毒ガスも。そういうものを必要なら使う。邪魔なら民間人も切り捨てる」
「君は、ずいぶん具体的に語るな」
「知っているからです。嫌というほど」
ラルさんは黙っていた。
その沈黙に、俺は救われた。
もしここで、どうして知っているのかと問い詰められていたら、俺は多分、嘘をついた。
別の歴史のことは言えない。
マチュに言ったことを、今ここで全て話すことはできない。
けれど、この人はそこを無理に開こうとしなかった。
「その知識は、君を苦しめているようだ」
「苦しめているのは、たぶん知識だけじゃありません」
「では、何だ」
俺はすぐに答えられなかった。
宇宙を見ているはずなのに、目の前に浮かぶのは星ではない。
ペイルライダーのコックピット。
赤い警告灯。
HADESの表示。
その中で、自分が冷静に敵を殺していた時の感覚。
怒っているはずなのに、心だけが凍りついていくような、あの嫌な静けさ。
「俺自身です」
言ってから、喉が痛くなった。
「俺は昔、ああいう連中に利用されました。復讐したい気持ちを見抜かれて、戦う理由を与えられて、機体を与えられて」
言葉を一つ出すたび、過去の自分がこちらを見ている気がした。
あの頃の俺は、自分が利用されているとは思っていなかった。
むしろ、ようやく力を手に入れたと思っていた。
俺から奪った奴らへ報いを与えられる。
何もできなかった自分を終わらせられる。
そう思っていた。
だけど違った。
俺は怒りを与えられたんじゃない。
怒りを利用された。
自分で選んだつもりの道は、誰かが敷いたレールだった。
そして、その上を走る俺は、誰かにとって都合の良い兵器だった。
「君は、その時の自分を許せていないのだな」
「許せる訳がないです。俺は、自分で選んだつもりで、人を殺していました」
「戦争で人を殺したことだけを言っているのではないな」
「はい。俺は、殺す理由を欲しがっていたんです。誰かのせいにできる理由を」
それを言葉にした瞬間、胸の奥で何かが軋んだ。
多分、ずっと見ないふりをしていた部分だった。
俺は被害者だった。
奪われた側だった。
だから怒っていい。
だから撃っていい。
だから殺していい。
そう思いたかった。
けれど、本当はそれだけじゃない。
俺は理由が欲しかった。
自分の手を汚す理由が。
自分が壊れていくことを、仕方がないと思える理由が。
それを与えられた時、俺は救われたように感じてしまった。
「……重い話だな」
「すみません」
「謝る必要はない。重い話を軽く扱う方が問題だ」
その返しが、妙に胸に染みた。
重い話は、重いままでいい。
軽くする必要はない。
俺は、そんな当たり前のことすら忘れていたのかもしれない。
ラルさんは、俺を見下ろすわけでも、同情するわけでもなかった。
ただ、同じ宇宙を見ている。
その姿勢が、俺に次の言葉を出させた。
「ティターンズと戦うなら、俺はきっと怒ります」
「当然だろう。君にとって因縁がある」
「でも、その怒りで戦ったら、また昔の俺に戻る気がするんです」
「復讐で戦う者に戻る、と」
「はい」
そう言うと、急に身体が寒くなった。
展望区画の空調が冷たいからではない。
俺は、自分の中にまだ復讐の火種が残っていることを認めてしまった。
それは、小さくなっている。
マチュと出会い直して、少しずつ薄れている。
けれど、消えてはいない。
もしバスクが目の前に現れたら。
もしティターンズが、また毒ガスや強化人間を使おうとしていたら。
もしドゥーのような子供を、またサイコ・ガンダムへ押し込もうとしていたら。
俺は本当に、守るためだけに戦えるのか。
殺したいから殺すのではなく、止めるために戦えるのか。
分からなかった。
それが怖かった。
「君が恐れているのは、敵ではないな」
「……」
「君が恐れているのは、敵と同じ顔になることだ」
俺はすぐに否定できなかった。
できる訳がなかった。
あまりにも正しくて、あまりにも痛かったからだ。
「そう、かもしれません」
「いや、そうなのだろう。だから君は、あの半壊した機体でもHADESを使わなかった」
「見ていたんですか」
「戦場では、使える力を使わない選択にも意味がある。君はあの時、勝つことより、自分が戻らないことを選んだ」
その言葉に、俺は思わず目を伏せた。
HADESの表示が揺れた瞬間を思い出す。
使えば、もっと動けたかもしれない。
敵を倒せたかもしれない。
ペイルライダーは一時的にでも力を取り戻したかもしれない。
でも、使わなかった。
あれを使えば、俺はまたあの赤い光の中へ戻る。
戦場でだけ呼吸できる自分に戻る。
それが嫌だった。
怖かった。
マチュの前へ戻れない自分になるのが、何より怖かった。
「それでも、次もそうできる保証はありません」
「保証など戦場にはない」
「だったら」
「だからこそ、一人で戦うな」
ラルさんの声は、静かだった。
けれど、その言葉は命令よりも強く響いた。
「過去と戦う者は、自分の怒りを正義と誤りやすい。周囲に止める者がいなければ、気づいた時には戻れなくなる」
「止める者……」
「君にはいるのだろう。帰りたい相手が」
マチュの顔が浮かんだ。
泣きながら、怒りながら、それでも俺の手を掴んでくれた彼女。
偽物でも本物でも関係ないと、今の俺を見ようとしてくれたマチュ。
俺が戻りたい場所。
俺が、戻った時に見られたくない顔をしたくない相手。
「います」
「ならば、その者の前へ胸を張って戻れる戦い方を選べ」
「胸を張って戻れる戦い方」
「勝つだけなら、いくらでも手はある。だが、戻る場所がある者は、戻った時に自分の顔を見られる戦いをせねばならん」
その言葉は、ゆっくりと胸の奥へ沈んでいった。
勝つだけなら手段はいくらでもある。
敵を殺すことも、HADESに身を委ねることも、自分を削ることも、全部選択肢になる。
けれど、その戦いの後で、俺はマチュの前に立てるのか。
彼女に目を見られても、逃げずにいられるのか。
そこまで考えて、ようやく分かった気がした。
俺が怖いのは、死ぬことだけじゃない。
生き残った後、マチュの隣に戻れない自分になることだ。
「俺は、守りたい人がいます」
「そうだろうな」
「その人のためなら、何でもできると思っていました。けれど、たぶんそれも違うんですよね」
「何でもする、という言葉は危うい」
「えぇ。何でもした結果、その人の隣に戻れない自分になったら意味がない」
マチュのためなら何でもする。
その言葉は綺麗に聞こえる。
けれど、本当に何でもしてしまえば、俺はマチュが嫌うものにだってなれる。
彼女を守ると言いながら、彼女が手を伸ばせない場所へ行ってしまう。
それでは、前と同じだ。
守れなかった過去を繰り返さないために、今度は俺自身が戻れなくなる。
そんなのは、間違っている。
「そこまで分かっているなら、君はまだ戻れる」
「まだ、ですか」
「人間は何度でも踏み外す。だから、まだ戻れるうちに、自分を見張る者を持て」
「ラルさんは、その一人になってくれるんですか」
言ってから、自分でも少し驚いた。
そんなことを頼むつもりはなかった。
けれど、言葉は自然に出ていた。
自分を止めてくれる人が必要だと認めるのは、俺にとっては負けに近かった。
だけど今は、その負けを受け入れなければ、本当に戻れなくなる気がした。
ラルさんは、少しだけ俺を見た。
それから、静かに頷いた。
「必要ならばな。大人とは、若者が踏み外す前に声をかけるためにもいる」
「……大人、ですか」
「君は、その言葉に慣れていない顔をするな」
「慣れていません。俺を使う大人は知っています。俺に命令する大人も、俺を評価する大人も。でも、俺が踏み外さないように見てくれる大人は、あまり知りません」
「ならば、これから知ればいい」
簡単に言う。
けれど、不思議と軽くは聞こえなかった。
この人が言うと、これからでも遅くないように思えてしまう。
壊れたものを拾い、使える形へ作り替えるシャングリラのように。
壊れたペイルライダーから、新しい機体を作ろうとしているテム・レイさんのように。
俺自身も、まだ作り替えられるのかもしれない。
俺は宇宙を見た。
マチュのいる場所は遠い。
ティターンズの影は近い。
過去も、今も、未来も、全部が混ざって胸の中で重く渦を巻いている。
けれど、さっきより少しだけ呼吸が楽だった。
「俺は、ティターンズを止めたいです」
「それは復讐か」
「違う、と言い切りたいです」
「ならば、その言葉が本物になるように戦え」
「難しいですね」
「簡単なら、悩む必要もない」
「……そうですね」
俺は小さく笑った。
本当に少しだけだった。
けれど、笑えた。
「ランガ・ロード。君が過去と戦うなら、私は君が過去に飲まれぬよう見ていよう」
「ありがとうございます」
「礼はまだ早い。まずは休め。壊れた機体と壊れかけた身体では、過去どころか明日とも戦えん」
「……はい」
今度は、素直に頷けた。
休むことは逃げることではない。
生きて戻るために必要なことだ。
そう思えるまで、ずいぶん遠回りした気がする。
展望区画の外では、星が静かに瞬いている。
その光の向こうに、マチュがいる。
俺はまだ彼女の元へ戻れていない。
まだ、何も終わっていない。
ティターンズとの戦いも、ペイルライダーの改修も、ドゥーのことも、全部これからだ。
けれど、一つだけ変わったことがある。
俺はもう、過去と一人で戦わなくてもいいのかもしれない。
そう思えた瞬間、胸の奥にずっと張り詰めていたものが、ほんの少しだけ緩んだ。
それはきっと、戦場では得られなかった感覚だった。
誰かに背中を預けるということ。
誰かに止めてもらえるということ。
そして、それを弱さではなく、生きるための強さとして受け入れること。
俺はもう一度、宇宙を見上げる。
今度は、過去ではなく、帰る場所を探すために。