機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界:Re   作:ボルメテウスさん

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第69話

 ラルさんの戦艦がシャングリラを離れてから、艦内の空気はゆっくりと別の重さを帯び始めていた。

 

 シャングリラの格納区画にあった雑多な熱は、ここにはない。工具の音や怒鳴り声が混ざった生活の匂いではなく、一定の間隔で響く機関音と、必要な言葉だけが交わされる通信の声が、艦内の空気を引き締めている。ジオン軍の戦艦というものに乗るのは初めてではないはずなのに、この世界で乗るそれは、俺が知っているものとはどこか違っていた。

 

 艦の照明は最低限に落とされ、通路の壁には緊急時の隔壁ラインが淡く浮かんでいる。今は戦闘配備ではないと分かっていても、足音を立てるだけで自分が軍艦の中にいるのだと思い知らされる。シャングリラの空気が壊れたものを抱えて生きる場所の匂いなら、この艦の空気は、壊れる前に敵を見つけて潰す場所の匂いだった。

 

 格納庫の奥では、未完成のガンダムXが固定フレームに収まっている。ペイルライダーの内部を残したまま、ガンダムヘッドの外装を纏ったその機体は、まだ俺の目にも見慣れない。大型パーツは使用不能のまま厳重に固定され、周辺にはテム・レイさんが取り付けた監視用ケーブルが艦内システムへ繋がっていた。使えない力を背負い、封じられたHADESを胸の奥に抱えた姿は、自分自身の影を背負って立っているようにも見えた。

 

「この艦は派手な戦闘には向かん。だが、静かに近づくには十分だ」

 

 隣へ来たラルさんが、格納庫の照明に照らされたガンダムXを見上げながら言った。彼の声は艦内の低い駆動音に紛れても、妙に聞き取りやすい。大声を出しているわけではないのに、聞くべき言葉として自然に届く声だった。

 

「静かに近づいて、敵の顔を見てから動くんですね」

 

「そうだ。怒りで先に走れば、敵より先に自分を見失うことになる」

 

 その言葉に、俺はすぐ返事ができなかった。ラルさんは俺を責めるために言っているのではない。それでも、言葉の先端が胸の奥に触れる。ティターンズという名前を聞いた時、俺は確かに戦う顔になっていた。止めるためだと言いながら、どこかで昔の自分へ戻りかけていたのかもしれない。

 

 俺は腰の端末へ視線を落とした。テム・レイさんから渡されたHADES監視端末は、ガンダムXの状態を簡潔に表示している。HADESは沈黙している。反応なし。出力安定。冷却系統に軽度の不安定。そうした機械的な表示が並んでいるだけなのに、俺には端末の奥で赤い光が眠っているように思えた。

 

「機体はお前を急かしてはいない。急かしていると感じるなら、それはお前自身の焦りだ」

 

 ラルさんの言葉に、俺は端末を握る指へ力を入れた。自分でも気づかないうちに、操縦席へ戻ることばかり考えていた。ガンダムXを動かせば何かが変わる。敵の近くへ行けば、過去に決着をつけられる。そんな焦りが、まだ胸の奥に残っている。

 

「分かっているつもりでも、こうして近づくと駄目ですね。どうしても早く行かなければならない気がしてしまう」

 

「急ぐ理由があることと、急いでよいことは同じではない。君には帰る場所があるのだろう」

 

「あります。だからこそ、焦ってしまうのかもしれません」

 

 マチュの顔が浮かんだ。俺が生きていると知らないまま、まだサイド6で俺を探しているかもしれない。泣いているかもしれないし、怒っているかもしれない。どちらにしても、俺は彼女へ戻らなければならない。その戻るための道が、今は白い部屋へ向かう航路と重なっている。嫌な話だと思う。過去へ向かうことでしか、未来へ戻れないような気がするからだ。

 

 ラルさんはそれ以上は踏み込まず、艦橋へ戻る前に一つだけ言い残した。

 

「今はまだ、戦う段階ではない。見ること、知ること、そして戻ることを忘れるな」

 

 その背中を見送りながら、俺はもう一度ガンダムXを見上げた。未完成の機体は何も答えない。ただ、淡いセンサー光だけが、眠っている獣の瞼のように静かに揺れていた。

 

 格納庫を出た後、俺は医療区画へ向かった。ドゥーはそこで休んでいる。艦内の医療区画はシャングリラの簡素な部屋より整っていたが、白い壁と消毒薬の匂いがあるせいで、彼女には落ち着かない場所かもしれないと思っていた。

 

 扉を開けると、ドゥーはベッドの端に座って窓代わりの小型モニターを見ていた。映っているのは外の星ではなく、艦外カメラが拾った暗い宙域の映像だ。ほとんど何も見えない黒の中に、時折小さな光が流れていく。それを見つめる彼女の横顔には、以前のような狂った執着はない。けれど、恐怖が消えたわけでもなかった。

 

「具合はどうだ」

 

「大丈夫って言ったら、ランガは信じる?」

 

「たぶん信じない。だから、大丈夫じゃない部分を少しだけ教えてくれた方が助かる」

 

 俺がそう答えると、ドゥーはわずかに肩を揺らした。笑ったのかもしれない。彼女の笑い方はまだぎこちないが、前よりも自分の感情をそのまま出しているように見える。

 

「近づいてるんだよね、白い部屋に」

 

「あぁ。ただし、今すぐそこへ戻るわけじゃない」

 

「戻るって言葉、嫌い。あそこに戻るって考えると、胸の中が冷たくなる」

 

 ドゥーの声は静かだった。叫ぶでもなく、取り乱すでもなく、自分の中にある恐怖を確かめるように言葉を置いている。俺は彼女の隣に腰を下ろし、同じモニターへ目を向けた。

 

「なら、戻るんじゃない。取り返しに行くんだ」

 

「取り返すって、何を」

 

「お前が自分で選ぶ権利だ。あいつらに調整される前のものを全部取り戻せるとは言えないけれど、これから先を選ぶ権利まで奪わせる必要はない」

 

 ドゥーはしばらく黙っていた。彼女の指がベッドのシーツを掴み、少しだけ皺を作る。白い部屋の記憶は、彼女の中でまだ形を持っていないのだろう。薬の匂い、機械の音、寒さ、ムラサメという単語。断片があるだけで、その全体像は霧の中に沈んでいる。それでも、彼女はそこへ向かうと選んだ。

 

「ランガも怖い?」

 

「怖い。ああいう場所に近づくと、昔の自分が戻ってくる気がする」

 

「昔のランガは、今のランガと違うの?」

 

「違うと言い切りたいけれど、たぶん全部が違うわけじゃない。怒りも、怖さも、消えたわけじゃないから」

 

 ドゥーは俺の言葉を聞いて、少しだけこちらを見た。黒いマスク越しでも、彼女が何かを確かめようとしているのが分かる。俺が完璧な救い手ではなく、彼女と同じように怯える人間だと理解しようとしているようだった。

 

「じゃあ、一緒に怖がればいいのかな」

 

「それでいいと思う。怖くないふりをして進むより、怖いと分かったまま進む方がまだ間違えにくい」

 

「白い部屋が近くなったら、私が変になるかもしれない」

 

「その時は止める。無理に連れていかないし、逃げたいなら逃げる」

 

「ランガも逃げていいって言ったよね。忘れないで」

 

 その言葉に、俺は返事をするまで少し時間がかかった。ドゥーは自分のためだけではなく、俺のことも見ている。サイコ・ガンダムの中で俺だけを求めていた彼女ではなく、今は俺が人間であることを見ようとしている。その変化が、胸の奥へ不意に入り込んできた。

 

「あぁ、忘れない。俺も怖くなったら、ちゃんと怖いと言うようにする」

 

「ランガはすぐ我慢しそうだから、あまり信用してない」

 

「それはジュドーにも言われた」

 

「じゃあ、みんな正しいね」

 

 ドゥーの言葉に、俺は少しだけ笑った。彼女も小さく頷き、再び暗いモニターへ視線を戻す。その横顔から恐怖が消えたわけではない。けれど、自分だけが恐れているのではないと知った分だけ、呼吸が少し深くなったように見えた。

 

 医療区画を出ると、艦内放送で作戦室への集合が告げられた。俺は通路を進み、ラルさんの部下に案内されて作戦室へ入る。室内には航路図が投影され、海賊機から回収した輸送記録が幾つもの線として表示されていた。ラルさんは中央の卓に手を置き、副官らしい男が端末を操作している。

 

「来たか。輸送記録の照合が進んだが、少し厄介なものが見つかった」

 

 ラルさんの声に、俺は投影図へ目を向けた。表示されている主航路は、シャングリラ近辺から複数の中継点を経て、表向きの医療研究施設へ向かっている。けれど、その途中から細い線が枝分かれしていた。通常の航路から外れ、暗礁宙域へ沈み込むように伸びている。

 

「大尉、物資の一部が中継点から外れています。記録上では廃棄処理になっていますが、実際には別の宙域へ輸送された痕跡があります」

 

「偽装航路か」

 

 ラルさんが低く言う。副官は頷き、別の画面を拡大した。

 

「輸送量は大きくありませんが、運ばれている品目が問題です。神経接続部材、特殊薬剤、サイコミュ補助部品の一部が、医療施設ではなくこの暗礁宙域へ流れています」

 

「研究施設だけじゃない。別の拠点があるのかもしれません」

 

 俺の言葉に、ラルさんは否定しなかった。むしろ、それを予想していたように表情を引き締める。

 

「その可能性は高い。固定施設だけなら物資の流れはもっと単純になるはずだ。だが、この流れは隠しドックか、移動する実験設備の存在を示している」

 

「移動実験艦……」

 

 口にした瞬間、嫌な想像が形を持つ。固定された研究施設なら、場所を突き止めれば踏み込める。けれど移動する実験艦があるなら、被験者も機体も記録も、都合が悪くなればすぐ消える。ドゥーのような存在を運び、調整し、戦場へ投入するための箱舟。そう考えるだけで、指先が冷たくなった。

 

「根は、我々が思うより深いようだ」

 

 ラルさんの言葉が、作戦室の空気をさらに重くした。ティターンズという名前はまだ完全に表へ出ていない。けれど、その思想は既に手足を持ち、物資を動かし、人間を壊すための場所を作っている。施設一つを叩けば終わる相手ではないのだと、改めて突きつけられた気がした。

 

「輸送中継点へ接近した後、どう動きますか」

 

「直接突入はしない。まずは周辺監視と通信記録の採取を行う。敵がこちらに気づいていないなら、その利点を捨てる理由はない」

 

 ラルさんの言葉はもっともだった。それでも、俺の中ではガンダムXへ乗る選択肢が浮かんでいた。中継点の近くへ行くなら、MSの方が細かく動ける。そう言い訳を作りかけた時、ラルさんの視線がこちらへ向く。

 

「言っておくが、今の段階で君を出すつもりはない」

 

「ガンダムXを出します。偵察だけならできます」

 

「ならん。今の君は、出れば戦う顔になる」

 

 返された言葉は予想より早かった。俺は少しだけ苦く笑う。

 

「信用がないですね」

 

「信用しているから止める。君は戦えば無理をするし、無理をしている時ほど、自分では冷静だと思い込む」

 

 その言葉は反論しづらかった。シャングリラでの海賊戦が、まさにそうだったからだ。俺は目的を果たしていると言いながら、死に近い場所へ踏み込んでいた。ラルさんはそこを見ていたし、ジュドーもテム・レイさんも同じことを言っていた。

 

「今回は見ることが役目だ。戦うことではない」

 

「……了解しました」

 

 俺は頷いた。納得したというより、納得することを選んだ。戦うために出ない。見るために残る。たったそれだけのことが、今の俺には難しい。けれど、ここで踏み止まれなければ、過去に決着をつける前に過去へ飲まれる。

 

 作戦室の照明がわずかに落ち、艦橋から通信が入った。

 

『大尉、輸送中継点の外縁宙域へ接近します。通常航路からは外れていますが、微弱な推進反応があります』

 

 副官がすぐに表示を切り替える。航路図の端に、小さな光点が一つ現れた。中継点の監視機か、それともただの漂流物か、まだ分からないほど弱い反応だった。

 

「識別は」

 

『登録なし。小型機と思われますが、信号が不安定です』

 

 ラルさんの目が細くなる。俺も表示された光点を見つめた。胸の奥で、静かに緊張が広がっていく。まだ戦闘ではない。ラルさんが言ったように、今は見る段階だ。けれど、敵の影はこちらを見ているかもしれない。

 

「全艦、発光を落とせ。こちらからは仕掛けるな。まずは相手が何を見ているのかを見極める」

 

『了解しました』

 

 艦内の照明がさらに落ち、作戦室の投影光だけが俺たちの顔を照らす。暗い宙域の中で、ラルさんの戦艦は息を潜めるように進んでいた。ガンダムXは格納庫で眠っている。ドゥーは医療区画で、白い部屋へ近づく恐怖と向き合っている。俺は作戦室で、戦わないという選択を握り締めている。

 

 シャングリラの灯りはもう見えない。マチュのいるサイド6も遠い。けれど、俺は戻ると約束した。過去へ向かうのは、過去に戻るためではない。白い部屋へ近づくのは、誰かをもう一度そこへ閉じ込めるためではない。

 

 識別不明の小型機影が、レーダー上でゆっくりと動いた。こちらを避けているのか、誘っているのか、まだ判断できない。だが、その小さな光点の向こうに、ティターンズの影が確かに伸びている気がした。

 

 俺は拳を握り、息を整えた。今はまだ、戦わない。見て、知って、戻るために進む。その選択を忘れないように、テム・レイさんから渡された端末の冷たい感触を、掌の中で確かめ続けていた。

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