機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界:Re 作:ボルメテウスさん
識別不明機は、こちらを誘うような距離を保ったまま、暗礁宙域の奥へと進んでいた。
ラルさんの戦艦は、艦体の発光を可能な限り落とし、推進剤の噴射すら抑えながら、その小さな機影を追っている。艦内の照明は戦闘前の暗さに切り替わっており、通路を歩く兵士たちの声も、必要最低限のものだけになっていた。シャングリラを出た直後の静けさとは違う。今の静けさは、いつ砕けてもおかしくない薄い氷のようなものだった。
俺は作戦室の中央に表示された航路図を見つめていた。前回、輸送記録の中から見つかった不自然な分岐航路。その線と、識別不明機が進む方向は、嫌になるほど綺麗に重なっている。
「識別不明機、一定距離を保ったまま後退しています。こちらを誘導している可能性があります」
副官の報告に、ラルさんは少しだけ目を細めた。彼は腕を組み、表示された機影を見つめている。表情は落ち着いているが、その背中には艦内全体を支えるような重みがあった。
「逃げる獲物にしては、こちらを見すぎているな」
「罠かもしれませんね」
俺がそう言うと、ラルさんは否定しなかった。
「罠だとしても、罠の形を見ねば敵の顔は分からん。だが、罠にかかったふりをして呑み込まれるほど、こちらも甘くはない」
ラルさんの言葉に、副官たちはすぐに艦の索敵範囲を広げた。レーダーの感度が上がり、航路図の周囲に細かいノイズが増える。暗礁宙域は、古いデブリや廃棄された小型船の残骸が多く、センサーにとっては厄介な場所だ。隠れようと思えば、いくらでも身を潜められる。
俺は表示されたノイズの海を見ながら、掌の中にあるHADES監視端末の感触を確かめていた。ガンダムXは格納庫で待機している。大型パーツは固定されたままで使えず、機体そのものも未完成だ。それでも、敵が襲ってくるなら出なければならない。戦艦を守るために。ドゥーを白い部屋へ戻さないために。そして、過去に飲まれず戻るために。
自分にそう言い聞かせても、胸の奥がざわつくのは止められなかった。ティターンズに似た気配が近い。まだ敵の姿は見えていないのに、昔の赤い警告灯や、命令の声や、殺す理由を与えられた時の嫌な安堵が、記憶の底から浮かび上がってくる。
その時、作戦室の扉が開いた。ドゥーが医療区画から出てきたらしく、壁に手を添えながらゆっくりと入ってくる。ラルさんの副官が止めようとしたが、彼女の顔を見た瞬間、言葉を飲み込んだ。ドゥーの目は、遠くの何かを見ているようだった。
「近い。たぶん、近いと思う」
「ドゥー」
俺は彼女の方へ歩み寄った。無理をしているのは分かる。けれど、その声には確信に近いものがあった。
「白い部屋か」
「分からない。でも、胸の奥が冷たくなる。薬の匂いとか、機械の音とか、そういうのが頭の奥で近くなる」
ドゥーは両手を胸元で握り、呼吸を整えようとしていた。怖いのだろう。白い部屋へ近づいているかもしれないというだけで、彼女の身体は記憶より先に反応している。俺はその震えを見て、怒りよりも先に、自分が今ここで何を守るべきなのかを思い出した。
「無理に思い出さなくていい。今は、ここにいることだけ忘れるな」
「ここにいること」
「あぁ。お前は今、あの場所の中にいるわけじゃない。サイコ・ガンダムの中でもない。この艦にいて、自分でここへ来た」
ドゥーはゆっくりと頷いた。完全に落ち着いたわけではない。それでも、彼女は自分の足でここに立とうとしている。誰かに調整され、乗せられ、壊されるためではなく、自分の過去を確かめるためにここにいる。
「ランガは、また怖い顔してる」
「そうか」
「うん。昔のランガのことは、あまり知らないけど、たぶんそっちへ行きそうな顔」
その言葉に、俺は息を詰まらせた。ドゥーは俺を責めているわけではない。ただ見えたものを言っただけだろう。それでも、その一言はラルさんの忠告よりも鋭く胸に刺さった。
「悪い。少し、考えすぎていた」
「考えているなら、まだいいと思う。考えなくなったら怖いから」
ドゥーの言葉に、俺は端末を握る手を緩めた。HADESはまだ眠っている。ガンダムXは俺を呼んでいない。焦っているのは機体ではなく俺自身だと、さっきラルさんに言われたばかりだった。
俺がドゥーを医療区画へ戻すべきか迷っていると、艦橋から緊急通信が入った。
『前方暗礁帯より複数の熱源。モビルスーツです。数は四、いや六。さらに後方に未確認反応があります』
作戦室の空気が一瞬で変わった。副官たちが端末へ向き直り、航路図のノイズの中から複数の赤い光点が浮かび上がる。デブリに紛れていた熱源が、こちらの接近に合わせるように動き出していた。
「来たか。総員、戦闘配備」
ラルさんの声が艦内通信へ乗る。短い命令だったが、艦内全体が一つの生き物のように動き始めた。隔壁が閉じ、格納庫の固定アームが解除準備に入り、艦砲の照準システムが起動する。
表示された敵機のシルエットが拡大される。海賊機とは違う。装甲の整備状態も、武装の配置も、機体同士の距離の取り方も、明らかに訓練された部隊のものだった。ザク系の面影を持ちながら、旧連邦系のセンサー配置が混ざったような改造機がいる。さらに、後方には少し大型の機体が一機、距離を取って戦艦の進路を抑えるように動いていた。
「海賊じゃないですね」
「動きが違う。あれは訓練された兵だ」
「ティターンズ……」
その名前を口にした瞬間、胸の奥で冷たいものが走った。まだ正式にそう名乗っているかどうかは分からない。けれど、この動き、この配置、この場所で待っていたこと。その全てが、俺の知っている嫌な連中の臭いを帯びていた。
ドゥーが小さく息を呑む。
「この感じ、知ってる」
「敵の中に、あの施設と繋がる機体がいるのか」
「分からない。でも、頭の奥がざわざわする。白い部屋で聞いた機械の音に似てる」
ドゥーの言葉を聞いた瞬間、俺はガンダムXへ向かおうとしていた。だが、足を踏み出す寸前、ラルさんがこちらを見る。その視線は止めるためのものではなく、確かめるためのものだった。
「ガンダムXを出します。今度は止めないでください」
「止めん。ただし、忘れるな。君は敵を殺すために出るのではない」
「戦艦を守って、生きて戻るために出る」
「その通りだ。私も出る。青い機体同士、遅れを取るなよ」
「了解です、ラルさん」
俺は頷き、ドゥーへ視線を向けた。彼女はまだ震えていたが、俺を止める言葉は言わなかった。ただ、黒いマスク越しにこちらを見ている。
「怖くなったら、戻ってきて」
「あぁ。俺も怖い時は怖いと言う」
「忘れないでね」
「忘れない」
それだけ言って、俺は作戦室を出た。通路は戦闘配備に移行しており、兵士たちが決められた持ち場へ走っている。艦内の警告灯が赤く点滅しているが、俺はその光に飲まれないよう呼吸を整えた。これは前の戦場ではない。ここでの俺は、命令に従って敵を殺す兵器ではない。戻るために出るのだと、自分へ繰り返し言い聞かせた。
格納庫へ入ると、ガンダムXが固定フレームの中で出撃準備を始めていた。ガンダムヘッドの外装に灯るセンサー光が、薄暗い格納庫の中で静かに輝いている。ペイルライダーの面影は残っている。HADESも胸の奥で眠っている。けれど、その名はもうガンダムXだ。まだ何になるか決まっていない未知の機体。そして、俺自身の答えを問う機体。
『ランガ・ロード、機体状態を確認しろ。大型装備は固定状態のままだ。使用は不可能、無理に接続を開くな』
艦内整備員の通信に続いて、テム・レイさんの端末から転送された監視システムが起動した。俺はコックピットへ乗り込み、シートに身体を沈める。操縦桿を握った瞬間、身体に馴染む感覚と、わずかな恐怖が同時に戻ってきた。
「ガンダムX、起動確認。HADES反応は」
端末を見る。表示は沈黙。異常なし。起きてはいない。俺は一拍置き、深く息を吐いた。テム・レイさんに言われた通り、機体が答えを出す前に、自分で選ぶ時間を作る。
「俺が乗る。お前に使われるんじゃない」
誰に聞かせるでもなく呟くと、モニターが順に立ち上がった。艦外カメラの映像が入り、暗礁宙域の赤い敵影が表示される。海賊とは違う、本物の軍隊の動き。ティターンズの影が、目の前まで来ていた。
隣の格納レーンでは、ラルさんのグフも起動準備に入っている。青い装甲が照明を受け、ヒート・ロッドと二本のヒート・サーベルが確認される。ラルさんの声が通信に入った。
『ランガ、敵を憎むなとは言わん。だが、憎しみだけを操縦桿に乗せるな』
「分かっています。俺は、守るために出ます」
『ならばよい。出撃後は私が前を取る。君は未完成の機体で無理に突出するな』
「了解。戦艦の防衛を優先します」
『よし。では、行くぞ』
格納庫のハッチが開き始める。暗い宇宙がそこに広がり、遠くで敵機の推進光が細く揺れていた。ラルさんのグフが先に射出位置へ移動し、ガンダムXも固定アームから解放される。機体が艦の重力から離れようとする瞬間、胸の奥に緊張が走ったが、以前のように赤い光へ逃げ込もうとは思わなかった。
俺は戻るために出る。ドゥーを白い部屋へ戻さないために出る。ティターンズの影を追うために出る。だが、過去の自分へ戻るためではない。
ラルさんのグフとガンダムXが、同時に出撃準備を整える。警告灯の赤い光がコックピットを照らす中で、俺は操縦桿を握り直し、次の合図を待った。戦いは避けられない。けれど、その戦い方を選ぶのは、今度こそ俺自身だった。