機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界:Re 作:ボルメテウスさん
ガンダムXが格納庫へ戻った後も、戦闘の熱はすぐには消えなかった。
固定フレームに収められた機体の装甲からは、冷却材が白い霧のように漏れ、整備員たちが各部の仮固定箇所を確認している。大型パーツは使用不能のまま背部へ固定されており、そこへ伸びるケーブルが何本も外されていくたびに、金属の小さな軋みが格納庫へ響いた。ペイルライダーだった頃とは違う外装を纏ったガンダムXは、戦闘を終えてもまだ自分の形を探しているように見えた。
俺はコックピットから降り、足場へ移ったところで、無意識にHADES監視端末を確認していた。表示は沈黙。戦闘中に一瞬だけ走った微細なノイズも、今は完全に消えている。あの赤いシステムは起きなかった。俺が起こさなかった。たったそれだけのことが、思っていた以上に胸の奥へ残っていた。
「HADESを使わずに戻ったな。悪くない戦いだった」
ラルさんの声が背後から聞こえた。彼のグフも少し離れた固定レーンへ戻されていて、青い装甲の表面には敵機のビームが掠めた焦げ跡がいくつか残っている。けれど、機体の立ち姿には崩れがなく、ラルさん自身も戦闘後とは思えないほど落ち着いていた。
「勝った気はしません。敵の本体は何も見えていない」
「影を相手にする戦いとは、そういうものだ。手応えが薄い時ほど、こちらの足元を確かめる必要がある」
「だからこそ、嫌になります。あいつらはこっちを測って帰っただけですから」
俺がそう言うと、ラルさんはガンダムXの方へ視線を移した。戦闘データを持ち帰った観測機。ムラサメ系列の気配を残した敵部隊。こちらが勝っても、敵の奥には届いていない。あの戦闘は、ティターンズの入り口を叩いたというより、暗闇の向こうからこちらの音を聞かれただけのように思えた。
「それでも、君は深追いしなかった。以前の君なら、影が残っているだけで飛び出していただろう」
「ラルさんに止められたからですよ。自分だけだったら、まだ分かりません」
「それを言葉にできるなら、次は自分で止まれる。戦場で必要なのは、完璧な自制ではなく、危うさに気づくだけの余裕だ」
その言葉に、俺は端末を握る手を少し緩めた。完璧な自制などない。ラルさんほどの人でも、そう言うのなら、俺が揺れること自体を責め続ける必要はないのかもしれない。大切なのは、揺れたまま機体へ飲まれないことだ。
ラルさんは俺の顔を見て、少しだけ息を吐いた。
「休め。戦闘後の身体は、自分が思うより遅れて疲れを出す」
「分かっています。少しだけ機体の状態を見たら、医療区画に顔を出します」
「それを休むとは言わんが、今はそれでよい。誰か待っている者がいるなら、先に行ってやれ」
その言葉で、俺は格納庫の端に立つ影へ気づいた。ドゥーだった。彼女は白い医療区画ではなく、格納庫の壁際にある透明な仕切りの近くで、ガンダムXを見上げている。戦闘中に通信へ入った時より顔色は悪くないが、黒いマスクの奥の目には、まだ落ち着かない揺れが残っていた。
俺が近づくと、ドゥーはガンダムXから視線を外さないまま口を開いた。
「ランガ、少し話したい」
「今じゃないと駄目か。戦闘の後だから、無理をしているなら休んだ方がいい」
「今じゃないと、また欠片が散る気がする」
欠片という言葉に、俺はすぐに返せなかった。ドゥーが言っているのは記憶のことだろう。白い部屋、薬の匂い、機械の音。今までの彼女は、それらの断片を追うたびに怯えていた。だが今の声には、怯えだけではなく、逃げたくないという意思も混ざっている。
「欠片って、記憶のことか」
「うん。白い部屋だけじゃない。白い機体の記憶」
俺は少しだけラルさんの方を見た。彼は会話の中身までは聞こえていたはずだが、深く踏み込む様子はなかった。ただ、俺に行けと促すように静かに頷く。俺はドゥーと一緒に、格納庫脇の展望スペースへ移動した。
そこは戦艦の外壁に近い小さな区画で、広い窓ではなく、艦外カメラの映像を映す大型モニターが壁面に埋め込まれている。医療区画のような白い壁ではなく、鈍い灰色の金属と配線が見える場所だった。消毒薬の匂いも薄く、代わりに格納庫から流れてくる冷却材と機械油の匂いが混ざっていた。ドゥーがここを選んだ理由は、多分それだ。白い部屋を思い出しすぎない場所で、白い機体のことを話そうとしている。
ドゥーはモニターに映る暗い宇宙を見つめて、しばらく黙っていた。俺も急かさなかった。彼女が言葉を探す時間を奪えば、結局また誰かが彼女の選択を奪うことになる気がしたからだ。
「私にも、前の世界がある」
やがて落ちたその言葉は、格納庫の遠い整備音に紛れそうなほど小さかった。
「……お前も、覚えているのか」
「全部じゃないよ。死ぬたびに、欠片だけ残った。夢みたいだったり、誰かの記録みたいだったり、機械の中で見せられた映像みたいだったりするから、自分でもどこまで本当か分からない」
ドゥーは指先で自分の腕を掴んでいた。強く握っているわけではないのに、その仕草は自分の輪郭を確かめているように見える。ここにいる自分が、どの世界の自分なのか、今の彼女もまだ完全には信じきれていないのかもしれない。
「その中に、俺がいたのか」
「うん。ランガは知らないと思うけど、私たち、一緒に戦ったことがある」
「俺には、その記憶がない」
すぐに出た言葉は、それしかなかった。否定したかったわけではない。けれど、覚えていないものを覚えているとは言えない。俺が見てきた前の世界にも、知らない枝がいくつもあるのだろう。キラキラの先、ゼクノヴァの向こう、サイコミュが触れた場所に、俺の知らない俺がいたとしても、もう驚くべきではないのかもしれない。
ドゥーは俺の言葉に傷ついた様子を見せなかった。むしろ、最初からそう答えられると分かっていた顔だった。
「覚えてなくてもいい。私が覚えてるから」
「その時、お前は何に乗っていた」
俺が問いかけると、ドゥーの肩がわずかに震えた。彼女はしばらくモニターを見つめた後、白いものを見るように目を細める。
「サイコガンダム試作8号機。型式番号は、MRX-008」
「MRX-008……」
「白かった。真っ白で、研究員たちは冷蔵庫って呼んでた」
冷蔵庫。
その言葉が、あまりにも軽すぎて、逆に胸の奥が冷えた。人を入れ、サイコミュで繋ぎ、暴走すれば命を奪う機体に、そんな日用品のようなあだ名をつけて笑っていた人間がいる。そこにあったのは、兵器開発の非情さというより、人間を人間として見ない鈍さだった。
「中に人を入れておいて、そんな呼び方をしたのか」
「うん。乗っていたんじゃない。入れられて、繋がれてた。あれはコックピットじゃなくて、白い箱の中に沈められる感じだった」
ドゥーの声は淡々としていたが、その淡々さがかえって重かった。叫べるほど整理された恐怖ではないのだろう。記憶の中の彼女は、怖いと叫ぶ前に機械へ繋がれ、声より先に反応値として処理されていたのかもしれない。
「サイコミュが未完成で、テストのたびに誰かが壊れた。機体が暴走して、パイロットが死んだ事故もあった。私の前にも、私の後にも、たぶんいた」
「記録に残っていたのか」
「うん。ジル・ラトキエって名前があった。研究員は、その名前も数字と同じみたいに読んでた」
ジル・ラトキエ。
その名前を俺はすぐに深く掘れなかったが、ドゥーが口にした響きには、ただの記録以上の重さがあった。死んだ誰かの名前が、試験データの一項目として処理されている。その光景は、俺が嫌というほど知っている研究施設の匂いと重なった。
試作8号機で得られたデータが、後のサイコ・ガンダムに繋がった。そういう流れがあるのだと、ドゥーの言葉は断片的に示している。人が死んでも、機体は完成へ近づく。失敗は記録になり、記録は次の実験を正当化する。ティターンズやムラサメ系列がやることは、世界が違っても変わらないのかもしれない。
「その機体で、俺と共闘したのか」
「最初は、たぶん戦った。私は敵も味方もちゃんと分からなくて、サイコミュが逆流して、全部が白くて冷たかった。けど、その世界のランガは、私を機体の名前で呼ばなかった」
ドゥーはそこで初めて、こちらを見た。黒いマスクの奥の目には、狂気ではなく、今にもこぼれそうなほど静かな何かが溜まっていた。
「試作8号機でも、失敗作でも、被験体でもなく、ドゥーって呼んだ。だから、私はそのランガを覚えてる」
俺はその記憶を持っていない。
けれど、嘘だとは思えなかった。
ドゥーの言葉は、俺に何かを要求しているようには聞こえない。覚えてくれと責めているわけでも、前の俺になってくれと願っているわけでもない。ただ、彼女にとってその記憶が、白い機体の中で死んでいくような時間の中に残った、数少ない人間の声だったのだと伝えようとしている。
「俺には、その時の記憶がない。だから、前の俺が何を言ったのかも、どうやってお前と戦ったのかも分からない」
「うん」
「でも、お前が嘘を言っているとは思わない」
そう言うと、ドゥーは少しだけ目を伏せた。安堵したのか、苦しくなったのか、すぐには分からない。俺は言葉を選びながら続ける。
「その試作8号機は、お前にとって機体じゃなくて檻だったんだな。白い箱に閉じ込めて、声も名前も奪うためのものだった」
「……冷蔵庫って呼ばれるたびに、中にいる私は物みたいなんだって思った。冷やされて、保存されて、壊れたら捨てられるものみたいだった」
ドゥーの声が少しだけ震えた。俺は手を伸ばしかけて、途中で止めた。触れていいのか、今の彼女がそれを望んでいるのか分からなかったからだ。彼女はそれに気づいたのか、自分から一歩だけ近づいた。だから俺は、その距離を逃げずに受け止めた。
「私は、前のランガを追いかけたいわけじゃない」
「じゃあ、何をしたい」
「今のランガと、今の私で選びたい。前の世界で助けられたからじゃなくて、今ここで、私が自分で選んだって言えるようになりたい」
その言葉は、彼女がサイコ・ガンダムから離れてから積み重ねてきたものの答えに聞こえた。最初のドゥーは、ランガを手に入れようとしていた。過去の救いに縋るように、俺を自分だけのものにしようとしていた。だが今の彼女は、前の俺の影を追うのではなく、今の俺と向き合おうとしている。
それは、俺にとっても同じだった。俺はマチュを失った記憶に縛られ、今のマチュを見るまでに時間がかかった。ドゥーもまた、前の世界の俺という影から、今の俺へ目を向けようとしている。過去を抱えたまま、今を選ぶ。その難しさを、俺はよく知っている。
「俺は前の俺じゃないかもしれない。それでも、今のお前を機体名で呼ぶつもりはない」
「今の私を見てくれるの」
「あぁ。試作8号機でも、サイコ・ガンダムでもなく、ドゥーとして見る」
その言葉を口にした瞬間、ドゥーの肩からほんの少し力が抜けた。劇的に変わったわけではない。彼女の中にある白い箱も、冷蔵庫というあだ名も、暴走したサイコミュの記憶も消えない。それでも、今ここで彼女を番号ではなく名前で呼ぶことはできる。
「ランガ」
「なんだ」
「私、まだ怖いよ。白い部屋も、白い機体も、思い出すと身体が冷たくなる」
「怖いなら、怖いままでいい。俺も怖いまま進んでいる」
「じゃあ、怖いままでも選んでいいの」
「いい。怖くない人間だけが選べるわけじゃない」
ドゥーは何度か小さく頷いた。その仕草は、言葉を自分の中へ沈めているようだった。彼女はまだ不安定だ。前の世界の記憶が本当にどこまで事実なのか、俺にも分からない。だが、彼女がその記憶に傷つき、その中で俺の名前を覚えていたことは事実だ。
格納庫の方から、整備員がガンダムXの冷却終了を告げる声が聞こえた。モニターには暗い宇宙が映り、その向こうにはまだ見えないティターンズの影がある。ムラサメ系列実験区画にたどり着けば、MRX-008の記録が残っているかもしれない。冷蔵庫という内部呼称も、ジル・ラトキエの死亡記録も、試作8号機のデータが後のサイコ・ガンダムへ使われた証拠も、そこにあるかもしれない。
それはドゥーにとって、自分の傷が幻ではなかったと確認することになる。
同時に、もう一度その傷へ触れることにもなる。
「施設に着いたら、試作8号機の記録があるかもしれない」
「うん。怖いけど、見たい。私が何だったのかじゃなくて、私に何をしたのかを見たい」
「分かった。その時も、一人で見なくていい」
「ランガも一緒に見てくれる?」
「あぁ。俺も、逃げずに見る」
ドゥーはその返事を聞いて、ゆっくりと息を吐いた。まだ笑顔とは呼べない。けれど、少しだけ表情が緩んだように見えた。
俺たちはしばらく、モニターに映る暗い宇宙を並んで見ていた。ガンダムXは過去を抱えたまま未来を選ぶ機体だ。サイコガンダム試作8号機は、ドゥーから選択を奪った白い檻だった。二つの機体はまるで正反対だが、その間にいる俺たちは、まだどちらへ進むのかを選べる場所に立っている。
前の世界の俺を、俺は覚えていない。
それでも、今のドゥーを見失わないことはできる。
そう思えた時、戦闘に勝った時よりも確かな手応えが、胸の奥に残っていた。