機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界:Re 作:ボルメテウスさん
ドゥーが試作8号機の名を口にした翌日、艦内の空気は少しだけ重くなっていた。
戦闘後の解析作業は、ラルさんの戦艦の作戦区画で続けられている。敵部隊が残した通信波形、撃破せず無力化した改造機の記録、後方観測機が逃げる直前に撒いた微細な誘導信号。それらが一つずつ整理され、壁面のモニターへ線と数値として並んでいくたびに、俺の中の嫌な予感は形を持ち始めていた。
そこに映っているのは、単なる軍用通信ではなかった。
モビルスーツの指揮系統に混ざるように、人間の反応値を拾うための補助信号が走っている。通常のパイロット支援とは違う。機体を扱うためではなく、人間を機体へ近づけすぎるための音に見えた。
「この波形は、通常の管制信号ではないな」
ラルさんは作戦卓に片手を置き、静かにそう言った。彼の声は低く、怒りを露わにはしていないが、だからこそ余計に重かった。副官が解析値を拡大し、ノイズの中に埋もれた周期を表示する。俺はそれを見ながら、ドゥーが前に言った言葉を思い出していた。
白い部屋の機械に似ている。
白い機体の中に沈められた時の音。
「ドゥーには聞かせない方がいいかもしれません」
俺がそう言った時、作戦区画の扉が静かに開いた。振り向くより先に、薄い足音が通路から入ってくる。ドゥーは医療区画の服の上に簡単な上着を羽織り、黒いマスクの奥でこちらを見ていた。無理をしているのは明らかだった。けれど、その目には怯えだけではなく、逃げずにここへ来た人間の硬さがあった。
「聞こえた。遠くても、あの音だけは分かる」
「ドゥー、ここに来る必要はない。まだ身体も戻りきっていないだろ」
「必要があるかどうかを、私の代わりに決めないで」
その言葉に、俺はすぐ返せなかった。守ろうとしているつもりで、また誰かが彼女から選択を奪う形に近づいていたのかもしれない。ラルさんは俺とドゥーを一度だけ見比べたが、何も言わず、解析音を最小まで落とすよう副官へ手で指示した。
モニターから流れていた電子音が、少し低くなる。
その瞬間、ドゥーの肩が震えた。
「違う。小さくしても、消えない。頭の奥で鳴ってる」
ドゥーの指先が、自分の腕を掴む。爪が布越しに食い込むほど強くはないが、彼女はそうしなければ自分の形を保てないように見えた。呼吸が浅くなり、視線が作戦室の壁ではなく、どこにもない白い天井を追い始める。
「冷たい。白い。目を開けても、閉じても、同じ色だった」
「ドゥー、俺の方を見ろ。ここは作戦室で、試作8号機の中じゃない」
「分かってる。分かってるのに、身体が先に戻るの。白い箱の中へ、沈められる感じがする」
彼女の声が細くなる。作戦卓の光が彼女の顔を照らし、黒いマスクの縁に小さな影を作った。医療区画の消毒薬ではなく、ここにあるのは機械油と金属の匂いだ。それでも彼女の中では、白い部屋の匂いが蘇っているのだろう。
「冷蔵庫って呼んでた。研究員たちは笑ってた。中に人がいるのに、あの人たちには数値しか見えてなかった」
ラルさんの副官が一歩前に出かける。医療班を呼ぼうとしたのだろう。だが、ラルさんは片手を上げてそれを止めた。彼はドゥーを助けようとしていないのではない。命令や処置で囲めば、彼女はまた実験台へ戻されたと感じる。ラルさんはそれを分かっているから、あえて前に出なかった。
「大尉、彼女は危険です。これ以上は医療区画へ」
「待て。今、我々が囲めば、彼女はまた白い部屋に連れ戻される」
「では、どうするのですか」
「ランガに任せる。彼女を一番遠くへ連れ戻せる声は、我々のものではない」
その言葉が、俺の背中を押した。俺はドゥーの前へ立つのではなく、横へ回った。塞ぐのではなく、隣に並ぶ。彼女が見ている白い幻から、少しでもこちらへ戻れるように。
「ドゥー、俺の声を聞け。今、お前は自分の足で立っている」
「足が、冷たい。床がないみたい」
「床はある。お前の右手は自分の腕を掴んでいるし、左には作戦卓の縁がある。触れられるものを一つずつ確かめろ」
ドゥーは震える手を作戦卓へ伸ばした。金属の縁に指が触れた瞬間、彼女は小さく息を吸う。冷たい金属だったはずだが、その冷たさは試作8号機の内部とは違う。ここには彼女を固定する拘束具も、脳波を読み取るための端子もない。
「ここは白い部屋じゃない。お前はMRX-008の中にいない」
「でも、音が消えない。未完成のサイコミュが、頭の奥で引っ掻く」
「消えなくてもいい。今は、その音に全部を渡すな」
ドゥーは何度も浅く息をした。喉の奥で、言葉にならない音が揺れている。彼女の目はまだ完全には戻っていない。けれど、俺の声を追おうとしているのは分かった。俺は続ける。
「お前は試作8号機じゃない。冷蔵庫でも、被験体でも、失敗作でもない」
「……ドゥー」
「あぁ。お前はドゥーだ。俺の前にいる、今のドゥーだ」
その名前を聞いた瞬間、彼女の目が少しだけこちらへ焦点を戻した。完全に安心したわけではない。恐怖は残っている。だが、白い箱の底に沈んでいた彼女の意識が、細い糸を掴むようにこちらへ戻ってきた。
「第八試験機のデータを、運んだ場所がある」
ドゥーの声はまだ震えていたが、言葉ははっきりしていた。
俺はすぐに聞き返さず、彼女が自分で続きを出せるのを待った。
「テストの後、研究員が言ってた。ジルって名前の事故の後、データは本棟に置かないって。暴走記録と接続ログを、外部保管区画へ移すって」
「その外部保管区画が、今回の敵と繋がっているのか」
「たぶん。全部は分からない。でも、あの観測機の音は、保管区画の誘導ビーコンと似てる。白い機体を運ぶ時、何度も聞かされた音」
副官がモニターへ新しい解析枠を出し、ドゥーの言葉に合わせて敵信号の周期を照合する。ラルさんは黙って見ていた。ドゥーの記憶を利用していることへの重さを分かっているからこそ、無駄な言葉を挟まないのだろう。
「場所は分かるか」
俺がそう尋ねると、ドゥーは唇を噛んだ。
思い出すこと自体が痛みなのだと、その表情で分かった。
「全部は分からない。数字も座標も、白い音の中で壊れてる。でも、航路の欠片なら分かる。暗礁宙域の奥、公式記録にはない中継ドック。研究員は、そこを外部保管区画って呼んでた」
「無理をするな。出せる分だけでいい」
「無理じゃない。怖いだけ。怖いけど、ここで止めたら、また私は何も選べないままになる」
その言葉を聞いて、俺は彼女を止められなかった。
止めることは優しさではない。今のドゥーは、傷を掘り返されているのではなく、自分の手でその傷の中から道を探そうとしている。なら、俺がやるべきことは、彼女の代わりに選ぶことではなく、倒れそうになった時に支えることだけだ。
ドゥーは震える指で作戦卓の地図をなぞった。暗礁宙域の航路図には、公式の補給点や廃棄コロニーの残骸が表示されている。その隙間、何もないはずの空白へ、彼女の指が止まった。
「ここ。たぶん、この空白の奥」
副官が座標を拡大する。そこには何も登録されていなかった。航路も、施設も、廃棄物集積場の記録もない。ただ、戦闘後に撤退した観測機の進路を重ねると、その空白の手前で小さく針路が曲がっている。
ラルさんの目が細くなる。
「この座標は、公式記録には存在しない。だが、暗礁宙域の奥に確かに空白がある」
「敵が隠したい場所ですね」
「そう見るべきだろう。記録にない場所ほど、戦後の闇は深く根を張る」
ドゥーの膝がわずかに崩れかけた。俺はすぐに彼女の肩を支えたが、彼女は倒れきらなかった。支えられながらも、自分の足で立とうとしている。彼女の呼吸はまだ荒い。それでも、その目は白い部屋ではなく、作戦卓の座標を見ていた。
「ランガ」
「ここにいる」
「私、あそこへ行くのが怖い。記録を見るのも、また冷たい音を聞くのも怖い」
「怖いなら、怖いままでいい。俺も一緒に見るし、一人であの音の中へ戻さない」
「本当に、置いていかない?」
「置いていかない。けど、お前を道具として使わせもしない。行くかどうかは、最後までお前が選べ」
ドゥーは小さく頷いた。泣きはしなかった。けれど、泣くよりもずっと苦しそうな顔で、それでも確かに頷いた。
ラルさんはそこで初めて、俺たちの方へ向き直った。
「目的地は決まったな。外部保管区画の可能性がある以上、正面から近づくことはできん」
「なら、こちらも暗礁を使って接近するんですね」
「そうだ。だが、今回は敵の誘いに乗るのではない。こちらが選んだ航路で、こちらの間合いへ入る」
俺はドゥーを支えながら、モニターに映る空白の座標を見た。そこには、MRX-008の記録があるかもしれない。冷蔵庫という内部呼称も、ジル・ラトキエの死亡記録も、ドゥーが白い機体へ入れられていた証拠も眠っているかもしれない。
それはドゥーの傷を証明する場所だ。
同時に、ティターンズの陰へ繋がる入り口でもある。
「なら、そこへ行きましょう」
俺の声は、自分で思っていたより落ち着いていた。
「今度は、あいつらに選ばせるんじゃない。俺たちが選ぶんです」
ドゥーの指が、俺の袖を弱く掴んだ。白い部屋から戻りきったとは言えない。試作8号機の音は、まだ彼女の中で鳴っているのだろう。それでも彼女は、空白の座標から目を逸らさなかった。
ラルさんの戦艦は、暗礁宙域のさらに奥へ向けて針路を変える。
見えないティターンズの影は、まだこちらを見ているかもしれない。
だが今度は、こちらもその影を見返していた。