機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界:Re 作:ボルメテウスさん
外部保管区画へ向かう航路は、地図の上では何もない空白として表示されていた。
ラルさんの戦艦は、暗礁宙域のさらに奥へ進んでいる。艦橋の正面モニターには、廃棄された船体の破片、砕けた岩塊、古い軍用ビーコンの残骸が重なり、まるで誰かが意図的に道を隠したような影を作っていた。公式記録には存在しない座標。けれど、ドゥーが震えながら指した場所と、前回の観測機が消えた方角は、嫌になるほど綺麗に重なっている。
「目的座標まで、あと十分です。記録上、この宙域に施設も航路も存在しません」
「記録にないからこそ、そこへ隠したのだろう。索敵範囲を広げすぎるな、こちらの位置を晒す」
ラルさんの声はいつも通り低く、艦橋の空気を落ち着かせていた。戦場へ近づいているはずなのに、彼がそこにいるだけで、艦内の人間は無駄に声を荒らげない。俺は艦橋の後方に立ち、作戦卓の端へ手を置きながら、隣にいるドゥーの様子を見ていた。
ドゥーは何も言っていない。けれど、指先は小さく震えている。黒いマスクの奥で呼吸は浅く、肩がわずかに上下するたび、彼女の身体が目的地の近さを先に理解してしまっているのが分かった。白い部屋、白い機体、未完成のサイコミュ。その全部が、まだ音になる前から彼女の中で起き上がろうとしている。
「ドゥー、音は聞こえるか。無理に答えなくていい」
「まだ、はっきりは聞こえない。でも、聞こえる前から身体が冷たくなるから、ここは近いんだと思う」
彼女はそう言って、自分の腕を抱えた。俺は休めと言いかけて、その言葉を飲み込んだ。前なら、きっと無理をするなとすぐに止めていた。けれど、今のドゥーは連れて来られたのではない。自分が示した座標へ、自分の意思で向かっている。
守ることと、選択を奪うことは似ている。
その境目を間違えれば、俺も白い部屋の連中と同じ側へ立ってしまう。
「前方暗礁内に微弱な人工信号を確認。旧ジオン系ビーコンの残滓に、別系統の偽装信号が重なっています」
艦橋要員の報告と同時に、モニター上の空白へ細い線が浮かんだ。古いジオン系の識別波に、連邦系の暗号化された補助信号が絡んでいる。戦後の闇が、そのまま電波の形になったような混ざり方だった。
次の瞬間、別の警告音が艦橋へ低く響く。
ドゥーの肩が、はっきりと跳ねた。
「前方、暗礁の影に巨大熱源を確認。通常艦艇ではありません。推定全高、六十メートル級の大型機動兵器と思われます」
「同時に、サイコミュ系と思われる接続信号を検出しています。通常の機体管制信号ではなく、生体反応に近いノイズが混在しています」
「やめて、まだ鳴らさないで。頭の奥が、白くなる」
ドゥーの声が細く乱れた。彼女は耳を塞いでいないのに、聞こえない音を遮ろうとするように首を振る。足元の金属床を見ているはずなのに、目はどこにも焦点を合わせていない。艦橋の鈍い灰色が、彼女の中ではもう白い箱の壁へ変わり始めているのだろう。
「ドゥー、俺の声を聞け。ここは白い部屋じゃない、ラルさんの戦艦の中だ」
「分かってるのに、床が冷たい。息をすると薬の匂いがして、目を閉じると白い蓋が降りてくる」
「今見えているのは艦橋の床だ。お前の足は固定されていないし、腕にも端子は繋がっていない」
俺は彼女の正面に立たず、横へ回った。逃げ道を塞がないためだった。ドゥーが自分の意思でこちらへ戻れるように、俺はただ声を置く。艦橋の端で医療班を呼ぼうとした副官が動きかけたが、ラルさんが片手だけでそれを制した。
「医療班は待機だけでよい。今ここで囲めば、彼女を実験室へ戻すのと同じだ」
「しかし、大尉、このままでは彼女の反応が危険域に入ります」
「危険だからこそ、我々の命令で縛るな。彼女を一番遠くへ連れ戻せる声は、我々のものではない」
ラルさんの判断に、胸の奥で何かが重く沈んだ。任されたのだと理解した瞬間、同時に怖くなる。俺の言葉が間違えば、ドゥーはまた白い機体の中へ引き戻されるかもしれない。それでも、今ここで彼女の隣に立てるのは俺なのだと、ラルさんは見抜いている。
「ドゥー、俺の袖を掴めるなら掴め。力の入れ方は、お前が決めていい」
ドゥーの指が、ゆっくりと俺の袖を掴んだ。弱い力だった。けれど、その弱さは彼女が戻ろうとしている証拠でもあった。白い部屋の中なら、掴むものなど与えられなかったはずだからだ。
「ランガ、あの音は機体の音じゃない。誰かを中に沈める時の音だよ」
「聞こえているなら、今はその音に全部を渡すな。お前はドゥーで、ここにいる」
「中にいる人の息まで、数値にされる。怖いって言っても、反応値が上がったって言われる」
彼女の言葉に、俺は奥歯を噛んだ。怖いという声までデータに変え、人間の悲鳴を次の実験へ使う。ティターンズやムラサメ系列のやり方は、世界が違っても同じ匂いを持っている。
その時、暗礁帯の映像が揺れた。
巨大な影が、砕けた岩塊の奥からゆっくりと前へ出てくる。
最初に見えたのは、異様に太い脚部だった。続いて、丸みを帯びた巨大な胴体と、中央に配置された大型砲門が暗闇から浮かび上がる。機体全体は黒と深い緑を基調にしているはずなのに、装甲の隙間には不自然なほど白い増設ユニットが埋め込まれ、そこから伸びるケーブルが、血管のように巨体の内部へ入り込んでいた。
「サイコ・ガンダム級の大きさか。いや、形が違う」
俺はモニターを見ながら呟いた。サイコ・ガンダムのような人型の威圧感ではない。これは、もっと異質な塊だ。城塞のような胴体、地面を踏み砕くための脚、広範囲を薙ぎ払う砲門。俺の知る歴史でも、その姿は何度も記録で見たことがある。
ビグ・ザム。
そう口にする前に、ドゥーが先に震えた声を漏らした。
「あれ、白い部屋の音がする。機体じゃない、誰かを中に沈めてる」
「各部に白色の増設ユニットを確認。旧連邦系、あるいはムラサメ系列の改修部品と思われます」
「接続信号が増大しています。巨大機の内部から、生体反応に似た揺らぎが複数混在しています」
艦橋の空気が一段冷えた。敵が巨大兵器を出してきたことよりも、その内部から人間の反応に似たものが漏れていることが問題だった。これは防衛兵器ではない。入口を守るために置かれた砲台でもない。巨大なモビルアーマーに、人間を接続するための試験装置だ。
「ビグ・ザムに、ムラサメ系列の接続装置を付けたのか」
言いながら、胸の奥に怒りが滲む。ジオンの兵器を連邦残党が使っていることだけなら、戦争の後ならあり得る話だ。だが、それを人間の檻へ変えた。巨大な火力と装甲を、強化人間の心を潰すための箱として使っている。ドゥーが白い部屋と同じ音を聞く理由は、それだけで十分だった。
ラルさんは、ずっとモニターから目を離していなかった。
彼の表情は大きく変わらない。怒鳴りもしない。けれど、艦橋の誰よりも静かに、誰よりも深く怒っているのが分かった。
「……あれは、ビグ・ザムだ」
「ラルさん、分かるんですか」
「砲門の配置、脚部の骨格、装甲の癖が残っている。前回の戦争で鹵獲された機体だろう」
ラルさんの声は低かった。低すぎて、逆に艦橋の音が遠のいたように感じた。彼はジオンの兵器が奪われたことだけを怒っているのではない。兵器であっても、戦場で作られたものには、その時代の死と覚悟がこびりついている。それを奪い、人間を繋ぎ潰す白い実験装置へ変えたことに、彼は怒っていた。
ドゥーの指が、俺の袖をさらに強く握る。俺はその力を受け止めながら、モニターの巨大な影を見上げた。改修されたビグ・ザムの白いユニットが明滅するたび、彼女の呼吸が乱れる。あの機体の中に、まだ誰かがいるのかもしれない。少なくとも、敵はそう思わせるだけの信号をこちらへ漏らしている。
「中から、冷たい音がする。あれも、箱なんだ」
ドゥーの言葉に、ラルさんはゆっくりと拳を握った。怒りを爆発させるのではなく、戦術判断を失わないために自分の中へ押し込めるような動きだった。
「鹵獲された機体を、あのような檻に変えたか」
その声が艦橋に落ちた瞬間、暗礁の奥で改修ビグ・ザムの砲門が鈍く光り始めた。
まだ、撃ってはこない。
だが、あの巨大な檻は確かにこちらを見ていた。