機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界:Re   作:ボルメテウスさん

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第92話

 模擬訓練が終わった後も、ガンダムXの補助席には、まだドゥーの体温が残っている気がした。

 

 格納デッキの上部配管から、冷却水が一滴だけ落ちた。床へ当たった音は小さかったのに、やけに遠くまで響いた。宇宙に雨は降らない。それでも、その雫が白い整備灯を映しながら広がっていくのを見ていると、サイド6でマチュと別れた時の、胸の奥に残った温度まで思い出してしまう。

 

 マチュを守るために生きる。

 そう言った時の自分の声は、今でも耳の底に残っている。

 

 なのに俺は今、ドゥーのための席を見上げている。無力化したサイコ・ガンダム系列機の中に残っている誰かのことも、頭から離れない。約束は一本の線だったはずなのに、気づけばいくつもの命へ枝分かれして、俺の手首へ絡みついている。

 

「眠らないのか、ランガ」

 

 背後からラルさんの声がした。振り向くと、青い軍服の影が、ガンダムXの足元へ静かに伸びていた。

 

「ドゥーは医療班に連れていかれました。少し眠れたらいいんですけど」

 

「君も同じことを言われる側だと思うが、そこは聞かなかったことにしておこう」

 

 ラルさんはそう言って、補助席のあるコックピット周辺を見上げた。俺もつられて視線を戻す。そこはもう、無断で隠れるための隙間じゃない。彼女が自分の手で切断スイッチを押し、戻ってきた場所だ。

 

「マチュを守るために生きるって決めたのに、俺はまた別の誰かまで抱えようとしている気がします」

 

 口にした瞬間、床へ落ちた冷却水の輪が、少しだけ広がった。

 

「約束とは、守る相手を一人に絞る鎖ではない。君が何を見捨てられない人間なのかを、忘れないための印だ」

 

「でも、俺が全部守るなんて言い始めたら、たぶん操縦桿を握る手が固まります」

 

「ならば、握るものを減らせばいい。君が持つべき約束と、仲間へ預けるべき役割を分けるのだ」

 

 ラルさんは、俺の手元を見た。気づけば、グローブの指先が白くなるほど握り込んでいた。俺はゆっくり力を抜いた。手のひらに残った跡が、操縦桿の形に似ていた。

 

「マチュに早く戻らなきゃいけないのに、ここから逃げたら、あの白い檻ごと誰かを置いていく気がするんです」

 

「戻るために戦うことと、見捨てて逃げることは違う。君はもう、その違いを戦場で選んだ」

 

 ラルさんの言葉が途切れたところで、通信士の声がデッキ内へ流れた。

 

『シャングリラより暗号通信です。テム・レイ氏とジュドー・アーシタから、ガンダムX用の追加データが届いています』

 

 俺が端末へ向かうと、モニターにノイズ混じりのジュドーの顔が映った。目の下に薄い影があるくせに、口元だけはいつもの調子で上がっている。

 

『ランガ、生きてるなら返事しろよ。こっちはまた変な部品を徹夜で詰め込まされてるんだからさ』

 

「生きています。大丈夫です、と言うと怒られそうなので、機体も俺もまだ動けますと言っておきます」

 

『その言い方がもう大丈夫じゃないんだよ。あと、ドゥーを後ろに乗せるなら、今度はちゃんと椅子に座らせろよ』

 

「その椅子のために、あなたたちが徹夜したんでしょう」

 

『そうそう、感謝しろよ。テムさんなんか、部品に話しかけながら組んでたからな』

 

『余計な報告をするな、ジュドー』

 

 テムさんの声が割り込むと、ジュドーが画面の端で肩をすくめた。少しだけデッキの空気が緩む。張り詰めっぱなしだった胸の奥に、小さな隙間ができた。

 

『補助席用の安定化ユニットを送る。衝撃吸収と手動切断の反応速度を改善できるはずだ』

 

「助かります。背部装備の方は、まだ触らない方がいいんですね」

 

 モニターの向こうで、テムさんの眉がわずかに動いた。

 

『触るな。あれはまだ君が使う武器ではないし、機体が勝手に答えを出す危険を増やすだけだ』

 

「今は、撃つ力より帰す力を優先するということだな」

 

 ラルさんが横から言うと、テムさんは短く頷いた。

 

『その通りだ。ガンダムXを完成させるとは、強くすることだけではない』

 

 その言葉が、開いた胸部装甲の奥へ吸い込まれていく。強くするだけではない。帰す力を持つ機体。俺は、その言い方を覚えておきたかった。

 

 通信士の声が、そこで少しだけ硬くなった。

 

『待ってください。ジュピター・ノード03方面から、短い暗号波を拾いました』

 

 デッキの空気が、冷却水よりも冷たくなった。ガトーがいつの間にか近くに来ていて、モニターへ鋭い視線を向けている。

 

「内容を出せ。敵がこちらを探っている可能性がある」

 

『復号は一部のみです。単語断片として、ムラサメ系列、再捕捉、観察継続、回収命令が確認できます』

 

 ムラサメ系列。

 その言葉が、ガンダムXの足元で鈍く跳ねた。

 

「ドゥーのことを、まだそんな呼び方で探しているのか」

 

 俺の声に、自分でも少し驚いた。大きくはないのに、乾いた金属へ爪を立てたような音が混じっていた。

 

 医療班に付き添われて戻ってきたドゥーが、デッキの入口で立ち止まった。白い毛布を肩に掛けたまま、彼女はモニターの断片文字を見つめる。

 

「たぶん、私じゃなくて、私を番号みたいに見た時の呼び方だと思う」

 

 彼女は自分の胸元を軽く押さえた。その指先が震えているのに、視線は逃げない。

 

『別系統の命令断片もあります。対象を生体のまま確保、反抗時は機体ごと拘束、という内容です』

 

「シロッコの観察と、バスクの回収命令が同時に走っているなら、次の再突入は罠になる」

 

 ガトーが言った。観察。回収。どちらの言葉も、人間へ向けるには冷たすぎる。ドゥーの肩に掛かった毛布が、空調の風でわずかに揺れた。

 

「敵が彼女を見つけた以上、我々は急がねばならん。だが、急ぐことと飛び込むことは違う」

 

 ラルさんの言葉に、俺は一歩だけドゥーの前へ出かけて、止まった。遮るように立てば、彼女を隠してしまう。隠すだけでは、また彼女の名前を奪う。

 

「俺は、ドゥーを取り戻されるためにあの席を作ったんじゃありません」

 

「うん。私も、戻るために座る。あっちへ戻されるためじゃない」

 

 ドゥーは俺の隣まで歩いてきた。前ではなく、後ろでもなく、隣だった。俺はそれを見て、さっき止めた足をもう一度床へ置いた。

 

 簡易作戦会議は、そのまま格納デッキ脇で始まった。モニターには、無力化済みのサイコ・ガンダム系列機の位置と、防衛線の再構築予測が表示されている。白い光点の一つに、まだ生体反応らしい揺らぎが残っていた。

 

「次の目標は、無力化済みのサイコ・ガンダム系列機に残る被験体の確認と、救出手順の確立だ」

 

「同時に、ドゥーへの捕獲反応を前提にする。ガンダムXを囮にする作戦は認めん」

 

 ガトーの言葉に、俺は頷いた。

 

「俺が前に出て、ドゥーを守りながら接続部を探ります」

 

「その言い方が危うい。君が全部を背負えば、敵は君の視界の狭さを利用する」

 

 返事が詰まる。ガトーは容赦なく、俺の言葉の奥へ踏み込んでくる。

 

「ランガ、君は操縦に集中しろ。彼女の安全判断はドゥー自身の切断スイッチと、私の撤退命令にも預けるのだ」

 

 ラルさんの声を聞いて、俺は補助席の切断スイッチを思い出した。ドゥーが自分で押した小さな音。あのクリック音は、俺が引っ張る鎖の音ではなく、彼女が戻る扉を開ける音だった。

 

「ランガ、私を守るなら、私が自分で戻るところも見ていて」

 

 ドゥーは、信じてと言わなかった。見ていて、と言った。その違いが、俺の胸の中で静かに残った。

 

「……分かった。俺はお前を引っ張るだけじゃなく、お前が戻る道を空ける」

 

「それでよい。守る対象が増えた時ほど、帰る道を増やさねばならん」

 

 ラルさんの言葉と同時に、デッキの床へまた一滴、冷却水が落ちた。今度はさっきより大きな輪を作った。広がる輪は、絡みつく線ではなく、誰かが通れる道のように見えた。

 

「マチュに胸を張って戻るためにも、ここで誰かを檻ごと壊すわけにはいきません」

 

「ならば、次は救出作戦として組む。勝つための突入ではなく、生かして戻るための作戦だ」

 

 ガトーがそう言って、モニター上の撤退線へ新しいルートを引いた。ラルさんが別の線を重ね、通信士が救出艇の待機位置を示す。ドゥーは、その光の線をじっと見ていた。

 

 俺はガンダムXを見上げた。未完成の背部装備は、まだ沈黙している。テムさんに釘を刺された通り、今の俺が触れるものじゃない。だけど、補助席の小さなスイッチは、もう動いた。あれは武器じゃない。それでも確かに、誰かを連れて帰るための力だった。

 

「守るものが増えるほど、俺は前に出るんじゃなくて」

 

 言いかけて、俺は一度だけ息を吸った。白い整備灯の下で、マチュの声と、ドゥーのクリック音と、まだ名前も知らない被験体の弱い生体反応が、別々の線になって胸の中へ残っている。

 

「帰る道を増やさなきゃいけないんだ」

 

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