機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界:Re   作:ボルメテウスさん

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第93話

# 本編

 

## 未送信の約束、帰還の条件

 

 個人端末の光は、夜の水面みたいに揺れていた。

 

 戦艦の居住区に窓はないのに、画面の青白い反射だけが、俺の指先へ月明かりみたいに落ちている。格納デッキでは整備音が続き、遠くの隔壁越しにガンダムXの固定フレームが鳴るたび、胸の奥で何かが小さく軋んだ。

 

 宛先欄には、マチュの名前が入っている。

 本文欄には、まだ何も入っていない。

 

「マチュ、俺はまだ帰れていないけど、約束を忘れたわけじゃない」

 

 打ち込んだ文字を見て、しばらく指が止まった。

 この言葉は嘘じゃない。けれど、足りない。約束を忘れていないなら、どうして俺は今、ドゥーの補助席や、白い巨人の中に残された誰かのことまで考えているのか。

 

 次の行へ、反射的に「大丈夫」と打ちかけた。

 

 指がそこで固まった。

 俺は、その四文字を信用していない。誰かが「大丈夫」と言う時ほど、見えない場所で血が滲んでいることを知っている。だから、自分の言葉として画面に置こうとした瞬間、喉の奥がざらついた。

 

 文字を消すと、端末の画面に自分の顔が薄く映った。少しだけ、知らない人間みたいに見えた。

 

「送れないなら、せめて嘘じゃない言葉だけ残しておく」

 

 誰に言うでもなく呟いて、俺は続きを打った。

 

「俺は、誰かを檻ごと壊して帰るんじゃなく、助けられる命を連れて帰る」

 

 送信ボタンの上に、赤い警告が出た。

 現在の通信経路では、位置情報漏洩の危険があります。

 端末は淡々としている。まるで、約束にも体温にも興味がないみたいに。

 

「それ、マチュに送る言葉なのに、私にも聞こえるみたい」

 

 背後から声がした。振り向くと、ドゥーが隔壁のそばに立っていた。白い毛布を肩に掛け、片手で端末の明かりを眩しそうに避けている。医療班に休めと言われたはずなのに、足音を殺してここまで来たらしい。

 

「盗み聞きするには、少し堂々としすぎてるな」

 

「ランガが独り言を大きめに言うから、通路の白い壁まで聞いてたよ」

 

 彼女の返しに、少しだけ息が抜けた。端末を閉じると、青白い光が消えて、居住区の薄暗い照明だけが残る。

 

「聞こえたなら、覚えていてくれ。俺が前に出すぎた時、戻る理由を思い出させてほしい」

 

「ランガが見えなくなりそうなら、名前を呼ぶ。前みたいに背中からじゃなくて、ちゃんと同じ作戦の中で」

 

 ドゥーはそう言って、毛布の端を握り直した。指先は細いのに、昨日よりもその手は自分の場所を知っているように見えた。

 

 その時、艦内通信が硬い音を立てた。

 

『無力化済み巨型機から救難信号を受信。微弱ですが、生体反応も重なっています』

 

 俺は端末を閉じた手のまま立ち上がった。椅子が床を擦り、乾いた音が居住区に跳ねる。

 

「まだ生きているなら、すぐに救出艇を出してください」

 

『待て、ランガ・ロード。敵が彼女を狙っている状況で、都合よく救難信号が出ると思うのか』

 

 ガトーの声が通信に割り込んだ。冷えた鉄みたいな声だったが、その鉄は俺の足を止めるために置かれたものだった。

 

「でも、本物の反応が混ざっているなら、放っておく理由にはなりません」

 

 通路へ出ようとした瞬間、ドゥーが俺の袖を掴んだ。強くはない。けれど、そこから先へ行くには、彼女の手を振りほどかなければならなかった。

 

「ランガ、少し待って。白い音が、きれいすぎる」

 

「きれいすぎるって、どういう意味だ」

 

「本当に苦しんでいる人の音は、もっと途切れる。これは、助けてって言わせるために整えられてる」

 

 ドゥーは目を閉じ、耳ではないどこかで信号を聞いているようだった。艦内の白い照明が、彼女の頬から色を削っていく。俺は袖を掴まれたまま、動けなくなった。

 

『つまり、本物の被験体を餌にした誘導信号ということか』

 

 ラルさんの声が重なる。

 

『敵がドゥーを誘い出すために、救難信号を整形した可能性が高い』

 

 ガトーの言葉が、端末の赤い警告と同じ場所へ落ちた。位置を漏らすな。誘いに乗るな。けれど、画面の向こうには、たぶん誰かがまだ繋がれている。

 

 格納デッキへ向かう通路は、いつもより長く感じた。壁面の誘導灯が足元を青く照らし、まるで深い水の底へ降りていくようだった。俺たちがデッキへ入ると、ガンダムXは胸部を開かれたまま、整備フレームの中で沈黙していた。

 

 ガトーは、モニターの前に立っていた。ラルさんはその横で腕を組み、救難信号の波形と生体反応の重なりを見ている。

 

「撤退条件を明文化する。第一に、ドゥーへの感応接続反応が設定値を超えた場合は即時撤退だ」

 

「被験体の救出途中でも、ドゥーが危険なら撤退するという意味ですね」

 

「第二に、被験体の位置が確定できない場合は、接続解除だけを行って離脱する」

 

 俺はモニターを見た。白い波形の奥に、小さな生体反応が点滅している。あの点滅が、人の鼓動に見えてしまう。見えてしまったら、戻る線を引くのが難しくなる。

 

「中に人がいると分かっていて、回収できないまま戻る可能性があるんですか」

 

「回収不能な状況で留まれば、救出対象を増やすだけだ」

 

 ガトーの声は揺れなかった。揺れないからこそ、俺の中で何かがぶつかった。拳を握る。爪がグローブ越しに掌へ食い込む。

 

「ランガ、撤退条件は見捨てるための線ではない。次に救うための道を残す線だ」

 

 ラルさんが、俺の握った拳ではなく、開いたままのガンダムXの胸を見上げて言った。

 

「私も、戻れなくなったら誰かを助ける手にはなれない」

 

 ドゥーの声が隣から落ちる。

 俺は彼女を見た。補助席で切断スイッチを押した時と同じ目をしていた。俺が引っ張るのではなく、自分で戻るための目だった。

 

「分かっています。分かっているのに、体が先に行きそうになるんです」

 

「ならば、体が先に行く前に、言葉で自分を縛れ。君自身が撤退条件を口にしろ」

 

 ガトーが言った。

 縛れ、という言葉に、少しだけ息が詰まる。けれど、その縛りは白い檻の鎖ではない。マチュへ送れなかった通信文みたいに、帰る方向を忘れないための文字だ。

 

 俺はガンダムXの前へ出た。胸部装甲の奥にある操縦席、その後ろに仮設されたドゥーの補助席。そこには、彼女が自分で戻るための小さなスイッチがある。

 

「俺は、被験体を救いたい。ドゥーを守りたい。マチュとの約束を抱えて帰りたい」

 

 声は、思ったより低く出た。格納デッキの天井へぶつかり、整備フレームの間で静かに戻ってくる。

 

「だから、ドゥーへの接続反応が限界を超えたら撤退します」

 

 ガトーが黙って頷く。

 

「被験体の位置が確定できなければ、接続解除だけで戻ります」

 

 ラルさんが、わずかに目を細めた。

 

「俺が判断を乱したら、ラルさんの命令に従います」

 

 言い切ると、手の中にあった力が少しずつほどけていった。握っていた拳が開く。掌には跡が残っている。だが、操縦桿を掴めないほどではない。

 

「それを口にした以上、戦場で破るな。君の言葉は、君だけのものではない」

 

「今の言葉は、君を止める鎖ではなく、君を帰す命綱だ」

 

 ラルさんの言葉が、ガンダムXの胸の奥へ染み込んでいくようだった。

 

「私も言う。怖くなったら、自分で切る。戻れなくなりそうなら、ランガの名前を呼ぶ」

 

「俺も呼ぶ。お前を番号じゃなく、ドゥーとして呼び続ける」

 

 ドゥーは毛布の下で、小さく頷いた。

 その頷きだけで、さっきまで白い壁に閉じ込められていた空気が、少しだけ動いた気がした。

 

 俺は端末を取り出し、マチュ宛ての未送信文を保存した。送信はできない。今はまだ、言葉は宇宙を越えられない。けれど、消さずに残すことはできる。

 

「マチュへ送れない言葉は、帰ってから直接言う。だから、俺はここで死ぬために出ない」

 

 ガトーがモニター上の撤退線へ新しいルートを引いた。ラルさんが救出艇の待機位置を示し、通信士が偽装信号の混入箇所へ警告マークを重ねる。白い波形の中で、本物の途切れた反応だけが、小さく瞬いていた。

 

「作戦目的は、無力化済み巨型機の接続解除と被験体位置の確定だ」

 

「救出艇は主戦場へ入れない。ランガが接続部を開き、回収可能と判断された時のみ前進させる」

 

「偽物の白い音は、たぶん私を奥へ引っ張る。だから、私は本物の途切れ方だけを見る」

 

「俺はその声を聞いて、撃つ場所と撃たない場所を分ける」

 

 俺の言葉に、ドゥーが視線を上げた。

 その目の中に、ガンダムXの白い装甲が映っている。檻の白ではない。帰り道を照らす標識みたいな白だった。

 

「よし。勝ちに行くのではない。生かして戻るために行く」

 

「撤退条件を忘れるな。救出作戦とは、命を賭け捨てる競争ではない」

 

 ガトーの言葉に、俺は頷いた。

 その頷きは、誰かを諦めるためのものではない。戻って、もう一度手を伸ばすためのものだ。

 

「分かっています。俺たちは助けに行く。だから、戻ります」

 

 格納デッキの誘導灯が、出撃準備の青から、作戦開始前の淡い白へ変わった。ガンダムXの影が床へ長く伸びる。その影の中に、俺とドゥーの足元が並んでいた。

 

「俺は助けに行く。けど、誰かを助けるために、帰る約束を破るつもりはない」

 

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