機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界:Re 作:ボルメテウスさん
# 本編
## 未送信の約束、帰還の条件
個人端末の光は、夜の水面みたいに揺れていた。
戦艦の居住区に窓はないのに、画面の青白い反射だけが、俺の指先へ月明かりみたいに落ちている。格納デッキでは整備音が続き、遠くの隔壁越しにガンダムXの固定フレームが鳴るたび、胸の奥で何かが小さく軋んだ。
宛先欄には、マチュの名前が入っている。
本文欄には、まだ何も入っていない。
「マチュ、俺はまだ帰れていないけど、約束を忘れたわけじゃない」
打ち込んだ文字を見て、しばらく指が止まった。
この言葉は嘘じゃない。けれど、足りない。約束を忘れていないなら、どうして俺は今、ドゥーの補助席や、白い巨人の中に残された誰かのことまで考えているのか。
次の行へ、反射的に「大丈夫」と打ちかけた。
指がそこで固まった。
俺は、その四文字を信用していない。誰かが「大丈夫」と言う時ほど、見えない場所で血が滲んでいることを知っている。だから、自分の言葉として画面に置こうとした瞬間、喉の奥がざらついた。
文字を消すと、端末の画面に自分の顔が薄く映った。少しだけ、知らない人間みたいに見えた。
「送れないなら、せめて嘘じゃない言葉だけ残しておく」
誰に言うでもなく呟いて、俺は続きを打った。
「俺は、誰かを檻ごと壊して帰るんじゃなく、助けられる命を連れて帰る」
送信ボタンの上に、赤い警告が出た。
現在の通信経路では、位置情報漏洩の危険があります。
端末は淡々としている。まるで、約束にも体温にも興味がないみたいに。
「それ、マチュに送る言葉なのに、私にも聞こえるみたい」
背後から声がした。振り向くと、ドゥーが隔壁のそばに立っていた。白い毛布を肩に掛け、片手で端末の明かりを眩しそうに避けている。医療班に休めと言われたはずなのに、足音を殺してここまで来たらしい。
「盗み聞きするには、少し堂々としすぎてるな」
「ランガが独り言を大きめに言うから、通路の白い壁まで聞いてたよ」
彼女の返しに、少しだけ息が抜けた。端末を閉じると、青白い光が消えて、居住区の薄暗い照明だけが残る。
「聞こえたなら、覚えていてくれ。俺が前に出すぎた時、戻る理由を思い出させてほしい」
「ランガが見えなくなりそうなら、名前を呼ぶ。前みたいに背中からじゃなくて、ちゃんと同じ作戦の中で」
ドゥーはそう言って、毛布の端を握り直した。指先は細いのに、昨日よりもその手は自分の場所を知っているように見えた。
その時、艦内通信が硬い音を立てた。
『無力化済み巨型機から救難信号を受信。微弱ですが、生体反応も重なっています』
俺は端末を閉じた手のまま立ち上がった。椅子が床を擦り、乾いた音が居住区に跳ねる。
「まだ生きているなら、すぐに救出艇を出してください」
『待て、ランガ・ロード。敵が彼女を狙っている状況で、都合よく救難信号が出ると思うのか』
ガトーの声が通信に割り込んだ。冷えた鉄みたいな声だったが、その鉄は俺の足を止めるために置かれたものだった。
「でも、本物の反応が混ざっているなら、放っておく理由にはなりません」
通路へ出ようとした瞬間、ドゥーが俺の袖を掴んだ。強くはない。けれど、そこから先へ行くには、彼女の手を振りほどかなければならなかった。
「ランガ、少し待って。白い音が、きれいすぎる」
「きれいすぎるって、どういう意味だ」
「本当に苦しんでいる人の音は、もっと途切れる。これは、助けてって言わせるために整えられてる」
ドゥーは目を閉じ、耳ではないどこかで信号を聞いているようだった。艦内の白い照明が、彼女の頬から色を削っていく。俺は袖を掴まれたまま、動けなくなった。
『つまり、本物の被験体を餌にした誘導信号ということか』
ラルさんの声が重なる。
『敵がドゥーを誘い出すために、救難信号を整形した可能性が高い』
ガトーの言葉が、端末の赤い警告と同じ場所へ落ちた。位置を漏らすな。誘いに乗るな。けれど、画面の向こうには、たぶん誰かがまだ繋がれている。
格納デッキへ向かう通路は、いつもより長く感じた。壁面の誘導灯が足元を青く照らし、まるで深い水の底へ降りていくようだった。俺たちがデッキへ入ると、ガンダムXは胸部を開かれたまま、整備フレームの中で沈黙していた。
ガトーは、モニターの前に立っていた。ラルさんはその横で腕を組み、救難信号の波形と生体反応の重なりを見ている。
「撤退条件を明文化する。第一に、ドゥーへの感応接続反応が設定値を超えた場合は即時撤退だ」
「被験体の救出途中でも、ドゥーが危険なら撤退するという意味ですね」
「第二に、被験体の位置が確定できない場合は、接続解除だけを行って離脱する」
俺はモニターを見た。白い波形の奥に、小さな生体反応が点滅している。あの点滅が、人の鼓動に見えてしまう。見えてしまったら、戻る線を引くのが難しくなる。
「中に人がいると分かっていて、回収できないまま戻る可能性があるんですか」
「回収不能な状況で留まれば、救出対象を増やすだけだ」
ガトーの声は揺れなかった。揺れないからこそ、俺の中で何かがぶつかった。拳を握る。爪がグローブ越しに掌へ食い込む。
「ランガ、撤退条件は見捨てるための線ではない。次に救うための道を残す線だ」
ラルさんが、俺の握った拳ではなく、開いたままのガンダムXの胸を見上げて言った。
「私も、戻れなくなったら誰かを助ける手にはなれない」
ドゥーの声が隣から落ちる。
俺は彼女を見た。補助席で切断スイッチを押した時と同じ目をしていた。俺が引っ張るのではなく、自分で戻るための目だった。
「分かっています。分かっているのに、体が先に行きそうになるんです」
「ならば、体が先に行く前に、言葉で自分を縛れ。君自身が撤退条件を口にしろ」
ガトーが言った。
縛れ、という言葉に、少しだけ息が詰まる。けれど、その縛りは白い檻の鎖ではない。マチュへ送れなかった通信文みたいに、帰る方向を忘れないための文字だ。
俺はガンダムXの前へ出た。胸部装甲の奥にある操縦席、その後ろに仮設されたドゥーの補助席。そこには、彼女が自分で戻るための小さなスイッチがある。
「俺は、被験体を救いたい。ドゥーを守りたい。マチュとの約束を抱えて帰りたい」
声は、思ったより低く出た。格納デッキの天井へぶつかり、整備フレームの間で静かに戻ってくる。
「だから、ドゥーへの接続反応が限界を超えたら撤退します」
ガトーが黙って頷く。
「被験体の位置が確定できなければ、接続解除だけで戻ります」
ラルさんが、わずかに目を細めた。
「俺が判断を乱したら、ラルさんの命令に従います」
言い切ると、手の中にあった力が少しずつほどけていった。握っていた拳が開く。掌には跡が残っている。だが、操縦桿を掴めないほどではない。
「それを口にした以上、戦場で破るな。君の言葉は、君だけのものではない」
「今の言葉は、君を止める鎖ではなく、君を帰す命綱だ」
ラルさんの言葉が、ガンダムXの胸の奥へ染み込んでいくようだった。
「私も言う。怖くなったら、自分で切る。戻れなくなりそうなら、ランガの名前を呼ぶ」
「俺も呼ぶ。お前を番号じゃなく、ドゥーとして呼び続ける」
ドゥーは毛布の下で、小さく頷いた。
その頷きだけで、さっきまで白い壁に閉じ込められていた空気が、少しだけ動いた気がした。
俺は端末を取り出し、マチュ宛ての未送信文を保存した。送信はできない。今はまだ、言葉は宇宙を越えられない。けれど、消さずに残すことはできる。
「マチュへ送れない言葉は、帰ってから直接言う。だから、俺はここで死ぬために出ない」
ガトーがモニター上の撤退線へ新しいルートを引いた。ラルさんが救出艇の待機位置を示し、通信士が偽装信号の混入箇所へ警告マークを重ねる。白い波形の中で、本物の途切れた反応だけが、小さく瞬いていた。
「作戦目的は、無力化済み巨型機の接続解除と被験体位置の確定だ」
「救出艇は主戦場へ入れない。ランガが接続部を開き、回収可能と判断された時のみ前進させる」
「偽物の白い音は、たぶん私を奥へ引っ張る。だから、私は本物の途切れ方だけを見る」
「俺はその声を聞いて、撃つ場所と撃たない場所を分ける」
俺の言葉に、ドゥーが視線を上げた。
その目の中に、ガンダムXの白い装甲が映っている。檻の白ではない。帰り道を照らす標識みたいな白だった。
「よし。勝ちに行くのではない。生かして戻るために行く」
「撤退条件を忘れるな。救出作戦とは、命を賭け捨てる競争ではない」
ガトーの言葉に、俺は頷いた。
その頷きは、誰かを諦めるためのものではない。戻って、もう一度手を伸ばすためのものだ。
「分かっています。俺たちは助けに行く。だから、戻ります」
格納デッキの誘導灯が、出撃準備の青から、作戦開始前の淡い白へ変わった。ガンダムXの影が床へ長く伸びる。その影の中に、俺とドゥーの足元が並んでいた。
「俺は助けに行く。けど、誰かを助けるために、帰る約束を破るつもりはない」