俺の命を守るためなら、お前らを盾にする   作:最高司祭アドミニストレータ

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衝動的に書いてしまった拙作。
温かな目で見てくれると嬉しいです。お気軽に誤字報告や感想お願いします。


# プロローグ
怠惰なる村のヒモ - (タチバナ視点)


「んん…あぁ、極楽浄土…。今日も世界は、俺を中心に回っているな」

 

 

 瞼の裏に広がるのは、オレンジ色に揺らめく午後の日差し。頬を撫でる風は、春の妖精が運んできたかのように穏やかで心地よい。

 

 俺、タチバナは、村一番の特等席──広場の中心にそびえ立つ大樹の、うねった太い根を背もたれにして、深すぎる長椅子に身を委ねる王侯貴族のような気分で寝そべっていた。

 

 

 労働? 努力? 

 

 

 そんなものは、この美しい世界を楽しむ才能を持たない、哀れな持たざる者がやればいい。俺の人生の辞書に「勤勉」という言葉は、インクの染みほども存在しない。あるのは「享楽」と「怠惰」、そして何よりも重要な「保身」だけだ。

 

 

「…んぅ、そこだアンナ。右の肩甲骨の内側、そこが凝ってる」

 

 

 俺が喉の奥で甘えたような声を漏らすと、背後からくすくすと控えめな笑い声が聞こえた。俺の右肩を丹念に揉みほぐしているのは、お節介焼きのアンナだ。

 

 

「もう、タチバナったら。また変な姿勢で昼寝してたんでしょう? 身体がガチガチじゃない」

 

 

 彼女の指先は、畑仕事で培われた力強さと、俺への歪んだ慈愛からくる優しさが同居している。硬くなった筋肉を的確に捉え、絶妙な圧で沈み込んでくるその感触に、俺の口元はだらしなく緩んだ。

 

 彼女は俺のことを、「生活能力が皆無で、私がいないと野垂れ死ぬ弟」だと思い込んでいる。実に見当違いな認識だが、訂正するつもりは毛頭ない。何故なら、その誤解こそが俺の快適なヒモ生活の基盤だからだ。

 

 数年前、俺がわざとボタンを引きちぎったシャツを持って、涙目で彼女の元へ駆け込んだあの日。

 

 

『アンナ姉ちゃん。俺って不器用なのかな? 指に針が刺さって…うぅ』

 

 

 嘘泣きと共に差し出した赤く塗った指先を見て、彼女は母性本能という名の罠に見事にハマった。「私がやってあげる」という言葉を引き出すのは、赤子の手をひねるより容易かった。それ以来、俺の身の回りの世話──洗濯、裁縫、そしてこの極上のマッサージに至るまで、全て彼女の「善意」という無償労働によって賄われている。

 

 

「はい、タチバナ。あーんして!」

 

 

 左側から聞こえてきた元気な声に、俺は閉じていた目を薄く開け、雛鳥のように口を開いた。そこに滑り込んできたのは、冷たく冷やされ、薄皮まで完璧に剥かれた瑞々しいブドウの粒だ。舌の上で果実が弾け、芳醇な甘みが口いっぱいに広がる。種などという無粋な異物は、当然のように事前に取り除かれている。

 

 

「んむ、美味い。ベッキー、お前の選ぶ果物は常に最高だな」

 

 

 咀嚼し、飲み下してから俺が甘い声で囁くと、金髪のおさげを揺らした少女、ベッキーが頬を真っ赤に染めて身をよじらせた。彼女は俺の専属給仕係といっても過言ではない。

 

 

「えへへ、でしょ! 今朝、裏山の一番高いところまで登って採ってきたの! タチバナが喜んでくれるかなって!」

 

 

 無邪気な笑顔を向ける彼女だが、その労力たるや相当なものだっただろう。だが、俺が払う対価は「うまい」という言葉ひとつだけ。かつて、彼女が焼いた黒焦げの失敗作のクッキーを、俺が我慢して飲み込み『こんなに心のこもった味は初めてだ』と大袈裟に褒めちぎって以来、彼女は俺の胃袋を掴むことに人生を捧げている。

 

 彼女は単純だ。チョロいと言ってもいい。だが、その単純さが、俺の食料事情を安定させているのだから文句はない。むしろ、その無限の供給に感謝すらしている。

 

 そして、忘れてはならないのが三人目だ。

 

 

「…暑くない? タチバナ」

 

 

 足元から聞こえる鈴を転がしたような静かな声。俺は視線をずらし、膝元に座り込んでいる黒髪ロングヘアの少女、クロエを見下ろした。彼女は大きな葉っぱで作った即席のうちわを両手で持ち、一定のリズムで俺に向けて扇いでいる。その風は強すぎず弱すぎず、俺の額に滲む汗を瞬時に奪い去る絶妙な加減だ。

 

 

「ああ、クロエの風は絶妙だよ。生き返る」

 

 

 俺が短く礼を言うと、クロエは恥ずかしそうに俯き、耳まで赤く染めてパタパタとあおぐ速度を少しだけ速めた。

 

 彼女は口数が少なく、感情を表に出すのが苦手だ。だが、その献身ぶりは他の二人にも劣らない。俺が少しでも不快そうな顔をすれば、彼女は影のように動き、その原因を取り除いてくれる。

 

 俺が以前、日向ぼっこ中に『喉が渇いたな』と独り言を呟いただけで、数秒後には最適な温度の水が用意されていた時のことを思い出す。あの時、俺が黙って彼女の頭を撫でてやっただけで、彼女はその日一日中、幽霊のように俺の後ろをついて回るようになったのだ。

 

 俺はふと、葉っぱを扇ぐために前かがみになっているクロエの胸元に視線を落とした。粗末な麻の服の襟元が重力に従ってたわみ、その奥に隠された白い柔らかな膨らみと、深い谷間がチラリと覗いている。

 

 

 (…ほう)

 

 

 俺は心の中で感嘆の口笛を吹く。普段は目立たないが、やはりクロエは隠れ巨乳の素質がある。アンナのような包容力のある胸も良いが、クロエのような慎ましさの中に秘められた暴力的なまでの可能性も捨てがたい。

 

 

(けしからんな、あの谷間は…。実に教育が必要だ。よし、もっとやれ。もっと前かがみになって、俺にその未開の楽園を見せつけるんだ)

 

 

 俺はあくまで自然な動作を装い、寝返りを打つふりをして視線の角度を調整する。アンナの指圧、ベッキーの餌付け、そしてクロエによる空調管理と眼福の提供。

 

 これぞ、王の生活。責任を負う王よりも、ただ享受するだけの俺の方が遥かに優雅で賢い生き方をしていると言えるだろう。

 

 俺は少し首を巡らせ、広場の向こう、日差しの下で汗水たらして畑を耕している村の男たちを眺めた。陽に焼けた肌、泥にまみれた手足、玉のような汗。彼らは「労働こそ尊い」などと信じ込み、毎日毎日、同じ時間に起きて同じ作業を繰り返している。

 

 

(ハッ、哀れな奴らだ)

 

 

 俺は心底からの憐憫を込めて鼻で笑った。彼らは知らないのだ。人生の勝者とは、額に汗して働く者ではない。こうして可愛い子たちに囲まれ、指一本動かさずに他人の労力を搾取して生きる、俺のような存在のことを言うのだと。奴らには一生かかるまい。この境地の心地よさは、選ばれた人間にしか理解できない。

 

 ふと、俺は自分のサラサラとした黒髪に触れた。村の連中は皆、茶色や金色の髪をしているが、俺だけがカラスの濡れ羽色のような黒髪と、夜の闇を映したような黒い瞳を持っている。そして、この無駄に整った顔立ち。村の女たちが放っておかない、どこか庇護欲をそそる優しげなタレ目。

 

 これらは全て、今は亡き母親譲りのものだ。

 

 母親──そう、俺の母もまた、村では浮いた存在の美人だった。カラスの濡れ羽色のような黒髪に、神秘的な黒い瞳。村の連中とは明らかに毛色の違う、どこか異国情緒漂う女性だった。が、その中身は見た目の麗しさとは裏腹に、破滅的なまでに「ハイテンション」な女だった。

 

 あれは俺がまだ、10歳の頃だったか。俺がただ『今日のシチュー、悪くないね』と、気まぐれに母の料理を褒めた時のことだ。母はまるで雷に打たれたかのように硬直した後、奇声を上げて歓喜の舞を踊り始めた。

 

 

『きゃあぁぁぁっ! 息子ちゃんが褒めてくれたぁぁぁっ! ママ、幸せすぎて天に昇っちゃうぅぅぅ!』

 

 

 彼女は台所をコマのように高速回転しながら移動し、俺への愛を叫び続けた。

 

 そして、運命の瞬間は訪れた。回転の遠心力に耐えきれず、彼女の足が濡れた床でつるりと滑ったのだ。

 

 

『あべしっ!?』

 

 

 なんて間の抜けた断末魔だ。彼女は勢いよく後頭部から倒れ込み、運悪くそこにあった頑丈な素焼きの巨大な壺に、頭蓋を強打した。ゴガンッ! という鈍く湿った音が響き、壺が粉々に砕け散る。俺は口を開けたまま、その光景を眺めていたのを覚えている。

 

 母はピクリとも動かなくなった。次の瞬間にはビクンビクンと痙攣しながら、頭から流れ出る鮮血に指を浸したのだ。恐怖で俺が後ずさりすると、母は最後の神経反射なのか、執念なのか、血に濡れた指で床板に何かを書きなぐった。

 

 

『愛してる♡』

 

 

 見たこともない、複雑怪奇な幾何学模様。そして、最後に添えられた心臓を抉り取るかのような、不気味な桃のような形。俺はこの村の言葉しか知らない。母が書いたその文字が何を意味するのか、俺には全く理解できなかった。

 

 俺の目に映ったのは、頭から血を流して絶命した女が、最期に残した「呪いの紋章」に他ならなかった。

 

 

『ひ、ひぃぃぃぃっ!? の、呪いだぁぁぁ!』

 

 

 俺は腰を抜かし、失禁寸前で絶叫した。

 

 

『俺がシチューの味を「悪くない」程度で済ませたからか!? もっと絶賛しろと!? その恨みで俺を末代まで呪い殺す気かぁぁぁっ!』

 

 

 あの鮮血で描かれた禍々しい紋章と、事切れた母の恍惚とした死に顔。それは俺のトラウマとなった。

 

 俺はすぐさま床の血文字を必死で拭き取り、その事実を隠蔽した。村人たちには『母さんは急な病で…』と涙ながらに嘘をつき、同情を買うことで生き延びてきたのだ。

 

 親不孝? 知ったことか。死に方があまりにホラーすぎる母が悪い。俺はあの日以来、「平穏」と「安全」こそが至高であり、命を脅かすような予測不能な事態は二度と御免だと心に誓ったのだ。

 

 

「タチバナ、もう一つ食べる? 今度はもっと甘いところがあるの」

 

 

 ベッキーの声に、俺は意識を忌まわしい過去から現実へと引き戻した。目の前には宝石のように輝くブドウが一粒、ぷるぷると震えている。

 

 俺は大きく口を開け、それをだらしなく迎え入れる。口の中に広がる甘露のような果汁。背中からはアンナの体温と程よい指圧。足元からはクロエの扇ぐ心地よい風と、時折見える谷間の保養。

 

 完璧だ。この上なく完璧な、村の王としての生活。

 

 

(悪くはない、悪くはないんだが…)

 

 

 果汁を飲み込みながら俺の中に小さな、しかし無視できない「澱」のような不満が渦を巻き始めた。

 

 

 毎日、同じような果物。

 毎日、同じような景色。

 毎日、同じ女たち。

 

 

 この村での生活は確かに楽だ。完成されている。だが、完成されているが故に、刺激がない。俺の欲望という名の器は、底が抜けている泥船のようなものだ。満たされれば満たされるほど、より上質な快楽を、より豪華な暮らしを求めて渇き始める。

 

 

(正直…飽きてきたな)

 

 

 俺の視線は、再びクロエの胸元へと注がれる。確かに形は良い。大きさも申し分ない。将来有望な果実だ。だが、その果実を包んでいるのは、ゴワゴワとした粗末な麻布だ。

 

 俺の視線は、次にアンナのエプロンへと移る。何度も洗濯を繰り返し、色あせて擦り切れた布地。彼女の指先も、毎日の労働でささくれ立ち、俺の肌を揉むたびに少しだけザラリとした感触が残る。ベッキーの髪を留めている飾りも、木の実を加工した子供だましのような代物だ。

 

 彼女たちは村一番の美少女たちだが、やはり所詮は田舎娘だ。肌は健康的な小麦色だが、陶磁器のような白さはない。貢いでくる物も、農作物や手作りの工芸品ばかり。

 

 俺が欲しいのは、もっとこう、魂が震えるような物質的な豊かさだ。

 

 もっと、目が眩むような刺激的なものが欲しい。太陽の光を浴びて、七色に輝く宝石がいい。ルビーの赤、サファイアの青、エメラルドの緑。そして何より金だ。ずっしりと重く冷たく、それでいて万能の価値を持つ、黄金の延べ棒だ! 

 

 金さえあれば、全てが変わる。こんな何もない、鳥のさえずりと牛の鳴き声しか聞こえない退屈な村を出て、王都へ行ける。

 

 噂に聞く王都。そこは、夜も眠らない不夜城。絹のドレスをまとった、肌の透き通るような貴族の令嬢たち。香油の香りを漂わせ、男を悦ばせる術を極めた高級娼婦たち。ふかふかの羽毛布団、舌がとろけるような高級料理、そして琥珀色の年代物の酒。

 

 

(俺のこのルックスがあれば…)

 

 

 俺は自分の顔をぺたぺたと触る。母の「間抜けな死に様」以外で唯一感謝している遺産、それがこの顔面だ。村の女どもを狂わせるこのタレ目と、白く滑らかな肌。これさえあれば、王都の女たちを侍らせ、ヒモとして更なる高みへ登りつめることも余裕ではないか? 

 

 村娘相手のヒモなど、井の中の蛙だ。俺は、王都の有閑マダムや姫君を相手にする「グランド・ヒモ・マスター」になれる器を持った男なのだ! 

 

 

(そうだ…俺はこんな狭い鳥籠で満足していい人間じゃない。もっと広い世界で、もっと盛大に楽をして、他人の金で贅沢三昧をする権利があるんだ!)

 

 

 妄想は肥大化し、俺の脳内で勝手に輝かしい未来図を描き出す。俺が玉座のようなソファに座り、両脇を絶世の美女に抱えられ、口元には金の杯が運ばれてくる光景。

 

 

『ああ、タチバナ様、なんて素敵なお顔…』

『私の全財産を使ってくださいませ!』

 

 

 そんな幻聴までもが聞こえてきそうだ。

 

 だが、現実に立ち返れば、俺の懐は寒々しい。王都へ行くには、路銀が必要だ。向こうで最初のパトロンを見つけるまでの、生活資金も要る。身なりを整えるための、上質な服も買わなければならない。

 

 

(金が要るな…)

 

 

 俺は眉をひそめた。金を得るには、働かなければならない。

 

 労働。その二文字が脳裏に浮かんだ瞬間、俺の全身に鳥肌が立った。汗水たらして畑を耕す? 重い荷物を運ぶ? 

 

 冗談じゃない。そんなことをすれば、俺の美しい手肌が荒れてしまうし、何より腰が痛くなる。俺の美学に反する行為だ。楽をして、一攫千金を得る方法はないか。最小の労力で、最大の利益を得る方法。いわゆる、濡れ手で粟、というやつだ。

 

 俺は頭をフル回転させる。この村の近くの森…鬱蒼としていて虫も多いが、あそこには古い文明の遺跡が埋まっている、という噂を聞いたことがある。もしかしたら、過去の遺産──例えば、王族の隠し財宝や、魔力を秘めた高価な装飾品などが、誰にも見つけられずに眠っているかもしれない。

 

 あるいは、頭の悪い金持ちの旅人や商人が、野盗に襲われて逃げる際に、宝石の詰まった袋でも落としていないだろうか。それを拾って届ける…いや、着服すれば、俺の王都デビューの資金になるはずだ。

 

 

(落ちているものを拾う。これぞ、天が俺に与えた正当な権利!)

 

 

 森へ行くのは面倒だ。服が汚れるし、疲れる。だが、その先にある「黄金色の未来」を思えば、半日程度の散歩など安い投資だ。もしかしたら、金鉱脈が露出していて、足元に金の粒が転がっているかもしれない。

 

 

「…ふむ」

 

 

 俺は決意を固め、芝居がかった優雅な仕草で、ゆっくりと身を起こした。背もたれにしていたアンナの手が名残惜しそうに離れ、ベッキーとクロエがキョトンとした顔で俺を見上げる。その瞳には、俺への盲目的な好意が宿っている。

 

 今はまだ、キープしておいてやろう。もし森で何も見つからなければ、今日の夕飯も、彼女たちにたかる必要があるからな。

 

 

「どうしたの? タチバナ」

「お花を摘みに行くの?」

 

 

 彼女たちの問いかけに、俺は憂いを帯びた(鏡を見て練習した完璧な)表情を作り、遠い目をして森の方角を見つめた。風になびく黒髪をかき上げ、アンニュイな吐息を漏らす。

 

 

「いや…少し、風に呼ばれた気がしてね。散歩してくるよ」

「えー、もう行っちゃうの?」

「待ってタチバナ、パイも焼いてあるのに!」

「タチバナ、行かないで…」

 

 

 三人からの悲痛な引き止め工作。俺は内心で「(くくく、俺の魅力に溺れているな、愚民どもめ)」と嘲笑いながら、あくまで優しい微笑みを崩さずに振り返った。

 

 

「すぐに戻るさ。たぶんね」

 

 

 俺はヒラヒラと手を振り、彼女たちに背を向けた。その足取りは軽い。心の中では、下卑た笑いが止まらない。

 

 

(待ってろよ、俺の栄光の未来。金目のものを見つけて、それを元手にこの泥臭い村ともおさらばだ…!)

 

 

 そんな意気込みで村を出てから、およそ三十分。俺の心の中にあった黄金色の野望は、急速にしぼみつつあった。代わりに首をもたげてきたのは、この過酷すぎる大自然に対する、底なしの憎悪と殺意だ。

 

 

「ぺっ! うわ、最悪だ! 口の中に羽虫が入った!」

 

 

 俺は道端に唾を吐き捨て、顔をしかめた。森。そこは、詩人たちが謳うような緑の楽園などではない。俺のような選ばれた美貌を持つ高等遊民にとっては、不快な障害物がひしめく拷問部屋に他ならない。

 

 一歩歩くごとに、湿った土が俺のサンダルの隙間に入り込み、不快なぬめりを与える。頭上からは、得体の知れない木の実や毛虫が、俺の頭を狙って爆撃の機会を窺っている。そして何より、この蒸し暑さだ。木々が風を遮るせいで、俺の白い肌には玉のような汗が滲んでいる。

 

 

「ふざけるな! 俺の肌は、村娘たちが毎日貢いでくる極上のミルクで磨かれた芸術品だぞ? こんな場所で無駄に日焼けでもしたらどうしてくれるんだ!」

 

 

 俺は持ってきた棒切れで、目の前の藪を乱暴に叩いた。ガサガサ、と音がして、何か小さな動物が逃げていく気配がする。

 

 

「おい! ネズミだかなんだか知らんが、金の粒の一つでも落としていけ! 労働の対価も払わずに俺の前を横切るとは、いい度胸だな!」

 

 

 八つ当たり気味に怒鳴り散らすが、返ってくるのは風に揺れる葉の音だけだ。そもそも「散歩」という名目で出てきたが、俺の真の目的はあくまで「他人の不幸による利益の享受」である。

 

 俺の理想的なシナリオはこうだ。この森のどこかで、欲に目が眩んだ小金持ちの商人が、道に迷って行き倒れているのを発見する。あるいは、野盗に襲われて逃げる最中に落とした、宝石がぎっしり詰まった革袋を拾う。

 

 もちろん、持ち主が生きていれば面倒なことになる。理想を言えば、持ち主にはとっくの昔に白骨化していてほしい。そうすれば、俺は「供養」という名目で遺品を回収し、心置きなく懐に入れることができる。

 

 

「神様…いや、この際悪魔でもいい。どうか、俺の目の前に『金持ちの死体』をご用意ください。腐乱してると臭くて触るのが嫌だから、できれば乾燥した綺麗な骨で頼む」

 

 

 そんな祈りを捧げながら、俺はさらに奥へと進む。すると、顔にふわりと粘着質な感触が張り付いた。

 

 

「うわぁぁぁぁっ!?」

 

 

 俺は情けない悲鳴を上げ、その場でブレイクダンスのように手足をバタつかせた。クモの巣だ。あろうことか、この俺の端正な顔面に、下等生物の分泌物が張り付いたのだ。

 

 

「取れ! 取れよオラァ! 俺の顔は国宝級なんだぞ! ニキビ一つできただけで村中の女が悲鳴を上げるレベルなんだぞ!」

 

 

 半泣きになりながら顔をこすり、クモの巣を取り払う。幸い、主であるクモはいなかったようだが、俺のテンションは氷点下まで下がった。

 

 もう帰りたい。アンナのマッサージを受けて、ベッキーのパイを食べて、クロエに扇がれて寝たい。金なんてどうでもいい。今の生活でも十分勝ち組じゃないか。

 

 

「…ちっ、収穫なしかよ。俺の貴重なカロリーを無駄に消費しただけか」

 

 

 引き返そうとした、その時だった。俺の視界の端、鬱蒼とした木々の切れ間に、不自然に明るい空間が広がっているのが見えた。まるでそこだけ、スポットライトのように太陽の光が降り注いでいる。

 

 

「…ん? なんだあそこは」

 

 

 俺の動物的な勘──いや、卑しい嗅覚が反応した。ああいう「いかにも」な場所には、何かが隠されていることが多い。昔話なら妖精が出てくるところだが、俺の現実的な計算では、野盗の隠しアジトか、あるいは本当に遭難者の遺留品がある可能性が高い。

 

 俺は汚れるのも構わず、藪をかき分けてその場所へと近づいた。枝が服を引っ掛け、棘が俺の腕にかすり傷を作る。

 

「痛っ! 訴えてやる! この森の管理者誰だ!」と理不尽な悪態をつきながら、俺はその開けた場所へと足を踏み入れた。

 

 そこは、奇妙なほど静謐な空間だった。周囲の木々がそこだけ避けるように円形に開け、地面には短い苔がビロードのように敷き詰められている。

 

 その中央。苔むした石造りの台座があり、そこに一本の剣が突き刺さっていた。

 

 

「…は?」

 

 

 俺は拍子抜けした声を漏らした。期待していたのは宝箱だ。あるいは、金貨の詰まった袋だ。だが、そこに在ったのは、古臭い剣一本だけ。

 

 

「なんだよ。期待させておいて…ゴミかよ」

 

 

 俺は失望し踵を返そうとしたが、俺の中に宿る「守銭奴」としての魂が、鋭く警告を発した。

 

 

 ──待て、タチバナ。よく見ろ。

 

 

 俺は再び剣に目を凝らす。太陽の光を浴びて佇むその姿は、普通に見れば「伝説の聖剣」のような神々しさを放っているのかもしれない。だが、俺の目はそんなロマンチックなフィルターを持っていない。俺の眼球に搭載されているのは、対象物を即座に換金金額で表示する「皮算用レンズ」だ。

 

 俺は警戒しつつ、台座に近づいた。刀身の半分ほどが石の台座に埋まっている。露出している部分は、長い年月雨風に晒されていただろうに、錆一つない。銀色とも白金ともつかない、不思議な光沢を放っている。

 

 

「ほう…? 鉄くずかと思ったが、意外と状態はいいな」

 

 

 俺はさらに顔を近づける。柄の部分を見た瞬間、俺の心臓がドクリと大きく跳ねた。

 

 

「おいおいおい…マジかよ」

 

 

 柄頭の部分に、親指ほどの大きさの、深紅の石が埋め込まれていたのだ。太陽の光を吸い込み、内側から燃えるような赤色を放っている。ガラス玉? 違う。この輝き、この透明度。

 

 俺は村一番の目利き(女の装飾品限定)だ。これが安物でないことは一目でわかる。

 

 

「ルビー…もっと希少な魔石か? どっちにしろ、デカい!」

 

 

 これだけの大きさの宝石なら、王都の宝石商に持ち込めば、一生遊んで暮らせる…とまではいかなくても、向こう10年は貴族のような生活ができる金額になるはずだ! 

 

 

「ぐへへ…神様、さっきは悪態ついてすんませんでした。あなたは最高だ!」

 

 

 俺は手のひらを光速で返し、ニタニタと笑いながら剣の柄に手を伸ばした。狙うは、剣そのものではない。こんな長くて重そうな剣、持ち運ぶだけで疲れる。俺が欲しいのは、この赤い石だけだ。

 

 

「よいしょっと…」

 

 

 俺は爪を石の隙間にねじ込み、強引にほじくり出そうとした。ガリガリ、と爪を立てる。もしこれが聖剣なら、勇者にあるまじき冒涜的な行為だが、俺にとってはただの「集金作業」だ。

 

 

「くそっ、固いな! 誰だよこんな頑丈に作った職人は!」

 

 

 石はびくともしない。台座と剣、そして剣と宝石が、まるで一つの塊であるかのように完全に一体化している。爪が割れそうになり、俺は舌打ちをした。

 

 

「ちっ、素手じゃ無理か。…仕方ない、剣ごと引っこ抜いて、鍛冶屋で分解してもらうか」

 

 

 あるいは、剣そのものにも美術的価値があるかもしれない。柄の細工は繊細だし、この錆びない金属も、物好きな武器マニアには高く売れるだろう。「古代文明の遺産」とか適当なハッタリをかませば、値をつり上げられるに違いない。

 

 

「よし、やるか」

 

 

 俺は腰を落とし、両手で剣の柄を握った。伝説によれば、こういう剣は「選ばれし勇者」にしか抜けないとか、あるいはとてつもない怪力が必要だとか、そういう相場が決まっている。もし抜けなければ、明日村の力自慢たちを騙して連れてくればいい。『ここに珍しいキノコがあった』とか言って案内し、ついでに抜かせれば俺の手柄だ。

 

 俺は完全にナメてかかっていた。全身の力を込めるつもりも、覚悟を決めるつもりもなく、ただ「重い荷物を持ち上げる」程度の感覚で、腕に力を入れた。

 

 

「んしょっと」

 

 

 ズブリ。

 

 

「…え?」

 

 

 抵抗は、皆無だった。まるで腐った大根を土から引き抜くように。あるいは、温めたナイフでバターを切るように。剣は音もなく、あまりにも呆気なく、台座から抜け放たれた。

 

 俺は勢い余って後ろによろけ、尻餅をつきそうになったが、なんとか踏みとどまる。手の中にある剣は、見た目の重厚さに反して、羽毛のように軽かった。

 

 

「ははっ、なんだこれ。中が空洞なのか? おもちゃみたいだな」

 

 

 俺は剣を片手で持ち替え、ブンブンと振ってみた。ヒュンヒュン、と小気味よい風切り音が鳴る。バランスは完璧。手首への負担もゼロ。

 

 

「すげぇ…これなら俺みたいなヒョロガリでも振り回せるぞ。…ってことは、これはミスリルとか、そういう高級素材か?」

 

 

 俺の顔が、さらに下卑た笑顔に歪む。軽い。美しい。そして宝石付き。これは「当たり」だ。大当たりだ。今日の昼飯代どころの話じゃない。これを売れば、王都の一等地に家が建つかもしれない。

 

 

「やった…やったぞ! 俺の時代が来た!」

 

 

 俺は誰もいない森の中心で、聖剣を高々と掲げた。それは本来、世界を救う勇者が誕生した瞬間に行うポーズだ。が、今の俺の心にあるのは、世界平和への誓いでも正義への目覚めでもない。

 

 

(これで俺は、一生働かずに暮らせる! 高級ワイン飲み放題! 美女の膝枕で永遠の昼寝生活だぁぁぁっ!)

 

 

 俺の魂の叫びが、黄金色の未来図と共に脳内で木霊する。手に伝わる剣の感触は、まさに勝利の重みだった。軽い。驚くほど軽いのに、そこには「億万長者」という確固たる質量が存在している。

 

 俺はもう、村娘たちの持ってくる芋料理や、酸っぱい果物に愛想笑いを浮かべる必要はない。王都の高級レストランで、燕尾服を着た給仕に傅かれながら、脂の乗った最高級の肉を食らうのだ。

 

 

「ぐへへ…待ってろよ、王都のチャンネーたち…。このタチバナ様が、金貨の雨を降らせてやるからな…!」

 

 

 下卑た笑いが止まらない。顔面の筋肉が緩みきり、おそらく今の俺は、誰が見ても「勇者」ではなく「強欲な小悪党」そのものの顔をしているだろう。だが構うものか。誰も見ていないのだから。俺はもう一度、柄に埋め込まれた巨大な赤い宝石を愛おしそうに撫で回した。

 

 

「愛してるぜ、マイ・スイート・マネー…!!」

 

 

 そう俺が宝石にキスをしようと唇を尖らせた、その時だった。

 

 

『…最低ですね』

「ん?」

 

 

 俺の動きが止まった。風の音でもない。鳥の鳴き声でもない。もっと直接的で、脳髄の奥底に冷たい水を流し込まれたような、透き通った女性の声が響いたのだ。

 

 

「誰だ?」

 

 

 俺は剣を持ったまま、キョロキョロと周囲を見回した。だが、そこには苔むした岩と、鬱蒼とした木々があるだけだ。人の気配など微塵もない。

 

 

「気のせいか…? いや、確かに聞こえたぞ。誰かいるのか? アンナか? 隠れてないで出てこいよ」

 

 

 村娘たちが俺を心配してついてきたのかと思った。だが、返事はなく、代わりに再びあの声が脳内に響き渡った。今度はより冷徹に、絶対零度の侮蔑を含んで。

 

 

『聞こえていますよ。その、お金のことしか考えていない下劣な思考、全て』

「は……?」

 

 

 俺の背筋に、氷柱を突っ込まれたような悪寒が走った。思考? 聞こえている? 俺が今考えていたこと…つまり、この剣を売り払い、酒池肉林の限りを尽くすという、あの輝かしくも薄汚い計画のことか? 

 

 

『ええ。高値で売り飛ばす? チャンネーを侍らせる? 札束の風呂に入る? 呆れました。数多の英雄を待っていましたが、まさか貴方のような、欲望の塊のようなゴミが私を抜くとは』

「う、うわあああああっ!?」

 

 

 俺は喉が裂けんばかりの悲鳴を上げた。声の主がどこにいるのか分からない。だが、確かに俺の頭の中に「誰か」がいる! 

 

 俺の脳裏に、あの母の死に様がフラッシュバックした。血塗れの床。奇怪なダイイングメッセージ。そして、死してなお俺を呪い続ける執念。

 

 

「あ、悪霊だ! 悪霊が出たぁぁぁぁっ!」

 

 

 俺はパニックに陥り、その場であたふたとステップを踏んだ。この剣だ。この剣がマイクか何かの役割を果たして、冥界からの呪いの電波を受信しているに違いない! 

 

 

『悪霊ではありません。私はこの聖け…』

「うるさい! 俺の脳内に入ってくるな! 出て行け! 家賃を払え!」

 

 

 俺の保身本能が、危険信号をけたたましく鳴らした。金目のものだと思って拾ったものが、とんでもない「事故物件」だったのだ。関わってはいけない。これを持ち続ければ、俺の平穏な怠惰ライフは崩壊し、母のように謎の死を遂げることになる! 

 

 

「い、いらん! こんな喋る剣なんか、一文の得にもならん!」

 

 

 俺は「ひぃっ!」とカエルのような声を漏らしながら、手に持っていた剣を全力で放り投げた。金への執着など、自身の安全の前では塵に等しい。剣は空中で放物線を描き、カランという虚しい金属音を立てて、苔むした地面に転がった。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ…!」

 

 

 剣が手から離れると同時に、あの気味の悪い声はプツリと途絶えた。静寂が戻ってくる。

 

 

「み、見なかったことにしよう…。そうだ、俺は何も見ていない。ただ散歩に来て、ちょっと古い鉄くずにつまずいただけだ」

 

 

 俺は震える足で後ずさりし、そして脱兎のごとく踵を返した。

 

 宝石? 伝説? 知ったことか! 

 

 今の俺に必要なのは、富でも名声でもない。アンナの温かいマッサージと、ベッキーの焼くパイと、何よりも「物理的に安全な布団」だ! 

 

 

「助けてくれええええええ!」

 

 

 俺は情けない悲鳴を森に撒き散らしながら、一目散に村へと逃走した。

 

 心臓が早鐘を打ち、肺が焼け付くように熱い。俺は這う這うの体で森を抜け、村の入り口にある木の柵にしがみついた。

 

 

「はぁっ…はぁっ…! し、死ぬかと思った…!」

 

 

 全身汗まみれで、服はイバラに引っかかってボロボロ。サンダルも片方脱げてなくなっている。

 

 だが、そんなことはどうでもいい。俺は生きて帰ってきたのだ。あの呪われた「喋る剣」の魔手から逃れ、愛すべき怠惰な日常へと帰還したのだ。

 

 

「二度と…二度と森になんか行くもんか。俺には、畑を耕す男たちをニヤニヤ見下す生活がお似合いなんだ…」

 

 

 俺が安堵の息を吐こうと顔を上げた、その時だった。村の様子が、おかしい。

 

 

「おい、見ろ…タチバナだ!」

「森の方角から戻ってきたぞ!」

「なんて顔色だ…蒼白じゃないか」

 

 

 村人たちが、仕事を放り出して広場に集まっていた。数十人の視線が、一斉に俺に突き刺さる。その目は、いつもの「怠け者のタチバナを見る呆れた目」ではない。何か畏怖と興奮、そして熱狂をはらんだ異様な眼差しだ。

 

 

(な、なんだ? なんでみんな俺を見てるんだ? まさか…俺の背中に、さっきの悪霊が憑りついているんじゃ…!?)

 

 

 俺はゾッとして背後を振り返るが、そこにはただの村の風景があるだけだ。再び前を向くと、人垣が割れ、杖をついた村の長老が進み出てきた。長老は普段、腰が曲がっていて地面しか見ていないような老人だが、今はなぜかカッと目を見開き、震える指で俺を指差している。

 

 

「おお…タチバナよ…」

 

 

 長老の声が震えている。恐怖か? それとも、俺に取り憑いた何かのせいで怯えているのか? 

 

 

「やはり、まことであったか…! さきほど、森の奥から天を衝くような『銀色の光の柱』が立ち昇ったのを、我らは見たぞ!」

(は? 光の柱? なにそれ、俺は見てないぞ。逃げるのに必死だったし)

 

 

 俺がポカンとしていると、長老はさらに言葉を続けた。その目には、涙すら浮かんでいる。

 

 

「あの光は、村に伝わる古い言い伝えにある『聖剣覚醒』の兆し…。タチバナよ、お前が…お前が伝説の聖剣を、その手で抜いたというのは…まことか!?」

 

 

 ドッ、と村人たちがどよめいた。

 

 

「聖剣だって!?」

「まさか、本当に実在したのか」

「よりによってタチバナが?」

「昔から顔だけは良かったが、まさか勇者の器だったとは!」

 

 

 俺は口をパクパクさせた。

 

 聖剣? ああ、あの呪われた喋る鉄くずのことか? なんでそんな大層な名前が付いているんだ。しかも、なんだその期待に満ちた目は。

 

 

「(い、いや、抜いたけど…抜いたけど捨ててきたぞ? あんな気味悪いもん、持ってられるかよ)」

 

 

 俺は首を横に振り、全力で否定しようとした。「違う! あれはただの化け物だ! 俺は関係ない!」と叫ぼうとした。だが、極度の恐怖と全力疾走による疲労で、俺の喉からは「ヒュッ…ヒュッ…」という呼吸音しか出てこない。顔面は血の気が引いて真っ白で、足はガクガクと震えている。

 

 その無様な姿を、村人たちは好意的に──あまりにも好意的に『脳内補完』したらしい。

 

 村人たちの視点というフィルターを通すと、俺のへっぴり腰は「大地を踏みしめる確かな足取り」に変換され、恐怖でガチガチと鳴る歯の音は「燃え滾る闘志を抑制する音」へと摩り替わる。うん! …こいつら頭どうかしてると思う。

 

 そして、普段は俺のことを「穀潰し」「村の恥さらし」と陰口を叩いていた男たちが、こぞって俺の周りに集まってきた。

 

 

「おい、タチバナ…!」

 

 

 野太い声を上げて一歩進み出てきたのは、村一番の力自慢である樵のガストンだ。丸太のような腕を持ち、普段は俺が道端で昼寝をしていると、わざとすぐ横で斧を振り下ろして脅かしてくるような乱暴者だ。

 

 ヒィッと俺が身を竦めると、彼はその剛腕を振り上げ──俺の肩をバシィッ! と勢いよく叩いた。

 

 

「ぐふっ!?」

 

 

 肺から空気が強制的に排出され、俺は情けない声を上げる。だが、ガストンの顔を見て、俺は言葉を失った。その髭面がくしゃくしゃに歪み、大粒の涙が滝のように流れていたからだ。

 

 

「すまなかった…! 俺たちは、お前のことを誤解していた!」

「は…? 誤解? いや、俺は何も…」

「何も言うな! 全部わかったんだよ!」

 

 

 ガストンは鼻水をすすり上げながら、暑苦しい熱弁を振るい始めた。周囲の男たちも、うんうんと深く頷いている。

 

 

「お前が毎日毎日、日がな一日寝転がって動かなかったのは…ただ怠けていたんじゃない。その体に眠る『聖なる力』が暴走しないよう、必死に精神統一をして抑え込んでいたんだな!?」

「へ?」

「そして、村の女たちに世話を焼かせていたのも…彼女たちに『英雄に尽くす』という徳を積ませ、加護を与えてやるためだったんだろう!? お前は自分を悪者にしてまで、俺たちを守ってくれていたんだ!」

 

 

 違う。断じて違う。俺はただ、動くのが面倒くさかっただけだ。女に尽くさせるのが気持ちよかっただけだ。こいつらの脳みそはどうなっているんだ? 畑の肥料でも詰まっているのか? やっぱり頭どうかしてる。

 

 だが、俺の内心のドン引きなどお構いなしに、男たちの「男泣き」の輪は広がっていく。

 

 

「ちくしょう、タチバナ! お前って奴は…!」

「俺は、お前が働かないことを本気で軽蔑してた。でも、今日わかったよ。お前が抱えていた使命の重さに比べれば、俺たちの鍬なんて軽いもんだったんだな!」

 

 

 普段、俺に泥を投げつけてきた農夫が、俺の手を両手で包み込んで握手をしてくる。その手は泥だらけで、俺の美しい手が汚れることに対する不快感で鳥肌が立った。

 

 

「やめろ、汚い! 離せ!」

 

 

 俺が悲鳴交じりに叫ぶと、彼らはそれをまたしても都合よく解釈した。

 

 

「そうか…! 俺たちのような凡夫が、聖なる勇者の手に触れるなどおこがましいということか! その誇り高さ、痺れるぜ!」

「いいか野郎ども! タチバナはこれから世界を救う旅に出るんだ! 今まで馬鹿にしていた分、俺たちが全力で送り出してやるぞ!」

「おうともよ!」

 

 

 男たちのボルテージは最高潮に達した。彼らは俺の高貴な体を、まるで神輿のように軽々と担ぎ上げた。

 

 

「ちょ、待て! やめろって言ってるだろ! 俺は勇者じゃない! ただの無職だ!」

「わっしょい! 勇者タチバナ! わっしょい!」

 

 

 俺の弁明は、「謙虚さの表れ」として完全に無視された。視界が激しく揺れる。空と、男たちの汗臭い頭頂部が交互に見える。アンナたち女連中は「キャーッ! 素敵ー!」と黄色い声を上げ、男たちは「うぉぉぉっ! 村の誇りだぁぁぁ!」と雄叫びを上げる。

 

 

 地獄だ。ここは地獄か? 俺が求めていたのは、静寂と怠惰と清潔なベッドだ。汗臭い男たちに担がれ、もみくちゃにされ、ありもしない「高潔な精神」を称えられるこの状況は、俺にとって公開処刑以外の何物でもなかった。

 

 

「下ろせ…下ろしてくれ…! 俺はただ、楽がしたいだけなんだぁぁぁっ!」

 

 

 俺の魂の絶叫は熱狂の渦にかき消され、誰の耳にも届かなかったらしい。くそゥ。

 

 こうして、俺の意思と本性を完全に置き去りにしたまま、村中を巻き込んだ「勇者タチバナ・爆誕祭」は、夜が明けるまで続くことになったのである。




#### タチバナ

* **役割:** 村のヒモ 兼 自称・王
* **容姿:**
少し癖のある柔らかな黒髪と、優しげだがどこか人を油断させるタレ目が特徴。村の男たちが日焼けして逞しいのに対し、彼は一切労働をしないため、肌は驚くほど白く滑らか。常に気だるげな表情を浮かべているが、その整った顔立ちは、村の娘たちの庇護欲を猛烈に掻き立てる。服装は、村の娘たちが貢いでくれた、着心地の良い服を適当に着ているだけだが、彼が着るとそれなりに見えてしまう。
* **性格:**
* **基本:** ドスケベでクズ、極度の小心者で自己保身が最優先。面倒なことは大嫌いで、いかに楽をして生きるか、ということしか考えていない生粋の怠け者。
* **対・村娘たち:** 彼女たちが自分に好意を寄せていることを完全に理解しており、その好意を巧みに利用して自分の望みを叶えさせることに長けている。時折、ふとした瞬間に思わせぶりな言葉を囁いたり、優しく頭を撫でたりすることで、娘たちの好意が冷めないように絶妙なコントロールを行う天性のヒモ気質の持ち主。
* **思考:** 彼の思考の9割は「いかに楽をするか」と「スケベな妄想」で構成されている。アンナたちの世話を受けながら、「(アンナの胸も悪くないが、ベッキーの尻も捨てがたい…クロエは隠れ巨乳に違いない…)」といった最低な比較検討を常に脳内で行っている。
* **特技:**
* **甘え上手:** 困ったことがあると、子犬のような目つきで娘たちを見つめ、全てを察して助けてもらう。
* **責任転嫁:** 自分が原因でトラブルが起きても、「俺のせいじゃない。俺は悪くない」と心の中で断固として認めず、自然と周囲に責任があるかのような雰囲気を作り出す。

#### タチバナの母
* **役割:** 主人公の美貌の遺伝源 兼 精神的トラウマの象徴
* **容姿:**
* 村の誰とも似ていない、艶やかな漆黒の長髪と、吸い込まれるような黒い瞳を持つ絶世の美女。
* 肌は透き通るように白く、農村の過酷な日差しの中でも決して焼けなかった。
* タチバナの「タレ目で庇護欲をそそる顔立ち」は完全に彼女からの遺伝。
* 村人からは「遠い東の国の没落貴族の生き残りではないか」と噂されていたが、真相は不明。
* **性格:**
* **情緒の振れ幅が「極端」:** 普段は非常におっとりとしていて慈愛に満ちているが、感情が昂ると制御不能な「ハイテンション」状態に陥る。
* **異常な息子愛:** タチバナを病的なまでに溺愛しており、彼が少しでも自分を褒めたり頼ったりすると、脳内のリミッターが外れて狂喜乱舞する。
* **家事能力:** 料理の腕だけは超一流だったが、その「料理を褒められること」が彼女のデスフラグとなった。
* **教育能力:** 「故郷」の用語を息子に教えてはいたものの、タチバナ本人が分かったフリして理解していないことに気づいていない。
* **死の間際(タチバナの視点による「事故の真実」):**
* **発端:** タチバナが空腹を紛らわすために適当に言った「今日のシチュー、悪くないね」という一言。
* **暴走:** 歓喜のあまり、奇声を上げながら台所で高速回転ダンス(喜びの舞)を開始。その遠心力で濡れた床に足を滑らせ、後頭部を巨大な素焼きの壺に強打した。
* **ダイイングメッセージ:** 頭部から大量出血しながらも、最期の力を振り絞って「最愛の息子へメッセージ」を残そうとした。痙攣する指を自身の血に浸し、床に『愛してる♡』と書き残した。
* **タチバナの誤解:** 現地の言葉(共通語)しか知らないタチバナにとって、母が書いた日本語(漢字・平仮名)は、この世のものとは思えない「禍々しい呪いの紋章」にしか見えなかった。最後の「♡」マークも、心臓を抉り出す儀式のシンボルだと誤認した。
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