俺の命を守るためなら、お前らを盾にする 作:最高司祭アドミニストレータ
【視点:セシリア・ホワイトリリー】
王城の西側に位置する客室の窓から、とろりとした琥珀色の夕日が差し込んでいた。その柔らかな光は、部屋に一人佇む僧侶、セシリア・ホワイトリリーの姿を神々しく照らし出している。
彼女は窓辺に立ち、沈みゆく太陽を見つめていた。ふわりとした桜色の髪が、微風に揺れる。彼女が大きく息を吸い込むたびに、その豊満すぎる胸元が波打つように上下し、純白の法衣の生地が悲鳴を上げるように張り詰める。
彼女にとって、この身体──特に胸部の発育の良さは、時として悩みの種でもあった。修道院にいた頃から、殿方たちの視線を集めてしまうことへの恥じらいと、重さによる肩こり。
しかし、今日、彼女はその悩みさえも、神が与えた試練であり、同時に「役割」なのだと再認識させられることとなった。
「…勇者、タチバナ様」
セシリアは、そっと自身の胸に手を当てた。掌の下で、心臓が高鳴っているのを感じる。それは、恐怖によるものではない。ましてや、王族に対する緊張でもない。もっと根本的な、魂の奥底から湧き上がるような「使命感」と、そして名状しがたい「母性」の疼きだった。
彼女の脳裏に、謁見の間での光景が鮮やかに蘇る。
あの時、タチバナは何も語らなかった。ただ静かに、彼女たち三人の前に立ち尽くし、じっと見つめていた。アリシアはそれを「戦力の分析」と捉え、メグは「魔術的な共鳴」と捉えた。
だが、セシリアの解釈は違った。彼女の目には、あの視線が全く別の意味を持って映っていたのだ。
(あのような…熱っぽく、それでいて悲痛な眼差しを、私は初めて拝見しました)
セシリアは頬を染め、少し身を捩った。タチバナの視線は、確かに執拗だった。彼女の顔を見つめ、そして視線はゆっくりと下がり、彼女の豊かな胸元に釘付けになった。瞬きもせず、穴が開くほどに凝視していた。
一般的に考えれば、それは不躾な視線かもしれない。だが、セシリアは「聖職者」としての高度な洞察力(と思い込み)によって、その行為を精神的な次元へと昇華させていた。
(あの方は、私の身体を見ていらしたのではない。…私の『心臓』、すなわち『心』の在り処を探しておられたのです)
彼女は確信していた。タチバナの瞳に宿っていたのは、肉欲などという浅はかなものではない。
あれは、「渇き」だ。砂漠を彷徨う旅人が水を求めるような、あるいは、凍える子供が暖炉の火を求めるような、切実で、必死な「救い」への渇望。
(勇者様は…泣いておられたのです。心の中で)
セシリアの想像力は、翼を得た鳥のように飛躍する。突然、村から連れ出され、世界の命運というあまりに重い荷物を背負わされた青年。王の前では気丈に振る舞い、「命を捧げる」とまで言い切った彼だが、その内側はどれほど傷つき、どれほど孤独なのだろうか。
誰も彼を一人の人間として見てくれない。「勇者」という記号としてしか扱わない。
だからこそ、彼は言葉を発せなかったのだ。軽々しい言葉など、彼の孤独の前では無意味だから。
(あの方が私の胸を見つめていた時の、あの縋るようなお目…。まるで、『僕を受け入れてくれるのか?』『この重荷を、少しでも癒してくれるのか?』と、無言のうちに問いかけているようでした)
セシリアの母性本能が、激しく揺さぶられた。もし彼が、ただ強いだけの傲慢な英雄であれば、彼女はこれほど心を動かされなかっただろう。
だが、タチバナは違った。強さの中に、どうしようもない「脆さ」と「甘えたい欲求」を隠し持っている。それを、あの熱視線だけで彼女に伝えてきたのだ。
(あの方は、気づいておられたのですね。私のこの体が、単なる肉体ではなく、傷ついた魂を包み込むための『揺り籠』となり得ることを)
セシリアは、自らの豊満な双丘を慈しむように撫でた。これまで恥ずかしいと思っていたこの身体も、彼を癒すために神が授けてくださったクッションなのだと思えば、誇らしくさえ思えてくる。
そして、決定打となったのは、やはりあの言葉だ。
『…俺の背中は、お前たちに預ける』
セシリアは、その言葉を反芻し、熱い吐息を漏らした。『背中を預ける』。戦士たちにとっては信頼の証かもしれない。だが、僧侶である彼女にとって、その言葉は「告白」にも等しい意味を持っていた。
(背中…それは、自分自身では決して触れることのできない場所。そして、最も無防備で、誰かの支えを必要とする場所)
彼は言ったのだ。「俺を支えてくれ」と。一人では立てない時があるかもしれない。心が折れそうな時があるかもしれない。そんな時、後ろにいてくれ。俺が倒れないように、その優しさで支えてくれ、と。
(はい…。もちろんです、タチバナ様)
セシリアは、虚空にいるタチバナに向かって語り掛けるように呟いた。
(貴方様は、前だけを見てお進みください。傷つくことを恐れないでください。貴方様が傷つけば、私がその倍の祈りを込めて癒します。貴方様が疲れ果てれば、私がこの身を枕にして、安らかな眠りを提供します)
さらに、彼女の脳裏には、退出間際の一幕が浮かんでいた。装備を持たず、丸腰で戦場へ行こうとした彼の姿。『鎧を着る時間すら惜しい』という、あの痛切な叫び。
周囲は彼の勇気を称えたが、セシリアは胸が締め付けられる思いだった。
(なんて…なんて危うい御方なのでしょう。ご自身の命を、まるで道端の石ころのように軽んじていらっしゃる)
自己犠牲。それは聖職者として尊い精神だ。だが、タチバナのそれは度を越している。彼は自分の命を勘定に入れていない。世界を救うためなら、自分がボロボロになっても構わないと思っている。
それは「勇気」ではなく、一種の「自傷的」な献身だ。
(誰かが…誰かが止めて差し上げなければ。貴方様は道具ではない、生きた人間なのだと。貴方様ご自身も、幸せになる権利があるのだと、誰かが教えて差し上げなければ)
誰が?
騎士のアリシア様? いいえ、彼女は共に剣を振るう方。彼を鼓舞し、戦場へ駆り立てるだろう。
魔法使いのメグ様? いいえ、彼女は共に敵を討つ方。彼と共に破壊の道を歩むだろう。
(私しかいません)
セシリアは、強く拳を握りしめた。彼に「休息」を与えられるのは、癒し手である自分だけだ。彼を「肯定」し、無償の愛で包み込めるのは、神に仕える自分しかいない。
「私が、貴方様の『帰る場所』になります」
セシリアは誓った。これから始まる旅は、過酷なものになるだろう。彼は傷つき、血を流し、時には絶望して泣き言を言いたくなる夜もあるはずだ。そんな時は、躊躇なく自分の胸に飛び込んできてほしい。聖母マリアが幼子を抱くように、彼を抱きしめ、頭を撫で、よしよしと甘やかしてあげたい。
「タチバナ様…。どうか、無理だけはなさらないで。私の回復魔法が届く範囲に、いえ、私の手が届く範囲に、ずっといてくださいね…」
彼女は、うっとりとした表情で、自室のベッドに腰掛けた。ふかふかの枕をタチバナに見立て、優しく抱きしめる。その慈愛に満ちた眼差しは、窓の外に広がる闇を越えて、タチバナのいる部屋へと向けられていた。
彼女はまだ知らない。彼女が「傷つきやすく、自己犠牲的な聖人」だと思い込んでいるその男が、今まさに「いかに楽をして、かすり傷一つ負わずに逃げ回るか」ということと、「セシリアの胸に顔を埋めるにはどういうシチュエーションが最適か」という下劣な計算に全知能を費やしていることを。
彼女の純粋すぎる母性は、タチバナという底なしの沼に、自ら喜んで沈んでいこうとしていた。
■
【視点:聖剣の精霊フィリア】
王城の一角、勇者に割り当てられた極上のスイートルーム。その控え室の豪奢な大理石のテーブルの上に、一本の古びた剣が置かれている。主であるタチバナは現在、隣室に備え付けられた、小規模な池ほどもある広々とした浴室で、王侯貴族のような入浴を堪能している最中であった。
聖剣の精霊フィリアは、主の不在の部屋で、銀色の霊体を実体化させることもなく、ただ静かに事象を観測していた。高次存在たる精霊である彼女にとって、分厚い扉や壁といった物理的な障害は、情報収集において何の妨げにもならない。
彼女の意識には、契約者であるタチバナの思考のノイズが、望むと望まざるとにかかわらず、克明なテレパシーとなって流れ込んできている。
『あー、極楽極楽。王城の風呂ってすげえな、お湯が無限に出てくるぜ』
『しかし、今日の謁見は我ながら完璧な立ち回りだったな。あの三人の美少女…とくにあの僧侶、セシリアちゃんだったか。あの爆乳、反則だろ』
『あのおっとりした顔で、あの凶悪な質量。しかも俺に気があるっぽいし。旅に出たら、絶対一度でいいからあの胸に顔をうずめてみてえ…。いや、一度と言わず何度でもだ。戦闘中にわざとちょっとだけ掠り傷を負って、「ああっ、痛い!」って泣きつけば、優しく抱きしめて治療してくれるに違いない。ぐへへへ…』
低俗。卑劣。破廉恥。フィリアの論理演算回路は、絶え間なく流れ込んでくるタチバナの思考のストリームを、数ミリ秒で最も適切な単語へと変換し、分類していく。
それと同時に、フィリアの感知センサーは、王城の別の区画──西側の客室から放たれる、一つの特異な波長を受信していた。それは、強く、清らかで、しかしひどく思い込みの激しい「祈り」の魔力波長。
僧侶セシリア・ホワイトリリーからの、タチバナに向けられた慈愛に満ちた想いの波動である。精霊であるフィリアには、その祈りに込められた言語化される前の「感情の形」が正確に読み取れた。
『孤独な覚悟』
『深い悲しみ』
『私の胸を、彼を癒す揺り籠に』
フィリアは、この二つの極端な思考の波長を重ね合わせ、その絶望的な不一致に、システムエラーにも似た眩暈を覚えた。
(…深い悲しみと孤独な覚悟、ですか)
フィリアは、誰もいない静寂の控え室で、音なき冷笑を漏らす。
セシリア・ホワイトリリーという少女は、聖職者としての高い適性と、膨大な治癒の魔力を持っているのだろう。しかし、人間観察能力においては、致命的なまでの「盲目」であった。
フィリアは、聖剣の管理者としての権限で、タチバナの脳内リソースの配分割合を常にモニタリングしている。その厳密な計測データに基づくならば、タチバナの精神構造は、セシリアの思い描く「悲劇の英雄」とは対極の、限りなく単細胞生物に近い構成をしている。
彼の思考リソースの全体重のうち、およそ九割は『いかにして労働を回避し、安全かつ楽をして生きるか』という、究極の自己保身と怠惰のアルゴリズムで占められている。
そして残りの一割は、『女性の身体的特徴に関する考察』──つまり、バストの豊満さ、ヒップの曲線、太ももの露出度といった、動物的な性的欲求の解析に割り当てられているのだ。
この強固な二大欲求の壁の前にあっては、世界を救う使命感も、他者を慮る悲しみも、孤独に立ち向かう覚悟といった高尚な感情も、入り込む隙間などない。一ミリメートルの隙間どころか、ナノメートル単位の余地すら、彼の脳内には存在しないのである。
彼が謁見の間で見せた「陰りのある表情」や「重苦しい沈黙」は、重責に苦しんでいるからではない。
単に「どうやってこの面倒な状況から逃げ出してやろうか」と姑息な計算を巡らせていたか、あるいは「あの僧侶の服のボタンは、どの程度の張力で弾け飛ぶだろうか」と妄想を巡らせてフリーズしていたかの、どちらかでしかない。
(…そして、『心の傷』、という解釈もまた、非常に興味深い論理的飛躍ですね)
フィリアは、セシリアがタチバナに対して抱いた「傷ついた心を癒してあげたい」という強い母性本能について、魔法学的な見地から冷静な分析を下す。
回復魔法という術式は、対象の生命力を強制的に活性化させ、物理的な損傷や、毒などの状態異常を正常な状態へと「復元」するシステムである。つまり、元々存在していた正常な器官が欠損・破損した際、それを元の形に補うために機能する。
だが、タチバナが抱えているのは「傷」ではない。
彼は、幼少期から他者に寄生し、甘え、働かずに生きてきた。その結果として、自立した大人として当然備わっているべき「社会性」や「責任感」が、最初から【未実装】なのだ。
さらに、過剰な自己保身からくる「精神的な幼児性」は、何らかのトラウマによって傷ついて退行した結果ではなく、ただ単に精神が成長を放棄したまま放置されているという「怠慢の結晶」に過ぎない。
存在しないものは、復元できない。セシリアがどれほど強力な高位回復魔法を行使し、どれほど深い慈愛の祈りを捧げようとも、タチバナのそのクズな本性は「治癒の対象領域外」なのである。傷を癒す奇跡の薬であっても、そもそも器の形が歪んで焼き上がっている泥人形を、美しい黄金の彫刻に作り変えることは不可能なのだから。
(むしろ、セシリア・ホワイトリリーのその際限のない母性は、タチバナにとって最悪の『劇薬』となるでしょうね)
フィリアの論理予測回路が、これからの旅路で起こり得る、最も厄介なシナリオを高速で構築していく。
タチバナは、自身に向けられる好意や善意を、罪悪感なく搾取する天賦の才を持っている。彼がセシリアの「何でも受け入れてくれる盲目的な母性」に気づくのは、時間の問題だ。いや、先ほどの浴室での妄想を傍受する限り、既にその気満々である。
彼は旅の道中、少しの疲労や、かすり傷、あるいは完全な仮病を使って、セシリアの庇護下に入り込もうとするだろう。
『痛い』『辛い』『もう歩けない』。
そんな幼児のような泣き言を並べ立てれば、セシリアは「重責に耐えかねて、ついに弱音を吐いてくださった」と勝手に歓喜し、その豊満な胸で彼を抱きしめ、徹底的に甘やかすに違いない。
それは、「癒し」ではない。「堕落の加速装置」である。
ただでさえ労働意欲がゼロの男に、無限の包容力を持つベッドを与えればどうなるか。火を見るより明らかだ。
彼は二度と自分の足で立とうとはしなくなる。魔物の影を見れば即座にセシリアの背後に隠れ、彼女の母性を最強の盾にして、魔王討伐という本来の目的から徹底的に逃避しようとするだろう。
(共依存の完成、ですね。…世界を救うはずの勇者パーティが、精神的に自立できないヒモ男と、彼を甘やかすことで自身の存在意義を見出す盲目的な聖女の、醜悪な巣窟と化すとは)
フィリアは、この予測データがいかに現実的で、かつ回避困難であるかを悟り、無機質な精霊であるはずの自身の中に、深い疲労感に似たものが蓄積していくのを感じた。
魔王を倒すためには、タチバナを強制的に前線に立たせ、自動戦闘機能を起動させなければならない。
だが、セシリアが彼を「保護」しようとすれば、フィリアの強権的な管理プログラムと真っ向から衝突することになる。「勇者様をこれ以上無理させないでください!」と涙ながらに訴えてタチバナを庇うセシリアと、「俺は戦いたくない!」と彼女の背後で泣き喚くタチバナ。
その光景が、ありありと脳裏に浮かぶ。
(…前途多難、ですね)
フィリアは、誰に聞かせるでもなく、静かにそう結論付けた。
浴室からは、まだタチバナの能天気な鼻歌と、極めて卑俗な妄想の電波が流れ続けている。
『いやー、しかし金髪の王女様も捨てがたい。あっちから寄ってきたら、まんざらでもないフリをして俺のベッドに誘い込んで…。赤毛の魔法使いは、元気すぎて疲れるかもしれないが、あの健康的な脚に挟まれるのも悪くない。よし、旅の目的は魔王討伐じゃない。いかにこの三人を俺に惚れさせ、最終的に働かずにハーレム王として君臨するかだ! ぐへへへへ!』
一切の反省も、危機感も、使命感もない。ただ己の下半身と胃袋を満たすためだけに呼吸している、奇跡のようなクズ。彼を英雄に仕立て上げなければならないという、途方もないタスクの重圧。
フィリアの銀色の霊体は、主のいない豪華な控え室の空中に、ただ静かに浮かんでいる。その口から漏れた、氷のように冷たく、微かな諦念を含んだ呟きだけが、豪奢な絨毯に吸い込まれ、虚しく響いて消えていった。
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