俺の命を守るためなら、お前らを盾にする 作:最高司祭アドミニストレータ
【視点:メグ・フレイムハート】
王城の巨大な正門が重々しい音を立てて開かれ、四頭立ての白馬に牽かれた豪奢な馬車が、ゆっくりと石畳の街道へ滑り出していく。沿道には、新たな勇者の出立を見届けようと、数え切れないほどの王都の民衆が詰めかけていた。
「勇者様、万歳!」
「どうか世界に光を!」
地鳴りのような歓声と宙を舞う色鮮やかな花びらが、馬車の窓を絶え間なく叩いている。
しかし、馬車の広い座席に腰を下ろしている天才魔法使い、メグ・フレイムハートの耳には、その熱狂的な外の騒音も、どこか遠い世界の出来事のようにしか聞こえていなかった。
(うぅ、やっちゃった…。いくらなんでも、初日からあんなドジを踏むなんて…)
メグは膝の上でギュッと両手を握り合わせ、まだドキドキと高鳴る自分の胸をそっと押さえていた。顔が熱い。今頃、自分の顔は自慢の赤い髪と同じくらいに茹で上がっているに違いない。彼女の脳裏で何度も再生されるのは、先ほど中庭で荷積みをしていた際の、あの一連の出来事だ。
欲張ってポーションの木箱をいくつも積み上げすぎ、バランスを崩してしまった瞬間。視界が反転し、石畳に叩きつけられる痛みを覚悟してぎゅっと目を閉じた彼女を待っていたのは、硬い地面ではなく、信じられないほど柔らかく、そして力強い「腕の中」だった。
(あの時、ぶつかった衝撃なんて全然なかった。まるで羽毛のクッションに飛び込んだみたいに、ふわりと受け止めてくれたんだよね…)
メグは、タチバナの胸に顔を埋めた時の、あの不思議な安心感を思い出す。彼女は天才魔法使いであるがゆえに、物理法則や運動エネルギーの計算にも長けている。だからこそ、あの瞬間のタチバナの動きが、いかに異常で、かつ洗練されていたかが痛いほど理解できた。
メグ自身の突進力と、抱えていた複数の木箱の重量。それが合わされば、受け止める側にも相当な負担がかかるはずだ。並の人間であれば、一緒に転倒するか、最低でも数歩は後ずさりしていただろう。あるいは、衝撃で息を詰まらせていたはずだ。
だが、タチバナは微動だにしなかった。
メグの脳内での解析によれば、彼はメグが倒れ込んでくる軌道をコンマ一秒の単位で予測し、最も衝撃を殺せる最適なスタンスを瞬時に構築していた。受け止める瞬間に腕の力を抜き、自身の体幹のバネを使って衝突のエネルギーを完全に分散させるという、極めて高度な体術。
それらを無意識の次元でやってのけたからこそ、彼女はかすり傷一つ負うことなく、彼の腕の中にすっぽりと収まることができたのだ。
(あんな体術、王宮騎士団クラスでも咄嗟にできるかどうか…。やっぱり、ただ者じゃない)
さらに、メグの心を揺さぶったのは、顔を上げた彼女に向けられた彼の言葉だった。呆れ顔でも、怒りでもなく、彼は爽やかに微笑んでみせた。
『気にするな。これも、仲間を支える俺の役目だ』
メグは王立魔法アカデミーを首席で卒業して以来、数え切れないほどの男たちと出会ってきた。貴族の三男坊、野心に燃える若手騎士、権力を笠に着る高官。
彼らがメグに向ける視線は、常に二種類しかなかった。一つは、彼女の類稀なる「魔法の才能」を利用しようとする、計算高い視線。もう一つは、彼女の容姿や若さに惹かれ、あわよくば自分の所有物にしようと目論む、下心に満ちた視線だ。
彼らはメグが少しでも失敗すれば、それを口実に優位に立とうとしたり、「俺が守ってやる」と過剰に恩着せがましく振る舞ったりしただろう。
だが、タチバナは全く違っていた。
彼は、ドジを踏んだメグを責めることもなく、恩を着せることもなく、ただ「仲間だから当然だ」と言い切ったのだ。そこには、才能への打算も、容姿への執着もない。ただ純粋に、これから共に死線を潜り抜ける「仲間」に対する、絶対的な庇護の意志だけが存在していた。
「勇者タチバナ、かぁ」
メグは、誰にも聞こえないような小さな声で呟き、虚空を見つめた。彼女の論理的な思考は、謁見の間での彼との初対面まで遡及していく。
正直なところ、最初の印象は「弱そう」だった。魔力の覇気も感じられないし、目立った筋肉もない。顔は整っているが、どこか頼りなげで、アカデミーにいたら初級クラスの生徒に間違われそうな雰囲気だった。
だが、その評価は覆された。
タチバナが彼女の太ももや胸元を、穴が開くほど見つめていたあの時間。普通の少女なら「いやらしい」「気持ち悪い」と感じるかもしれない。あるいは、単に「好かれている」と思うかもしれない。
だが、メグは天才だ。物事を表面だけで捉えない。彼女は魔法学的な見地から、彼の視線をこう分析していた。
(あの目…あたしの『魔力循環回路』を読んでたんだ)
メグは自分の太ももをそっと撫でた。彼女がなぜ、丈の極端に短いミニスカートや、胸元の大きく開いたローブを着ているのか。
それは決して、男の気を引くためのファッションではない。最大の理由は「排熱」である。
高威力の爆裂魔法を行使する際、術者の体内には莫大な魔力が駆け巡り、それに伴って致死的な高熱が発生する。分厚いローブで全身を覆っていては、熱がこもって魔力回路がオーバーヒートを起こし、最悪の場合は術者自身が内側から焼き尽くされてしまうのだ。
だから彼女は、太い血管や魔脈が集中する太ももや首元、胸元を露出させ、効率的に魔力熱を大気中へ放出するスタイルを独自に確立している。
(普通の男なら、鼻の下を伸ばして『いい足だなぁ』なんていやらしい目で見るだけだけど…勇者は違った)
メグは確信していた。タチバナの視線は、確かに彼女の肌を見ていた。だが、その目は真剣そのもので、瞬きすらせず、一点の曇りもなかった。
あれは、彼女の太ももに浮き出る微細な魔力の脈動を確認し、露出の理由が「冷却効率の最大化」にあることを、瞬時に見抜いた目だ。心臓に近い胸元を見ていたのも、彼女の魔力のコアの出力限界を外側から透視していたからに他ならない。
(すっごい解析能力。あたしの魔法使いとしての設計思想を、あの一瞬で完全に理解したんだ。だから、わざわざ『君の服装は理に適っているね』なんて野暮な称賛はしなかった。無言の凝視こそが、技術者同士の共鳴。…さすが、聖剣に選ばれただけあるじゃん)
メグの中で、タチバナへの評価は「ただのイケメン」から「深淵を覗く天才的な解析者」へと昇格していた。
そして、極めつけはあのセリフだ。
『俺の背中は、お前たちに預ける』
メグは、馬車のシートの上で腕を組み、小さく唸った。
(これよこれ! このセリフ、魔法使いに対する最高級の口説き文句だって分かってるのかな?)
一般的に、魔法使いというジョブは「後衛」だ。前衛の騎士たちが盾となり、後ろから安全な位置で魔法を撃つ。それがセオリー。魔法使いは守られる存在であり、「背中を預けられる(守ってもらう)」側なのだ。
だが、タチバナは逆を言った。「俺の背中を守れ」と。
それはつまり、「お前の圧倒的な火力があれば、俺の背後に回った敵など一瞬で消し炭にできるだろう?」という、彼女の攻撃性能に対する絶対的な信頼の証だ。
(普通はさ、『僕が君を守るから、後ろで援護して』とか言うじゃん? でもそれって、あたしの魔法を信じきれてないってことなんだよね。あたしが撃ち漏らすかもしれないから、自分が壁になるってことでしょ?)
過保護な騎士や、守りたがる男たちは大嫌いだ。彼女は自分の魔法が世界最強だと知っている。守られる必要などない。必要なのは、彼女が最大火力をぶっ放せる「射線」と「機会」だ。
タチバナは、それをくれた。「背中を預ける」という言葉は、「俺は前だけを見る。後ろの雑魚はお前の魔法で殲滅しろ」という、極めて攻撃的な役割分担の提案だ。
(分かってるなぁ。あいつ、絶対に戦術の天才だよ。あたしの性格も、能力も、あの一瞬で見抜いて『お前はガンガン撃て』って指示出したんだもん)
メグの琥珀色の瞳が、ワクワクと輝く。退屈だった世界が、急に色づいて見えた。彼なら、彼女の爆裂魔法を恐れることなく、存分に使わせてくれるに違いない。「危ないから控えろ」とか「燃え広がるからやめろ」なんて細かいことは言わないはずだ。なんといっても、背中を預けてくれているのだから。
さらに、退出間際の「装備受け取り拒否」の一幕。あれも、メグの目には「型破りな英雄」の規格外のエピソードとして映っていた。
(最初は丸腰で行こうとするなんて、クレイジーにも程があるよ。…でも、あれって計算だよね?)
メグは人差し指を立てて、自らの論理を補強していく。
(鎧を着れば防御力は上がるけど、その重量で機動力が著しく落ちる。あいつ、見た感じ筋力はないけど、さっきの体術を見れば異常に身軽なのは分かる。たぶん、『当たらなければどうということはない』っていう回避特化型なんだ)
『民の悲鳴が聞こえるから鎧を着る時間も惜しい』という言葉は、確かに感動的だった。だが、メグはさらにその裏を読む。
あれは、王様の「覚悟」を試したのではないか?
『俺は身一つでも行く覚悟がある。では、国はお前に何を投資する?』
そう暗に問いかけ、結果として国庫から最高級の『賢者の指輪』などを引き出したのだ。
(最初は『いらない』って言って相手を焦らせて、最終的に一番いい条件と軽くて強力な魔導具を引き出す。…うわぁ、食えない男。ただの聖人君子かと思ったら、しっかり計算高い政治的な駆け引きの能力もあるなんて)
メグはニシシ、と悪戯っぽく笑った。清廉潔白なだけの優等生はつまらない。少し毒があって、計算高くて、でも根底には熱いハートと仲間への優しさがある。そういう「複雑な男」こそ、解き明かしがいがあるというものだ。
(気に入った! 合格だよ、勇者様!)
メグは、心の中で力強く宣言した。
(あたしの最強の魔法、特等席で見せてあげる。背中? 任せといてよ。あいつに指一本触れさせないくらいの『壁』を作ってあげるから!)
ちらりと、向かいの席に座るタチバナを見る。彼は窓枠に肘をつき、少し退屈そうに車窓の外を眺めているだけ。その横顔が、メグにはなぜかとても格好良く見えた。
まさかタチバナが彼女の魔法理論など1ミリも理解しておらず、ただ単に「太ももがエロい」「スカートの中が見えそうだからもっと背伸びしろ」「後ろの敵は任せて俺は逃げる」としか考えていなかったとは、夢にも思わない。
彼女の天才的な頭脳は、「タチバナ=深遠な思考と圧倒的な実力を持つ英雄」という誤った前提の上に、完璧な論理タワーを建設してしまっていた。その塔はあまりにも高く、強固で、そして基礎から致命的にズレているのだが、メグ本人はその「美しき誤解」に酔いしれ、恋と冒険の予感に胸を弾ませていた。
(この人となら…きっとどんな冒険も楽しくなる!)
彼女の胸の中に、恋とはまだ違う、けれど確かな「ときめき」の感情が芽生えた瞬間だった。天才魔法使いの知性は、皮肉にも彼女自身を、一人のクズ男の都合の良い防波堤へと変える最も強力な魔法となってしまっていたのだった。
■
【視点:聖剣の精霊フィリア】
同じ馬車の車内。タチバナのすぐ隣の空間に、完全に気配を絶ち、視覚情報を遮断して浮遊している精霊フィリアは、馬車内に満ちる二つの対極的な思考の波長を、極めて冷徹な意識で観測し続けていた。
一つは、向かいの座席に座る天才魔法使い、メグ・フレイムハートから発せられる、淡い熱を帯びた高揚感。もう一つは、自身の真横で頬杖をついている契約者、タチバナから絶え間なく漏れ出す、ヘドロのように濁った低俗な欲望である。
フィリアの研ぎ澄まされた知覚は、メグの脳内で構築されつつある「タチバナ英雄論」の全容を、余すところなく読み取っていた。
(…器が大きい、ですか。訂正させていただきます。彼が大きいのは、己の命への執着と、卑小な性的欲望の容量だけです)
フィリアは、一切の感情を交えず、ただ論理の刃をもってメグの誤解を切り捨てていく。
先ほどの中庭で起きた、荷台での転倒劇。メグはあれを、タチバナの高度な体術と、仲間を想う優しさが生んだ奇跡の救出劇だと信じ込んでいるようだが、真実は全く異なる。
フィリアは、事象が発生した瞬間のタチバナの脳内演算プロセスを、正確に記録していた。
メグがバランスを崩し、木箱の塔が傾いたその瞬間。タチバナは、自身に危険が及ぶかどうかを瞬時に測り終えていた。彼がそのまま半歩でも横へ退避していれば、メグは一人で地面に倒れ込み、彼は指一本触れられることなく安全を確保できていたはずなのだ。
だが、彼はその「安全な回避ルート」を自ら破棄した。
なぜか。
倒れてくる少女の軌道と、彼女の薄い衣類、そして彼女が持つ肉体的な柔らかさ。それらを瞬時に天秤にかけ、『ここで受け止めれば、不可抗力という大義名分のもと、最も効率的に、かつ合法的に、彼女の豊かな胸部と自身の胸板を密着させることができる』という、極めて下劣な計算が成立したからに他ならない。
彼が微動だにせず、衝撃を柔らかく逃がすことができたのは、高度な体術などではない。「絶対にこの柔らかい感触を逃がすまい」という、執念にも似た欲望が、彼の全身の筋肉をかつてないほどに最適化させた結果である。
メグが感じた「驚くほどの安心感」の正体は、彼女を守ろうとする庇護欲などではなく、彼女の柔肌を貪欲に味わい尽くそうとする、純度百パーセントの「下心」そのものであった。
(あれは不測の事故などではありません。彼の卑しい計画性が生み出した、完全な必然。彼女が感じているときめきは、ただの欲望の塊を神仏と勘違いして拝んでいるようなものです)
フィリアの冷ややかな視線は、頬を染めてタチバナを見つめるメグへと向けられる。
(王立魔法アカデミーの首席という肩書きが泣きますね。魔力の流れや術式の構築においては天才的な頭脳を持ちながら、人間の本質を見抜く眼力は、村の子供にも劣るようです)
フィリアにとってこの絶望的なまでの認識のズレは、必ずしも不都合なものではなかった。むしろ、この一行を管理・運用するという観点から見れば、極めて好都合な現象であると言える。
(単純で、自ら勝手に相手を美化してくれる思考回路の持ち主は、タチバナのような空っぽの男にとって、最も扱いやすい盾となります。彼女が勝手に好意を抱き、勝手に『自分が守らねば』と思い込んでくれれば、私がわざわざ強制力を行使する手間も省けるというもの)
フィリアは恋という名の勘違いの種が、極めて不純な土壌の上に蒔かれ、今まさに芽吹こうとしている瞬間を、ただ静かに、そして冷酷に観測し続けていた。
一方のタチバナは、メグの熱い視線に気づく様子もなく、窓枠に肘をついたまま、極めて低次元の未来予想図を脳内に展開し続けていた。
『(ふう、やっとあの息苦しい王城から出られたぜ。これで王様の監視の目も届かない、完全な自由だ!)』
『(それにしても、さっきのメグちゃんの感触は最高だったな……。あの柔らかさ、あの香り。しかも、あの一件で完全に俺に惚れたっぽいしな。これは脈ありだ。まずは手始めに彼女から懐柔して、身の回りの世話から何から、全部やってもらうように仕向けるか。ぐへへへ…)』
魔王軍の脅威? 己に課せられた世界を救う使命? そのような高尚な概念は、タチバナの思考の海には一滴たりとも存在していない。
彼が考えているのは、いかにしてこの三人の美少女を騙し、自分のための快適な「移動式ハーレム兼・絶対防御陣」を構築するか、という姑息な策謀のみである。
(…救いようのない男ですね。ですが、その際限のない図太さだけは、評価に値します)
フィリアは、タチバナのそのあまりにも身の程知らずな妄想を傍受し、音のない深い溜め息を漏らした。
これから始まるのは、正義のための聖戦ではない。一人のクズ男が、自らの命と怠惰な生活を守るために、三人の有能な少女たちを言葉巧みに利用し、盾にするための、見苦しくも滑稽な逃避行である。
馬車の車輪が石畳を打ち鳴らす音が、一定のリズムを刻んでいる。歓声は次第に遠ざかり、一行を乗せた馬車は、魔物の影が潜む広大な荒野へと、確かな速度で進んでいくのであった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。感想やお気に入り登録、高評価などをいただけますと、作者のモチベーションとなりますので、是非よろしくお願いします(๑˃́ꇴ˂̀๑)